『完本 酔郷譚』 倉橋由美子 河出文庫

 昔から何となく、様々な人やグループの残した所謂「白鳥の歌」にあたる作品(*)に、好きなものが多い。本人たちが意識していようがいまいが、いずれの作品も傍から見るとどことなく「終焉の予感」に満ちた気がするのは不思議。それまでの彼らの煩悶や苦闘がまるで嘘のように消えて、吹っ切れた感じになっている。(大袈裟に言えば悟りを開いたような。)澄み切った空のような静謐感と、それでいてどことなく寂寥感も感じさせるところが何とも言えず好きだ。

   *…人であれば亡くなる前。グループであれば解散や活動停止になる前に出した
     作品のこと。

 自分の好きなロックを例に挙げるなら、例えばザ・バンドの『ラストワルツ』やキング・クリムゾンの第2期ラストを飾る秀作『Red』。それにRCサクセションが活動停止前に発表した『Baby A Go Go』なども。小説の世界に目を転じれば開高健『珠玉』や、澁澤龍彦『高丘親王航海記』などがそれにあたる。
 そして本書『酔郷譚』もまさにそんな感じ。倉橋由美子はこれまで『スミヤキストQの冒険』しか読んだことが無く、とても偉そうなことは言えない。ワキ目でちらちらと気にしている程度の存在だった。ところが先日、ふらりと立ち寄った本屋で何気なく本書を手に取ったところ、ウラの紹介文の「亡くなる直前まで執筆していた珠玉の連作綺譚シリーズ」という言葉に、探書アンテナがピピッと反応したというわけ。で、さっそく読んでみたところこれが大正解。鉱物的で硬質な文体も、抑制され乾いた感じも自分好みで、とても気に入った。(あまりにも感情むき出しの激しいのや、水がぽたぽた垂れるような艶めかしい文章はちょっと苦手なのダ。)

 元はサントリーのPR誌「サントリークォータリー」に掲載された作品だそうで、目次を見るといかにも意味ありげな題名をつけられた22編の掌編が並んでいる。いずれも主人公は「慧君」という青年で、彼がカウンターバーで飲む一杯の「魔酒」に導かれて、幻想とも現実とも知れぬ異界を訪れ、そこで様々な女性と「歓を尽くす」というのが大まかな粗筋。(まあ、こんな風に言ってしまえば身もふたもないが。/笑)
 登場人物はかなりの曲者が揃っている。まず主人公の慧君からしてそう。彼は“神童”とも呼ばれる若者であり、ネットワークを使った“宗教ともビジネスともわからぬこと”で莫大な財産を築き、今は毎日を遊び暮らすディレッタント。他には慧君の祖父で元総理大臣の入江さんや連れあいの桂子さん。それに慧君に魔酒を供するバーテンダーの九鬼さんなどなど。(この人などは、数千年も生き続けていたり何度も死んでは蘇った節があるなど、まさに謎の存在といえる) ひと癖もふた癖もある人物が大勢登場して、まるで酒場を舞台に繰り広げる幽玄絵巻とでもいうべき作品に仕上がっている。そうそう、入れ替わり立ち替わり慧君のお相手をする女性たちも個性的だ。彼女らも当然“常人”では無く、冥府の女性や樹木の精、月の世界の住人などさまざま。

 「陶酔」という言葉があるが、酒呑みの人の理想は(昔の中国の詩人が言ったように)、一日中とろとろと夢と現実の境目を漂うみたいに酔い続ける事ではないかという気が。自分もお酒は好きなのだが、体質的にアルコールに弱いので、とても一日中飲み続けるなんてまねは出来そうにない。(かわりに一日中とろとろと活字の海を漂うのは大好きだから、まあ似たようなものか/笑)
 酒の愉しさを語った文章を読むのも好きで、南條竹則『酒仙』とかオマル・ハイヤーム『ルバイヤート』なんかはとても好み。本書も雰囲気的にはそれらの本の延長上にあるといえるが、違うのは飲んでいるものがもはや通常「酒」と言われる飲み物の域を超えている点。(まさに「魔酒」としかいいようがない。)
 書名にある「酔郷」とは酔う事で迷い込む桃仙郷のごとき場所を示すのだが、それはこの世ではなく冥府であったり雪と氷に覆われた異界であったりと、まるでスウィフト『ガリバー旅行記』の如き趣き。

 最初のうちは肩肘ついて気楽に読んでいたのだが、物語を読み進むうちに段々と幻想の凄みが増していき思わず興奮。とくに「広寒宮の一夜」以降の6作品などは、もう完全に「あっちの世界」に行ってしまっている気が。ジェンダーとかセクシャリティのレベルを遥かに超え、性を描きながら性にまったく囚われていない。生の躍動感と死の官能性に満ちあふれ、そこに酒の愉しみを加えた大人の読み物に仕上がっている。解説で松浦寿輝氏も書いているが、「男女の性」に拘らないのでなく逆にとことん拘りぬくことで、単なる「男女の性」といった視点では書けない普遍的な「性」そのものを描くことに成功している。(うーん、これでは何を言っているのか分からないな。すいません^^;)
 ジェンダー論という立場よりも、もっと高い位置からの視点でないと到底書き得ない凄みがあるとでも言えば良いのかな。かなり自分好みだ。

 この作品を読んで改めて感じたのは、「性」とは本来「生(エロス)」や「死(タナトス)」に直結するものだということ。アプローチの仕方こそ全くの逆とはいえ、本書はまさに澁澤龍彦の遺作『高丘親王航海記』と「対(つい)」の作品と言って良いのかも。たとえるならば、麓から違う道を辿りながらも最終的には「同じ高峰の頂き」まで達し得たという感じかな。(もしかするとどちらか片方の作品は、湖水に裏返しに映った“逆さ富士”なのかも。もしそうだとしても、どちらが逆さかは敢えて言わないでおこう。/笑)
 聞くところによれば著者には慧君の祖母の桂子さん自身を主人公にすえた、ファンの間で「桂子さんシリーズ」と呼ばれる小説が4つほどあるそうな。倉橋ファンの方には「何を今さら」と思われるかもしれないが、是非そのうち見つけて読んでみたくなった。

<追記>
 ちなみに書名に「完本」とあるのは、全作品が1冊に収録されたのはこれが初めてだから。「酔郷譚」という題名で雑誌連載されていた途中で、1~15話までが『よもつひらさか往還』という題名で出版されてしまった。そしてその後、著者の急逝で途絶した16~22話までが『酔郷譚』という名で出版社を変えて書籍化されたため、これまでまとめて読むことが出来なかったそう。こんなに面白いならもっと早く読みたかった気もするが、やはり今の方が良かったかな。(笑)
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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