『饗宴』 プラトーン 新潮文庫

 プラトーン(プラトン)といえば中学生のころに『ソクラテスの弁明』を必読書のように言われた覚えがあって、何となく苦手なイメージだった。本書についても、球形のアンドロギュヌス(両性具有者)が出てくるとかの話を聞いてはいたのだが、とうとうこの年まで読まず仕舞いできてしまった。しかし最近、古典は思いのほか面白いということに(遅ればせながら)気付いたのと、blogのお友達である彩月氷香さん(*)からのお薦めもあって、一念発起して読んでみた。

   *…当方とは大違いの、『持ち歩ける庭のように』という大変品の良いブログをされて
     いる方です。このページ右下にもリンクを張らせて頂いております。本書をお薦め
     頂き有難うございました。

 で、一読した結果だが、いやあこれは愉しい。デカルトやカントのような難しい内容を想像していたが実際は全然違っていた。論文ではなくひとつの物語として書かれていて、内容も頭にすらすら入ってくる。もしかするとレトリックを駆使した現代小説の方がよほど読みにくいかもしれない。中身は宴会(饗宴)の余興として「愛の神(エロース)」を皆で順番に讃え、その優劣を競うことになった顛末をまとめたもので、その内容が言ってみれば古代ギリシャにおける哲学・思想になっているというわけだ。
 全体はおよそ3つのパートに分かれている。最初のパートはパイドロス/パウサニアース/エリュクシマコス/アリストパネース/アガトーンという5人の論客が、それぞれ知恵を尽くして愛の神を讃える様子が語られる。続くふたつ目は、本書の主役であるソクラテスが彼らの意見に対し、弁証法によって「真実」を明らかにしていくパートで、本書の読みどころはまさにここ。(**)
 なお、最後のパートは宴会に後から闖入してきた人物によるソクラテス讃美で、正直言ってなぜ挿入されたのかよく分からない。まあ専門の研究者でもない一般読者にとっては、あってもなくてもどちらでもいい内容かも知れない。ちなみに自分の場合はおまけとして気楽に読んだ。

  **…ミステリ好きの人ならわかってもらえると思うが、次々と繰り出されるいかにも
     もっともらしい意見を全て踏まえた上で、最後に主役の人物が真実を解き明かす
     という構成は、まるでバークリーの『毒入りチョコレート事件』やアシモフの
     『黒後家蜘蛛の会』を彷彿とさせる。

 気をつけなければいけないのは、当時は考え方の土台になっている思想や常識が今とは全く違うということ。よって現代の視点でもって彼らの話を断ずることはできない。まずは虚心で意見の元となる背景を理解することに努め、批評するのでなくひたすら理解することに専念してみた。解説によれば5人の意見はソクラテスの意見の引き立て役に過ぎないという評価がされているようだが、なかなかどうしてこちらも滅法面白い。登場人物個人の意見というより、当時の代表的な考え方のサンプルと思った方がより愉しめるかもしれない。概要を以下に簡単にまとめてみる。

1)パイドロス
 かなり大っぴらに男性による少年愛を讃美している。エロースは愛の神なので愛の具体例が述べられるのは当然なのだが、例としていきなり少年愛が言及されたのでびっくり。ポリスによっても違うようだが、スパルタなどでは異性愛よりもむしろ崇高なものとして称賛されていたような様子も。(そういえば、日本でも戦国時代や徳川時代に「稚児」とか「陰間」というのがあったな。)
 少年愛が称賛されているのは何故かというと、肉体的な欲望に基づいた「地上的な愛」ではなくて、精神的な強さ(年長者側)とそれに対する憧れ(年少側)の心の結びつきがあるからなのだとか。ひとりの少年を愛するということは、彼を正しい人生へと導き一生を共にする覚悟が必要で、肉欲のみを求めたり途中で投げ出すのは極めて恥ずべきこととされている。
 男女による異性愛は肉体の結びつきに対する欲望がもっと強烈すぎるようで、伴侶を自己犠牲によって救うほど精神性が高い愛こそが美徳とされる程度。(女性同士の関係については言及がないので、どう評価されていたのか分からない。)
 ここらへんで何となくわかってきたのだが、どうやら古代ギリシアにおける“愛”とは、単なる恋愛感情ではなく、“生の躍動”のようなもののようだ。ユダヤ教やキリスト教における神の愛とか、仏教における慈悲の心(母の無償の愛に似たもの)とも違っている。「エロスの本質=生」という話は哲学者の竹田青嗣氏が以前書いていたが、本書を読んでやっと実感できた。

