『暗黙知の次元』 マイケル・ポランニー ちくま学芸文庫

 全体は3つの章に分かれていて、第1章は個人の認識、第2章は生物全般、そして第3章は社会に関することを主題に述べている。第2章の前半までは非常に素晴らしい内容だったが、そこから突如“トンデモ本”へと変貌を遂げた時にはちょっと唖然としてしまった。続きを読んでいくうちに徐々に分かったが、ポランニーは進化論の自然淘汰説を支持していない。まだ明らかになっていない何らかのルールが存在し、それが最終的には精神や倫理を頂点とする生物進化の階梯を作り上げることを主張している。事の是非はともかくとして、そういう理屈ならこのような話の展開も致し方ないと一応の納得はした。
 まずは、非常に感心して読んだ前半について。ここでは個人の認識における「暗黙知」の存在が明らかにされる。元々が科学者なので論旨は明快でとても分かりやすい。
筆者の定義する「暗黙知」とは、まとめると次のような意味。
●『なぜ?』と言われてもうまく説明は出来ないが、とにかく“分かっちゃっている”こと。
例えば①相手のしぐさや表情から、相手の気持ちが有無を言わせず手に取るように分かってしまうこと。また②ある2人の顔を見て、親子だと一目で気づくことなど。(今までは、このような意味ではなく“不文律”というか、いちいち言葉にされなくても皆が共通してもっている認識のことだと勝手に勘違いしていた。やっぱり原典にあたるのは大事。)
なぜ、言葉で説明されなくても見た瞬間に正しく理解できてしまうのか?(=“不意の確証”の訪れ)その理由は分からない。ただ、顕在化して意識される個々の認識の下には、それを支える潜在的な暗黙知があると仮定しないと説明がつかないのは確か。個々の認識を島に喩えるなら、暗黙知は無意識の海の底に広がる海底のようなものか。その点では、全てを意識による認識からスタートするデカルトやカントに対して、フッサールが現象学で唱えた疑義にも共通するかもしれない。またポランニーは次のような特徴も述べている。
●“分かっちゃっている”ことは、一つの対象に関してひとつではなく複数あり、下位から上位まで階層を作っている。
 例えば①言語には発話⇒単語⇒文法⇒意味というように単純から複雑へという流れがあること。②チェスはコマの進め方⇒試合という階層があること。そして筆者は、顕在化されている下位の階層の概念からは決して上位の階層は導き出せず、何らかの包括的な仕組みを仮定しないと説明がつかないと主張し、それを「創発」と呼ぶ。
 ここまでの論旨はとても納得がいく。包括的な仕組みが何なのかは分からないとも言っているし、認知論としては極めて真っ当だと思う。ただこの“包括的な仕組”を突き詰めていくと、人によっては「神」と呼んでいるものではないのか?という疑問も頭に浮かぶ。そしてこの本における問題点は第2章に入って一気に表面化する。
 筆者が第2章で述べているのは、暗黙知という言葉で定義した“包括的な仕組み”を、個人の認識論から生物界の進化にそのまま適用しようという主張である。これはいくらなんでも無理があるだろう!
 この包括的な仕組みによって、バクテリアから人間へと続く進化の階梯が形作られたと筆者は力説する。自然淘汰などという理屈ではキリンの首がなぜ長いかは説明がつかないというのは感覚的には理解できなくもないし、ラマルクの「用不用説」のような単純な進化論擁護には当時の批判も多かったようだが、だからといって一足飛びに“包括的な仕組み”によって物質から倫理意識への進化の階梯が作られたというのは、いくらなんでも乱暴だろう。
 なお第3章はそれらを踏まえて社会意識に関する章なので、自分にとってはどちらでもよい話題なので感想を割愛。とりあえず、第1章だけでも読む価値あり。
<追記>
 池谷裕二の『進化しすぎた脳』などによれば脳の記憶にはa)知識記憶、b)エピソード記憶、c)手続き記憶の3種類があるのだという。それに倣うと、顕在意識はa)知識記憶として記憶され、暗黙知はb)エピソード記憶として記憶されるものにあたるだろう。
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