『行動経済学』 友野典男 光文社新書

 そうそう、こういう類の経済学がないものかと前から探していたのだ、やっぱりあるんだねえ。自分の不勉強を恥じる。―― と、のっけから突然こんな話をしてもさっぱり分からないですね、申し訳ない。(笑)

 以前から経済学に興味はあるのだが、とんと疎い。巷に溢れているビジネス絡みの解説書はちっとも面白そうじゃないし、かといって分厚い専門書を読んで一から勉強する気力もないし…。何せ、根が面倒くさがりなもので。(^^;)
 今の日本で主流になっている経済学は、一時期もてはやされた竹中平蔵の「新自由主義」を始めとして、ノーベル賞をとったアメリカの経済学者たちが数式を駆使して作り上げたもの――というイメージが自分にはある。数式を駆使して、高度で且つ美しい理論が展開されているのだが、その大元にあるのは実は「経済人(ホモ・エコノミカス)」という概念であるのをご存じだろうか。
 本書の言葉を借りれば、これは「認知や判断に関して完全に合理的であって意思は固く、しかももっぱら自分の物質的利益のみを追求する人」のこと。自分の嗜好が明確であって常に決断が揺らぐことなく、それに基づいて自分の効用(≒満足)が最も大きくなる選択肢を必ず選ぶ。その実行のためには自分の欲望を完全にコントロールできる。けれどもその半面で、極めて利己的で利他的な判断は全くせず、他人を顧みず自らの利益だけを追求し続ける。――そんな万能の神と冷酷な悪魔を一緒にしたような人物が現実にいるだろうか。 以前、佐和隆光氏の『経済学とは何だろうか』(岩波新書)を読んだ時、アメリカ経済学の根底にあるのが、この「経済人モデル」だという事を知ってから、持っていた憧れが一気に萎んでしまった。現役の経済学者で好いと思えるのは唯一、2008年にノーベル経済学賞をとったP・クルーグマン教授くらい。
 「全知全能の神」のような理想的な判断と、同時に血も涙も無い悪魔的な価値観を持つ人間がモデルの経済理論なんて、いかにも胡散臭いよね。哲学と同じで、実験による検証が出来ない学問の場合、自分で納得感が得られるかどうかが一番重要。まあ、心理的な要因や不合理な判断を加えてしまうと、“揺らぎ”が大きすぎて理論にならないのもわかるし、昔は他に「適当」なモデルが存在しなかったのも事実。止むを得ないところはあるけどね。

 ところが先日、ふとしたことから「行動経済学」という経済学の研究分野があることを知ってびっくり。まさに自分が疑問に感じていた上記の点にメスを入れようとするものだったのだ。完全にランダム(でたらめ)な判断をするわけではないけれど、完全に合理的&自制的な判断でもない。そこそこ合理的な判断をする一方で、間違えたり利他的な行動もする。それが現実の人間というもの。(*)
 そんな「実際の人間行動」を極力取り入れて経済理論を構築していこうというのが、1979年に生まれた「行動経済学」なのだそうだ。これら実際の人間行動を盛り込むためには、認知心理学や社会学、行動生態学に脳神経科学などなど、とても広範囲な学問との学際的な研究が不可欠になる。まさに自分が最も好きなタイプの学問というわけ。(笑)

   *…専門用語では「限定的合理性」と呼ぶらしい。

 本書は少し前の2006年に出版された本なのだが、行動経済学という新しい学問の基礎がきちんと抑えてあって、入門書として良くできている。本の帯の惹句によれば、どうやらロングセラーになっているようだ。
さっそく買ってきて一読したところ、期待通りに非常に面白かった。
 本書の結論を簡単に言えば、「経済活動には人間の感情による様々なバイアスがかかっている」ということ。そしてどのようなバイアスがかかっているのかについて、学際研究を通じてこと細かく具体的に検証していくのが行動経済学の目的なのだ。また、経済活動とはちょっと違うかも知れないが、たとえば東日本大震災の瓦礫処分を拒否する他の自治体の住民の行動や、消費税の増税論議に感情的な拒否反応を示すといった行動心理についても、ほぼ一通りは説明が付けられる気がする。対象にできる射程範囲はかなり広そう。以下、自分の覚書も兼ねて、本書で示されている「バイアス」の具体的な中身についていくつか紹介してみたい。(聞き慣れない専門用語が沢山でてくるがご容赦を。)

