『マクルーハン理論』 M・マクルーハン他 平凡社ライブラリー

 記号学者・批評家のロラン・バルトは、その著作において「文字媒体(書物)」に拘泥することなく、映画やエッフェル塔ならびに日本文化といったあらゆる事柄を対象にして記号論的な解読を行った。本書の主役であるマクルーハンは(『グーテンベルクの銀河系』のように書籍に関する著作もあるが)、どちらかと言えば映画やテレビ・ラジオといった「情報メディア」を対象にしてバルトと同様の記号論的な解読を行った学者らしい。
 「らしい」というのは、実はこの著者のことをあまり良く知らないのだ。(笑) なぜなら今回も例によって、今まで読んだことのない分野を齧ってみたくて初めて手に取った本だから。
 という訳で本書の解説の受け売りになって恐縮だが、マクルーハンはかつて日本でも一時期かなりもてはやされた思想家とのこと。ちなみに日本にマクルーハンを紹介して流行らせたのは、評論家の竹村健一(*)だったそうだ。全く知らなかった。(今なら茂木健一郎や勝間和代みたいな感じかな? ある種のいかがわしさも含めて。/笑)

   *…昔は一世を風靡した評論家だったのだが、この人も今ではすっかり忘れられている
     なあ。テレビCMで「僕なんかこれだけですよ、これだけ」とか云いながら手帳を
     振っていたのを覚えている人はかなりの年かも。

 話を戻そう。本書はマクルーハン自身の書いた文章を前半に、そして彼に触発されて10人の論客が書いたコミュニケーション論を後半に配して、1冊で「マクルーハンのメディア論」の全貌が分かるようコンパクトにまとめられた本。―― まあ入門書と思えばいいだろう。
 ただし本書を愉しむにはちょっとしたコツが必要であって、以下にそれについて説明しよう。

 本書は副題として「電子メディアの可能性」とつけられている。今ならこの手の言葉を聞くとすぐに「インターネット」とか「ソーシャルネットワーク」といった言葉が頭に浮かぶが、本書の元になった論文は60年代に書かれたものでありネタがかなり古い。従って取り上げている「メディア」もせいぜい白黒テレビまでで、カラーテレビはまだ普及しておらず、「総天然色」といえば映画を意味していたそんな時代。またアメリカでは3大ネットワークが巨大なテレビ産業を作り上げようとしていた、いわゆるマスコミにとって“黎明期”にあたる。テレビ番組でいえば『ローハイド』とか『ルーシー・ショー』なんかの頃だ。(日本で流行ったのも、60年代末~70年代初頭までだろうから、せいぜいが『ゲバゲバ90分』や『キイハンター』『木枯し紋次郎』といった懐かしの番組が放映されていた時代を思い浮かべれば、多分間違いないだろう。)
 すなわち本書の内容はあくまでも当時勃興しつつあった、「テレビ」というメディアに限ったものだと言う事を念頭に置かなくてはいけない。また肝心の記号論的なメディア分析についても、その後のポストモダン思想の展開を知っている目で見てしまうと「ちょっと…」と思える箇所がちらほらと散見される。さらには記号論的な読みを行うために頻出する表現、たとえば「ビートルズに大人たちが眉をひそめている」といった表現など、当時のことを知らない世代にとってはいささか意味を掴みかねる記述も多い。
 これらをすべてひっくるめた上で、今の視点で眺めたときに感じる古臭さや不備な部分については、とりあえず保留して読まないといけないのだ。これが本書を愉しむ上で必要なコツ。
 以上、あれこれ文句を書いてきたが、短所ばかりあげつらっても仕方ないので具体的な内容説明に移ろう。本書によればマルクーハンのメディア理論の基本とは凡そ次のような感じになる。

 彼は人類史を「主体となるメディアが変遷していくステップ」として捉え、その上でそれぞれのメディアの特徴を解析している。なおマクルーハンを語る際によく引き合いに出される「メディアはメッセージ」という言葉が象徴するように、マクルーハンにとって“メディア”とは単に情報を運ぶ器ではなくて、受け手の感覚や意識を変える“メッセージ”そのものなのだ。
 ちなみに本書にはあまり整理された明確な形では書かれてはいないのだが、(自分なりに整理すると)マクルーハンが述べているメディアのステップとは概ね次の6つ(8種類)になる。
  1)口承文化(言語)
  2)文字文化 ― ここは更に細かく3つに分かれる
    a.手書きによる書き写し(写本)
    b.印刷機(byグーテンベルグ)による書籍
    c.新聞
  3)演劇文化(舞台)
  4)映画
  5)ラジオ
  6)テレビ(50,60年代だから生放送が主体)
 まず最初の「口承文化」で用いられていたメディアは、記録に残らない「言語」であった。そして次にくるのが「文字」の文化。最初の写本時代においては識字率が極めて低かったため、書籍(=ほぼすべてが聖書)の社会全体に与える直接的影響はごく僅か。(また当時は口承文化の名残りで「音読」が基本であり「黙読」は存在しなかった。)続いて印刷機に因る書籍の大量生産が可能になると、活字の誕生とともに黙読が読書の一般的なスタイル主流となる。そしてその後の新聞というメディアが誕生すると、活字に代表される「ホットなメディア」が全盛の時代を迎え、演劇、映画を経てラジオまで続いていく。
 そして(当時の)最新メディアであるテレビが発明されるに至って、遂に“最終段階”である「クールなメディア」が出現することになる。(**)

