『アイヌの物語世界』 中川裕 平凡社ライブラリー

 アイヌ社会に古くから伝わってきた口承文芸について、一般読者にも分かりやすく解説した入門書。「アイヌ」って名前は誰でも知っているけど、どんな生活をしてどんな文化を持っているかなど、意外と知られていないと思う。まさに自分がそうで、この年になるまで碌に勉強したことなど無かった。(イザベラ・バードの『日本奥地紀行』に出てくるのと、中沢新一の『カイエ・ソバージュ』で触れられているのをちょっと読んだくらい。)
 素人にも分かりやすく説明してくれる本がないものか、折にふれて探していたのだが、こんな時に頼りになるのが平凡社ライブラリー。調べてみたところ、やっぱりあった(笑)。
 ひとくちに口承文芸といっても、特徴によって大きく神謡・散文説話・英雄叙事詩の3種類に分かれるらしい。ちなみに“神謡(カムイユーカラ)”というのは、字に「神」が使われている事からも分かるように、「カムイ」(*)が主人公の話のこと。“散文説話”は「アイヌ」(人間の意味)に関するものが多いが、その他にカムイや和人(当時の徳川幕府体制に組み込まれた“本土”の人々)なども一部ある。“英雄叙事詩(アイヌユーカラ)”は日本神話における初期のスサノオのような破天荒な面と、南米神話のカラスやウサギのような文化英雄の面をもつ「超人」が主人公になっている。(本書で幾つかのあらすじを読んだ印象では、インドの叙事詩「マハーバーラタ」にも近い雰囲気もしたりと、何とも不思議な印象。)

   *…一般には「(八百万の)神」に似たものとして理解されている場合が多いと思う。
     しかし本書によれば、少し違うようだ。カムイとは単純に「神」あるいは「精霊」
     といった存在では無く、むしろ「アイヌ以外のもの」とでもいうべきもの。動物も
     そうだし火や雷のような自然現象の本質もカムイと呼ばれているらしい。自分たち
     の国(カムイモシリ)で見せる本来の姿は人と同じなのだが、そのままでは人の目
     には見えない。それぞれの属性を示す着物を着ると、熊や狼や炎になって見える
     ようになる。

 ここで紹介されるアイヌの人々の世界観は、なかなか素晴らしいものだ。人とカムイの立場は基本的に対等であり、いわばお互いに持ちつ持たれつといった感じ。カムイは人間に山や海の幸をもたらしてくれるし、お返しに人間からは、酒や御幣(イナウ)といった捧げ物が与えられる。まさしく”GIVE and TAKE”の関係なのだ。
 アイヌにとって「狩りの獲物」とは、自然界から奪い取るものではなく、カムイたちが自ら進んで与えてくれる施しといえるだろう。「イオマンテ」(**)といった風習も、このような背景から生まれたのだと思うと、すごく腑に落ちた。

  **…「カムイ送り」と呼ばれる儀礼。たとえば冬眠から覚めるころの母グマを狩りで
     仕留めると、あとには子グマが残される。アイヌの人々はその子グマを大きくなる
     まで手厚く育て、やがてカムイモシリ(カムイの本来の住処)へと返してやる。
     その儀式をイオマンテと呼ぶのだが、これすなわち(敬意を持って)命を絶つ儀式
     のこと。なおクマはカムイの代表格なのでイオマンテと言えば普通は「クマ送り」
     のことを指す。でもキツネやカラスなど、他のカムイに対するイオマンテもある
     そうだ。

