『神話学講義』 松村一男 角川選書

 昔から世界各地の神話が好きで読んでいる。物語としてはつじつまの合わないところも多々あるが、奇想天外なうえ何やら“隠された意図”がありそうな雰囲気が堪らなく好きで。
 当然のことながら神話研究についての本にも幾つか目を通してはいるのだが、困ったことに著者のスタンスがあまりにまちまちなので、頭の中の整理が今まで出来なかった。そんな折、例によって本屋をぶらぶらしていて見つけたのが本書『神話学講義』。出版されたのは1999年と少し古い。好きな分野の本なのに全く知らなかったのは、きっとハードカバーなのでスルーしてしまっていた為なのだろう。
 本書の中身としては、“神話”そのものではなく“神話学”に関する鳥瞰図を提供してくれる本といえる。19世紀から20世紀にかけての代表的な研究者を取り上げて、彼らのスタンスの違いや研究成果について分かりやすく説明してくれる。(ただし対象となる研究者についてある程度知識がないと面白くないかもしれない。初心者向けというよりは、どちらかといえば中級者向けかも。)
 取り上げられているのは①マックス・ミュラー、②ジェイムズ・G・フレイザー、③ジョルジュ・デュメジル、④クロード・レヴィ=ストロース、⑤ミルチア・エリアーデ、⑥ジョーゼフ・キャンベルの6人。いずれ劣らぬ人類学や宗教学の大家ばかりだ。(*)

   *…神話研究だけを専門にしている人はあまり聞いたことが無い。神話を研究している
     人は大勢いるが、何かを研究する為の材料として用いている場合が多い感じがする。
     ここで取り上げた人以外では、たとえば精神医学・心理学系ではフロイトやユング、
     ラングなども神話を研究しているし、人類学・民俗学系ではマリノフスキーや
     V・プロップなども。他にも言語学など様々な分野から神話の分析に参加している
     人は多い。

 それでは著者は数多い神話研究者の中からなぜこの6人を選んだのかというと、(有名だからということもあるが、)彼らの研究スタンスがとても特徴的なためらしい。実は19世紀から20世紀にかけては神話研究において大きなパラダイムの変化が起こっているそうで、ミュラーやフレイザーは「19世紀型」と呼ばれる旧い神話研究のタイプの代表であり、レヴィ=ストロース、エリアーデ、キャンベルらは「20世紀型」なのだとか。ちなみにデュメジルはその中間に位置し、初期は「19世紀型」で中後期の活動は「20世紀型」になるそうだ。
 では神話学における「19世紀型」と「20世紀型」の違いとはいったいどのようなものなのか。著者は前者に共通するパラダイムは「進化論」あるいは「歴史主義」であり、後者は「構造主義」あるいは「半歴史主義」を共通認識としているのだという。以下にもう少し詳しく説明しよう。
 19世紀の哲学・思想を全体的に俯瞰した場合、「人間の社会や文化は原始(未開)社会から発展した社会へと直線的に進化を遂げ、歴史とかそれを実現していく過程である」といった見方が一般的であった。これは西欧の近代社会を世界の中心と位置づけるとともに、本来自然科学である進化論の考え方を社会科学にそのまま応用した考え方といえる。
 ところがフロイトによって「無意識」の存在が明らかにされると、それを契機にして深層心理学や構造主義言語学などが大きく発展。それら新しい人文科学の成果を神話研究に応用することで、神話における「意識された(=目に見える)」特徴を列記・分析するだけでなく、むしろその背後にある「無意識的な(=目に見えない)」構造を明らかにすることが主流になっていった。やがてレヴィ=ストロースによって、従来「原始的」と思われてきた社会の神話に非常に論理的な思考体系が見つかると、未開(原始的)と思われてきた社会が、非論理的な社会どころか近代西洋社会に匹敵するような「別の論理体系」の構造を持つというのが、神話研究における共通認識となっていった。これがすなわち「20世紀型」の大きな特徴である。(**)

  **…ただしあくまでも神話研究とは人文科学の一領域であり自然科学のように“実験”
     による検証は不可能。従って20世紀型においても研究者ごとで「神話に何を見出
     すか」は異なっており、一律に真偽または優劣をつけられるものではない。

 それでは本書の記載に基づき、個々の研究者による神話研究の内容について簡単に紹介していこう。
 ■M・ミュラー
  当時の最新学問であった「比較言語学」の手法を神話研究に応用した人。「インド=ヨー
  ロッパ語族はアーリア人という共通の人種的な祖先をもつ」という仮説(というか当時の
  ヨーロッパ文化人の願望)をもっていた。彼はそれを証明するために、様々な地域に伝わ
  る神々の名前の比較等から最古の神話を再現しようとする試みを行ったが、その最有力
  候補とされたのがインドのヴェーダ神話。
  彼はまた神話の起源について、根源を自然現象に求めた「自然神話学」の立場をとって
  おり、この学説はあまりにも短絡的に過ぎるため現在では評判が悪い。(自分も同感。)

 ■J・G・フレイザー
  古代の王権についての記念碑的著作である『金枝篇』であまりにも有名。彼も(ミュラー
  と同様に)人間の思想や社会が段階的に「進化(進歩)」するという考え方を踏襲して
  おり、古代社会から近代社会へとつづくそのステップを呪術・宗教・科学の3段階と
  考えた。(なおここでいう宗教とはキリスト教のこと)

