『贈与の歴史学』 桜井英治 中公新書

 中世の日本において贈与という慣習がどのようなものだったかを研究した本。網野善彦の著作を読んでいる時のように「目からウロコが落ちる」話題が多くて結構スリリングな読書体験。どんな話かというと、鎌倉から室町にかけての中世日本においては市場経済と贈与経済は一般に考えられるほど分離していなかったということ。人類学者モースの『贈与論』を始めとして、近代以前の社会では物と金の交換を基本とする“市場経済”ではなく、物にマナ(霊や魂のようなもの)が付いてまわる“贈与”が基本であったと考えるのが一般的。しかし実際には「贈与⇒市場」という形で直線的に進化した訳ではなく、なんども行き戻りをしているというのが徐々に分かってきた。現代よりよほどドライな価値判断をしていた例も多くあるようだ。
 贈与の種類(起源)は大きく分けると2種類になるらしい。ひとつは神仏(寺社)への贈与で、初穂(すなわちその年の初めての収穫物を神に捧げること)に起源をもつ「租」や「調」。これは時代を経るにつれて「上分」へと変化していった。もうひとつは人(将軍や幕府)への贈与。これも最初のうちは神への寄進の名目であったがやがて実質的に施政者により財源として利用されるようになっていった。
 これらが「有徳思想」や「先例主義」(*)、それに社会的な地位や席次に関する中世独特のこだわりと入り混じって、人から人への「つきあい」としての贈与が先鋭化するとともに慣例化・義務化が進み、正当な報酬として要求されるのが当たり前になったり、徐々に税へと転化していった。

   *…「有徳思想」とは金持ちが諸社の祭礼の費用を負担したり、貧者に施しをすること
     で徳が得られるという考え。「先例主義」とは先の例に従うのを善いこととして、
     前例のない新しいこと(新僕)は、一般的に悪いことと見做された慣習。
     (但し「新僕」もなんどか繰り返すと、結果オーライで先例のひとつとなる。)

 また、中世は自給自足が一般的で産業が発達していないというのも大きな誤りで、市場経済がかなり発達していたというのが今の定説なのだそう。ここに贈与の義務化と習慣化が進むことで、贈与と市場がかなりの部分で重なり合い区別できないほどの強い結びつきが生まれた。
 それではなぜ市場経済が発展したのかというと、どうやら「代納銭化」の制度のためらしい。日本では13世紀には年貢を物品ではなく銭で収める「代納銭化」の制度が確立した。それにつれ地方でも米や手工業品を一旦換金する必要が新たに生じることになり、「市場」の発展による市場経済化が一気に進むことに。
 さらに時代が進むともっとびっくりするようなこともあったようだ。贈答品には古くから折紙(目録)が付けられるのが習慣だったが、そのうちに現物に先行して折紙だけが送られるようになった。品物があとで届けられると、折紙は一種の受取証として花押を押したうえで送り主に返却されるのが通例に。ところがそこに(先述のような)身分に関するこだわりから、目下の者への贈答の際はわざと品物を送るのを送らせたり、もしくは経済的に困窮した貴族らにより品物を届けるのが滞ったりした結果、折紙の送付と実際の引き渡し時期の乖離が平気で数カ月、場合によっては数年にも亘ることが常態化するようになっていった。
 また市場経済との結びつきの影響もあって、贈答品の金銭価値が値踏みされるようになり、折紙には品目ではなく金額換算された数字だけが書かれるところまで進んでいた。これがやがて直接金銭そのものを贈答するという習慣となり(**)、その結果、折紙はまるで今で言うところの“約束手形”のような位置付けへと変化。折紙同士で相殺したりという、まるで架空の贈与経済が確立していたようだ。――何て面白いメカニズムだろうか。

  **…ちなみにこの習慣は今でも続いている。冠婚葬祭におけるご祝儀や香典などを想像
     してみれば分かるはず。ヨーロッパ人から見ると極めて不思議な習慣らしいが、
     我々からすると特に奇異な感じはしない。
 
 マルクスの『資本論』の影響もあってか、我々は「経済が古代から現代へと順に進化を遂げてきた」という意識を持ちがち。でも実際にはそうではなく時代の時々で先鋭化したり、逆にその時代の経済が様々な理由で崩壊することにより大きな揺り戻しがあったりと、非直線的な発達をとげて現在に至っているという見識は、本書を読むまで正直いって全く持ち合わせていなかった。昔の日本にもそのような時期が何度かあったらしく、本書で取り上げられた15世紀のおよそ100年間もそのひとつなのだそう。
 冒頭で掲げられた魅力的な謎である「ヨーロッパでは贈与が市場経済と切り離され”善い事”と見做されがちなのに比べ、なぜ本邦では損得勘定や義理それに賄賂といったマイナスのイメージが付きがちなのか?」というテーマについては、残念ながら結論は出なかった。しかしこれだけ贈与と市場が結び付いた時代が(少なくとも日本においては)かつて存在したのであれば、その痕跡が価値観として残っていても不思議ではない気がしないでもない。

 ところで現代の経済活動といえば、企業が中心になって行われている。日本における企業活動と神仏への贈与の関係は、それだけで充分に面白いテーマといえるだろう。蛇足ではあるが、ひとつ自分の身近にあった興味深い事例を紹介して終わりとしたい。 
 愛知県北東部に「大縣(おおあがた)神社」というところがある。(おそらく殆どの方はご存じないとは思うが。/笑) 聞くところによれば尾張の国の開闢の始祖を祀る由緒正しい神社だそうで、実は「尾張二ノ宮」といって熱田神宮よりも格が上なのだとか。境内には女性の守護神である「姫の宮」があって、毎年3月には近隣にある「田縣(たがた)神社」とセットになり男女のシンボルをかたどった神輿で練り歩く奇祭「豊年祭」が行われる。(この祭からしても、かなり古くから信仰を集める場所であることがわかる。)
 この豊年祭では地元企業により大鏡餅の奉納が行われる慣わしになっていて、小牧市ならびに犬山市周辺の企業が持ち回りで負担している。一回当たり数百万円もかかる費用は当然その企業の持ち出しであり、総勢百人以上かかる餅作りから奉納パレードの神輿担ぎまで、全てが社員のボランティア。本番の数週間前からは、土日の休日をつぶして行うことになる大変な作業なのだが、縁起のいい事なので喜んで引き受けている。
 大縣神社と企業の結びつきはこればかりでは無い。(直接現地に赴けばわかるが、)名古屋の名だたる企業による高額な寄進がなされている他、毎年正月には企業関係者が次々とお参りに駆けつける。――この例などは、まさしく市場原理と贈与が矛盾なく並立する、日本経済の不思議さを象徴するものではないだろうか。こうしてみると、中世日本にも現代のようにドライな市場原理があったと驚くよりも、むしろ過去か現在かを問わず贈与と市場は不可分と考える方が自然なのかも。
 網野善彦が明らかにしたところによれば、中世日本には時の権力者の支配を受けぬ自由領域「アジール」が存在したのだそう。この「アジール」の中心となったのは神社仏閣などの宗教施設。そして寺社は信仰の中心であるとともに、楽市楽座のような自由市場が生まれる礎にもなっている。(昔の市はだいたい寺社の境内を借りて決まった日に開かれたのが始まり。四日市とか八日市なんていう地名は全てその名残りだ。)
 きっとこのあたりの話を突き詰めていけば、「贈与=原始社会」「市場=近代社会」などといった単純で画一的な図式では語れない、経済の根本みたいなところにつながっていくのだろう。利子の概念を禁止するイスラム金融の例もあることだし、贈与と市場取引の関係はもしかしたら一枚のコインの表裏なのかもしれない。

 ――本書を読んでとめどなく妄想は広がり、こんなことを考えたりもしてはみた。しかし残念ながらこれ以上はお気らく読者の思考能力の限界を超えて智恵熱でも出そうなので(笑)、今回はこれくらいで。
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No title

はじめまして!
興味のある記事ばかりで、タイトルだけでもニヤニヤしてしまいました。
贈与と言えば、バタイユの「呪われた部分」を思い出します。
確かバタイユは、過剰の中から生まれた余分なものを消費するために生贄をしたり、贈与を行う、といっていましたね。現代の経済的な合理性だけで説明できないものも、人間には必要なのかもしれませんね。

日本の贈与、とても勉強になりました。
次の記事も楽しみにしてます!

はじめまして

慧さん、こんにちは。初めまして舞狂小鬼です。

ご訪問ならびにとっても嬉しいコメントを有難うございます。
お気に召しましたら幸いです。

そうですよねー。何でも数字で割り切ってしまう世界ではつまらない気がしますね。
カミュの『異邦人』で、主人公ムルソーが犯罪の理由を「太陽のせい」というのも、もしかしたらバタイユの蕩尽に関係するものだったりして...なんてことを考えてみたり(笑)。

慧さんにまたお越し頂けるよう、せいぜい精進いたしますので、お気楽人間の繰り言にお付き合いいただけると嬉しいです(^^)。

No title

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

ビジネスマナー様

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当ブログの管理人の舞狂小鬼です。
はじめまして。

これからも、お気軽に遊びにきて頂けると嬉しいです。

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