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『鳥はいまどこを飛ぶか』 山野浩一 創元SF文庫

 山野浩一の小説には高校から大学にかけてずいぶん嵌まった記憶がある。彼はイギリスのJ・G・バラードに象徴される「ニューウエーブ運動(*)」を日本でも強力に推し進めた立役者だが、作品については永らく入手困難な状態が続いていた。それがこのたび創元SF文庫から装いも新たに傑作選として復活。山野ファンとして大変に喜ばしいことだ。

   *…それまで子供向け冒険活劇としてしか見られていなかったSFというジャンルを、
     “Science fiction/空想科学小説”ではなく“Speculative fiction/思弁小説”
     として捉え直そうとした、文学運動の一種。フランス映画の「ヌーベルヴァーグ
     (新しい波)」から名前を拝借したという話を昔聞いたことがあるがホントかな?
     従来のSFが「外宇宙(アウタースペース)」を舞台にしていたのに対して、
     ニューウエーブSFは「内宇宙(イナースペース)」すなわち人間の精神世界の
     探求を主眼において、難解かつ魅惑的な世界を描いた。

 今回の傑作選は本書『鳥はいまどこを飛ぶか』と『殺人者の空』の2冊組の短篇集。昔、ハヤカワ文庫から出ていた『X電車で行こう』と『鳥はいまどこを飛ぶか』はともかくとして、『殺人者の空』や『ザ・クライム』などの単行本で出ただけのものは現在ではまず入手無理。従ってそれら単行本の収録作や、雑誌に掲載されたまま埋もれていた作品まで、積極的に収録した今回の2冊は大変にお買い得といえる。
 せっかくなので、山野作品について思っていることなどを少し書きとめておきたい。(“山野浩一論”などという大層なものではなくて、単なる印象に過ぎないけれど。)

 さていきなりで恐縮だが、筋肉少女帯というロックバンドをご存じだろうか。ボーカルの大槻ケンジが、若者に特有な有象無象の妄想(**)を高らかに歌い上げて、カルトな人気を博したバンドだ。(こんな紹介しなくても、このブログを見られている方は殆どがご存じかな?/笑) ちょうど山野浩一作品に入れ揚げていたのと時期を同じくして、よく聴いていたものだ。

  **…「妄想」といってもフロイト系のリビドー全開の性的妄想ではない。思春期に特有
     の「自己肥大」とか「劣等感」とか、もしくは漠然とした「不安感」といったもの
     が主体。そこに乱歩やジョージ・ロメオのゾンビ映画といった、アングラ系のサブ
     カルチャーが入り混じり、一種独特の不思議な雰囲気を醸し出しているのが特徴。
     曲目としては「くるくる少女」「221B戦記」「生きてあげようかな」、それに
     「蜘蛛の糸」あたりが典型的な作品といえる。

 今回久しぶりに山野氏の作品を読み返して思ったのは、彼の小説と大槻ケンジの歌詞のスタイルが意外と似ているんじゃないか?という事だった。ひとことで言えば「心身二元論」を妄想力で“正面突破”してしまおうという強引かつ純粋なところ。
 ちょっと難しい言葉を借りれば、デカルトは人間の周囲に存在する客観的な「世界」と、それを認識する「自分」というものの関係を深く追求し、「我思う故に我あり(コギト・エルゴ・スム)」という有名な言葉とともに自我の存在を規定した。それが近代の西洋哲学を席巻した「心身二元論」のそもそもの始まりとなる。(尤もこれはその後、様々な思想家たちによる批判にさらされることになるのだが...。ともあれデカルトの思想が西洋哲学の基礎となり、今の世界を形作る原動力になったのはまぎれもない事実。)
 山野氏の作品は内宇宙と外宇宙の出会いを描く「ニューウエーブSF」の中に位置づけられる。心を扱う小説の例にもれず彼の作品もやはり心身二元論をベースにしてはいるのだが、他と違うのは、それが単なる心(主体)と身体(客体)という図式を超えて、“思念”が現実世界を浸食するスタンスをとっている点。(大槻ケンジの歌詞ほどにはアクが強くはないけれど、両者ともに同じニオイがする気が。)
 このあたりは同じニューウエーブに属するバラードと異なる、彼独特の作風といえるのではないかと思う。バラードの場合は、まず前提として揺るぎない世界がある。そしてその上で異常現象やテクノロジーといった周囲環境が、徐々に人間の精神を変容させていくパターンの話が多い。しかし山野作品では妄想力が極めて即物的な形をとる。目に見えない「幽霊電車」は現実に人を感電死させるし、男は消え荒野が街中に現れる。これらは決して心の中の幻想ではなく、実際に起こっている出来事として描かれるのだ。思念は現実と同じように存在し、現実に物理的な影響を与える力さえ持つ。山野作品の特徴を語る際には、この“思念の力”というのがまず真っ先に挙げられるのではないだろうか。
 ちなみに同じく「精神による現実世界の浸食」を得意とするP・K・ディックの場合、浸食は現実世界がグロテスクな姿へと変容を遂げることが多いが、氏の場合はもっと乾いて荒涼とした感が強い。
 山野作品の特徴は“思念の力”だけではなく、まだ他にもある。それは妄想による現実の浸食が「消滅」もしくは「失踪」の形をとるケースが多いこと―― 当時流行った言葉でいえばいわゆる「蒸発」と言うやつだ。(***)

 ***…この事は山野氏自身も自覚していたようで、あとがきでも同様の話題に触れている。
     ただし彼がいうように第1巻だけが「失踪」をテーマにしている訳ではなくて、彼
     曰く「バラエティに富んでいる」という『殺人者の空』においても、表題作をはじ
     めとして「メシメリ街道」など他にも消滅・失踪ネタは数多い。(そういえば彼の
     連作短篇集『レボリューション』に出てくる「フリーランド」という場所だってそ
     うだ。)こうして見ると「消滅」ないし「失踪」というのは、彼の作品全般に共通
     するテーマであるといえそうだ。

 とにかく今の生活から脱出したいという閉塞感。いつの間にか消えさってしまいたいという主人公たちの潜在的な欲望を表現するには、やはり「消滅」という言葉がしっくりくる。(その雰囲気がもっとも分かりやすいのは、本書収録作では「虹の彼女」あたりだろうか。)
 また、主人公が「消滅」する契機となるのが「罪の意識」とでもいうべき感情であるのも、山野作品の特徴のひとつといえる。ここには大阪万博に象徴される見事なまでの戦後復興と、逆にそれが引き起こした公害など社会の歪みの狭間で揺れ動く、当時の人々の心の在り様が見て取れると思うのだが。ちょっとばかり勘ぐり過ぎだろうか。
 フラワーチルドレンにビートルズ、サイケデリックに学生運動...。高校生の頃に自分が感じた得体の知れぬ不安や焦りにも似た感覚にも似た、また筋肉少女帯の甘酸っぱさとほろ苦さがないまぜになった感覚にも似た、まだ世界が青かったころのタブロウ。それが本書には確かにある。自分が山野氏の小説に魅かれるのは、案外こんなところが理由なのかも知れない。

<追記>
 なんだかとりとめのない文章になってしまい申し訳ない。好きな作家についてはなかなかうまく書けないものだね。いつものように本書の収録作の中で好きなものを初読・再読は関係なく選んでみると、「鳥はいまどこを飛ぶか」「赤い貨物列車」「X電車で行こう」「カルブ爆撃隊」「虹の彼女」といったところか。
 まだ第2集の『殺人者の空』が残してあり、楽しみはしばらく続くので嬉しい。表題作とか「メシメリ街道」とかは以前から好きなのだが、他にどんな作品と出会えるのか今からワクワク。(笑)

 
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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