 ■G・デュメジル
 【初期】
  比較言語学に依拠してインド=ヨーロッパ語族の神話を研究。ただし極端に進化論的な
  図式は見られなくなっている。
 【中期】
  インドやイランの社会階層を分析して、「祭司・戦士・牧畜農耕者(生産者)」という
  三区分的な世界観が、インド・ヨーロッパ語族全体に普遍的にみられた事を想定する。
  (これを「三機能体系」と呼ぶ。)
  分析の仕方も、固有名詞の変遷に拘るのでなくシステムの「構造」に焦点を当てたという
  点で、後の構造主義的な分析にも近い。
 【後期】
  中期の視点をさらに深く推し進め、神話を構成する主要因を社会構造よりも更に世界観
  (心のメカニズム)にもとめた。

 ■C・レヴィ=ストロース
  ソシュールが創始した構造言語学を、友人であったヤコブソンを通じて知り、音韻体系の
  「構造化理論」(=個別の音自体に意味があるのでなく音の差異など相互関係や体系に
  意味があるとする理論)を神話研究に応用。神話は「理知的な無意識(=神話的思考)」
  であるとした。
  彼によれば神話が作られた目的とは、その社会にあって解決が難しい問題や根源的な疑問
  について、神話という媒介(仲介概念)を用いることで理解/受け入れやすいものにする
  ことにある。(例えば「なぜ火や水は人間にとって不可欠なのに同時に危険なのか?」
  とか、「なぜ人間は火で調理して食べるのか?」などの疑問。)

 ■M・エリアーデ
  宗教学者。彼は神話について「起源を語るもの(=創造神話)」であると考えていたよう。
  神話や儀礼は「歴史(≒キリスト教的な歴史観)」の誕生により失われてしまった太古の
  「楽園状態」を再現、存在論的な不安の解消を目的とすると主張。すなわち宗教と神話を
  等値で考えている。(何だか19世紀型を思わせるようなかなり強引で偏った主張ではある
  が、著者はエリアーデがルーマニア出身である点に着目して、幼い頃から戦禍に巻き込ま
  れたという彼の生い立ちにが原因ではないかと推測している。)

 ■J・キャンベル
  キャンベルはユング心理学(その中でも特に元型論)の影響をうけた神話分析が特徴で、
  神話の目的を「社会的不都合の解消すなわち社会規範的な要請」としては見ない。
  アメリカン・ドリームの国に相応しく、あくまでも「個人の能力開発に依る魂の成長の
  物語」としてのみ捉える。つまり彼にとって神話とは“起源神話”ではなく“英雄神話”
  であり、神話を「宗教に代わるもの」として再発見&利用しようとしている。
  神話を読むことで力を与えられるという「神話の力」論者でもある。

 本書はあくまでも神話学に関する講義であり、神話学全体の流れを分かりやすく示したもの。(だから神話に関する著者自身の見解については述べられていない。)これから神話や神話研究に関する本を読む時に、少しでも愉しく読めるように「補助線」を頭の中に引こうと思って目を通したわけだが、かなり面白かった。混乱した頭がスッと整理されていくのが気持ちいいし、なによりキャンベルに対して感じていたある種の「胡散臭さ」の正体がはっきりできたのは嬉しかった。(本屋でキャンベルの『神話の力』を立ち読みした時、何となく違和感を感じたので買うのを控えたのだが、結局のところ自分はあまり楽天的に過ぎる見方をあまり好いていないからだと、本書を読んでみて納得。)
 なお話は少し逸れるが、キャンベルはジョージ・ルーカスが映画『スターウォーズ』を作る時に、思想的な土台とした事で一躍有名になった人。『スターウォーズ』の全シリーズを通じて重要な役割をもつ「フォース」というのも、実はルーカスがキャンベルの著作から神話がもつ「力(フォース)」の概念を拝借したものだ。

 本書『神話学講義』自体に関する話は以上で終わるが、本書を読んだ後で色々と考えたことがあるので最後にちょっと補足。
 先述したように、20世紀になってから神話の「目に見える特徴」だけでなく「無意識の構造」に焦点が当たるようになったわけだが、そうなると対象を神話だけでなく民話や説話まで広げる事が可能になる。なぜなら「神話は起源を解き明かすもの」で「民話・説話は愉しみのためもの」という、それまでの画一的な見方が取っ払われることになるから。
 ところが日本の民族学における説話研究などの本を読むと、1940年代はおろか下手をすると1970年代くらいまで、ミュラーやフレイザーを思わせるまさに“19世紀的”な机上論であったり、牽強付会が過ぎるものであったりして、レヴィ=ストロースの洗礼を受けた身としてはいささか納得しかねるのも多くあった。(例えば『日本の鬼』という本では、鬼の起源を全て雷や風雨といった自然現象の擬人化に求めていて、これなんかミュラーの「自然神話学」の立場と殆ど同じ。)
 自分が思うに日本の民族学研究が世界的なレベルに追い付くのは、やっと80年代に入ってからではないだろうか。小松和彦が文化人類学の手法を民族学に取り入れて、フィールドワークや構造分析を行い始めたころから、やっと自分が読んでも「面白い!」といえる本が増えてきた気がする。(生半可な知識によるものなので、もしも違っていたらゴメンナサイ。)
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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