『都市と都市』 チャイナ・ミエヴィル ハヤカワ文庫

 ※ネタバレにならないよう配慮したつもりですが、一切の予備知識なしで本書を愉しみたい方は、念のため読了後にお読みいただく事をお薦めします。

 “うるさ型”のファンの間で最近話題になっているらしい長篇SF。このところハヤカワ文庫とはご無沙汰していたのだが、久しぶりに発売と同時に買うことにした。
 ペジェルとウル・コーマという、地理的に完全に重なりあった2つの都市。そこに住む住民はお互いを「そこに存在しないもの」としなければならず、姿を見ても声や生活音を聞いてもならない。そんな世界を極めてリアルに描いたらどうなるか。カフカのような不条理が現出するのか、はたまたダークファンタジーの様相を呈するのか? 何とはなしに、P・K・ディックの『高い城の男』を思い出しながら読んでいた。
 この小説の面白さを支えているのは、あたかも2つの都市が現実にあるかのように思えるほどリアルな描写。どうやら資本主義国家らしいペジャルと共産主義社会らしいウル・コーマ。ひとつの地域が2つに分断されている様子は、たとえばかつての東西ベルリンや現在のイスラエル/パレスチナの様子を連想させる。けれども同時に現実と微妙にずれた点も。たとえば資本主義のペジェルが経済発展から取り残されているのに対して、逆にウル・コーマは(「民警」への恐怖によって統制されるような国家にも拘わらず、)ペジェルに大きな差をつけて見事な経済発展を成し遂げている。現実には計画経済が上手くいったためしはないと思うのだが。
 しかし本書で最も魅力的なアイデアといえば、何といっても<ブリーチ>の存在だろう。何度かの悲惨な内戦を経て、ペジェルとウル・コーマの間には先ほども述べたように「互いに相手がいないものとして振る舞う」というルールが交わされた。相手の都市の住民と道ですれ違っても「存在しない」ようにしなければならない。もしも相手の存在を認める行為/ブリーチをした場合、謎の統治機構(これも<ブリーチ>という名前で呼ばれている)によりどこかに連行され、二度と戻ってくることはない。このルールはあらゆる社会ルールの上位に位置する絶対的なものであり、誰ひとり例外は認められない...。
 今まで数多くのSFを読んできたが、その中でも中でかなり奇妙かつ魅力的な設定と思う。しかしこの小説でSFと呼べるのは唯一このアイデアだけであって、物語の中身は、徹頭徹尾ビターな警察小説&ハードボイルドなのだ。

 思うに「SFミステリ」と呼ばれる小説は、例えばランドル・ギャレットの『魔術師が多すぎる』や山口雅也『生ける屍の死』のように、面白いミステリを作るための制約条件として、SFもしくはファンタジーというジャンルの独特な世界観を利用するのが一般的といえるだろう。なかにはアイザック・アシモフの『鋼鉄都市』のように、SFならではのテーマの掘り下げを行うための手段としてミステリを用いるケースもあるにはあるが。(*)

   *…『鋼鉄都市』では主人公であるニューヨーク市警の刑事イライジャ・ベイリが、
     ロボット刑事であるR・ダニール・オリヴォーとの合同捜査を経て、(種としての
     袋小路に陥っていた人類に対する)未来への展望を垣間見るところでおわる。
     SF作品としてこの作品を見た場合、ミステリ部分はベイリがオリヴォーとの関係
     を深める過程であると考えることも可能。

 しかして本書はどうか。物語としては明確に警察小説(ミステリ)の方に重心がある。SFとしてのアイデアは最初に開示されたものが全てであり、話は深くなることはあっても広がってはいかない。SFとしての質は、ザミャーチン『われら』やハックスリー『すばらしい新世界』などの系譜につらなる“アンチ・ユートピア小説”と言えるかもしれない。ラストに至ると全ての謎が明らかになりミステリとしては見事な決着がつく。けれどもそこに、一挙に展望が開けるようなSF的なカタルシスを期待してはいけない。自分を戸惑わせるのはまさにその点なのだ。SFとしてとても魅力的な設定にも関わらず、それは”単なる”背景として扱われ、話自体は極めてオーソドックスな謎解き小説に終始するという...。それはすごく贅沢な読書体験のようでもあるし、逆にすごくもったいないような気も。ついどなたかのように「本書の主人公は人間ではなく都市そのもの」とつぶやきたくなるのも、よく分かる感じがする。
 まぎれもない傑作で読後の満足感も高いけど、でも結構ヘビーに「大人の読後感」を味わう、そんな小説といえる。前半はかなりスローペースだが、半ばを少し過ぎたあたりから一気呵成にラストになだれ込むので、時間に余裕があるときに、どっぷりと世界に浸りながら読むことをお薦めしたい。

<追記>
 自分は本書をSFファンの立場で読んだので、以上のような感想をもったのだが、はたしてミステリファンからはどのように評価されているのだろう。ミステリ界では「居るのに見えない犯人」という心理トリックは、チェスタトンの時代からお馴染みのもの。(ただしそれを出発点として書かれた作品というのは今まで聞いた事がないが。)
 ミステリ界でも同様に高評価なのだろうか。それともミステリとしての出来は、割とよくあるレベルなのだろうか。ちょっと気になる。(笑)
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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