『竹田教授の哲学講義21講』 竹田青嗣 みやび出版

 内容は題名に書いてある通りそのまま。竹田教授が学生との対話形式で西洋哲学のエッセンスを伝えるというもの。取り上げられている思想家は全部で16人(*)だが、ポイントとなるヘーゲルやフッサール、ハイデガーといった人達は2回に分けて講義しているので全部で21講となる。(もとは連載されていたものらしい。)

   *…プラトン、アリストテレスデカルト、ホッブス、スピノザ、ヒューム、
     ルソー、カント、ヘーゲル、ニーチェ、マルクス、フッサール、フロイト、
     ヴィトゲンシュタイン、ソシュール、ハイデガー

 今まで『プラトン入門』や『ニーチェ入門』など著者が一般読者向けに書いた哲学入門書は一通り読んでいるので、それらを軽くおさらいするような軽い気持ちで買った。ところが読み進むうちに「あれ?」という感じに。
 たしかに歴代の西洋思想をコンパクトに解説した本ではあるのだが、どうもそれだけではなさそうだ。どうやら『人間の未来』とか『人間的自由の条件』といった自著で展開されたテーマが、まるで二重写しになって透けて見えるような感じが。つまり初心者向けの哲学解説であるとともに、著者の思索活動の総括にもなっているというわけ。
 装丁も南伸坊による軽いタッチなので、そのイメージで単なる「西洋哲学入門書」として読み始めた人は少し戸惑うかもしれない。(もちろんそういう読み方もできるが、それだけじゃない過剰さがある。)逆に自分のように前からの竹田ファンは、単なる入門書じゃないので嬉しかった。(笑)
 
 著者の本にあまり馴染みがない人のため、この本を愉しむためのポイントについて簡単に整理してみたい。本書で述べられていることをまとめると、概ね次の2つに集約されるのではないかと思われる。

 1)人間が外界や他者を「認識する」というのはどういうことか、本当の「真・善・美」は
   あるのか?
    ⇒プラトン、スピノザ、デカルト、カント、ニーチェ、フッサール、ハイデガーらに
     よる追求の歴史

 2)近代社会で起こってきた貧困や戦争といった不幸の原因は何か、どうすれば克服できる
   のか?
    ⇒ホッブス、ルソー、マルクスからニーチェ、そしてヘーゲルへと続く思索の再評価

 前者はまさに哲学の王道をいくような内容だが、問題は後者の方だ。竹田の著作にある程度親しんだ人でないと、こんなにあっさりと流すだけでは話が理解し難いかも。それに輪を掛けてややこしくしているのが、思想家を取り上げる順番。入門書のセオリー通りに年代順に並べてあるため、1)と2)の二つの内容が入り混じって取り上げられるのだ。ここでわざわざこの件に触れたのは、予めふたつのテーマがあると知っているだけでも、理解度(=本書を愉しめる度合い)が大分違ってくるかも知れないと考えたから。
 話を戻そう。著者が以前からライフワークとして取り組んできた仕事には、現代社会が抱える種々の問題に対して思想的/原理的な解決方法を示すというのがある。その為に必要になるのが、過去の偉人たちの思想を原典に立ち返って再評価するという作業。(極論すれば、これまでの彼の「哲学入門」的な著作は全てその過程で生まれた副産物といってしまっても良いくらい。)
 したがって本書は教育者としてではなく哲学者としての竹田青嗣による主要著作への入門書という役割も果たしているといえるだろう。(**)

  **…教育者としての顔は先述の『プラトン入門』『ニーチェ入門』の他、『ハイデガー
     入門』(いずれもちくま新書)、『現象学入門』(NHKブックス)など。
     また哲学者としての独自の思索には『人間的自由の条件』(講談社学術文庫)
     『人間の未来』(ちくま新書)などがある。

 ところでここで取り上げられている思想家たちは、一昔前のポストモダンブームにおいてはドゥルーズやガタリたちによってやり玉に挙げられていた人ばかり。
 ポストモダン思想では現代社会に蔓延する侵略戦争や貧困問題など、数多くの深刻な問題の根本原因が現代社会(≒国民国家/資本主義経済)の仕組みそのものにある――とみなしている。したがって、現在の国家体制を作り上げる礎となってきた近代哲学こそが、すなわち現在の状況を生み出した元凶ということになるわけだ。そう考えるとポストモダン思想が彼らを目の敵にしたのも、ある意味で仕方ない面はある。)
 ところが竹田によれば、それは全くの誤解なのだとか。確かに過去の思想家たちは、彼らの時代の文化や知識に基づいて思索を巡らしたが故、今から見た場合に思想的な限界や変な点なども”一部”に見受けられる。しかしだからといって、それを理由に彼らの思想の”全て”を批判すべきではない。彼らの難解な用語に惑わされることなく、その良質なエッセンスだけを取り出せば、現代思想に勝るとも劣らないほどの深さまで原理的な検討がなされている部分もあるのだ。―― これが竹田の(変わらぬ)主張なのだ。(ちなみに彼によればプラトン、ヘーゲル、フッサールが一番誤解されてきた哲学者とのこと。)

