『千のプラトー(上・中・下)』① G・ドゥルーズ/F・ガタリ 河出文庫

  注)文章の量があまりに多くなりすぎたので、今回は2回に分けます。

 フランスのポストモダン思想を代表する著作にして最大の問題作。単行本が出たのはもう数十年前のことだが、ボリューム的にも価格的にも手が出ないので文庫になるのをずーっと待っていた。単行本は大きくてとても重いので持ち歩いて読むのは不可能。価格も7,500円(税抜)なので、万が一途中で挫折するとダメージが大きすぎる。(笑) とはいっても文庫版でも3冊合わせると3,600円(税抜)になってしまうわけだが。(ただし3カ月に亘って1冊ずつ刊行されたので懐にはそれほどの負担ではなかった。)なお数カ月に分けて刊行される本については、読み始めるのはひとまず全巻を揃えてからということに決めている。小説の場合は物語の途中で時間が空いてしまうのが嫌だからで、学術書の場合は途中で飽きると挫折する可能性が増すから。
 そもそもポストモダン思想系の本は(自分の数少ない経験からすると)、得てして難解なものが多くて途中で集中力が欠けるケースが多い。今回もそれを警戒して全部揃えてから読み始めたのだが、結果的にはそれが大正解。途中で何度も挫けそうになるのを打破できたのは、ひとえに「お金がもったいない」という気持ちからだった。(笑) 冗談はさておき、それでは“お気らく流”の『千のプラトー』感想をば。

 ドゥルーズやバルト、ボードリアールといった、フランス系の思想家たちの著作に共通する特徴として、独特の「読み難さ」という物がある。さほど沢山のポストモダン思想本を読んでいるわけではないので、もしかしたら的外れかもしれないが、その理由のひとつには「文学的表現の多用」があるのではないか?という気がする。
 そもそも哲学・思想系の本では、今までにない概念を説明するために、言葉を新しく造りだしたり別の意味で使ったりすることが多い。従ってそれらの本を読むのは、当然頭の中でその言葉の意味を常に考えながらの作業となる。しかしドゥルーズやバルトの文章に感じる読み難さはそれだけではない気がする。どうやら彼らにとっては、「言葉」による直接的な表現以外に、暗喩やほのめかしも大変重要な説明手段になっているのではないか。いわゆる「語り得ぬもの」を示すのに文学が得意とする手法というやつ。
 言葉にするとすり抜けてしまう微妙なニュアンスを伝えるには、文学的表現はたしかに非常に有効なものとなる場合もある。しかし唯でさえ内容が難解なことに加え、その微妙なニュアンスまで(しかも翻訳を通じて)理解しようというのは、自分のような「お気らく読者」にとっては正直いってかなり荷が重い。従って本書の内容についても、おそらく全体の3分の1程度しか理解できていないであろうという変な自信がある。
 以上、これからの文章が的外れなレビュー(*)になってしまった場合の予防線を張ったところで(笑)、概要について順に触れていこう。

   *…「読みが甘い!」といわれればそれまでだが、あくまでも自分なりの解釈なので
     悪しからず。

 まずは全体像から。
 本書の狙いは「資本主義と分裂症」という副題がついている事からも分かるように、現代社会を覆い尽くす資本主義のシステムに対して、分裂症的な対処の仕方(=ひところはやった「スキゾ」というやつ)を提言するものといえる。本論は全部で14章からなり、そこにガイダンスを目的とした“序”と最終的なまとめを書いた“結論”が付く。
 “序”では本書の狙いや読み方についての説明(というか宣言)が書いてある。具体的な内容は、言うなれば一種のエクリチュール(修辞)論なわけだが、彼らにとっては「何を書くか」だけでなく「どのように書くか」も大変重要なことであるので、選ばれている言葉は極めて戦略的かつ意図的なもの。しかもそのせいで本自体が読み難くなっているのだから、まさに確信犯的な難読本といえるだろう。(笑)
 このような書き方のせいもあって、著者らの意図も大変に理解しにくいのだが、それでも無理やり要約してみると、つまりはこんな事になるだろう。

 ■世界は直線的に説明や表現できるものではなく、様々な因子が多次元的に繋がって相互作用
  をもつ。(**) したがって書物/文章にして時系列で一次元的に表現すると、大切な
  部分が表現されずに抜け落ちてしまう。それに対処して本書も「千のプラトー(高原)」が
  ランダムに並べてある構成に作ってあるので、どこからどのような順番で読んでも差し支え
  ない。(ただし最終章だけは一番最後に読むこと。)

 でもこれって絶対に嘘だと思う。唯でさえ何が書いてあるのか分からないのに、順番に読んでいかないと、もっと分からなくなること請け合い。詳しくいうと2・6・8・14章などは独立して読めるが、4・5・7章や12・13章は内容的にはひと続きのものになっている。また9から13章に関しては、全体が緩やかな繋がりを持ったひと固まりの文章と考えた方が理解しやすい。