2)パウサニアース
 パイドロスの意見を補足する形で意見を述べる。どうやらギリシア神話はそのまま古代ギリシアの思想体系を表しているもののようで、「愛の神/エロース」と対になる存在として、もうひとつの「愛(美?)の女神」であるアプロディーテーが取り上げられる。ギリシア神話にはさほど詳しくないのだが、本書の記述によれば実はアプロディーテーという神は、ウラヌス(天の神)を父とする「ウラーニアー(天の娘)」と、ゼウスを父とする「地上的(パンデーモス)な女神」という違う属性をもった2人が存在するらしい。従って対になるエロースにも、天上的なものと地上的なものの2人を考えるべきだというのがここでの主張。(何故そうすべきなのかはよく分からない。)しかし神=擬人化した思想として読み替えてみれば、要は魂の愛と肉体的な愛があるということで、結局のところはさほどパイドロスの主張と変わっているわけでは無い。
 彼の話で面白いのは、愛するという行為自体には美や醜といった価値は定まっていないという点。行為の中に美/醜が生まれるのは、行為の目的やその行われ方によるのだ。正しい仕方なら美であり、不正な考えで行われた行為なら、たとえ同じ行為であっても醜というわけ。さらにいうと、この背景には「美=善である」という価値観が隠れているみたい。

3)エリュクシマコス
 ここでは「調和/ハルモニア(=ハーモニー)」を最上の価値とする考えが述べられる。それは「響和/シンポニア(=シンフォニー)」であり「同和/ホモロギア(=ホモロジー)」でもある。例えるなら音楽の低音と高音のように、対立するふたつのものが合わさって「諧律/リズム」を生み出すような感じ。

4)アリストパネース
 ここが本書でいちばん有名なくだりだろう。言ってみれば一種の譬え話なのだが、原初の人間の姿は今と違っており、円筒の身体に双頭と二対の手足をもって転がるように移動していたのだという。本書を読むまで知らなかったのは、ペアになる要素には「男-男」「女-女」「男-女」という3種類の組み合わせがあるということ。このうち「男-女」のタイプが、かの有名な“両性者/アンドロギュヌス”。(この話が出てきた時は、思わず「待ってました」という気持ちだった。/笑)
 彼らは優れた力を持っていたが、神々への謀叛を考えた為にゼウスらによって半身に割かれてしまった。それ以来、失われたもう片方の半身を求めて調和を得ようとするのが、我々の“愛”の根本理由なのだという。なおここでは、先に挙げられたエリュクシマコスの「調和」の価値観が土台にされているようだ。
 面白かったのは、かつて「男-男」の組み合わせだった男性が、少年を求める人になるという点。ちなみに「男-女」や「女-女」の組み合わせも同様で、それが同性愛や異性愛の根拠なのだとか。うーん、愛の形はまさに多種多様だねえ。中世ヨーロッパでは騎士が貴婦人に対して捧げるプラトニックな愛もあったし、現在とは違う形の愛は古来いろいろあったということか。

5)アガトーン
 ここでは前の4つとは少し変わって、エロースの性質(本性)について述べられる。
 彼はその本性を①正義(=不正を犯しせず被りもしない)と②節制(=この世で最も強力な快楽欲望を支配する故)、それに③勇気(=もっとも勇敢な戦の神アレースを愛で捕える)に④知恵(愛する者を詩人にする)といった、4つの徳を兼ね備えたものと定義付けている。

※以上が5人の論客による、愛の本質についての主張とエロースに対する讃美の概要で、ここまででおよそ160ページあるうちの約半分。次はいよいよ、これらを堂々と受けて立つ
 ソークラテース(ソクラテス)の陳述になる。

