『三教指帰』 空海 角川ソフィア文庫

 ソフィア文庫お得意の「ビギナーズ・クラシックス」の1冊。このシリーズは、これまで読んだことがない古典へのとっかかりとして、時々利用させてもらっている。『徒然草』や『枕草子』のように教科書に載るような有名どころはもちろん、本書のようにマイナーな作品もラインナップされていて、かつ値段もそう高くないから結構重宝している。おそらく本書などは、仏教に興味がある方くらいしか知らないのではないか?(知っていたら申し訳ないが。/笑) 一応知らない人が多いことにして、内容について紹介していこう。

 題名の『三教指帰』は「さんごうしいき」または「さんごうしき」と読む。真言宗の創始者であり日本仏教界を代表する“スーパースター”の弘法大師・空海が若かりし頃、まだ渡唐する前の24歳に書いたとされる一種のマニフェストだ。これから一生をかけて追求しようとする「仏教」の素晴らしさを、儒教や道教と比較しながら説いていき、自らの意気込みを宣言したものだ。
 かといって内容自体は全然難しくない。主たる部分は物語形式になっている上(*)、ビギナーズ・クラシックスの場合は訓み下し文と現代語訳が併録されているので、苦労して漢文を読む必要も無くサクサクとページが進む。自分のようなお気らく読者であっても敷居はたいして高くない。(ただし空海が書いた原文のリズム自体を味わいたい人は、違う版を探して読んだ方がいいかも。)
 読む際にひとつ注意が必要なのは、本書における儒教や道教の考え方は、あくまで執筆当時の空海が解釈したものに過ぎないということ。全体的に思想の掘り下げがちょっとあまく感じられるのは、“青年空海による若書き”といことで止むを得ないだろう。

   *…物語の前に、空海自身の思いをつづった序文がついている。

 物語は兎角公(とかくこう)という貴族が、著名な儒教学者である亀毛先生(きもうせんせい)に相談を持ちかけるところから始まる。相談というのは、公の甥であり放蕩三昧にあけくれるダメ男・蛭牙公子(くつがこうし)の去就に関して。何とか彼を説得して更生させて欲しいという公の懇願に対して、最初は固辞していた亀毛先生もついに折れ、儒教の忠孝の教えを教授することになる。色んな事を述べているが、まとめると要するに次のような内容。

■亀毛先生 要旨
 「忠孝」を尽くして「学」に精進すれば人々から尊敬される。上から重用されれば出世でき、一族郎党が将来にわたり繁栄する。それが幸せと言うものだ。だから怠けることなく親に仕え、真面目に生きなさい。

 これを聞いた蛭牙公子は感激して心を入れ替えることを誓うのだが、しかしそれだけで話は終わらない。その場に同席していた道教の道士・虚亡陰士(きょぶいんじ)が、亀毛先生の主張に異議を申し立てるのだ。(どんな展開だ...。/笑)彼いわく、現世の幸せなど如何ばかりのものかと。そして次には道教の教えが開陳される事になる。昔話でよくあるような繰り返しのパターンだね。

■虚亡陰士 要旨
 例えば高価な服を着ようが大きな家に住もうが、所詮は寿命が来るまでのことに過ぎず、死んでしまえば皆同じ。世俗的な喜びには限界がある。それよりも仙道の教えに従い、過度な感情の高ぶりを抑えて修行を積めば、月にも行けるし空も飛べる。長い寿命を得ることだって可能。儚い命にしがみつき、ただひと時の喜びや悲しみに翻弄されるなどつまらないこと。世俗の喜びを捨てて、天上の楽しみを求めるのが本当の道である。

 これを聞いた蛭牙公子はまたまた感激し、同じく感激した亀毛先生と二人そろって道教に帰依することを誓う。(こんなのばっかり。/笑)
 そして最後に登場するのが、仏教の求道者である仮名乞児(かめいこつじ)。彼はぼろぼろの着物を着て冴えない格好をした修行僧。日々の食べ物ですら事欠く始末。しかしそれをつらいとも思わず、厳しい修行の生活に満足している。彼は青年空海の分身ともいえる人物で、実は内心「親や親族を捨てて出家することは、大変な親不孝なのではないか。それで人の幸せを求める修行などしても無意味では」という悩みを持ったりもしている。そんな彼が先の面々に対して述べた意見は概ね次の通り。

