『中世の再発見』 網野善彦/阿部謹也 平凡社ライブラリー

 中世における社会の成り立ちを通じて、現代社会を照射しようする2人の研究者の対談集。網野は「日本」で阿部は「ヨーロッパ」と両者は互いに専門とする対象こそ違え、問題意識の高さと発想の柔軟さは共通。いずれも自分が大変敬愛する人物である。(まるでビッグスターの競演みたいなもの。/笑)時期的にはかなり昔の本なので、後に彼らがそれぞれ深く追求していくテーマ(*)の全貌がさらりと触れられていて、2人の研究に関する格好の入門書にもなっている。

   *…例えば網野を一躍有名にした「アジール」について。「宴会(特に無礼講)」が本来
     もっていた自由性を、アジールとからめて考察したりしている。
     他には「飛礫(つぶて)」の風習についてなども。これは世界中に分布する風習の
     ようで、本書では日本とヨーロッパにおける共通点と違いについて比較している。

 持たざるが故に自由、差別されるが故に無垢 ―― 2人に共通する研究を一言でまとめるとするなら、“被差別民”や(非社会人としての)“子供”がもつ逆説を探ることで、社会的弱者の存在を通じて中世ヨーロッパや中世日本の成り立ちを理解しようとする試みといっていいだろう。

 本書で触れられている話題について他にも幾つか紹介しておく。
 阿部によれば、ヨーロッパ社会が世界の他の地域とは大きく異なるユニークさを持つようになったのは、およそ11世紀以降とのこと。これは様々な教義が乱立していたキリスト教団の中から、最終的にローマカトリックが他を異端として排斥することに成功し、宗教的な支配を確立した時期にほぼ一致する。
 善かれ悪しかれヨーロッパ社会のユニークさこそが、現代社会の枠組みを作る元になったのだから、「一神教」こそが人類のその後の歴史を一変させた「人類最大の発明」といえる。(これは中沢新一を読んでいる人にはお馴染みの話題。)
 他には「私」に対して「公」という概念がどのようにして生まれたかについての考察など。中世ヨーロッパにおいては、「公」の起源もやはり(生死を司る存在である)キリスト教に始まるらしい。対して日本においてはその起源は宗教ではなく、例えば幕府による「公儀」など体制的/政治的な面が強いらしい。その代りに日本で特徴的なのは「天皇」の存在。扱いや影響の見極めがとても難しいということだが、確かに一筋縄ではいかないよなあ。
 また「贈与と貨幣の関係」から近代経済誕生についての話題の中に出てきた「“物を売る”とは“貨幣を買う”ことに他ならない」という指摘など、まさに目からウロコが落ちる思いだった。

 本書は複数回に分けて行われた対談を編集したものなので、取り上げられた話題もかなり広範囲に亘っている。2人が当時の社会学や歴史学の研究者に対して感じていた思いも、そんな中でざっくばらんに語られていて興味深い。両者ともかなりの閉塞感を感じていたようだが、自分からすれば逆にそれは2人がいかに旧来の枠に縛られず、自由な発想を持ち続けていたかということを証明するようなもの。
 「学際的」、もしくはいっそのこと(いい意味で)「素人的」とでも言えばいいだろうか。偏狭な価値感に囚われることなく、他の様々な分野の最新成果を貪欲に吸収して、縦横無尽に検討しようとする彼らの姿勢は、読んでいて共感することしきり。

 ひとつのテーマをじっくりと掘り下げていくような種類の対談ではなかったけれども、全般的に好感がもてるいい本だった。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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