『方法日本Ⅰ神仏たちの秘密』 松岡正剛 春秋社

 内容は多岐にわたりいつものセイゴオ節が全開で、非常に刺激的で面白いが省略。以下はその文体(または語り口)について。
 独特の文体を称して、中沢新一/鎌田東二/松岡正剛はともに「魔術的文体」と称されたのではなかったか、またそう称したのは誰だったか? 詳しくは憶えてはいないけれど、確かにこの3人の文体には独特のドライブ感があり、著作を読むことはすなわち、どこに連れて行かれるか予想もつかず引っ張り廻されることの快感に通じるところがある。同じような論理のアクロバットで強引に連れまわす著作としては南方熊楠や宮沢常一などもあるが、明快な文章から感じる疾走感という点では彼らには劣る。また明晰という点なら柄谷行人や笠井潔、竹田青嗣といった一流の論客も決して負けていないが、彼らの文章にはむしろ噛んで含めるというか、一歩一歩確実に足元を確認しながら歩いて行くような安心感とともにある種のもどかしさがある。(浅田彰あたりがもつ胡散臭さなどは、表面をなぞっていくことで中沢らに近い感覚を感じることもあるが。)
 松岡正剛らの著作をよむと、ひとつひとつの文意を理解することは決して難しくない。しかしその文章が連なることで運ばれていく先に開けてくるのは、まったく予想だにしなかった物事のつながりと論理の帰結、そして驚くようなしかし納得できる提言だったりする。脳がシャッフルされる快感は、確かに「魔術的リアリズム」と評されたガルシア=マルケスやカルペンティエールなど南米作家たちの紡ぎだす物語を読むときに感じるものに近いかもしれない。まるでエッシャーやマグリット、エルンストなど、細部ははっきりしていてどこもおかしくはないのに、全体では見る者を別次元に運んで行く絵画を見ているような...。
 中沢、鎌田と松岡を比べたときに違っているところを挙げるとしたら、前者2人が最終的には“隠された叡智”(いわゆる“オカルト”“神秘”)が根っこのところに見え隠れするのに対し、松岡の場合は徹頭徹尾“叡智”ならぬ“英知”である点だろう。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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