『不均衡進化論』 古澤満 筑摩選書

 不勉強につき本屋で見かけるまでは著者の名前も本書の存在も全く知らなかった。しかし筑摩選書の初刊行ラインナップで本書を見つけ内容を読んだ瞬間に、絶対に面白いだろうと確信をもった。(そしてその勘は当たった。)
 いわゆる“理系”の話も多少は出てくるが、それほど難しい記述ではないので高校生程度の知識があれば充分に理解は可能。以下に順を追って説明していこう。

 実は進化論においては、極めて大きな問題が解決できないままになっていて、それを解決しようと多くの学説が乱立する状態が未だに続いている。いったい全体、それ程まで大きな問題とは何なのか? それを理解するためには、まずダーウィン自身の学説(=「ダーウィニズム」)からおさらいしておく必要があるだろう。
 ダーウィンは『種の起源』において、「突然変異」と「自然淘汰」が生物進化のエンジンであるとした。(ここで言う「突然変異」とは、「無作為かつランダムに変異が起きる」という意味。)言い換えると次のような感じか。
 「生物はデタラメに変異を繰り返し、たまたま環境変化に適したモノたちが他を圧倒して繁栄し、数十億年かけて現在見られるような多様性が実現した。」―― これがすなわちダーウィニズムの骨子なのだが、まさにこの点に大きな問題がひとつ隠れている。
 地球上のあらゆる生物は、生命の維持と種の永続のために必要なすべての情報を、「DNA」という“ゆりかご”の中に大切に保管している。DNAは「アデニン(A)」「チミン(T)」「グアニン(G)」「シトニン(C)」という4つの塩基により作られる物質であって、その情報に基づき22種のアミノ酸が合成され、さらにそのアミノ酸により作られるタンパク質でもって、この世の全ての生き物が構成されている。
 DNAは同じく細胞内にあるRNAなどに比べれば構造的にとても安定した物質なのだが、それでも放射線などの外的要因や細胞分裂にともなう複製時のエラーなどで、ある確率で変異してしまう場合がある。生殖細胞にそれらの変異が固定されると子孫への「遺伝」になる訳だが、遺伝子の変異は生物に全く影響を与えない「中立」の変異か、もしくは生存には「有害」影響を与える変異になることが多いという。生存競争に有利に働く変異なんてそう簡単に起きるものではないのだ。
 その結果、もしも変異率が大きい場合には生存率が下がってしまい、充分な個体数が確保できず種が絶滅してしまう。かといって変異率が小さくても大した進化は期待できないため、もしも隕石の落下や氷河期など環境の劇的な変化に遭遇した場合、やっぱり絶滅するしかない。
 致命的な変異を蓄積しない程度しか変化せず、且つ環境の突然の変化に追従できる程度には変異するという絶妙なバランスが、過去の数十億年に亘ってずっと保たれた、などという幸運は万にひとつも有り得ないのではないか? ――これがダーウィニズムに対して突きつけられている“異議”の申し立て。
 ダーウィンの大まかなアイデアは間違っていないとしても、「突然変異」などという他力本願ではなくて、生物がもっと自律的に変異率をコントロールできる仕組みがあるのではないか?というのが、すなわち反対派の人々が考えていること。
 進化論がもつこの“気持ち悪さ”を何とか解消しようと、昔から多くの人が色々な説を提案してきた。例えばラマルクの「用不用説」、アイマーの「定向進化説」、今西錦司の「今西進化論」などが有名なところだが、どれも説得力がなくて、ダーウィンの学説を否定できるレベルには到底達していない。結果、現在でも基本的にはダーウィンの説の優位性は揺るがず、ただ「集団遺伝学」「分子進化の中立説」といった“補正”が行われている程度に過ぎない。つまり現在でも「生物進化は途切れなくゆっくりと進んでいく」という根本のアイデアについては、ダーウィンが初めて思いついたものから何ら変わってはいないのだ。(ある意味、ダーウィンがそれだけ偉かったと言えるのではあるが。)
 しかしそうなると少し困った事が起きてしまう。ダーウィンの時代では見つかっていなかった事象、すなわち「カンブリア紀における生物の爆発的な多様性の発現」や「哺乳類および鳥類における変異率が他の生物たちに比べて異様に大きいこと」など、ある時期だけ突然に「中立」でも「有害」でもない変異が多発する現象については、うまく説明ができなくなってしまう。これこそが、現在でも様々な学説が群雄割拠している根本原因というわけだ。

 以上、前置きが長くなってしまった。本書は進化論がもつこの難問に対して、(おそらく)唯一の正しい答えを提示できる学説である「不均衡進化」について、20数年前にそのアイデアを考え付いた本人が自ら筆をとった解説書なのだ。これが面白くないわけがない!(笑)
 本書では「不均衡進化」という画期的なアイデアのポイントについて、一般読者向けに分かりやすく説明されている。自然科学が好きな人なら大変面白いと感じるに違いないし、できれば実際に読んでもらった方が良いのだが、とりあえずその要諦だけでも説明しておこう。

