『ゆたかな社会 決定版』 ガルブレイス 岩波現代文庫

 カナダ出身でアメリカの経済学の重鎮であった著者が、経済学の求める「ゆたかさ」について考察した本。(正確には考察ではなく総括と言う方が正しいかな。本人の意見のとりまとめというより、過去の経済学者たちが「ゆたかさ」について考えてきたことのあれこれが、上手くまとめられている。)本書は言うなればマクロ経済学系の本なわけだが、数式はひとつも出てこないので読みやすい。むしろ少し硬めのエッセイといった印象。

 なお誤解の無いように補足しておくと、著者は本書において、経済学者を仲間意識でもって擁護しているわけではない。むしろその逆。「主流派経済学」の理論における前提条件や考え方が、実際の経済や人々の生活とずれていることに注目し、その違いがどれ程のものであって何に起因するのかを考察した文章になっている。少し物足りないとすれば、戦後に関する記述の殆どがアメリカ経済学の話に終始してしまっている点。過去の部分は割とバラエティにとんでるのだけれどね。おそらくヨーロッパの経済学は、戦後の発展もアメリカ経済学とはまた違ったものになっているだろうから、読んでみたかったなあ。
 ちんみに著者により提示された疑問については、個人的には概ね賛同できる。結局のところ、ある考えが多くの人に受け入れられたり人気があるのと、その考えが「正しい」のは違う。物理学などの自然科学とは違って経済学は自由度が高いが故に、却って一義的に“正/誤”を決めることなど、本来は誰にも出来やしない。(だからこそ隆盛を誇るアメリカ経済学の考え方についても、時代とともに移り変わっていくひとつのパラダイムに過ぎないと考えた方が良い。)独創性のある新たな提案が、既存の枠組みから反発を受けるのは致し方ない。でもそのせめぎ合いの中からこそ、次代を担うアイデアが必ず生まれてくるはずだから。

 以上、本書を読んで頭に浮かんだことを、そのままだらだらと書き連ねてしまったが、何のことかわからんですね。申し訳ない(笑)。自分は「心の豊かさ」とか「人の幸せな暮らしぶり」といった広義の「ゆたかさ」について、経済学者が書いた本だと思って読み始めたのだが、ちょっと違っていたのでその点は残念だった。どうやら経済学者の考える「ゆたかさ」とは、金銭など数値化して目に見えるものの量に限定されているようだ。(考えてみれば当たり前なんだけどね。生活の質や心の持ちようなどという数値化し難いものは、学問の対象にはなりにくいから。)そう割り切って感がると、本書もそれなりに面白い。経済的な豊かさを万人が享受できる社会を作るためには、どのような社会であるべきか?というのが本書の主題。古今の経済学者が追及してきた「ゆたかな社会」の紆余曲折が、わかりやすく語られてる。
 本書によれば、経済学が誕生するに至ったそもそもの「きっかけ」があるようだ。それは「産業」の発達によって資本主義が生まれ、貧富の差や経済の好不況によって不幸になる人が大勢生まれたこと。経済の仕組みを解き明かし、不況を防いだり貧困層の生活を改善することによって、不幸な人を少しでも減らそうというのが、経済学本来の目的だったらしい。本書を読むまでは全くもってそんなこと、思いもよらなかった。(*)

   *…でもそう考えれば、ノーベル賞に経済学賞があるのも何となく理解できるね。
     要は人々が平和に暮らせる世界を築くという経済学の目的が、ノーベル賞の理念に
     合致するということだろう。

 ところで昔の経済学においては、経済に好景気/不景気の循環があるのは(貧富の差があるのと同様で)「自然の摂理」であり、人間が何をしても変えられるものではない…という考えが主流だったらしい。
 社会的不平等(経済構造)を「社会の発展に不可欠なスパイス(の役割り)」だなんて。今の目からみたら、「いったいどういう量見なの?」と言いたくなるような考えがまかりとおっていたようだ。その意味では、ペシミズム(悲観主義)に彩られた、不平等/貧困/階級闘争の3点セットを前提とした経済理論から、大きくパラダイムシフトすることが出来たのは、何にせよ良いことだったと思う。(しかもその“常識”を覆したのがケインズの経済学理論やマーシャルプランの実行だった――なんて話を聞くと、ケインズが何だかすごく素敵な人に思えてくるな。/笑)
 そしてその次に出てきたのが、経済格差はやむを得ないとして認め、そのうえで最下層の人々が経済的にボトムアップされて「ゆたか」になりさえすれば、不幸な人はいなくなる…という考え。富裕層がさらに豊かになれば、経済格差は一向に解消されないわけだが、しかし彼らはそれでも一向に構わない。「幸せ」と「すごく幸せ」の違いはあるかも知れないが、少なくとも不幸は無くなるわけだから。
 ではそのために政府は何をすべきか? 経済学者たちが考えたのは、社会全体の経済を底上げして、最下層の人々にまでその恩恵が行き渡るようにするという政策。具体的には「生産性拡大(経済成長)」の実施が最優先かつ不可欠な事項であって、そのため実業家たちが思う存分自由に活動でき、成長が出来る社会環境を作ることが肝心だというのが、アメリカの経済学者の「共通認識」なのだそうだ。はたしてこれが本当に「正しい」ことなのかどうか、判断を下せるだけの素養もないけれど、何となく違和感を覚えてしまうなあ。
 先ほども述べたように、結局のところ経済学者の考える「ゆたかさ」の正体を端的に言ってしまえば、それは「カネ」につきるということなのだろう。(あくまでも本書の見解によればだけど。)金銭的なインセンティブが充分に与えられる社会が「ゆたかな社会」というわけ。ここらへんに何となくアメリカ自由主義の根っこがあるような気がする。
 どうやら著者もその点にひっかかりはあったらしく、経済学者による暗黙の了解事項である「人は物質的/経済的な豊かさを求める存在である」という前提が、普遍的にどんな時でも有効なのか?という疑問を述べている。貧困で明日をも知れぬ暮らしを強いられる社会においては、たしかに「カネこそ一番」という話も成り立つ話かもしれない。しかしある程度豊かになった国、もしくは(先進国のように)高度な消費社会を実現した国においてはどうなのだろう。
 「ゆたかさ」とはいったい何なのか? そのような社会において経済学を学ぶことに、果たしてどんな意味があるというのか? コマーシャルによって消費欲望をかき立てられては購入に走る人々に、本来の意味での「ゆたかさ」は存在し得るのか? 色んな疑問が浮かんでは消えるのだが、本書の中にその答えはない。(尤もこれを突き詰めていった先にあるのは、もはや「経済学」と呼べるものではない気もするが。)

