『漢字』 白川静 岩波新書

 今回は本題に入る前に少し寄り道。前に書いたことの一部繰り返しになるが――
 自分は本を読む時、どんな本であっても「娯楽」として読む。さらに言うと読書をしている間は、その本と一種の「勝負」をしているようなもの。沢山愉しめたほど「勝った」と思うし、あまり愉しめなかったりすると「負けた」と感じてしまう。(誰に対しての勝ち負けなのかは自分でもよく分からない。/笑)
 この原則は対象物が小説だろうが学術書だろうがたいして違わない。エッセイは著者との直接の対話になるので、勝ち負けじゃなくて、どちらかというと好き嫌いに近くはなるが、それでも面白いエッセイに当たると、著者と力を合わせてゴールできたみたいで気分がいい。
 読み方にも自分なりのイメージがある。具体的には本をケーキに喩えるのが分かりやすいかも知れない。幾層にもスポンジとクリームが重なっているタイプのケーキ。
 ケーキは切り方によって断面の模様が変わる。まっすぐ縦に切ったり斜めにしたり、時には水平に切ったりするたび、それぞれ異なる切断面が顔を見せる。どれだけきれいな模様をいかに多く見出せるかが、読み手の腕の見せ所。(その意味では本をケーキではなく調理前の“素材”に喩えても良いかな。その場合、読み手は調理人になる。)
 なお、学術書の読書の場合は“素材”としてだけでなく、色んな素材を切るための“道具”を手に入れるという意味合いも強い。切る対象は小説ばかりでなく現実の世界も。切るための“道具(=視座)”をどれだけ手に入れられるかが、学術書を読む時の醍醐味ともいえる。
 物語を愉しむか新しい知見/視座を愉しむかの違いはあっても、いずれにせよ本が自分にとって「娯楽」であることに間違いはない。よい小説は様々な読み方ができ何度でも「おいしい」し、学術書もまた別の意味で「二度おいしい」といえる。
 だから、ネットのカスタマーレビューなどで、ときおり特定の本を罵るような書き込みを見かけると心が痛む。気に喰わなければ無視をしておけばいいだけのことなのに。
 自分からするとそれは単なる「敗北宣言」にしか過ぎない気がする。たまたまその人にきれいな断面模様が見つからなかったからといって、他の人が見つけたかも知れぬお気に入りの模様まで否定することはないじゃないか、とそんな風に思ってしまう。仲間内ならともかく、ネットという公の場にそんな意見を晒すのは、自らを貶めるだけだからやめた方が良いと思うのだけれど...。
他の方はどのようにお考えなのだろうか?

 閑話休題。前置きがやたら長くなってしまったが(笑)、そろそろ本題へ。
 なぜこんな話を冒頭にしたかというと、本書の著者・白川静氏の著書を読むたびに、(先程の例でいうところの)すばらしい“道具”を持つことがいかに重要かということを考えてしまうからだ。
 著者は言うまでもなく本邦における漢字研究の第一人者であるわけだが、本来は古代日本の習俗研究が一番行いたかったことらしい。ところが古代日本には「文字」による記録がないため、まずは同じ“東アジア文化圏”であって、かつ古代からの文字記録が残る中国の古代習俗研究を行うこととし、さらにその為に漢字そのものの成り立ちを調べ始めたとのこと。(*)

   *…梅原猛との対談集『呪の思想』(平凡社ライブラリー)で、白川本人が語っていた話
     による。

 一見、とても遠回りにも見えるが、それがあったからこそ後の素晴らしい研究成果が存在するというのは、衆目の一致するところだろう。そして本書『漢字』は、その“白川漢字学”の出発点となったまさに最初の著作であり、記念すべき書というわけだ。ともすれば専門的になり過ぎるテーマが持つ面白さを、一般読者になるべく平易に伝えようとする著者の気概が感じられる。
 内容としては、殷の時代の卜占の文(甲骨文字)や金文などに直接あたることで、象形文字/形成文字/会意文字の起源を解き明かしていく。それによれば、殷をはじめとして周より前の国々においては、呪術と神意に基づく国づくりが基本だったとのこと。殷から周へと繋がっていく古代中国の思想が目の前に次々と解き明かされていくのは、読んでいて気持が良い。僅か200ページにも満たない薄い本なのだが、様々な論証がこと細かく述べられていて、中身の密度は普通の本の2倍はあるのではないか。
 惜しむらくは、本文に挙げられる様々な漢字の例と、その本来の姿を示す原漢字の写真がとても照合しにくい構成になっている点。尤もこれは編集側の問題であって著者の責任ではないだろう。(このあたりは著者も気になっていたのか、後年に出された『漢字百話』などの著作においては、かなり改善されている。)

 話を戻そう。先ほども述べたように、著者にとって漢字研究というのは、本来「目的」ではなく「手段」に過ぎなかった。したがって本書も題名こそ「漢字」となっているが、書かれている内容の中心は、文字の成り立ちを通じて中国の歴史や王による統治の在り方を記述すること。すなわち題名の『漢字』というのは「漢字を説明する」ということではなく、「漢字を使って(他のことを)説明する」ということの意思表明と見た方が良い気が。
 本書の内容がそのまま「現実世界を切るための道具」になるかどうかは別にして、たまには世俗を忘れてこのような幽玄の世界に浸ってみるのも良いものだなあ。少なくとも古代中国や古代日本について書かれた本を読む時には、本書で手に入れた「呪」という新しい知見は、このうえなく強い武器になってくれそう。(笑)

<追記>
 話があちこち脱線しがちなところも併せると、本書は決して読みやすいタイプの本では無い。面白さのエッセンスだけを手っ取り早く味わいたいなら、松岡正剛によって書かれた『白川静』(平凡社新書)がお薦めかも。本書を中心とした白川静の漢字研究全般について、平易に説明してくれている。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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