■アイデアのポイント1
 “親”のDNAが複製されて“子”のDNAが2つ作られる過程で、元の遺伝情報がそのまま
 の形で保存される側と、遺伝情報に変異が起きる側の2種類になる。(今まではどちら側にも
 全く同じ遺伝情報が伝えられると考えられていた。)
■アイデアのポイント2
 変異が起きる側のDNAは、酵素の働きを制御することで変異率が変化するため、生物が自分
 で変異率を変える事が可能になる。

 ―― この2つの作用によって「元本(もとの遺伝子)」をもった個体を残すことが出来るとともに、もう片方では大きな変異を実験することが可能になる。すなわち安全パイを残したままで環境変化への適合も試すことが出来るのだ。(うーん、やはり端折って説明しても分かりにくいなあ。出来れば本書を直接読んでみて欲しいが...。)
 初めて読んだ時、思わず「なるほど!」と膝を打ちたくなったほど、このアイデアはシンプルだがとても強力なものだと思う。もう少しきちんと説明できるよう頑張ってみよう。

 先述のように問題は「突然変異」というダーウィン進化論の一番おおもとの部分にこそある。“他力本願の変異”(=変異率が一定またはランダムに変化すること)では、周囲環境が大きく変化する地球でこれほど多くの生物が生き延びてこられたはずがないということだ。
 環境変化をうまく乗り切るためには、
  1)今の形態が環境に適合してる間は低い変異率で推移し(=変化しない)
  2)環境が激変した場合は高い変異率で推移する(=様々な変種が増える)
というように、状況によってうまく変異率が変わることが望ましい。そのためには生物側に変異率を自由に変更出来る仕組みがないとおかしいが、今まではそれが見つかっていなかった。そしてその仕組みはDNAの複製メカニズムの中にある不均衡にあるというのが「不均衡進化説」の概略。(ここからは少し専門的な話になるが、もう少しお付き合い頂きたい。)
 生物の遺伝情報はすべてDNAの中に蓄えられていて、細胞が分裂して増えるときには二重らせんがいったんほどけて2本のヒモに分かれる。ほどけたDNAのヒモは「鋳型」のような役割を果たし、複製酵素によってその「鋳型」の上でペアになる塩基が組み立てられることで、前と寸分たがわぬDNAが2組に増える。―― とまあ、このあたりは高校の授業でも習う有名な話。
 二重らせんが複製のために解けていくとき、その向きには異なる2つが考えられる。ひとつはアルファベットの「Y」、もしくはジッパーが開いていくような形でDNAの一方の端から解ける方法で、もうひとつは同じくアルファベットの「X」のように、両方の端から中央に向かって同時に解けていくという考え方。(ちなみに後者は「箸の片方をひっくり返してそろえたような」という表現で喩えられている。)
 「Y」か「X」か、はたしてどちらが正しいのか? その答えが出たのは1967年のことであり、発見者は名古屋大学の岡崎令治氏らであったそうな。結論を言ってしまうと、「X」が正解。DNAは両端から同時に中央に向かって解けていくのだそうだ。しかもDNAが完全に解け切ってから酵素によるDNA複製のステップが始まるのではなく、DNAが解けていくそばからどんどん複製が進むのだという。「解け」と「複製」は同時進行なのだ。(ちなみにこれも先述の岡崎氏らによる発見とのこと。このあたりの話はとても重要な発見だと思うのだが、如何せん全く知らなかった。)
 この「“X”型であって」且つ「解けていくそばから複製される」という2つの点が「不均衡進化説」においても大きなポイントになっている。DNAの「鎖」の再合成をおこなう酵素には、実は働き方に方向性がある。そのため、DNAの一方の側(=先程の喩えでいえば“まともな向きの箸”)からの複製はスムーズに反応が進むが、それと反対の側(=“反対向きの箸”)からの複製は行えない。そこで止むを得ず細切れに「短い複製(*)」を少しずつ作り、それらを後で繋いでいく方式をとって反応が進む。当然そんな事をしていれば複製のつなぎ目でエラーが起こりやすくなるためDNA変異率は増大する。(著者はスムーズに反応が進む側を「ロールスロイスが走る舗装道路」、もう片側を「何度もトラクターが前進・後進を繰り返すガタガタ道」に喩えているが、言い得て妙。)