 違ういい方をすれば、アメリカの経済学者が信奉しているのは、経済活動の“自由”と持続的な“成長”であるとも言えるだろう。(この意識については、いかに本書の著者であるガルブレイスと言えど、逃れきることは出来ていない気がする。)経済学者たちはもしかしたら無意識なのかも知れないが、他国の人間からすると彼らの考えには結構なバイアスがかかっているように見える。政府による経済政策というのも、金融政策にせよ財政政策にせよ(**)、巨大なエンジンを積んで生産拡大に向かってひた走るモンスターマシン(市場経済)を、直接ハンドルを握ることなく後ろから押したり引いたりすることで、行先を自在に操ろうというのに等しいのではないかという気が。どう考えても無理っぽい感じがしてならない(^^;)。

  **…金融政策市場とは公定歩合の操作による金利の変動でインフレを抑制しようとする
     もの。財政政策とは公共投資の増加による市場にテコ入れしたり、逆に増税する事
     によって市場抑制などの操作を行うこと。

 それに連邦予算における国防費の扱いにも疑問符が。アメリカでは、連邦政府が年度予算を決める際には、まず国防費として一定の額を割り振ってしまい、殆ど「聖域」のような位置づけにしてしまうそうだ。しかもそれを正当化するのに、いかにも“もっともらしい”理屈をこねくり回していて笑える。どんなのかというと「民間による研究開発はどうしても利潤追求型の(悪く言えば)近視眼的なものになりがち。その点、軍事費というのは採算度外視で国防のために役に立つと思うことを行うため、基礎研究を推進する原動力となり、未来への投資になっている」というもの。そう強く言われてもなあ。このくだりを読んだとき、まるでアメリカが古代ギリシアの都市、スパルタのように思えてきた。
 本書で議論されている「経済学者の見解」というものには、必ずしも全面的に首肯するわけではないが、少なくとも「(アメリカの)経済学がどんな考えを基盤としているか」については、よく解することができたと思う。キーワードとしては、貧富に対する不平等感の改善という意味で「平等」とか、経済的な保障の欠如に対する解決策としての「生産性の増大」(不況対策、失業対策、経済成長など)が挙げられてるが、それを覚えておくことだけでも、経済学に対してこれまでと違う見方ができる気がするね。

<追記>
 余談になるが、山形浩生氏によればダニエル・C・デネットは彼の著書『自由は進化する』のなかで、「自由とはシミュレーションのツールだ」ということを述べたらしい。本書の内容によれば差し詰め「経済的な豊かさとは自由の手段だ」といえるのかも知れない。
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No title

こんばんは。
ちょっと前の『ダイヤモンド』でも、新古典派の経済学に疑問を投げかける話しがあり、少し考えさせられています。
個々の不況や失業などトラブルに対応するミクロな動きか、社会構造自体を悪循環に陥らせないようなマクロな動きか。
実際は、その両方が必要なのでしょが、複雑化の末に新しいモンスターを生む現代社会では、経済的な豊かさを感じるのは難しくなっているのかもしれませんね。

軍事費の話し、ちょっと面白かったです。笑
そう言われればそうな気もしますが、それなら経済学の脇外、まるで文学の夢の話のように聞こえてしまいますね。笑

No title

経済学においては、平等(公平性)と効率はトレードオフの関係にあるので、難しい課題ですね。
平等・公平性を満たすためには、所得再分配が頼みの綱かもしれません。
ただ、裕福な人ほど多く税金を払うという垂直的平等がはたして本当に公正な税制なのかは、難しい問題です。
労働意欲は阻害されないのか?フリーライダーを完全に排除できるのか?課題は多いといえます。

ただ、ケインズが素晴らしい経済学者であることは間違いないです。
すくなくとも、フリードマンなどよりは道徳的であると言えると思います。

慧さま

経済学は難しいですねー。
特にマクロ経済学は暴れ馬か何かを手綱ひとつでいうこと聞かせようとしているようで、
何だか無理がある気がします(苦笑)。

物質的・金銭的な豊かさばかりでなく、
人間らしさや心の豊かさを追及する経済学なんてのを、
夢想したりしてました。

kappamama様

さすがお詳しい。

がんばった人にはそれなりのご褒美があるべきというのはよくわかります。
あとは、チャンスを平等に与えられるかどうかですかね。

ケインズは読んだことないですが、
何だか”カッコいい人”に思えてなりませんでした(笑)。

いつか読んでみたいです。

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kappamama様(私信です)

ありがとうございます。
もしご迷惑でなければ、嬉しいです(^^)。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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