『椿説泰西浪曼派文学談義』 由良君美 平凡社ライブラリー

 「すこしイギリス文学を面白いものにしてみよう」なんて書き出しからして好い感じ。たまたま読んだ『みみずく偏書記』(ちくま文庫)が思いのほか愉しい本だったので、ほぼ同時期に復刊された本書もさっそく買ってきた。長い題名だが「ちんせつ・たいせい・ろまんは・ぶんがくだんぎ」と読む。前にWikiで調べてみたところ、著者の大学での専門は「コールリッジを中心として英国ロマン派文学」だったそうで、その他、哲学や幻想文学にも造詣が深いとのこと。前書は余技にあたる後者の話題が中心になっていて、まさしく“越境的”な話が刺激的なエッセイだった。本書の場合は、自身の専門である「イギリスにおけるロマン派文学」が主題となっているので、前著以上に期待できる。というか、面白くない訳がない。(笑)
 元は雑誌『ユリイカ』に連載されたものだそうで、連載時の名前は「ミソ・ウトポス」。“どこにもない場所の神話”という意味らしい。また単行本はその後増補改訂版が出され、6編がボーナストラックとして追加されているが、本書はもちろんそちらが種本。追加された「伝奇と狂気」「ヴィクトリア時代の夜」「ロマン派音楽談義」などの文章は、本編と論旨は違えどこれまた愉しい一文になっている。
 内容は『老水夫の唄(老水夫行)』などで有名な詩人コールリッジや、画家であり詩人でもあったウィリアム・ブレイク(作品は『天国と地獄の結婚』など)を中心に、18~19世紀の英国ロマン派文学について語ったもの。
しかしさすがは碩学。有名どころの作家だけでなく、例えばウェインライトといった、今では忘れ去られたマイナー作家などにもしっかりと言及。またロマン派の運動を詩や小説に限らず絵画も巻き込んだ一大潮流と捉え、イタリア出身の画家ピラネージ(代表作は『幻想の牢獄』など)からフュースリー、はてはスペインの国民的画家であるゴヤを経て風景画で有名なターナー(英)へと続く「<崇高>なるもの」の探求の歴史を辿って刺激的だ。(*)

   *…「ロマン派」を巡る著者の言説は膨大な分野にまたがるため、すべての話題を書き
     出すことは到底無理。例えば当時の文学者やディレッタント達の間で流行した阿片
     が与える幻想や、幻想に付きものの「恐怖」「苦痛」「驚嘆」「畏怖」に関する
     考察など。それにアメリカの「サスケハナ」の地にユートピアを作ろうとした、
     コールリッジとサウジーらの試みと挫折まで、非常に多岐に亘っている。
     この手の越境的な考察は論旨の要約などとても無理なので、今回はとりとめの無い
     感想になってしまうと思うが、どうかご勘弁頂きたい。

 さらにはコールリッジやブレイクらが影響を受けた源流思想まで話は進んでいく。それは何かというと、17世紀にイギリスで一世を風靡したのち弾圧を受けて消滅した宗教セクト「ランターズ」や、さらにその大元となったドイツの神秘主義者ヤーコプ・ベーマ(ジェイコブ・ベーメン)。(何とスウェーデンの大神秘家・スウェデンボリまで登場したのには驚いた。)
 特にベーメのくだりは自分の好みにぴったり。先に挙げたブレイクの『天国と地獄の結婚』における神秘思想の特徴について、ベーメの神秘思想と比べ論じていて大変に面白い。変わったところでは、コールリッジの友人であった詩人ワーズワースとスペインのゴヤを関連付けて語ったりといった、非常にアクロバティックな技の披露も。(とか言いながら、実際には名前しか知らない人や、名前すら聞いたことがない人の方が多いんだけどね。/笑)
 してみると新古典主義からロマン主義への移行というのは、国や地域といった地理的条件、または文学や音楽・絵画といったジャンルの垣根を越えて、ヨーロッパ全体で緩やかに、しかし着実に進行していった意識革命だったと言えるのかもしれない。これなどは頑迷に「イギリス文学」だけに固執しているだけでは到底見えてこない、とても斬新な視点ではないかと思うな。「イギリス文学を面白いものにしてみよう」という冒頭の宣言に違わぬ、まさに著者ならではの大変に愉しい本。

 話は進み本書の中程にある「幻想の地下水脈」から後半の章になると、いよいよ幻想好きの著者の本領が発揮される。わが偏愛するジャンルの話に突入してこちらのワクワク感も一気にヒートアップ。神話学者エリアーデの研究に依りながら、両性具有のイメージを考察した「ヘルマフロディテの詩学」の章は、澁澤龍彦か種村季弘が書いたと言われても、思わず納得してしまいそう。
 また、ある「特徴」をもった小説群が、“幻想文学”という名前でひと括りに論じられるようになったのは、わずか1970年ごろ(T・トドロフ『幻想文学序説』)からだったという指摘には大変驚いた。ヨーロッパで17世紀まで幅を利かせていた「通時的実証の空間」が破綻したあと、それを補うものとして、時代や国・地域を超えた「共時的思考の空間」を肌で味あわせてくれるものとして登場したのが、一連の「特徴」であったのだそうだ。
 「恐怖(テラー)」「戦慄(ホラー)」「幽霊(ゴースト)」「無気味(アンカニイ)」といった形容を関する文学。あるいは「超自然的(スーパーナチュラル)」と「ゴシック」という二つの形容詞が交差するところに生まれる文学。これらを“幻想文学”というジャンルとして捉えるようになったのが、わずか40年ほど前のことだったなんて。(目から鱗が2,3枚落ちたような気がする。)

 こうして由良君美氏の本を続けて読んだところでは、氏に対してまさに「知的アスリート」といった印象を持った。スポーツに例えるならば、オリンピックのフィギュアスケートや体操競技において、代表選手たちの自由演技を見ているようなもの。いい本を読むといつも、感嘆と羨望とワクワク感がないまぜになったような感じがしてくるのだが、本書もまさにそんな感じだった。
 雑誌への連載時期を見てみると、著者が活躍したのは自分が『ユリイカ』に親しんだ頃よりもう一昔前にあたる。『みみずく偏書記』をたまたま読んでみるまでは、恥ずかしながら存在すら知らない人だったわけで、(リアルタイムで著作に接していた人ならともかく、)自分のように普通の読者にとっては、今回の再刊が無ければ一生出会うことがなかった著者に違いない。きっと世の中にはこのような人が、他にも沢山いるのだろうなあ。自分が知らぬだけで。
 思い返せば、澁澤龍彦や種村季弘といった著述家の文章に触れたのも、最初は河出や中公あたりの文庫だったはず。してみると、若い世代の人が過去の名著を“再発見”する機会を増やすには、今回のように手軽に買える値段で、出来るだけ長く出し続けてもらえるのが有り難い。山口昌男の著作も今ではかなりが手に入らなくなっているようだが、また再び新しくどこかの文庫で再刊してもらいたいものだ。次の世代の人たちのために。(そして個人的には、フーコーとレヴィ=ストロースの本が次々と文庫化されるのを強く希望。/笑)
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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