『日本の深層』 梅原猛 集英社文庫

 梅原猛は従来の歴史観をひっくり返すような著作をかなり初期から数多く残してきた。『隠された十字架』しかり『水底の歌』しかり。(*)
 彼は本書でもまた大胆な仮説/推論を提示している。ただし自身も述べているように、それはあくまでも哲学者の直感によるものであって、まだ仮説にすら達していないほどの着想の萌芽に過ぎない。解説で赤坂憲雄氏も述べているように、いつか証明されるかもしれない“予言”ともいうべきもの。仮説(予言でもいいが)というものは、その射程が広く長いほど無責任な一読者にとっては面白い読み物になるわけで、その点で本書は充分に満足のいくものといえる。

   *…とはいえ、自分はそんなに良い読者ではないので、その後はどんなのを書かれて
     いるかさほど存じ上げてはいないのだが。(笑)

 日本文化は当初、大和朝廷(近畿)を中心とした貴族の文化として始まり、やがて鎌倉に始まる武家文化から徳川時代の町民文化へと引き継がれた――従来の歴史観による基本的な流れはざっとこんな感じだろう。これはまた、縄文(狩猟)文化を駆逐した弥生(稲作)文化に、仏教思想や後の儒教思想が加わっていく流れでもある。すなわち「原始的な先住民」である縄文人を「進歩した侵略者」たる弥生人が、それまでの住処から駆逐して北の果てへと追いやることで、後の日本文化が花開く礎が出来たと見做すわけだ。
 ところが梅原は(駆逐されていたはずの)縄文文化が、東北の地に今でも色濃く残っているのだという。すなわち通常言われているように縄文文化はわずかに蝦夷・アイヌ文化に残るだけ…というわけではなく、実は歴史をひも解いていくと表舞台にもその担い手が何食わぬ顔で登場していたり、ごく普通の仏教信仰と思えるところも実は―― というわけだ。すなわち「和魂洋才」ならぬ「縄魂弥才」でしっかり生き残っているというのが著者の直感による仮説。

 本書は著者が東北の各地を実際に旅して、(「日本の深層」である)縄文文化の面影に肉迫していくものであり、その内容はとても刺激的なものになっている。具体的な旅程は、石巻の多賀城址を起点にして東北地方を左回りにぐるりと一周。平泉の奥州藤原氏や花巻の宮沢賢治、遠野には柳田國男の面影を訪ね、さらに津軽では太宰治、岩泉~天台寺では豪族の安部氏など駆け足で多くの場所を訪れるというもの。
 つぎに舞台を太平洋側から日本海側に移してからも大忙しだ。出羽三山で信仰される修験道には、中国から渡来した仏教と日本に古くから伝わる山岳信仰の混合する姿を見出したり、はたまた弘前の久渡寺に伝わる「おしらさま」信仰には、アイヌの「シランパカムイ(木の神)」との一致をみたりと、短いながらも中身がぎゅっと詰まった旅となっている。
 ここで述べられる仮説の多くは、今はまだ幻視に過ぎないかも知れないがとても魅力に溢れるもの。いちいち根拠や真偽をあげつらって無粋に詮索するよりも、ここでは是非ともそのイメージを心行くまで愉しんでいたい。本書に書かれた細い枝のような著者の直感が、後に太い幹へと育っていけたかどうかについては、これから赤坂憲雄氏らの「東北学」に関する著作を読んでいくことで、おいおい確かめることにしよう。(また追いかけなければいけない本が増えてしまったかな。/笑)
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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