   *…この短い複製の鎖(不連続鎖)の発見者も先程の岡崎氏ら。そこで発見者の名前を
     とって「岡崎フラグメント」と名付けられているそう。

 スムーズな複製が為されたDNA(=連続鎖)では正確に元の遺伝子情報がトレースされるため、その子孫は親の特性を忠実に受け継いだものになる。一方もう片側の、変異が多いDNA(=不連続鎖)を受け継いだ子孫では様々な変異種が発生し、図らずも「進化の冒険」が行われることになる。すなわちこれが著者の言う「元本保証された多様性」というわけだ。

 しかしこれだけではダーウィニズムの不備を解決するのには充分ではない。生物が外部環境の変化に応じて臨機応変に進化するためには、実はもうひとつ重要なポイントがあるのだ。それは「生物がDNA変異率をどのようにして自由に変えているのか?」ということ。
 上述のDNA複製はあらゆる生物で日常的に行われているが、そのままでは不連続鎖でのエラー発生が多過ぎて個体生存率が低くなり、やがて種が滅びてしまう。しかし実際には(たまに癌化したり遺伝障碍が起こったりはするが)殆どの場合きちんと複製が出来ている。
 それは何故かというと、実は「DNAポリメラーゼⅢ」と呼ばれる酵素複合体が、DNA複製のときに壊れてしまうDNAをその都度修復しているからなのだそうだ。(正確にはその中の「校正酵素ε(イプシロン)」というサブユニット。)ということは、この校正酵素の働きを何らかの方法で押さえる事さえ出来れば、それに応じてDNA変異率も変化するということに他ならない。それは生物が自らの力でDNAの変異率を自由に変化させることを意味する。さらに「校正を行うレベル」(=変異の閾値)をコントロールすることがもし出来るとすれば、元の遺伝子の型(元型)をそのまま受け継いだ子孫はもとより、極めて多くの変異をもった子孫まで、様々なレベルの変異を持つバリエーションを自由に作り出すことさえ可能になる。
 これらのメカニズムを上手く使うことにより、例えば環境が安定している間は変異の閾値を下げておくことで、殆ど進化せず同じ形態を何世代にも亘って保持し続ける事が出来る。逆に環境が変化して滅亡のリスクが増えた場合、変異の閾値を上げる事で一気に様々なレベルに変異した数多くの“斥候”を出すことが出来る。どんな形質を獲得するか(≒どう変化するか)はランダムなので予め選ぶことは出来ないが、どのくらいの頻度・程度で変化するか(=変異率)については、生物自身で選ぶことが可能なのだ。(なんて画期的なアイデアだろう。)
 もちろん元の遺伝子をもつ子孫は残してあるので、変異が環境に合わなくて新しい種が(残念ながら)淘汰されてしまったとしても、もう一度最初からやり直すことが可能になる。
 以上が「不均衡進化論」のアイデアの核心だが、なんて上手くできた仕組みなんだろう。仮にこれが正しいとするなら(もちろん正しいとは思うが/笑)、生物は「突然変異」などという“神の気まぐれなサイコロ“に翻弄される道具ではなく、自らの力で進化を推し進めてきたのだと言うこと。なかなかに感動的な結論ではないだろうか。

 最後になるが、名にしおう「バージェス頁岩の古代化石群」(= “カンブリア大爆発”)の研究者であるサイモン・コンウェイ・モリス(ケンブリッジ大教授 古生物学)が、本書の元になった英語版の原著に寄せた推薦文を紹介して終わりとしよう。
 『DNAの二重らせんは今日の生物学のアイコン(聖像)と言えるが、その秘密のすべてが明らかになったであろうか? 本書に示されたアイデアは驚くほどシンプルだが、おそらく核心をついている。』
 生物学や進化論に興味があるひとなら必読の本。

<追記>
 本書によればDNA変異率の変遷を調べたところ、地球上の生物において変異率がもっとも高いのは哺乳類と鳥類であるらしい。とすれば、すなわちこの2つの生物こそが地球上における「生物進化の最前線」であって、まだ“進化の袋小路”には入り込んではいないということを意味する。
 人間の「進化の最前線」はおそらく「脳」の部分だろうから、(変化するのが脳の容量なのか質なのかは想像できないが)これからまだ脳の変異が続いたとして、その時何が起こるだろうか? 案外「今の若い者は」というセリフが数千年前から繰り返されているというのも、思考が世代により常に変化し続けているからだったりして。(笑)
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最近、「生命のからくり」という本を見て、不均衡進化論を知りました。
この本ではごく簡単に述べられていたので、この書評がとても役に立ちました。いつか「不均衡進化論」も手にとってみたいです。ありがとうございます。

mikicoco様

mikicoco様

ご訪問ならびにコメントをありがとうございます。

『生命のからくり』でも不均衡進化論が取り上げられているのですね。知りませんでした。情報をありがとうございました。

本書は内容に少し専門的な記述もありますが、とても面白い本(理論)だと思います。もしも機会がございましたら是非お読みください(^^)
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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