『かくれた次元』 E・ホール みすず書房

 著者の専門は人類学だが、本書の射程は動物行動学から言語学まですこぶる広い。E・モリスの名著『裸のサル』を始めとして、この手の本は“好物”のひとつ。訳者は自らも動物行動学者であり『ソロモンの指環』の訳などで有名な日高敏高氏なので、どんな本なのかは読む前から凡そ想像がつくというもの。結構期待して読んだのだが、期待に違わず愉しむことができた。

内容は「プロクセミックス(Proxemics)」という概念について語っていて、(コミュニケーションに基づく)人間の“社会文化の基盤”とは何か?について考察しようとするもの。具体的には、「人が周囲環境もしくは他の人と接するときに感覚をどのように用いているか」など、言葉によらない謂わば“沈黙のコミュニケーション”の中身について語っている。そしてそれを形作っているのは、人間がもつ“生物的な特徴”に起因する 行動システムということらしい。(ユクスキュルの『生物から見た世界』にも繋がる内容と思う。)
 “生物的な特徴”に関する知見とは、動物心理学者のヘーディガーや鳥類学者のH・E・ハワードらの先駆的な研究をもとに著者独自の見解を加えたもの。「逃走距離・臨界距離」あるいは「個体距離・社会距離」といった概念を使い、空間認識の土台になる生物がもつ感覚を説明していく。(*)

   *…「逃走距離・臨界距離」というのは、異種の個体同士が出会ったときの関係を示す
     もの。たとえば野生動物に人間が近づいていく時、動物が両者の間に距離を保つ為
     に逃げようとし始める距離を「逃走距離」とよぶ。完全に動物の逃げ場を無くした
     上で更に近づいていくと、ある地点を超えたところで動物が逃げるのを止めて、
     逆に人間を襲ってくる限界の距離があるが、それを「臨界距離」と呼ぶらしい。
     また「個体距離」と「社会距離」というのは同種の生物同士にみられる感覚のこと。
     「個体距離」とは「非接触性動物」が同族との間で保つ空間距離のことで、一方の
     「社会距離」というのは、それ以上離れると仲間たちとの「触れあい感覚(≒群れ
     に帰属しているという感覚?)」を失って不安を感じ始める限界距離のこと。
     なお「非接触性動物」というのはウマ/イヌ/ネコ/ネズミなど、体がお互いに
     触れあうのを嫌うタイプの動物のこと。対する「接触性動物」とはセイウチ/カバ
     /コウモリなど、密集して互いの体が触れあっている状態を好む動物だそう。
     ちなみに先述の「社会距離」というのは、個体の体を包み込む“群れの泡”のよう
     なものと考えて良いらしい。もしかすると、人間を社会的な“動物”として見る
     時の重要なポイントとなるものなのかも知れない。「個体距離」というのは、
     生き物の種類によってもともと全く違うものであるうえ、それが家畜化されると
     どんどん短くなる傾向がある。(やがては消失してしまっている種も。)

 本書の後半ではこれら「個体距離・社会距離」といった生物学的な知見をもとにして人間社会を考察し、普段意識されていない空間感覚(すなわち「かくれた次元」)について語っていく。人間においては生物的な背景以外に西洋/東洋/イスラムといった独自の文化圏がもつ違いが大きな影響を与え、最適な距離と言うのは文化により大きく変化する。
 本書ではドイツやフランス、日本やアラブの社会を例にとり、「マナー距離(親密さや無礼となる距離)」とよばれる個体・社会距離の比較を行っている。ある文化圏では全く問題ない距離が、別の文化においては大変に無礼な態度ととられるケースなど、実例による説明は大変に愉しい。
 これら全ての考察を踏まえ、最終的には人間が「空間」に対して持つ認識の全体的な考察へと進んでいく。それがどんなものかと言うと、「固定空間/半固定空間/非公式空間」と呼ばれる空間の3つの型。(勿論これらも元々は“なわばり”や“棲み場”(テリトリー)といった、生物学的な土台がもとになって生まれたもの。)
 ここでいう「固定空間」というのは、“部屋”や“家”など「個人に帰属して比較的安定している空間」に対して著者が名付けた名前。一方、駅や病院の待合室などのいわゆる“公共空間”というのは、(個人に帰属する空間ではないが)ある程度はルール化や社会化が図られているため、「半固定空間」と呼ばれている。
 対する「非公式空間」というのは、全くの他人同士が路上や公衆空間で作るもの。細かく分けると(生物的な距離である)「個体距離」「社会距離」という2つ距離の間に、文化に起因する距離である「密接距離」と「公衆距離」が加わって4つに分かれるらしい。(ただしこれは欧米文化圏における距離感覚であって、民族や文化が異なる社会では当然変わってくる。日本ではおそらくもっと距離が小さくなるような気がする。)

 以上、さわりをざっと駆け足で紹介したが、アフォーダンスにも繋がるような話でもあり、今まで意識すらしていなかった文化のバックボーンが示されたようでとっても愉快。このように自然科学と社会科学の境界に位置するような本は好きだなあ。

<追記>
 自分が今まで経験したドイツ人技術者との打ち合わせの様子を思い出してみても、何となく納得できるところが多い。(例えば机の距離や立ち話する時の距離。日本人同士で会議を行う場合とはビミョーに違っていたような気が。/笑)
 実生活に本書の見方を応用してみると、色んなところで意外と愉しめるかもしれない。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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