 自分にとって、本書で紹介された3つの口承文芸なかで一番馴染みが薄いスタイルは、やはり”神謡(カムイユーカラ)”といえるだろう。実は岩波文庫で『アイヌ神謡集』が出ていることは前々から知ってはいた。しかし今まで手に取る勇気がなかったのは、自分が知っている一般的な文芸とはあまりにもスタイルがかけ離れていて、つい恐れをなして(笑)しまったから。でも本書を読んでみて、しごく納得がいった。以下、簡単にその内容についてまとめてみたい。
 神謡というのは、基本的には「物語をメロディにのせて謡っていくもの」と考えてもらって差し支えない。俳句や和歌は5・7・5といった(日本人にとっては)心地よいリズムで語られるのと同様に、神謡の場合は4または5のリズムで謡われる。また本文の頭や途中には「ホテナオ」とか「ワウォリ」といった「囃し言葉(“サケヘ”という)」を入れながら、カムイによる一人語りの形をとるもののよう。
 また本書を読む限りにおいては、この”神謡”にはアイヌの人々の世界観が最も特徴的に示されていると思う。まさにアイヌの人々が持つ豊饒な精神世界をストレートに表現した、代表的なアイヌの文芸と言えるだろう。

 ちなみに言えば、ふたつの文化が出会う時に最も大切なのは、「どちらの文化が優れているか?」という優劣をつけることではなくて、互いに相手の文化が持つ優れた点を認め合って、自らの立場を相対化することなのではないかと考える。(これはアイヌだけでなく琉球文化についても同じこと。)そういうのが本来の「異文化コミュニケーション」っていうものじゃないのかねえ、よくは知らないけど。
 また、(かつて梅原猛が『日本の深層』で夢想したように)アイヌの人々が縄文人の直系であって、縄文文化はアイヌ文化に極めて近いものだったと考えてみるのも愉快。そう考えると、今はやりの「エコロジー」とか「自然との共生」などという「手垢」のついた言葉ではなく、もっと根本的な部分で“自然とともに生きる”ことこそが、本来の日本人の姿だったのかも。

 話題を本書の中身に戻そう。
 次の散文説話を紹介するパートでは、アイヌの人にとって「夢」は「現実の体験」と全く同じ価値を持っているという話が大変面白かった。散文説話で語られる出来事は、たとえ物語であろうが夢であろうが全て「事実」として扱われる。(まるでオーストラリアのアボリジニの「ドリーム・タイム」を連想させる世界観。)このような話を読むと、日本にはないアイヌ固有の文化の真髄に触れたような気がして、思わずニヤリとしてしまう。
 ちなみに散文説話でよくあるのは、「正しい心をもった村人が苦難に巻き込まれるが、最後には幸せになる。」そして「悪人にはバチがあたって酷い目にあう。」という、いわゆる”勧善懲悪”の話だそうで、割と類型的かな。
 本書後半(第四・五章)には文法的な特徴からみた考察や、金田一京助氏ら著者の先達による研究紹介などもあって、アイヌ文化をもっと深く知りたい人へのフォローもばっちり。(もっとも自分としてはまだそこまで読み進むゆとりはないが。/笑)
 昔、別の本の記事でも書いたことだが、こういった良書が文庫や新書で簡単に(しかも安く!)手に入るというのは、改めて考えてみると凄いことだと思う。日本と言う国は、自分のような活字好きにとっては恵まれた国だなあ。

<追記>
 これくらいの予備知識があれば、岩波の『アイヌ神謡集』あたりなら割と気軽に手に取れそうな気がしてきた。取り敢えずは良かった、良かった。(笑)
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No title

アイヌの神話、分かっているようで分かっていなかったので、とても勉強になりました!
最も近い異文化の一つであるはずなのに、どうもちゃんと意識してないようで…
夢の話、面白いですね。夢を逃避先ではなくて、しっかりと向き合う現実だと考える。現代人が失った感覚なのかもしれませんね。

No title

慧さん、こんにちは。

「カムイ」とか「ユーカラ」っていう言葉自体は昔から聞いてはいたのですが、恥ずかしながらどんな意味かは知らず仕舞でした。

アイヌの神話。今回読んでみたところ、予想以上に面白かったです。

琉球にも「アカマタ・クロマタ」という神様がいたりして、日本列島あちこち探せば面白い話がまだまだ見つかりそうですw
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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