『ラピスラズリ』 山尾悠子 ちくま文庫

 著者は独自の抒情性をもつ作品で根強いファンをもつ幻想小説家。元本は2003年に国書刊行会から出された書き下ろしの連作中短篇集で、このたび補筆改訂して文庫化された。どこがどう変わったのか比べてみようと思ったのだが、前の本をどこにしまいこんだか、とんと見つからない(苦笑)。仕方ないのでもう一度新たな気分で読み直した。

 本書はプロローグでもあり全体のフレームを提供する小編「銅版」ではじまる。ついで不思議な屋敷に住まう人々を描く「閑日」と「竈の秋」、そしてガラリと舞台を変えた「トビアス」と「青金石」という4つの話が続き、全部で5つの物語で成る。「閑日」と「竈の秋」以外は物語の舞台も登場人物もまったく違うが、ゆるやかに結び付けられて美しい細工物のような構成を形作っている。まさに書名にもあるように、美しい鉱物のような幻想譚だ。
 本書全体を貫く設定は「冬眠者」と名付けられた人々の存在。冬になると眠りにつく彼らを巡る物語が、やがて大きなビジョンを垣間見せて、気持ちの良い余韻とともに幕を閉じていく。
うーん、久々に読み返したがやっぱり良い作品だなあ。

 本書のメインパートは何といっても中篇「竈の秋」とその前日譚である「閑日」。この2作に共通する設定「正体の知れぬ巨大な屋敷に住まう一族とその使用人たち」といえば、幻想小説好きにはすぐにイギリスの作家マーヴィン・ピークが書いた『ゴーメンガースト』のシリーズ(*)が思い浮かぶだろう。もちろんピークの作品と同様、本書にも不気味だったりひと癖もふた癖もあったりと、味わい深いキャラクターたちが大勢登場する。
 たとえば当主一族の娘ラウダータや姉のアダーテや、同じく一族の双子の老女マルタとグレタと生意気な使用人たち。他にも数百体にものぼる不気味な人形たちや、屋敷のあちらこちらに出没するゴーストなど。(この中篇はまさしく『ゴーメンガースト』に対するオマージュとして書かれたのではないかと思ったのだが、違うかな?)
 物語は徐々に不穏な動きを見せつつ、破滅への緊張を孕んで進んでいく。異常気象の為に冬越しの準備が遅れ、慌てて作業を進める屋敷に広がる熱病と使用人の反乱、そして明かされる真実...。ジーン・ウルフの諸作品にも似て、様々な登場人物たちの目まぐるしく変わる視点を丹念に読み解くことで、隠された「世界の真実」が徐々に見えてくる仕組み。幻想小説ファンはこの2作品を読むだけでも本書を買う価値ありと言ってしまおう。

   *…『タイタス・グローン』『ゴーメンガースト』『タイタス・アローン』の3部作から
     なるダークファンタジーの傑作。戯画化された不気味な登場人物たちや、彼らが
     住まう巨大屋敷ゴーメンガーストの描写が他の小説にはない独特の雰囲気を醸し出
     している。創元推理文庫から。

 謎は本書全体にも隠されている。「竈の秋」のあとで「トビアス」を読み始めると、一見それまでとは全くつながりがない物語が始まって少しびっくり。それでも慌てずじっくりと味わってほしい。じっくり読んでいくことで、世界の隠された仕組みが少しずつ見えてくるのだから。
 ただし仕組みは徐々に明らかになってはいくが、本書を読み終えても完全に読み解くことが出来るわけではない。心に染みるラストとともに余韻が残るまま始めから何度読み返してみても、全てが理解できたとは到底思えない。でもそれでいいのだろう。「秋の枯れ葉に始まる春の目覚め」に意味を求めても仕方がない。その心地よさを愉しめばいいのだ、そんな気持ちになってくる。

 とまあ、以上がネタバレ無しの感想。しかし先ほど「ジーン・ウルフ(**)」などという大風呂敷を広げてしまったからには、自分が本書をどのように読んだかについて触れないわけにはいかないだろうね、やっぱり(苦笑)。
 そこでここからは野暮を承知で、この重層的な物語の愉しみ方の一例を紹介してみたい。(これから本書を読みたいと思っている方はご注意を。)なおこれらは作者によって作中に明示されている訳ではないので、あくまでも自分の解釈に過ぎないことを予めお断りしておく。的外れなところがあるやも知れぬがご容赦頂きたい。