  **…かの有名な「リゾーム(根茎)」とよばれる構造そのもの

 順番に読まないと困る理由は他にもある。本書では先程も書いたように「メタファー(隠喩/暗喩)」もしくは「見立て」とでも言うべき、文学的表現による言葉/用語がわざと多用されている。そして上記のひと続きの文章においては、初出の時だけはその用語について一応説明らしきものがあるのだが、後の章ではまったく説明なしに使われているのだ。
 しかもその表現がはっきりいって判りにくい。別のものに見立てた事が、結果的には却って逆効果となり本書の難解さを増しているように思えてならない。正直言ってここまで回りくどい表現をしないと説明できない事柄なのだろうか? 自分たちが100%表現できたと思ったとしても、受け取る側が仮に30%しか分かっていないのであれば、結局は30%しか表現できてないのと同じ事なのでは。そうまでしないと、伝えることが不可能なくらい難しい概念があるってことなのかな。数学に喩えるなら、“トポロジー的”にひとつ上の次元ということを主張しているような。(彼らの表現を借りると目的は「複写」ではなく「地図」を描くということ。)
 話ついでに苦言をもうひとつ。それは格好いいフレーズが多過ぎるという点。(笑) こんなことをされると、意味も良く分からずに引用したくなる誘惑にかられてしまうではないか。どうやら誰もが同じ衝動にかられるとみえて、巷に溢れるポストモダン信者の方の文章を読むと、ただ単に無意味に文意を分かり難くしているだけのようなものも散見される。

 「格好いいフレーズ」の例をひとつ挙げよう。ドゥルーズ&ガタリといえばすぐ取り上げられる有名なキーワードに「器官なき身体」というのがある。これが何を意味しているかというと、『ひとつの意味に結び付けられた部分の集まりではなく、多様体(≒多様性をもつもの)によって満たされた身体のこと。頂点から下部へと連なるツリー構造もしくは中心から周縁へとつながるスター構造をとらないリゾーム。』ということになる。…うむむむ、確かにフレーズだけ聞くと格好いいのだが、果たしてどれだけの人がこの説明で理解出来るのだろうか。(^^;)
 もっと簡単に「ごちゃごちゃと絡み合って入り組んだ関係性のかたまり」とか言ってしまえばいいのでは。

 今ふと思いついたのだが、本書は“文学的”といっても「作品」として自立するものではなく「文学批評」のようなものなのかも知れない。対象物を良く理解していないと意味が通じず、自立したテーゼにはなりえないということ。つまり永遠のアンチテーゼでしかないというのが、ポストモダン思想の限界なのかもしれない。世界を「ありのまま」に批評しようとすればこのような書き方になるのかもしれないが、そんなことが完璧にできる者がいるとすればそれは”神”に他ならないだろう。しかし著者らは簡略的な構造で世界を理解/説明することを拒否し、「リゾーム(ひと固まり)」そのままの形で説明しようと果敢に挑戦しているようだ。(それが副題にある「分裂症」ということか。)
 彼らは本書の中で、世界との間に通常の“意味”や“つながり”を無くした人々、すなわち統合失調症の人々による世界解釈の仕方を(戦略的に?)称賛している。なお統合失調症的な世界解釈とは、物事の関係をマクロに捉えるのでなく、例えば数学で言えば微分化の概念に近いミクロ的な見方とすることらしい。(これは物理学者リーマンによる「離散的多様体」と「連続的多様体」の関係にも近い。…って、こういう独りよがりな説明をすぐにしたくなるのが、ポストモダンの本を読む弊害だなあ。深く反省。/笑)
 話を戻そう。彼らは簡略化(=モデル化)を否定するのだが、しかしそうでもしないと人間には世界の理解は永遠に不可能なのではなかろうか。それともそれは著者らも承知の上であって、あくまでも資本主義の元となった“一神教的な思考”への対抗を意識した戦略なのだろうか? 著者の意図が汲み取れないので、読めば読むほどに謎は深まるばかり…。

 さてここからは話を変えて、いよいよ個別の章の内容に移っていこう。とはいっても元が体系立てて書かれた文章ではないので、概要をきちんとまとめる事など出来ない。よって自分が感じたことの断片を書き連ねていくことにする。分かり難い内容で恐縮だが、要約すればするほど大切なエッセンスが抜け落ちていくようなので、ご勘弁頂きたい。(なお、取り上げるのも全ての章では無くて、自分の印象が強かったものの抜粋。また文頭にあるのは各章につけられた名前である。)

