『火の賜物』 リチャード・ランガム NTT出版

 昔から、人類の進化に関する学説は数多く存在する。いわく「直立歩行を始めたこと」や「両手を使うようになったこと」から、「道具を発明したこと」「火を使うようになったこと」、はては「肉食を始めたこと」まで、挙げていけばきりが無いほど。それが原因なのか結果なのか良く分からないものや、因果関係がはっきりしないのも含めて、これまで様々な説が唱えられてきた。

 まあぶっちゃけた話、本書も人類進化の新説に関する本なわけだが、本書が目新しいのは、副題にもあるように「ヒトは料理で進化した」というところ。料理による人類の進化というのは、さすがに今まで聞いたことが無いなあ。結構斬新な切り口。(*)それではさっそく、著者が述べるところの“料理による人類進化説”とは一体どんなものか、その概要をまとめてみよう。

   *…ただし正確に言うと、本書で「料理」というのは“食材の加熱調理”という程度の
     意味。味付けや盛り付けといったものまで連想して読むとちょっと違う。「料理」
     という言葉をその都度頭の中で、「炎による加熱調理」と置き換えながら読んだ方
     がしっくりくる。

 ■人類の脳は約120~130万年ほど前に、ホモ・ハビリスが火を使い始めたときから進化を
  始めた。おそらくその頃に樹上生活をやめて地上に降り、同時に火を使って料理(食材の
  加熱調理)を始めたと思われる。
 ■加熱された食材は消化吸収が良いため、負担が少なくなった胃腸の容積が小さくなる。
  胃腸が小さくなると消化に必要なエネルギーも減るので、それで養えるサイズまで脳の
  容量を大きくできた。
 ■食事とその後の消化に必要な休憩にかける時間が短くて済むようになり、且つ炎の明るさ
  で夜に食事が取れるようになったため、狩猟や採集といった昼間の活動に費やす時間が
  多く取れるようになった。
 ■こうしてホモ・ハビリスはやがて、脳が大きく直立歩行に適した身体をもつホモ・エレク
  トスへと進化した。
 
 著者はなかなか用意周到に自説の根拠を示す資料を準備している。たとえば最初にでてくるのは、「動物は生の食材しか食べない。本当に加熱調理した食材は消化吸収が良いなんていえるのか?」という異議への反論。
 自分は知らなかったのだが、著者によれば世の中には、生のものしか口にしない極端な自然食主義者が、けっこうな人数いるらしい。彼らの主張に従うなら「人類も最初は生食に適した消化器官をもっていたが、火を使うようになってから加熱された食材の消化に適した身体に変化した」ということになり、著者の説は成り立たない事に。そこで著者は「動物は生の食材を食べるが、生食が体に良いなんて嘘。どんな生き物にとっても、加熱調理した食材の方が栄養の吸収効率が良い」ということを逐一反証していく。それはたとえば次のような話だ。

 人間は生食ばかり食べていると痩せてしまう。(また火を使って調理をしない民族は、世界中どこを探しても存在しない。もともと乏しい食料しか手に入らない自然界では、生食主義を無理に貫こうとすれば栄養が不足して生命の危険すらあるためらしい。)理由としては、仮に同じ食材であっても「生の塊り」とそれを「粉砕したもの」さらに「加熱された」ものでは、消化酵素の働きも違ってくるし胃腸が消化(蠕動運動)に必要とするエネルギー量も全く違うためのようだ。加熱調理すると食材の組織が分解し、柔らかくなって咀嚼もしやすくなるし、消化液も混ざりやすいというのは、なるほど理解出来る。その結果、栄養を吸収できる効率が大きく異なってくるようだ。
 事実、動物実験でも加熱調理した餌を与えて育てた個体は、生の餌を与えたものより大きく育つそう。つまり動物も生食に向いた身体を持っているわけではなくて、加熱によって栄養の吸収が良くなるのは皆同じというわけ。

 さらに本書によれば、人間の口やアゴや胃腸は既に“調理済みの食物の摂取を前提としたもの”に変化してしまっている。体重と消化器官の大きさの比率について調べると、なんと他の霊長類のわずか60%しかないとのこと。そして解剖学的にこれらの特徴が顕著にみられるようになったのは、先に述べたようにホモ・エレクトスになってからなので、火の調理が人類進化のきっかけだとすれば、そのタイミングは前段階のホモ・ハビリスにあったはずというのが著者の理屈。ここはポイントになるところなので、かなり詳しく説明されている。
 ホモ・ハビリスはまだ類人猿に近い骨格や臼歯を持っていたが、ホモ・エレクトスになると木登りに好都合な肩・腕・体幹の形が変化して地上生活に相応しい体型に変化を遂げる。(すなわちこの頃から、夜は樹上では無く地面の上で寝るようになったと思われる。)
 またエレクトスはハビリスに比べて胸部や骨盤が小型化し、胃腸の容積が減少して代わりに脳の容積が42%も増加しているという。当時の地上生活の環境を考えると、炎なしでは夜間に野生動物から身を守ることが出来ないはずで、それと同時に胃腸の小型化が進んだという事は、同時に炎による調理が始まったからだと考えることも可能。すなわち加熱されてエネルギー効率が良い食べ物を摂取することで、消化器官の容積が小さくて済むようになる。そして余ったエネルギーは全て脳に回すことが出来るため、今のような大きい脳が実現可能となったのではないか?という、先に述べた仮説になる。
 体の解剖学的な特徴について、これまでのように「人間が進化して火を使った料理をするようになったから」(=結果)ではなく、「火を使った料理を食べるようになったから」(=原因)であると考えれば、色々な面で説明がつけやすいというわけだね。

 以上が本書の前半の話。後半からは少し内容が変わる。冒頭にも書いたが「加熱調理」である限りは、話はあくまでも生物学や医学・生理学の範疇に留まる。しかしそれが本来の意味での「料理」となると、“文化”すなわち社会学や文化人類学的なテーマが入り込んでくる。そこで本書の後半は「なぜ世界中の殆どの社会で女性が家族の料理を作る役割を担っているのか?」についての考察へと移っていく。
 料理は生命維持と言う点ではたしかに画期的な発明といえる。しかし著者によれば、大きな「欠点」がある。それは料理を作るために大変な手間がかかるということ。料理を作るには労力がかかり、かつ作っている間は周囲に対してあまりに無防備になってしまう。そのため単独の個体が野生の状態で料理を行う事は不可能であり、他の個体との協力が必要となる。著者はここから男女の性別による分業が始まったのではないかと推測する。
 たとえば男性は狩りから腹をすかせて帰った時に、確実に食べ物が確保されていると分かっていれば、安心して狩りに行くことが出来る。また女性にとっては男性パートナーとペアになることで、不得手な狩猟を行う必要がない。さらにその男性との関係を集団内で認知させることで、料理中の無防備状態でも食糧を他のメンバーに奪われることなく、安心して確保しておくことが出来る。このような事情により、人類は特定のパートナーとのペア化と分業(つまりは婚姻制度)を始めたのではないかというのが、本書における著者のもうひとつの仮説だ。まさに料理にかかる手間こそが、男女の分業と社会ネットワークを作る基になったというわけ。
 火を使った調理すなわち「料理」が人間を動物から進化させた直接原因になり、更には「文化」を作り出す原動力にもなったという本書の結論、なかなかに面白い。こうして考えると、レトルト食品やスーパーの総菜など、調理済みの食料を調達する手段が様々にある現代社会において、「なぜ女性が料理を作らねばならないのか!」という意見が出てくるのもごもっともな話。まさか加熱調理がジェンダー論に発展するとは思ってもみなかったな。

 本書は以前に読んだ大塚信一著『火の神話学』(平凡社)の中で取り上げられていたもの。面白そうなので買ってきた。ネットサーフィンならぬブックサーフィンというわけ。もっとキワモノじゃないかと思って少し心配していたのだけれど、ちゃんとした本で良かった(笑)。こういう買い方をすると外れた時のショックが大きいけれど、面白い本にあたるとすごく得した気分になれる。本書の場合は、いちおう出した金額分の元は取れたかな。

<追記>
 本書を読んで「料理」というものについて改めて考えてしまった。そこで内容と直接関係はないがオマケとして、文化としての日本料理と調理器具の今後について私見を述べておこう。
 例えばサトイモの煮っころがしからカツオのたたきまで。とろ火でコトコト煮込む料理から、強火でさっと処理をする料理まで。はたまた昆布や鰹節でとるダシの旨さと奥深さ。――そんな「文化」としての日本料理が今後も世代を超えて伝えられるのであれば、熱の供給源としてもっとも優れたユーザーインターフェースである「炎」は、そして「炎」を使うガスコンロは、おそらくこれからも家庭や食堂の厨房で使われていくことだろう。
 火力調節の直感的な分かりやすさや素早さを考えた場合、(特に日本料理に対する)「炎」のメリットは電気ヒーターやIHなど他の熱源を圧倒していると言えるものね。
 しかし単に食材の加熱だけが目的というのであれば話は変わってくる。とにかく一定時間加熱さえすればいいのであれば、電熱ヒーターやIHでも全く問題はない。むしろ家庭の台所で優先度が高い清掃性や安全性ではそれらの方が優れている。そうなると一概に優劣はつけがたく、最終的な勝敗の行方を占うのはガスや電気という「エネルギーインフラ」の優位性でしかないことに。
 そうなってくると気になるのは、今後の料理文化の行方だ。今後も調理性が重視されるのか、それとも調理性は二の次になり、とりあえず温めることさえ出来ればいいのかによってコンロ勝負の行方も決まる。
 それどころか、多くの人が出来合いの総菜を食卓に並べたり、レトルト/インスタント食品やファーストフードがメインの食事になっていくのであれば、「日本料理」という文化の将来も怪しくなる。日本という国と文化を大事にしたいというのであれば、どこかの自治体みたいに国旗掲揚とか国歌斉唱を強制するより先に、子供たちに伝統的な食文化の良さをもっと学ばせた方が良いのではなかろうか? お節介かもしれないが、そんな事を考えてみたりもして。(笑)
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No title

こんばんは。
自然のものが、わたしたちにとって必ずしもベストではない、というのはよくわかる気がします。
そして分業を生んだきっかけの一つが火の調理、というのは面白いですね。笑
当たり前のように火を使っていますが、人類の深い根っこのところでつながっているのですね。
そういえば、最近本物の火を見ていない気がします。

慧さま

こんばんは。いつもご訪問ありがとうございます(^^)。

「ヒトは料理で進化した」という直截的な表現には驚きました(笑)。

なんでもレンジでチンも便利で良いですが、
その代りに大事なものを失くして言っているような気もしますね。

火は見ているだけで心が癒されます。
(そういえば東京では条例で焚火も禁止でしたね。)
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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