 それでは本書の流れに沿って、そのポイントをかいつまんで説明しよう。

 ■人間は相互の不信によって「万人の万人に対する戦争(普遍闘争)」の状態にある。
  (その結果が「勝者が敗者を支配する」という封建社会や、「国家同士の弱肉強食」が
   引き起こす戦争となる。)

 ■戦争状態を抑制しつつ、同時に各人の自由を確保するためには、互いが自分の「権力」を
  どこかに移譲するしかない。(それが個人に集中しないよう、法律などの“理念”を
  最上位にもっていったのが法治国家であり、市民社会の始まり)
   …以上はホッブスの主張

 ■「最も優れた」とか「唯一正しい」というものを求めがちだが幾ら追求しても答えはない。
  どの主張が正しいかの判定は原理的に不可能であって、そのように究極の答えを追い求める
  のは人間の理性がもつ「推論」能力の特性によるもの。すなわち何かのテーマを与えられる
  と、その原因~結果の流れを突き詰めていき、最終的な(完全な)像に行き着くまで推論を
  止めようとしないが故の間違った考え。答えが本当に存在するかどうかは不明。
   …これを証明したのはカント

 ■従って「優れた世界」「正しい世界」を実現しようとすれば、必ず各人の主張がぶつかり
  合って決着がつかない。目指すべきはお互いの「自由」を実現するようにお互いが努力す
  るという「自由の相互承認」しかない。
    …これはヘーゲルの真の主張(誤解されているが)

 ■ちなみに現在の社会の問題は、これらの原理が間違っている訳では無くて、まだ実現が
  成されていないが故に発生。(たとえば、国家内では市民が各自の「権力」を社会に移譲
  しているので公共の安全や秩序が保たれているが、国家間では超越的な権限移譲がなく、
  国家同士が互いの主権を主張し合うがゆえに闘争状態/戦争がなくならない。)

 少し自分の好きなテーマの話に偏ってしまったのでいい加減これくらいで止めておこう。このあたりの話に興味がある方は、是非同じ著者の『人間の未来』なんかを手に取ってみて欲しい。すごく面白いんだから。
 本書では他にも、人間がものを認識したり考えたりする場合の原理だとか、「本当のモノ(=真)」「本当の正しさ(=善)」「本当の豊かさ(=美)」に対する理解や、それを踏まえて人はどのように生きるべきか等々、一般的な哲学入門書として必要な内容もしっかり押えられている。むしろ初心者の人が何の先入観もなく本書を読めば、先程からこうしてウダウダと書いているような事は全く気にもならず、意外とごく普通の入門書として読んでしまうのかも。それならそれで別に文句は無いが。(笑)

<追記>
 竹田青嗣は他の著作と同様、本書でもポストモダン思想に対して手厳しい態度を貫いている。現在の資本主義社会の基礎を築いた(とポストモダンの思想家たちが認識している)近代哲学の思想家たちや、それに対するカウンターとして生まれたマルクス主義に対して、後代の者が批判的に検証を行うことの意義は確かに認めてはいる。しかし著者によれば、彼らポストモダンの思想家たちは批判するばかりで、後の展望を示さないニヒリズムに陥っているのだとか。でも一部の人は確かにそうかもしれないけれど、そうじゃない人もいるので十把一絡げではちょっと気の毒な気が。
 『ストリートの思想』や『マルチチュード』といった本で紹介されているように、ポストモダンの真髄は学問の枠をはみ出して「思想/政治活動/文化」が混然一体となったものへと変化しつつある気がする。フーコーあるいは柄谷行人のように、「思想」という形でなく「行動」へと舵を切った人たちに対しては、それらをセットで読み解かないと、本当の理解は得られないのかもしれない。果たして本書の著者もいつかは行動の人になるのだろうか? 不謹慎かもしれないが、個人的にはそのあたりにすごく興味があったりして。(笑)
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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