『「悲しき熱帯」の記憶』 川田順造 中公文庫

 C・レヴィ=ストロース著『悲しき熱帯』の訳者による、自身のブラジル訪問を踏まえて書かれたエッセイ。1938年にレヴィ=ストロースが訪れたインディオの集落やブラジル社会のおよそ50年後の様子が描かれる。雑誌への掲載から12年後に初めて書籍化されたため、その後の変化を踏まえて第5章が書き下ろされている。(今回の文庫化は元本の刊行から更に14年後なので、あとがきにはその後の経過も付け加えられている。)

 フランスの哲学者オーギュスト・コントが晩年に作った宗教「人類教」が広く信仰されるブラジル。USAにおけるWASPのように“社会を牽引する”強力な民族集団が存在せず、様々な民族が混交しているブラジル。多彩なフォークロアはあっても累積され乗り越えられた「歴史」というものが存在せず、それゆえ国民の中に母性憧憬や情緒の不安定さが顕著にみられるブラジル…。本書を読んでいると、「クレオール」とか「サウダージ」といった言葉が頭の中を駆け巡る。
 筆者はレヴィ=ストロースが『悲しき熱帯』で取り上げたのと同じナンビクワラ族の集落も訪れる。50年経って、彼らの“文明社会”への同化はさらに進んでいる。はたして(貧困や疾病をそのままにしても)多様な文化のありかたを優先することが善いことなのか、それとも(彼らが望むままに)生活改善を行うのが善いことなのか...。人類学者がとり得る立場として「進行中の局地的問題への(積極的)関与」か、はたまた「人類学という視点を守りながらの不関与」を選ぶべきか、レヴィ=ストロースが悩んだ問題を著者も思い悩むが、当然のことながら答えなど存在はしない。
 観察する行為そのものが観察される対象に影響を与えてしまうという、まるでハイゼンベルクの「不確定性原理」を思わせるような不条理。レヴィ=ストロースが提示した問題は人類学者に今もなお解決できぬ問題を突きつけているようだ。
 『悲しき熱帯』の記憶をたどる旅もまた悲しかった。
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