  **…アメリカのファンタジー・SF作家。代表作は『新しい太陽の書』のシリーズや
     『ケルベロス第五の首』など。物語の設定は作中では明示されず、物語のあちこち
     に散りばめられたヒントによって、読者が読みとらねばならない。
     かなり“読み達者”な読者向けといえるかも。



 それでは早速、冒頭の「銅板」という作品から。
 物語の舞台は現代のいずれともしれぬ町。ある物語のシーンを描いた銅版画が題名とともに提示される。(それは「閑日」と「竈の秋」の2作品であったことが後で分かる。)プロローグとしてこれから語られる(であろう)世界が暗示されるわけだが、実際に語られることになるシーンの他、実は最後まで語られないシーンがあったことが、後で本作を読み返すと分かってくる。

 続くは「閑日」と「竈の秋」。
 「冬の館」の主たちは、冬の期間は閉ざされた館の中で深く長い眠りにつく者たち。(なぜ彼らだけがそのようになったのか、一切の説明はない。)
 冬支度で大慌てしている使用人たちの姿はとても面白いのだが、複数の視点で語られる多くのエピソードが並走して進み、最初のうちは何だかさっぱり分からない。しかしラスト近くになり、それまでは言葉の端々で触れられるだけだった“森の住民”が、実際に姿を現すと事情が一気に判明する。最初の短篇「銅板」で紹介された3枚の銅版画のうち、「使用人たちの反乱」の銅版画が暗示していたのは、実は今の支配者一族というのがかつて館の使用人だったということ。そして反乱により元の主たちを森に生き埋めにして、彼らにとってかわったのだという「真実」に他ならない。それでは眠っている間に森に生き埋めにされた冬眠者たちは果たしてどうなってしまったのか? 冒頭の「銅板」で主人公が抱いたまま、宙ぶらりんに放置されていた疑問の答えは、ここにきて初めて読者の前に示される。腐敗した身体を引きずって木々の間を彷徨い歩く“森の住民“は、実は自分たちの屋敷へと戻ろうとする嘗ての支配者たちだったことが、「竈の秋」の最後のカタストロフィで明らかにされるのだ。
 それでは死者のもうひとつの姿である“ゴースト”とは一体何か?「閑日」では全く分からないままであるが、次の「竈の秋」においてある程度判明する。長年に渡り館にしばりつけられている彼らも、自らの<定め>を知ることによって、光り輝く存在となって昇天していく事ができるのだ。(それが「閑日」のラストに出てきた“冬の花火”の正体ではないかと思われる。なお彼らの本当の姿を知るには、最終話の「青金石」まで待たなければならない。)

 次の「トビアス」は、どことも知れない未来の話。人類が滅びつつある世界に、女性だけが集い暮らす屋敷がある。(どうやらそこに住むものたちが冬眠者らしい。)世界にいったい何が起こったのか? 話は進めど、それが明らかにされることはなく、本書の中でもっとも謎が多い物語となっている。
 本作と次の「青金石」については冒頭の「銅板」にも全く出てこないため、初読の際は綺麗に閉じた世界に綻びが生じたように感じて、正直戸惑いを覚えた。ちなみにトビアスというのは、物語にでてくる犬の名前。キリスト教の説話で「大天使を道連れにして、それと知らぬまま旅をした幸せな少年」からとった名前だそう。このあたりから物語は宗教(というよりもっと原初的な“信仰”とでもいうもの?)の色合いが強くなり、掌編「青金石」へと続いていくことに。

 そしてラストの「青金石」。物語の舞台は1226年の過去へと一気にとぶ。主人公はこれまでとはうって変わり、歴史上の実在の人物である「アッシジの聖フランチェスコ」。“聖なるもの”と“信仰”についての静かな物語で静かに本書の幕引きがなされていく。本作と「トビアス」とがセットになって、本書全体のテーマが徐々に見えてくる仕掛けだ。
 本作では冬眠者と光り輝く“天使”の出会いが描かれることにより、ゴースト/冬眠者/天使という三者の関係が、立体的な構造をもって立ち上がってくる。さらには最初の「銅板」でさりげなく語られていた、見知らぬ乗り換え駅の駅舎にあった円天井。そこに描かれた聖母被昇天の図とつながることで、本書の全貌が明らかとなり、一旦は際限なく開いてしまったかのように見えた世界は、再び大きな円環を描いて美しく閉じる。

 どうだろうか、こんな風に読んでみたのだけれど...。仮に誤読であったとしても、漠然と読んでいるよりは面白いんじゃないかな? 違う読みかたもできるよ!と言う方は是非教えてください。よかったら楽しくお話しましょう(^^)。
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ジーン・ウルフ!懐かしい!