 まずは「プロスペクト理論」。これには大きく分けて「①価値」に関するバイアスと「②(発生の)確率」に関するバイアスがあるらしい。まずは「①価値」(正確には「価値観数」)の方から説明する。これには幾つかの特徴があるそうで、ひとつ目は「参照点依存性」というもの。「効用(≒価値)」は絶対量ではなく、評価の基準となる点(参照点)からの変化量で判断されるということだ。病気になって初めて健康のありがたみが分かるとか、高給取りと貧乏人では同じ1万円でも価値が違うという感じかな。
 もうひとつは「感応度逓減性」。損も得もどちらの場合も値が小さいうちは変化に対して敏感だが、値が大きくなると鈍感になっていくというものだ。(むかしライブドア社長だったころの堀江隆文が、金がある程度儲かると実感が湧かなくなると言っていたのを思い出した。)最後の特徴は「損失回避性」。これは簡単で、ある額を損することは同じ額を得する場合よりも強く効いてくるというもの。たしかに1,000円拾うよりも1,000円を落す方がショックは大きいものね。自分の経験に照らし合わせてみてどれも納得できる。
 もうひとつの「②確率」については、正確には「確率加重関数の偏り」という。発生の確率が小さい事象は過大評価され(例:BSEによる牛肉不買や放射能汚染に対する過剰反応)、大きい事象は過小評価される傾向(例:自分が癌や心臓病にかかる確率を低く見積もる)にあること。また、発生確率が1(=確実なこと)は特別に重要視する傾向もあるらしい。これって自分もよくやるように、「ポイントカード」が使える店で買い物をしてしまう心理が当てはまりそう。(笑)

 以上、まとめると次のような形に整理できる。
 ■利得を得られる確率が中~高の事象に対しては極力リスクを回避、つまり多少儲けが少な
  くても当たる確率が高い方を選ぶ。(その最たるものが微々たるポイント制に魅かれる
  心理。)
 ■利得を得られる確率が小の事象に対してはリスクを追求、つまりイチかバチかに賭ける。
  (例:当選確率が低いのに宝くじを買ってしまう心理。)
反対に
 ■損失を被る確率が中~高の事象に対してはリスクを追求、つまり確実に一定額徴収される
  より、ある確率で回避できる代わりにあたると沢山とられる方を選ぶ。
  (どうせなら“ダメモト”という心理?)
■損失を被る確率が小の事象に対してはリスクを回避、つまり極めて低い確率であっても、
 万が一にも当たるのを避ける。(例:さまざまな風評被害)

 本書には、他にも色々なキーワードが出てくる。例えば「保有効果」。簡単にいえば、ちょっとでも自分のものになったら、自分のものじゃないものに比べて執着心が湧くというものだ。これって「せっかくお金を出して買ったのだから、多少は不満があっても使い続けよう」といった、ケチケチ心理(失礼!)の一種かと思っていたのだが、実はかなり深い理由があるみたい。自分のものに対する「愛着」というのもそうだが、もらって僅か5分でも同じ効果が見られるようなので、別の心理も働いていると思われる。
 もしかすると、それは生物が生き残るための戦略だったんじゃないかという気もするな。今は取り敢えず生きてるんだから、「もっと良くなるから変えよう」といわれてもよほど良くなる効果が無けりゃ、失いリスクを高くみつもってしまったり。逆に今より悪くなる事にはすごい拒否反応がでてしまったり…。
 ま、いかなる理由にせよ既得権益に対する愛着は予想以上に強いということ。ちなみにこれを「現状維持バイアス」と呼ぶらしいが、これを使えば、日本の家電製品が国際社会でガラパゴス化している理由も、もしかして説明出来るのかな?(いちど便利になれると手放せない。でも使った事が無い他国では、そんな余分な機能を付けて値段を上げるくらいなら機能は要らないとか。)こうして「お客様は神様です」がどんどんエスカレートして、世界一甘やかされた消費者になってしまった挙句の果てがガラパゴスだったのかも。

