『呪(じゅ)の思想』 白川静/梅原猛 平凡社ライブラリー

 漢字研究や古代中国&日本の研究で有名な白川静と、『隠された十字架』『水底の歌』などの日本史研究で知られる哲学者の梅原猛による対談集。話は専門的なのだが漢字や古代中国は最近興味がある分野なので、読んでいてかなり面白い。白川静の本はいつか全部読みたいとは思っているのだが、内容が難しいので一度にそう読めるものではない。その点で対談集という形式は「会話」というスタイルの性質上、難しい話でも分かりやすく語ってくれるので大変重宝する。たまに話が横道に逸れたりもするが、それもまた対談集の愉しさのひとつといえよう。
 「横道」がどんなものかひとつ挙げると、例えば立命館時代に「師弟関係(*)」だった2人による当時の思い出話など。学生運動が盛んだった頃の大学の様子や、彼らの交流の様子が垣間見れてとても面白い。論文では見る事の出来ない人間関係が生き生きと見えてくるのが対談集の良いところで、本書のように互いが信頼し尊敬し合う人同士によるものに当たると、読んで良かったとつくづくそう思う。

   *…大学で孤立していた当時の梅沢が、専攻は違うが尊敬する孤高の研究者の白川に
     勝手に師事して、「おしかけ弟子」のようになっていたようだ。

 本書は全部で三部構成になっており、まず第1部は白川の研究でもっともよく知られる「漢字の起源」の研究のあれこれについて。尤も白川本人が語るところによれば、元々のきっかけは日本の古代王朝の成立過程を知りたかったからなのだそう。そしてそこに出てくるのが、書名にある「呪(じゅ)」という概念というわけ。
 訓読みで「呪(のろ)い」とか「呪(まじな)い」ということからも分かるように、「呪(じゅ)」というのは超自然的な手段によって他者に影響を与えたり(&与えられたり)することを前提にした文化的な枠組みのことだ。日本と中国は「文身(いれずみ)」「(貨幣としての)子安貝」「呪霊」という3つの共通する文化をもっているので、東アジア的な「沿岸の文化」としてひと括りにできるのではないか?というのが最初の発想だったらしい。
 しかも中国には世界に冠たる表意文字の「漢字」が存在する。漢字の成り立ちは数千年前の古代まで遡っていくことができため、当時の習俗の直接研究が可能となる。これは古代に文字がなかった日本では不可能なことだ。すなわち柳田國男や折口信夫と白川静の問題意識は同じだが、こちらの方が心象や状況証拠による推測に頼らなくていいだけ有利というわけ。更に時代による漢字の変遷を比較することで、時間的な前後関係の確定も可能となる。柳田や折口は研究対象を日本にこだわったが故に、伝承による間接証拠しか利用できなかった。これは年代特定の点では明らかに不利といえる。
 正直いうと白川の著作を見たとき、あまりにも広い範囲をカバーしているので戸惑うところがあったのは事実。漢字研究に始まって古代中国の信仰や文化、そして万葉の時代の日本文化の研究に、更には「字統」など字典3部作の編纂と、八面六臂の活躍は逆に一貫性の無さと紙一重のような気がしていた。しかし本書を読んでその考えを改めた。背後にはこんない太い“柱”があったのだ。興味本位であちこちに手を出したのではなくて、最初からゴールは「古代日本研究」だったのだなと、安心するとともに改めて感心した。
 それにしても、日本を調べるためにまずは漢字の研究から始めて、更に次は古代中国へと進むなんて回り道にも程がある。(笑) しかしまあ、その労力を補って余りあるほどの豊潤な成果を挙げる事が出来た訳だし、結果良ければすべてよしということか。

 次の第2部ではがらりと変わって古代中国や日本の文化や思想に関する話題。本業である長年の研究成果の一端を、惜しげもなく(且つ素人にも分かりやすく)開陳してくれている。内容は孔子の話に始まって、やがて古代中国の神話から我が国の縄文時代における葬送儀礼までとても幅広い。なお且つ2人の会話は非常にレベルが高く、付いていくのが大変だが刺激的でとても面白い。

 最後の第3部は古代中国の伝統的な文学である『詩経』について。ここでは第1、2部とは趣向を変えて単なる対談ではなくて、梅原のリクエストにより予め白川が『詩経』の中から自ら選んでおいた作品を紹介していくという形をとっている。いってみれば「文学観賞の時間」みたいなもの。
 ただし「文学観賞」といっても、単なる学者の手慰みなどというレベルではなく、作品を選ぶセンスや中身の観賞力たるやかなり本格的。白川にとって古代中国の文化とは「単なる研究対象」ではなく、やる以上はとことん惚れ込んで取り組んでいたのだということが、この第3部を読むと良く理解出来る。でもまあ、好きでなければあそこまで突き詰めることが出来ないのは、当然といえば当然か。(笑)
 ここまで来ると話の中身は全く知らない事ばかり。因ってここからは本書からの受け売りで恐縮なのだが、『詩経』の中身というのは「内容による分け方」の3種と「修辞的な分け方」による3種の、合計6分類に分けられるそうだ。
 ちなみに前者の「内容」というのは「風(=民衆の詩)」「雅(=貴族の詩)」「頌(=祭礼の詩)」の3つのことで、昔は楽団による伴奏とともに謡ったものであるとのこと。また「修辞的な分け方」とは「賦(=自然の素晴らしさを朗々と歌い上げる形式)」「比(=何かになぞらえる形式)」「興(=呪術的な心象を盛り込む)」の3つ。本書では白川自身がこれら6つの分類からひとつずつ、代表的もしくは特徴的な作品を選び紹介してくれている。
 『詩経』を鑑賞するなんてことは、こんな機会でもないと普段の自分の生活では絶対に考えられない。彼の手にかかると古代中国に生きていた人々の姿が、目の前にまざまざと甦ってくるようで、本書の最後ではなかなか興味深い経験を得ることが出来た。
 
<追記>
 最後になるが、本書で大変に驚いたことがひとつあったので付け加えておきたい。それは古代では鳥や魚は“霊の住まい”とされていたという話。
 生き物は死ぬと「あの世」に帰っていくが、やがて新しい命に宿ることで「この世」へと帰還する。すなわち「あの世とこの世の交流」というのが東洋(沿岸の文化)に共通する基本的な死生観だったようだ。この「鳥と魚」というのは、以前読んだJ・G・バラードの代表作『夢幻会社』でも、主人公・ブレイクが街の人々を救済するにあたって極めて重要な象徴になっていたはずだ。スピリチュアルなものの考え方というのは、世の東西を問わず良く似たところに帰着する、というわけなのだろうか?
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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