【道徳の地質学】
 この第3章では、「表現するもの(シニフィアン)」と「表現されるもの(シニフィエ)」という、バルトによって示された構造主義的な記号論を批判している。ドゥルーズ&ガタリによれば、“表現(≒シニフィアン?)”と“内容(≒シニフィエ?)”は互いに入れ子構造による「二重文節」を形成し、どちらも“実質(=中身そのもの)”と“形式(=その在り方)”の組み合わせを、異なる角度から見たものに過ぎないのだそうだ。もともと分離できないものの一部の特徴だけに着目して、無理やり別々のものとする構造主義的な分析方法はおかしいとのこと。(うーん、どう書いても説明しにくい。/笑)
 それでは生半可な分析では太刀打ちできない厄介な「二重文節」に対して、著者らはどのように立ち向かえば良いと言っているのか? 期待してページをめくる。 ――ところがこの一番肝心な部分で彼らがとった説明方法は、やはり「見立て」なのだ。言葉そのものの危うさを自覚している彼らは、一般的な思想・哲学書とは違い、あらゆる考えを隠喩と暗示で切り抜けようとしているかのよう。とっても理解が難しいが、それでも極力分かりやすく説明して見よう。
 この章で著者らは「有機体(生命)」を「地層」に見立てている。例えば「地層」を構成する個々の鉱物は、種類も大きさも一つとして同じものは無い。しかし“形式”としては、ある地層が別の地層とはっきり区別される特徴をもっている。一般には「鉱物の特徴を考察する水準」と「地層の特徴を考察する水準」は異なっていて、互いに何の矛盾もなく理解されている。しかるに“形式”に着目した区分である「地層」から、徐々にその区別の基準を鉱物単体へとおろして行った時、はたして区分はどのようになるか。著者らによれば「地層」(=“形式”)は明らかに揺らぎ始める。
 ここで話を有機体に置き換えてみよう。キリンと亀は明らかに違うし、蝶とカブト虫だって誰もが一目見て区別ができる。しかしその違いはいったい何に依拠しているというのか? 亀とは違うキリンの“実質”とは何なのか? 「首が長い」という“形式”をキリンの“実質”と(仮に)主張するなら、どこまでを持って「首が長い」とするのか? 
 すなわち「突き詰めると"形式”と“実質”の境界はどんどん曖昧になっていくではないか」というのが、彼らの主張である(と思う。ちょっと自信がないが。/笑)

 かように“形式”と“実質”からなる関係性は、“表現“と”内容“の中間状態である抽象的なメカニズムを示す。これがもうひとつの有名なフレーズである「抽象機械」というもの。そしてこの「抽象機械」の特徴/特性を分析して取り出そうというのが、本書で彼らが行おうとしている作戦なのだ。著者らに倣って文学的表現を用いて記号論を「海」に喩えるならば、それまでの記号論学者は水の組成や海そのものの構成にばかり着目していたが、ドゥルーズとガタリはそれまで誰も注意を払わなかった「水同士の関係性」に着目したといえるかのも知れない。そして海の表面におこる現象を「波」と名付けるとともに、その関係を記述する方法として「流体力学」まで発明してしまった ――そんな感じだろうか。今までにない概念だけに表現するのも大変だろうが、理解するのはもっと大変だ。
 なお正確には先述の”表現”と”内容”の中間状態には2種類あるそうで、それぞれ彼らによって「内側に合摂された状態である“統合態”」と、「表面上にあらわれた状態である“平面態”」と呼ばれている。
 また「逃走線」というのもある。これは先程のキリンと亀の例をトコトン突き詰めていって、有機体(生命)と外部との差異までもが曖昧になった時(=これを“脱領土化”と名付けている)、有機体を外部と区別する「最終防衛線」のことだ。(普通はそこまで意味を追いつめられることは無く、曖昧なままで構わないのだが。)有機体(キリンや亀)の意味を問われた時にギリギリまで逃げ戻れる線、それが「逃走線」というもの。
 話が長くなってしまったが、結論としては複合的な意味合いを持つ現実の「二重文節」に対しては、どのように切り分けても無理があるので、境界線をどこまでも曖昧にしてはぐらかす「逃走線」を準備すべきということのようだ。

 如何だろう、雰囲気だけでも分かって頂けたろうか。第3章は全体の骨格を示す大事な章なので著者も気合いが入っているとみえ、いきなりとても抽象的で難解な議論が続く。従って特に分かり難い章ではあるのだが、基本的に本書は全部こんな具合。(先が思いやられるでしょ。/笑)

 とりあえず今回はここまでとして残りは次回②で。興味がある方は次回もお付き合いください。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

最新記事
カテゴリ
プロフィール

舞狂小鬼

Author:舞狂小鬼
サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

最新トラックバック
FC2カウンター
最新コメント
リンク
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR