『パラダイス・モーテル』 エリック・マコーマック 創元ライブラリ

 マコーマックを読んだのは、短篇集『隠し部屋を査察して』(創元推理文庫)と傑作長編『ミステリウム』(国書刊行会)につづいて3冊目。本書は単行本のときについ読みそびれてしまい、そのまま長らく入手困難になっていたもの。(『ミステリウム』が見事にツボに嵌まったので、本書が文庫化されると知ったときには小躍りしてしまった。自分にとって本書の訳者である増田まもる氏が選ぶ作品は、安心して手に取れる一種のブランドのようなものになっている。)

 さて本書を読んだ感想としては、まさによく言われるような“語り”と“騙り”の作家という形容がぴったりという感じ。前の2作にも共通していた事だが、マコーマックの作風は時にグロテスクで時に不気味。なのに何故だか読後の印象は重たくない。文章を読むと物語のシーンが頭に浮かんでくる映像型の作家であって、例えばキリコの有名な絵画『街の神秘と憂愁』の不気味さや、もしくはエッシャーのように技巧を凝らして精密に作り上げた作品というイメージ。そしてデビュー作である本書においても、その雰囲気は既に存分に顕われているといえる。(ただし本書はまだ話に少し素直なところがあり、『ミステリウム』では「とても筋の良いメタフィクション」という印象をもったのに対して、どちらかといえば「よくできた騙し絵」といったところだろうか。)
 なお、どの登場人物も他のマコーマック作品と全く同じように、肉体的/精神的な「痛み」に遭遇する様が執拗なまでに描写されるので、その手の語が苦手な人は止めておいた方が無難かも知れない。その意味ではマコーマックは読み手を選ぶといえるかも。好きな人には堪らないけどね。

 繰り返すが、本書(というかマコーマック自身)のテーマは“語り”と“騙り”。ほとんどの小説の場合は(少なくとも作者の頭の中では)、物語における「真/まこと」と「偽/いつわり」はきちんと区別されているといえるだろう。たとえばミステリであれば大抵の場合、“騙り”(=ミステリの場合はトリックと同義)が複数あったとしても、作者による物語上の真実はひとつしかなく、ラストはそこに向かって収斂していく。(あえてオチを書かないオープンエンディングの作品もあるにはあるが、おそらく作者の中では決着はついているはず?)
 ところがマコーマック作品の場合、「真」と「偽」の間に区別はない。本書では全部で7つのエピソードが絡み合っていくのだが、真偽の見分けは全くつかない、いやそもそも真偽は存在しない。まるで夜空に輝く恒星の本来の遠近が無くなり、見掛け上の天球面に星座という物語が描きだされているかのよう。そしてそのときマコーマック作品においては、天球面は幻ではなく物語を語る(騙る)ための「真実」と化す。

 殺された母親の肉体の一部を手術で体内に埋め込まれた4人の子供、というショッキングなエピソードを軸にして、他には≪自己喪失者研究所≫なる精神療養施設で患者に与えられる偽の人生記憶や、老いた元新聞記者が語る自殺と嘘にまつわるエピソード等々― 全編が「語り/騙り」に彩られたまるでパッチワークのような、もしくはまるで「複式夢幻能」のような物語を堪能することができた。

<追記>
 この手の作品では、詳しく中身について触れてネタばらしをするのは厳禁。なので今回は漠とした印象に終始してしまって申し訳ない。でも本書を既に読まれた方なら、自分が言いたいことは大体ご理解いただけるのではないかと。(この文を読んで「うん、そうそう」と頷いていただけたなら幸い。)
 一方、もしもまだ読まれてない方であれば、(もしもこのようなタイプの話がお好きならば)一度目を通されては如何だろう? そして感想を語り合いましょう。「面白かったよねー」と。(笑)


<追記2> ※注意:ここからはネタバレがあります。
 さきほど「複式夢幻能」という言葉を使ったのだが、これは単なる印象ではなくて、実は本書の物語構成に関する比喩のつもり。通常、世阿弥によって完成された能の形式のことを指す言葉で、場面が前後二つに分かれているのを「複式」と呼んでいる。本書ではふたつどころかもっと多くの場面に分かれているわけだが。
 また「夢幻能」というのは亡霊などがシテ(主役)となってワキ(脇役、通常は旅の僧など)に自らの無念や思いを語るというストーリーのこと。舞台を見ているうちに、どこまでが現実でどこからが夢の世界か判然としなくなっていくのだが、まさにこの『パラダイス・モーテル』の雰囲気がそれにぴったりというわけ。どこかで誰かが構成の面から本書と夢幻能の比較でもしてくれていたら面白いのに―と思って調べてみたが、世の中そんなに甘くはない。(笑) 仕方がないので自分で指摘しておくことにした次第。
 もっとも、本書でシテを演じるのは果たして誰なのかという問題は残るが...。(祖父のダニエルか友人のクロマティか、はたまたマッケンジー兄弟の消息を語った語り部たちなのか。さらにはヘレンや主人公のエズラでさえ、シテともワキとも言うことが可能に思える。)
 パラダイス・モーテルに一人たたずむ男の姿は、全てが過ぎ去ったあとに残った夢のかけら。自分にとって本書は「ポストモダン小説」というレッテルよりも、むしろ能の「黒塚」や『平家物語』の無常がよく似合う、そんな作品だなあ。
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No title

複式夢幻能というのはじつにおもしろい指摘ですね。日本の能とギリシア悲劇は非常に似たところがあり、その伝統は途絶えてしまいましたが、その精神ををポストモダン的に完成させたのがシェークスピアではないかと考えているので、『パラダイス・モーテル』の無常観に対して『ミステリウム』のポストモダン的完成というのはなかなかいい感じの対比になっているような気がします。

No title

まもるさん、こんにちは。

ほんの直感的な思いつきなのですが、自分の中では印象が何となく似通っていましたので、むりやり繋げてみました(笑)。
的外れと思われるか心配でしたが、おもしろいと仰って頂けまして、、大変に嬉しいです。

もうすこしきちんと整理しようと、原稿と悪戦苦闘しておりますが、出来上がり次第またアップさせて頂きます。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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