ますむらひろしと諸星大二郎

 中学・高校のころからずっと大好きな漫画家に、ますむらひろしと諸星大二郎という2人がいる。ますむらひろしは『アタゴオル物語』のシリーズや、映画にもなった『銀河鉄道の夜』など宮沢賢治の一連の童話の漫画化で知られている。一方の諸星大二郎はライフワークとなっている『西遊妖猿伝』の他、実写映画化された『妖怪ハンター』のシリーズなどが有名。どちらも幻想的な作品を多く描いている作家で、昔からSFやファンタジー、幻想文学が好きだった自分には波長がぴったり合った。
 今回はちょっと趣向を変えてこの2人の漫画家について書いてみたい。

 <ますむらひろし>
 先程も書いたようにアタゴオルという名前の森を舞台にしたシリーズを数多く描いている。これは彼のファンならだれもが知っているように、筆者の敬愛する宮沢賢治が自分の故郷をモデルにして作り出した理想郷「イーハトーブ」を真似たものだ。(彼の出身である山形県米沢市に因んで名づけたのが「ヨネザアド大陸」であり、愛宕山に因んだ「アタゴオルの森」というわけ。)
 この『アタゴオル』シリーズは、掲載誌を変えながらずっと書き続けられてきており、彼の作品の中で最も歴史があるシリーズになっている。「ヒデヨシ」「パンツ」「唐揚げ丸」という人をくったような名前を持ち、直立二足歩行をして人語でコミュニケーションをとる猫たちと、「テンプラ」や「タクマ」といった(これも不思議な名前を持つ)人間たちが共存して平和に暮らしている、「力ではたどり着けない世界」を描いたファンタジー作品だ。
ただしこの世界は、始めから今のように平和なところだった訳ではない。デビュー作の「霧にむせぶ夜」(手塚賞準入選)では、自然破壊を繰り返す横暴な人類に対して反旗を翻した猫たちが、人間だけに効くという毒薬「リロコトヒ」(=ひところりの逆さ文字)を使って人類を皆殺しにしようとする。(しかもその「革命」は成功して、人類がほぼ絶滅したのちの世界が「ガロ」に掲載された作品群の舞台になっている。)
 その後の作品においても、帝国軍と革命軍(?)との戦争(『ヨネザアド物語』)や、古代から甦った皇帝と自由を求める人々との戦い(『ジャングル・ブギ』)など、人々から自由を奪い取ろうとする絶対的な悪との戦いをますむらは繰り返し描き続けてきた。ますむらにとって平和とは「与えられるもの」ではなく「勝ちとるもの」であるようだ。ビートルズに心酔する著者のことだから、フラワーチルドレンによる社会革命の記憶が色濃く反映されているのだろうか。
 彼の作品に対して自分が持っている印象は、実は『ゲド戦記』で一躍有名になった作家アーシュラ・K・ル=グィンに対するのと同じといってもいい。それは「社会に対して開かれている」ということ。架空の世界を舞台にした物語(ファンタジー)でありながら、常に現実世界との関係性を意識しているという点で、両者は似ていると思う。
 ますむら作品で繰り返し語られるメッセージは常に一貫している。それは「他者を縛り否定しようとする力」に対して「自由を求めようとする意志」を持ち続けること。お気楽な話が続いたと思ったら、突然シリアスなエピソードが挟み込まれたりして気が抜けない。でもそれがまた好かったりするんだよなあ。(笑)
 アタゴオル以外のますむら作品についても軽く触れておこう。ペンギンを主人公にした『ペンギン草子』にしても、アタゴオルとは別の猫たちを主人公にした『コスモス楽園記』にしても、基本的には彼の作品には「人語を解して二足歩行をする動物と人間の平和な共存世界」というモチーフが多い。永遠の昼下がりのような独特の世界がいつまでも続いていく、そんな雰囲気が漫画家・ますむらひろしの魅力ではないだろうか。

<諸星大二郎>
 ますむらひろしは言ってみれば「ガロ系」の漫画家だが、対する諸星大二郎は「COM系」の作家としてデビューした。(マニアな話題でわからない人には申し訳ない。そんなに大した話じゃないです。/笑)
 諸星作品はどちらかというと幻想が自己完結する傾向が強いように思う。ますむら作品のように実社会との関係性は希薄といえるのではないか。(より「結晶化/純化」が進んでいるといって良いかも知れない。)
 初めて描いた少年向けの短篇漫画「生物都市」が手塚賞に入選して本格的な作家活動に入り、『暗黒神話』『孔子暗黒伝』(*)を始めとする伝奇マンガで独特の境地を確立した。民俗学や文化人類学をモチーフにした作品が多く、代表作である『妖怪ハンター』のシリーズは主人公が異端の民族学者・稗田礼二郎(=古事記の編纂者として伝わる「稗田阿礼(ひえだのあれ)」に因んだ名前)だし、他にもニューギニアの神話的世界を描いた『マッドメン』など。このタイプの作品には傑作も数多い。

