『火の神話学』 大塚信一 平凡社

 火とはなにか? それは熱と光を与えてくれるもの。生ものを加熱して食べられるようにしてくれたり、夜間や冬の寒さをしのぐ暖かさを供給してくれたり、更には危険な猛獣からも身を守ってくれたりするもの。しかしその一方で直接触れると火傷を負ったり、ひどい場合は命にもかかわるという恐ろしさももつ両義性も持つものでもある...。
 
 本書の著者は岩波書店の元社長。書名は「神話学」となっているが、特に専門の研究者でもなさそうなので、いったいどんな本かと興味深々で購入。読んでみたところ、要は「火」に関するさまざまな文献を渉猟して、「人間にとって火とは何か?」を考察したブックガイド兼解説書だった。引用されている文献の数は100冊以上にも上る。自分も既に読んだり知っているものも混じっているので、それを元に判断するとなかなかしっかりしたセレクションではなかろうか。言及される書籍については著者や出版者などの情報もきちんと記載してあり、興味があれば直接原著にあたることも可能。
 内容的には神話に限っているわけではなく、民族学や歴史学から文学や芸術まで、人文系のあらゆる分野が網羅されている感じ。「火の神話学」というより「火の人類学」もしくは「火の人類史」と言った方がいいかも。ちなみに冒頭に挙げたのは、本書の「火」に対するスタンスをざっくりまとめたもの。基本的には「調理」「暖房」「照明」の3つが火の役割とされていて、それらに関する考察が中心になっている。
 自分としては「火」が人間にとってどのような象徴や意味をもつのか、もっと広範囲に且つもっと哲学的に探究したものを期待していたので、ちょっと残念。(自然科学系の内容とかね。)でも本書のように民族学や人類学的な話も好きだから、これはこれで別に構わない。
 記述は概ね時代別になっている。最初は人類が初めて火を手に入れたところに始まり、その後は順をおって旧石器時代や縄文文化におけるイエと火の位置づけ、世界の神話における火の扱われ方(古事記やプロメテウスなど)、炉やカマドに囲炉裏といった民族学的な内容へと展開。ゾロアスター教を始めとする世界の宗教における火の役割や、近代に至って照明が火(行灯やロウソク)から電気へと移行していった社会史、さらには芸術や宗教美術において焔や光が象徴するものなど多岐に亘る話題が語られる。

 自分が考えるに、火の物理的な特徴は熱や光以外にも色々ある。たとえば赤や黄色といった「色」や「揺らぎ」、パチパチという「音」、ものが燃える際の「ニオイや煙」等々。これらが複合的に合わさって一つの空間に現出するもの、それが炎ではなかろうか。そのように考えた場合、本書が熱と光の供給源としてだけ「火」を扱っている点には、若干の不満が残る。著者の趣旨は物理的な火(炎/焔)をめぐるあれこれというよりも、それが象徴する精神性の追求にあるようだし、まあ止むを得ないかな。(*)

   *…最終的には「火」を“制御し切れぬ自然力”の象徴として位置付けるとともに、
     それが精神性にまで深まっていくと、ひとつは宗教にもからむ“神秘性”や
     “崇高さ”といった上昇志向、そしてもうひとつは人間の情念に関係する下降志向
     になっていく、ということが結論のようだ。人間は自らの自然性を否定して火を
     制御することで文化を得ることが出来たが、それはいつでも隙を見つけては地の
     底から噴き出してくるモノということか。

 ここからはちょっと余談になるが、本書に倣って自分も現代の「火」を巡る諸事情についてあれこれ考えてみた。(とりあえずは本書と同様に「調理」「暖房」「照明」の分野における火の役割について。)
 まず真っ先に炎がその役割を終えたのは「照明」。キャンプファイヤー程度は別として、街や家庭ではガス燈による照明はほぼ消滅したといっていい。炎による明るさは電気照明に比べると圧倒的に弱いため、白熱電球や蛍光灯が発明されると全てとってかわられたのだ。(基本的には投入エネルギーが「熱(=赤外線)」でなく全て「光(=可視光)」に変換されるのがもっとも効率の良い状態わけだから、最近では更に効率の良いLED照明に切り変わりつつある。)
 次は「暖房」。エネルギー効率の観点から言えば、大きな空間より小さな空間を温める方が必要な熱量も少なくて済むし、放熱量も減るので効率的。その意味からすれば従来の日本家屋のように、コタツや火ばちによる「局所暖房」が最も効率的なのだろうが、残念ながら快適性は別。そこで現代の住宅では「家全体の断熱性を高めた上で居住空間を全て暖める」という方向に進みつつある。「暖房空間の大きさ」についていえば、人間の身体を包み込む衣服の中“だけ”が暖かくて部屋の温度は低いままというのが、快適性とエネルギー効率を両立させる究極の姿なのだろうが、さすがにそれはまだ空想の世界だ。
 単に部屋を暖めるだけなら「火」を使わなくても外気から熱を奪い取る「ヒートポンプ」の方がエネルギー効率が良い(**)し、手軽さという面では電気式の「セラミックヒーター」なども存在する。しかし即暖性や光熱費など使い勝手をめぐる様々な関係で、まだ木材ならびに石炭・石油やガスといった化石燃料を燃やす方式がまだまだ主流を占めているのが実情。今後も(衣服の中ではなく)空間を暖房する時代が続くかぎりは、まだ暖房における「火」の役割は無くなることはないだろう。
 しかし問題は「火」による暖房そのものに潜んでいる。ヒトが暖かさを感じるのは、必ずしも身体的・物理的なものばかりではない。たとえば揺らぐ炎とそれが作り出す陰翳、薪がパチパチとはぜる音なども、心に温かさとゆとりを生みだす大切な要因といえる。だとすればファンヒーターなどの「炎が直接目に見えず音も静かな暖房」が増えれば増えるほど、暖房が「火」である必要性は薄れていくのではないだろうか。
 セラミックヒーターの前面にLEDライトで炎の揺らぎを再現したという話を聞いたことがあるが、これなどはアフリカの密林探検を真似たディズニーランドのジャングルクルーズの如きものであって、物悲しいパロディでしかない。(あ、ジャングルクルーズ自体の能天気さは好きなので、決して誤解なきよう。/笑)

  **…なんせ投入したエネルギーが数倍になって返ってくる優れもの。

 最後は「調理」について。囲炉裏やカマドで薪を燃やすのは火加減の調節も結構大変。その後その手間を省く形で「灯油コンロ」なるものが登場したが、やがてガスコンロにとって変わられた。(灯油はやはり臭かったらしい。/笑)しかし現在ではここでも電気が台頭して、IH(誘導加熱)による「クッキングヒーター」が増えつつある。炎がないので安全だし掃除もしやすいというのがウリのようだが、調理に必要なのが「調理物への熱の供給」というだけなら、(照明が全て電気になったように)やがては調理も電気に変わっていくのは避けられまい。もしそうならない可能性があるとすれば、それは炎で調理した方が味が良いといった“質の違い”があるか、もしくは(調理における炎の演出など)熱以外の因子が重要な役割を果たす場合だろう。暖房における光や音の重要性と同じ話だ。世代交代による食文化の変遷で味覚オンチが増えていけば、将来はどうなるかわからない。

 以上、あれこれ考えてみたが、最後にもういちど本質に立ち返ってみたい。著者のように「火」を便利さと危険性の二面性で考えるばかりではなく、もっと様々なファクターが入り混じった一種のメタファーとして捉えることが可能なのではないだろうか。それも「熱」「光」「音」などといった個別の因子に分けるのでなく、それらすべてが同時に発生する「領域」として。
 現代は死や汚穢といった負の要素を日常生活から隠し追放することで発展してきた。しかしそれは本当に良いことだったのか。「死」が隠蔽され抽象化していくことで、同時に何か大切なものが失われてきたのではないかという議論がある。それと同じように「火」も我々の前から消えつつある。しかしひとたび自然界に出れば幾らでも“ナマの炎”は存在するわけだし、危険なものとどのようにつきあっていくか(***)を学ばずして、人間は本当に大丈夫なのだろうか。昨今の原子力発電所の一件を見るにつけ、一抹の不安が残る。

 ***…中沢新一によれば、ユダヤ・キリスト・イスラムなどの一神教こそが、「危険な
     もの(=神)」との付き合い方を知恵として作り上げてきたものに他ならないの
     だそうだ。
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