 もうひとつのキーワードは「フレーミング効果」。これは何かと言うと、アンケートにおいて設問の仕方で回答が変わるように、初期値の取り方如何で人々の意思決定が影響を受けること。(フレームとは「問題が表現される方法」の意味。)
 例えば「生存率が90%」というのと、「死亡率が10%」というのでは効いた印象が違うので答えが変わってくる。前者は利得の取得、後者は損失のリスク回避が主眼に回答されるためだ。まさに「ものは言いよう」というわけだが、これは先ほども述べたように「参照点」の位置が変わる為のようだ。プラスαのサービスでつけてた利得が無くなるのは致し方ないと思えるが、標準的につけてた仕様を無くすのは「損した気分がするから駄目。また「損失額を減らすためにやむを得ず」は許されるけど、さらに得を得ようという欲が見え隠れすると拒否反応が激しくなる。(東京電力の値上げに対する反発はまさにその心理。)
 まとめると「心情的に重要視されるのは絶対値ではなくて参照点からの移動量。(もちろん利得か損失かが重要なポイント)、だから言い方で印象がガラリと変わる」ということだ。
 他にも「時間が価値判断に与える影響」とか(今の1万円の方が将来もらえる1万円より価値が大きくなる)とか、「選択の幅が大きすぎると人は却って選べなくなるし、その中から一つを選んだときの満足度も下がる」(6種類と24種類のジャムを選ばせる実験)とか、思わず納得するような話が次々と出てきて、まるで「○○あるある」の世界。どんどん面白くなる。

 脳科学と連携して研究が進んでいるので、「fMRT(機能的磁気共鳴画像法)」および「PET(陽電子断層撮影法)」をもちいて先述の行動と脳の活動部位の相関を調べたり、はては以前読んだ「ソマティックマーカー仮説」にまで言及されていて驚く。これまで挙げてきたような経済行動が、実は脳の思考形態から合理的に説明できるとは。経済学がここまで来ていたとは、恥ずかしながら不勉強で全く知らなかった。いやあ、お見それしました。
 少しだけさわりを紹介すると…。
 将来の効用の予測(決定効用)は、腹側線条体の側座核(報酬系とよばれる“快”の感覚を生み出す部位の一部)が活性化し、そして実際に利得を得た場合は前頭前内側皮質という部位が活性化する。また、自分で稼いだ貨幣を消費する場合は、他から労せずして獲得した貨幣を使う時よりも、線状体という報酬系の一部がはるかに活発に活動する事も分かってきたそうだ。まさに自分で稼いだ金は尊くて、逆に「悪銭は身につかず」というのは正しかったというわけ。
 また、将来に関するリスク等の状況が曖昧な場合は、眼窩前皮質という感情を司る部位と扁桃体という不安感に関係する部位が活性化し、たとえ大きな利得が得られる「可能性」があったとしても、それによって喚起されるはずの「快」が相殺されていることも分かってきた。
 近い将来の小さい利得と遠い将来の大きい利得に関しては、感情と認知(理性)の対立や葛藤が生じていて、感情が勝てば前者が、認知が勝てば後者が選ばれることになるそうだ。まさに、ダイエットや禁煙が失敗するパターンそのものといえる。(**)

  **…他にも、裏切り者への処罰を行ったり、逆に互いに報酬を得られる(互報酬)よう
     な協力行動をした場合などは、いずれも「快」の部位が活性しているとか、さらに
     協力行動にはオキシトシンというホルモンが関係しているとかも。このホルモンは
     副交感神経を刺激してドーパミンの放出を促し、協力関係によって「快」を生じさ
     せることで他者に対する信頼行動を促すホルモンだそう。

 まだまだ面白い話が載っているが、こんな調子で書いていると終わらなくなるので、これくらいにしておこう。この「行動経済学」というジャンル、まだしばらくは愉しめそうだ。

<追記>
 本書を読んでいて驚いたことがあった。行動経済学がサンタフェ研究所で研究されているとの記述があったのだ。サンタフェ研究所といえば、“カオス理論”華やかりし頃に、よくあちこちで取り上げられていたアメリカの研究所。その後まったく噂を聞かなくなってしまったが、まさか行動経済学に取り組んでいたとは。
 懐かしい昔のクラスの同級生に思わぬところで出会ったような感じ。こういうのは得した気分になれてちょっと嬉しいものだね。(笑)
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No title

多々ある仮説のなかでプロスペクト理論ほど
たくさんの経済現象を説明できる理論はないようですね。

多くのアノマリーやパラドクスを解明したとうかがいました。

サラッと時間選好率についても述べられていますね。

kappamama様

こんばんは。

経済学は全くの素人なんですが、
行動経済学はかなり面白かったです。

記事にも書きましたが、
経済学にはちょっと胡散臭い感じを持っていたんです。
でも、このようなものならすごく納得できました。

おかげで、ちょっと経済学にも興味が出てきたところです(笑)。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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