『魔法昔話の研究』 ウラジーミール・プロップ 講談社学術文庫

 ロシアの“口承文芸研究家”による論文集。「民俗学」「人類学」「伝承」といった言葉が持つ意味は、国や地域によって微妙に違っているので、この手の本を読む時には、著者が使う単語の語義に充分注意してかかる必要がある。題名の「魔法昔話」というのはあまり正確な表現では無くて、「口承文芸」と名付けられたジャンルの全般的な研究と考えた方が良い。日本でいういわゆる「昔話」や「説話」の類にあたるものの他、ロシア(スラブ民族)に特徴的な「バラード」などもその範疇に入るし、世界の起源を説明しようとする狭義の「神話」と面白さを追求しようとする「昔話」が、ごちゃまぜになっている
 惜しむらくは昔話と神話の区別が曖昧な点。著者は以前レヴィ=ストロースからかなり批判されたようで、本書の第1章「異常誕生のモチーフ」においてそれに反論しているが、正直いってレヴィ=ストロースの意見も止むを得ないかもしれないところがある気がする。(尤も共産主義国家における研究者の立場には同情すべき点もあって、プロップ自身が本当にそう考えていたのかどうかは不明だが。)

 具体例をあげよう。例えば論文中に散見されるように、人類の歴史を「原始⇒文明」「資本主義⇒共産主義」という“進化”の過程としてとらえる考えは、共産主義的な偏った物の見方だと思う。むりやりそちらの方に議論を捻じ曲げているところなども、批判される原因のひとつであるような気も。
 「口承文芸は社会の上層、下層という区別なく全国民的財産だ」とか、「(口承文芸と呼べるのは)支配者階級を除く全階層の創作物であり、支配者層級の創作物は文学にはいる」とかのくだりなども、読んでいて何か違和感がある。社会が古代から未来に向かって一直線且つ段階的に変わっていくというのは、ある種の特殊な時期&地域において信じられていたイデオロギーの産物に過ぎないのではなかろうか。

 なかでもいちばん残念な点は、「口承文芸」を何らかの歴史的事実を知る上での手段としてしか捉えていないところ。そもそも口承文芸を「何らかの歴史的事実が反映されたもの」としてしか見ないと言うのはおかしいのではないか。なぜその物語が語られるに至ったのか?とか、なぜこれまで民衆の中に活き活きと伝えられてきたのか?など、その理由を知ることは、全く持って著者の興味の対象にはなっていないようだ。(自分はよほどそちらの方に興味があるのだが。)
 しかし、本書の別のところでは同じロシアの研究者に対して、「演繹」による研究(*)だと指摘しており、そのような方法では駄目だといっている。その点では、同国の他の研究家よりはよほどマシだとはいえるだろう。

   *…最初から答えありきで、あとはその証拠になりそうなものだけを集めてくるやり方。

 野家啓一の『パラダイムとは何か』(講談社学術文庫)の時にも思ったことだが、物の見方/考え方の枠というものはそう簡単には変わらない。プロップは結構鋭い物の見方をしていると思うが、そんな彼でも共産主義的なイデオロギーの呪縛から自由でいるというのは、無理だったようだ。(いやむしろ本人は自分にそんなバイアスがかかっているなんて意識すらしていなかった可能性も。)
 もちろん今の我々だって、考え方に当然何らかの偏りはあるはず。当事者では気が付きにくいのは致し方ないとして、大事なのはなるべく多くの「ものの見方」を知ることで、自分の価値観が”絶対的”なものと思い込まないようにすること。せめて子供らの世代に後から笑われない程度には、公正でありたいものだ。
 (最後に話が変なところに行ってしまったな。/笑)
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