■仮名乞児 要旨
 儒教も道教も素晴らしい教えであるが、いずれも仏教の教えの一面を表したものでしかない。この世のあらゆるものは、「六道」を巡り転生を繰り返す儚いものに過ぎず、この世はまさに諸行無常。無常と言う“暴風”は貴賎の区別なく命を奪いさる。何人も「死」だけは避けることが出来ず、財宝をもって償う事も権勢で押し返すことも出来ない。また神仙や仙薬を用いたとしても、最終的に全てが失われるのを(遅らすことは出来ても)止めることは出来ない。その中で両親への忠孝や個人的な栄達を求めて何になろう。人生の目標はそうではなく、涅槃の境地に達することにあるのだ。

 死にゆく者たちを待ち構える恐ろしい運命を、執拗に描写する仮名乞児。その話に亀毛先生と虚亡陰士は心底震え上がってしまい、救いの方法を教えてくれるよう懇願する。そこで仮名乞児が述べるのは、「生死の海」に満ち満ちているこれらの苦しみを脱し、安らかさを得るためには、仏教の戒律(**)を守るべしということ。また先ほどの自らの悩みであった「出家して仏門に入ると捨てられた親兄弟が苦しむ。それは忠孝に反するのではないのか?」という問いに対しても、(儒教のように)両親に対してだけでなく、衆生一切に対する忠孝を示すことで、もっと大きな「大孝」や「大忠」を実現できるのだと言い切ってしまう。(これはきっと空海自身が、思い悩んだあげくに出した結論でもあるのだろう。)
 これを聞いていたその場の人間は皆、心を入れ替えて仏教に帰依することを誓って幕が下りる。最後が少しあっけないし浅い感じはするけど、これが空海の思想遍歴のスタートだったのだと思うと、それなりに感慨深いものがあるね。やっぱり古典って面白い!

  **…五戒や十善戒、六波羅蜜や八正道など、守るべき様々な教えのこと。

<追記>
 兎角公とか亀毛先生というネーミングがどうも引っかかったので、何かの当て字かと思って調べてみた。すると、どうやら元は仏教用語の「兎角亀毛」からきているもののよう。その意味は「兎(うさぎ)の角」や「亀の毛」など、現実には存在しないものの喩えのこと。さすがは教養あふれる空海らしく、数多くの文献から引用されているようだ。他にも思わぬ言葉が隠されているかもしれないので、その手の遊びがお好きな方はいちどご自身で調べてみても良いかも?
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No title

この時の空海とちょうど同じ年代のぼくにとっては、なんだか特別に感慨深く感じられました。
宗教を持っていても、こんなに深く考え、意志を表明できたのかな、と。
普段読まない分野の話題、すごく興味深くて面白いです。
また楽しみにしています!

慧さま

おお、お若いですね。青年空海と同年代ですか(^^)。
こちらはもうとっくに擦り切れてしまって...(笑)。

言うなれば、宗教って昔の哲学思想なわけですからねえ。
私は「信仰としての宗教」にはまったく関心のない人間ですが、
「思想としての宗教」とか「宗教を信じる人の心理」には、
とっても興味があります。

こんなブログでよろしかったら、
またいつでも遊びに来てくださいね。

No title

兎角亀毛(角のある兎や毛の生えた亀)は、
中国南北朝時代には、戦乱の凶兆を示す生き物としても扱われていたようです。

本来は、こちらのブログの記述のとおりで、
仏典で言うところの「名有」のなかの譬えとして使われていたようです。
こちらの方が語源としては古そうですね。

名有と兎角亀毛に関しては、植木雅俊氏の新書に記述がありました。
サンスクリット語かパーリ語かはわかりかねますが。
「有」(=bha`vao´存在)
「兎の角」sasa-visana 「亀の毛」kurma-roma

kappamama様

さすがはkappamama様、ご教示ありがとうございます。

なるほどー、麒麟とか開明獣なんかと同じく幻獣の類ですか。
中国には「山海経」なんかもありますしねw。

本書ではご指摘のとおり、凶兆というよりも、
「架空の話だよ」という程度の、
軽い感じで使われているように思います。

世の中、知らない事がまだまだ多くて面白いです。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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