山尾悠子さん、最近まで知らなくて。
ジェフリー・フォード『白い果実』の翻訳で出会いました。
とても良い翻訳だったのですよね。で、興味が湧いて。
『夢の遠近法』を読み始めて・・・挫折しました(笑)
(あ。苦手だったわけではなく、返却期限に負けました)

どんな作品も「入り方」が肝腎で。
入り口を見つけられないと良さがわからなかったりしますよね。
見つけられるかどうかは、意外と慣れや根気の問題だったりするのですが。

さらに入り口が一つでもないのだと思うので。
いいですねぇ。舞狂小鬼さまの読み方、好きですねぇ。

ただ正直、ジーン・ウルフもやや入り難かったんです(汗)
彼女の本は、時間がたっぷりあるときに読んでみます~

白い果実!

こんにちは! 『白い果実』とはまたすごい本をお読みですね。
残念ながら私はまだ読んでませんが。
なんせ国書さん高いんです...(T_T)

ウルフまで読まれているとはさすが。
ウルフはちょっとした文章にとんでもない仕掛けがあるようで、
気を抜いて読む事が出来ませんよね。

山尾悠子さんの作品も同様に密度が濃いので、
読み飛ばす事が出来ないんですが、
その分、読み終わったときの充実感は高いです。

私の読み方が合っているかどうかは神のみぞ知るですが、
お褒めにあずかりましてとても嬉しいです。

しかし、がんばって高いお金を出して買った本に限って、
文庫になっちゃうんですよねー。
せっかくなので両者を比べてやろうと思ったのですが、
結局、単行本の方は探し出せていません(^^;)。

ようやく

こんにちは。やっと『ラピスラズリ』感想を拝読させていただきました。
小鬼さん、深いところまで書いておられますね。
これはコメントも深いものを…なんて思ったのですが、時間が経つばかりなので
諦めました(汗)

小鬼さんは円環と書かれていますが、
「閑日」と「竈の秋」だけでも一つの小説として成り立つのに、
その前に「銅板」を、うしろに「トビアス」「青金石」を持ってきたのが
小説世界をより大きくしているように感じました。
“冬眠者”という存在だけでなく、
物語はつながっていて。。
最後まで読むとまた戻って、最初の「銅板」を読んでしまいますね。
読めば読むほど発見がありそうな。

ただ個人的には宗教が絡むと感覚としてわかりづらい面があり、
これはこの小説の問題ではなくて、自分の問題なのですが、
キリスト教の歴史もほとんど知らないうえ、それ以上に「信仰」って
なんだろう?とか考えてしまって。
『パヴァーヌ』もそうですし、欧米の本はキリスト教がらみが多いのですけど、
なんとなくしかわからない…結局はぜんぜん理解できてないのではないかと…。

なんだか愚痴めいてきました、すいません(汗)
理解できる=面白いというわけでもないので、
小説を楽しめればまあいいか〜とも思ってはいるのですけども。

そういえば『ゴーメンガースト』のシリーズ、読んだことないです。
そのうち探してみようかな。

グリーンフロウ様

こんにちは、コメントありがとうございます。

昔『ゴーメンガースト』を巨大なタペストリーに喩えた人がいましたが、
私は『ラピスラズリ』の場合は二次元ではなくもっとこう三次元的な、
琥珀の塊のようなイメージを持っています。
すべてが凍りつき静止した美しいオブジェのような…。

聖フランチェスコは十字軍の頃に実在した聖人のひとりです。きらびやかなローマカトリックの組織に背を向け、キリスト教本来の信仰に立ち返ろうとした人物で、『ブラザーサン・シスタームーン』という映画にもなっています。面白いですよ。本書『ラピスラズリ』の静謐な感じによく似ていると思います。

私はもともと聖フランチェスコが好きだったので「おおっ」と思いましたが、単なる雰囲気作りですから別に知らなくても支障はないと思いますよ。読めば読むほど味が出る本って好いですよねー(^^)
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