  **…マクルーハンによる「ホットなメディア」と「クールなメディア」の定義は、
     正直言って本書を読んでも良く分からない。「映像+音声」を兼ね備えた総合的な
     情報が“参与性”(即時性?)をもって受け手に与えられる時、それを「クール」
     と呼んでいる感じはするのだが...。

 この「最終メディア」が子供らの教育や社会のコミュニケーションにどのような影響を与えるか、そして今後はこの新たなメディアの存在を前提にどうしていくべきなのか?といったあたりが、マクルーハンの主な関心事だったように思われる。
 なお蛇足ながら、現在ではコミュニケーションとはマスコミによる一方向&集約的(=一対多)なものではなく、Web媒体を通じた双方向且つ個別対応(=一対一)が前提となっているため、メディア論もそれにあったものでなければならない事を付け加えておきたい。さしずめ「2ちゃんねるやツイッターが青少年に与える影響」といったところか。
 
 うーん、ここまで書いてきた文章を読み返してみたが、やっぱり分かりにくい。(笑)
 もともとマクルーハン自身がまるで“ご託宣”や“詩”のように曖昧な表現を好んでいたため、全体像が漠然とし過ぎていて、きちんとした理論にまで昇華しきれていない感がある。後半に収録された10人の論客による各論も、マクルーハンのメディア論を自分らに都合の良いように解釈しているきらいがあり、今一つ腑に落ちた感じがしない。
 愚痴っていても仕方ないので、もう少し言い方を変えて説明して見よう。
 先述したようにマクルーハンは「メディアはメッセージ」、すなわちメディアそのものが一つの情報であると主張している。そして本書では各種メディアが持つ特性 ――例えば「“舞台芸術”と“テレビ”における視点」とか「“書籍”と“新聞”における書面レイアウト」とか、「“映画”と“テレビ”における同時性」などについて並列的に分析・論じている。これらメディアの“特性”というのは、メディアを「水を入れるバケツ」に喩えると分かりやすいだろう。ひとくちにバケツといっても「中に入る水の量や大きさ」、「色や形などのデザイン性」、「材質」、「持ち運びのしやすさや使い勝手」などによって千差万別。このように「中身の水」ではなくて「水を運ぶ器」自身がもつ特徴が、マクルーハンのいう「メディアのメッセージ性」にあたるといえる。マクルーハンは各種メディア(情報を運ぶ“バケツ”)の各種スペックを比較しているわけだ。もちろんテレビに代表される「クールなメディア」こそが、彼の考える“最新”にして“究極”の方法ということになる。

 最後になるが、本書の愉しみ方を挙げるとすれば2通りあるのではないかと思う。ひとつは普遍的な価値を持つ分析内容を探して読み解く事。(松岡正剛がマクルーハンの『グーテンベルクの銀河系』を評価しているのは、当時すでに“枯れた”メディアであった書籍(活字印刷)メディアを分析した本であるが故に、現代でも通じる価値を失っていないと判断したからではないのか。)
 そしてもうひとつの愉しみ方は、当時“最先端”であったが故に、却って今では時代遅れになってしまったハードウェア技術に関する分析を、まるでセピア色の写真を眺めるかのごとく愉しむこと。今の目でみると分析不足や的外れな点もあるが、同時代を論じるのが如何に難しいかは、現在でも巷に溢れるインターネット電子書籍、SNSなどの解説本を見ればすぐわかる。だから本書の理論書としての欠点も含めて大目に見てやって、当時の息吹を感じることに徹するのはそれなりに意味があるかも。(まるで『三丁目の夕日』みたいな愉しみ方なので、それが学術書でも通用するかどうかは読む人の感性次第だが。)

<追記>
 個々の論文については、当然のことながら玉石混交であり、「いかがなものか」というものもあれば「マクルーハンよりも良いんじゃないか」というものまで色々ある。その中でちょっと驚いたのは、日本を代表する仏教学者・鈴木大拙が本書に文章を寄せていたこと。芭蕉や加賀千代女らの俳句を用いて「仏教における象徴」について論じた文章で、なかなか面白かった。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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