6)ソークラテース
 ソクラテスといえば言うまでもなく「弁証法」の大家なわけだが、ここでも相手の言葉尻をとらえて逆の結論を導き出し、遂には納得させるという“論理のアクロバット”が見られて興味深い。自分の目から見て納得できるかどうかは別にして、少なくとも話の進め方自体は大したもの。例えば次のような感じだ。――愛は美や知恵を求めるもの。では「何かを求める」とはどういう事か。それは求める「何か」が自分に欠けていると思っているから。従って5人の論客がエロースの事を「素晴らしい徳を持った愛の神」と主張するのは、基本的な誤認があるのだという。(この主張に対しては誰ひとりぐうの音も出ない。/笑)
 彼はさらに続ける。エロースは人間のように醜くも無知でもないが、かといって神のように完璧な美や賢さを備えているわけでもない。それでは人間でも神でもない存在とは何か。それは人間(死すべきもの)と神(不死)との中間に位置し、人と神の間をつなぐ「鬼神(ダイモーン)」なのだ。神話によれば、無知で貧困なる「貧窮の女神ペニアー」と、善美なるものを求める「策知の神ポロス」の間に生まれたエロースだからこそ、美しさや賢さを追い求めるのであり、それが(古代ギリシアにおける)「愛」につながっていく。エロースは徳を充分にはもたざるが故に追い求め、それが故に崇高で讃えられるべき存在になるということ。以上により、エロースとは人が手放しで讃美し目指すべき目標ではなくて、人と共に歩み援助を施してくれる存在であるというのがソクラテスの結論となる。(こうして5人の意見は完全に否定されてしまい、「真実」が明らかにされる。)

 ところで人が善や美を求めるのは何のためだろうか?それは“幸福になるため“とソクラテスは言う。(逆にとれば古代ギリシア人は、幸福を感じる”もと”に対して“善”や“美”と名付けたとも言えるかも...。)
 すなわち“愛”とは異性や同性への単なる恋愛感情ではなく、幸福な暮らしに対する欲望の源泉。金銭や体育や知恵や、その他ありとあらゆる営みの元になるものであり、彼はそれを広い意味での“愛”と呼んでいるのだ。さらに言えば、“愛”が最終的に目的とするのは「出産」と呼ばれる行為。(ここでは生物学的な意味だけではなく、あらゆる創造行為について「出産」という表現が充てられている。)なぜなら、「死すべきもの(人間)」にとって、神のように永遠に同一かつ完璧であることは不可能。そこで不断の努力により常に新しくなり続けることで「種族としての不死」を達成しようとする。自らの創作物によって後世に名を残したり、子孫を生み育てるのもその理由からなのだ。
 突き詰めて言えば美の本質とは「永遠に存在し、生成消滅、増大減少をまぬがれた、彼方」にあるもの。これすなわち「美そのもの」であって、決して美少年や美青年といった現実世界に存在するものではない。たとえ初めは美少年への愛から出発したとしても、やがては「美そのもの」を求めて不断に上昇を目指すことが重要であり、それが真実(まこと)の徳なのだ。
 これぞまさにイデア論そのもの!いやあ、面白いなあ。神でも人間でもない中間項の設定とか、ヘーゲルの弁証法を先取りするような筋運びには惚れ惚れしてしまう。以上、本書を「小説」として読む方にはネタばらしをしてしまったようで申し訳ないが、ギリシア哲学の面白さを愉しむなら支障無いと思うので、興味のある方は直接あたって頂く事をお薦めしたい。ほんと、びっくりするくらい読みやすいし面白いのだから。

<追記>
 ここまでで自分にとっての『饗宴』はほぼ終了したようなもの。最後のパートはどちらでもいいのだが(笑)、一応紹介だけはしておこう。ここでは酩酊状態の闖入者(アルキピアーデス)によるソクラテスの讃美が延々と続く。曰く、ありふれた言葉を使うことで光り輝く真実を解き明かす、沈着冷静かつ勇敢無比で知性輝く高潔な人物であるとのこと。(これじゃまるでスーパーマンだね。)
 なぜこのように蛇足のような記述が書かれたかは解説で丁寧に明かされているので、せめてそこくらいはネタばらしせず、これから読まれる方の愉しみをとっておくことにしよう。
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イデアってことで

ありがとう。(*´∀`)。いろんなことが、すぐ手に入るようでは、生物は工夫しなくなる。哲学は、不条理の産物。人も生物。全て風任せ。点。点はそこにあることで、線の一部になり得るのだから、線
行く末なんてわからないのです。

リカちゃん様

ご訪問ありがとうございます。

哲学は面白いですね。
変な考えやすごい考え、色々です。
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