   *…これらの作品が週刊少年ジャンプに連載されていたなんて、今からはとても信じら
     れない。しかしそのおかげで自分は中学生の頃にこれらの作品の洗礼を受けて、
     現在に至っている。(笑)

 「ど次元世界物語」など独特の“味”をもったユーモア作品も捨てがたいし、古本屋と新刊書店をそれぞれ実家にもつ二人の女子高生を主人公にした『栞と紙魚子』のシリーズなどは、幻想性とユーモアが絶妙にブレンドされていて傑作。
 以上、自分の好きな2人の漫画家について語ってきた。どちらも大きく括ってしまえば「ファンタジー作品」なわけだが本質的な部分で違っている気がする。(少なくとも自分が2人に感じているものはそれぞれ違う。)
 ますむらひろしのファンタジーの作法とは、極限すれば「メルヘン」なのだと思う。空を飛んだり化石に記憶が残っていたりと、子どもの頃に夢見たような分かりやすいファンタジーがその本質。「メルヘンに社会性が加わったもの」と捉えるのが一番しっくりする気がする。
 それに対して諸星大二郎のファンタジーの作法は、ひとことでいえば「幻想怪奇」。何気ない日常に突然垣間見える異世界を描いて飽きさせない。「文学性をもった幻想怪奇」こそが諸星の真骨頂 ――そんな気がする。
 また、ますむらが繰り返し同じモチーフを用いるのに対して、諸星は作品ごとにがらっと作風を変えた多様な作品を手掛けているといえる。(その割にどれも印象が似てしまうのはひとえに彼の画風によるものなので致し方ない。/笑)

 これからも彼らが作品を発表し続ける限りは、自分が何歳になってもゆるゆると追いかけていくことになるのだろうな、きっと。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

日本の想像力の底力

ぼくはますむらひろしも諸星大二郎も雑誌にデビューしたときからのファンで、ほぼすべての単行本を初版でもっているのですが、ますむらひろしに関しては、第一期の「アタゴオル物語」がもっとも好きです。もう何十回も繰り返し読んできたのに、いまだに引き込まれるのは、日本人独特の想像力の賜物だと感じています。とりわけ、ヒデヨシという猫の造形はみごとの一語に尽きますね。ヒデヨシのいないアタゴオルなど想像もつきません。スミレ博士になったときのエピソードなどは最高です。ちなみに、ぼくがやはり雑誌初出時から愛読している「パタリロ!」でも、パタリロが限りなき善意の人シバイタロカ博士に変身するエピソードがいくつもありますが、あれはスミレ博士にヒントを得たのではないかとにらんでいます。
そして諸星大二郎ですが、これまた歴史・哲学・宗教に怪しい民俗学の衣を着せて、ふいにSFしてしまう自由自在な想像力がたまりませんね。「栞と紙魚子」シリーズに至って、ついに「軽み」の境地に達した感がありますね。このままくとぅるふを飲み込んでいっそう奔放に遊んでもらいたいものです。

2人とも得難い才能ですね

まもるさん、コメントありがとうございます。どちらも得難い才能の持ち主ですね。マンガの趣味が一緒と知りとてもうれしいです。
私もアタゴオルは実は第1期が一番好きです。高校の頃に毎月マンガ少年で立ち読みしてました。愛蔵版は買えなかったので、コミックスが出るのをひたすら待って買ったのが、とても懐かしい思い出です。(息子にも読ませたら大ファンになりました。)
残念ながら「パタリロ!」は読む機会がないまま現在に至っているのですが、シバイタロカ博士、いちど見てみたいですね。
諸星大二郎にはまだまだ書き足りないことが沢山ありますし、他にも大友克洋やたむらしげるなど好きなマンガ家が沢山いますので、そのうちまたブログに書きたいです。
最新記事
カテゴリ
プロフィール

舞狂小鬼

Author:舞狂小鬼
サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

最新トラックバック
FC2カウンター
最新コメント
リンク
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR