『釈尊の生涯』 中村元 平凡社ライブラリー

 哲学者にしてインド・仏教思想の研究家である著者が、後世による脚色を極力省くことで、仏教の開祖・釈尊の生涯の「事実」を明らかにしようとした本。(*) 数多くの「仏伝」「釈尊伝」にみられる異同や矛盾を系統的に分析・比較することで、(神話や伝説ではない)等身大のゴータマ・ブッダの姿を描き出そうと試みている。 本書を読むと、いかに自分が釈尊について基本的な事すら知らなかったのかという事が身にしみてわかる。(しかし逆に考えれば「新しいことを知る快感」があるということでも。)

   *…少し補足をしておくと、著者は歴史学者ではないので正式な学術調査を行った結果
     ではない。文献比較や思想・用語の分析、そしてかつて現地を訪れた時の印象など
     から、「蓋然性の高そうな内容」をピックアップしたもの。つまりあくまでも著者に
     よる推測なわけだが、読む限りでは結構いいところを突いた内容と思う。

 そもそも仏教の開祖に対する呼び名からしてそう。ほとんど知らない事ばかりだった。
 今までは漠然と「ゴータマ・シッダッタ(シッダールタ)」というのが正式な名前なのだろう…くらいに思っていたのだがこれが大間違い。「シッダッタ(シッダールタ)」というのは本来「目的を達成する」という意味の現地語であって、古い仏教聖典には出てこない呼び名なのだとか。すなわち後代の人により名づけられた通称である疑いも捨て切れないというわけ。(「釈尊」の生涯を語るにあたって、このようにまず呼び名から入るところからしても、探求にかける著者の徹底した姿勢が分かると言うもの。)
 続けよう。「ブッダ」という言葉は「真理を悟った人」という意味。この音に同じ発音の「仏」「陀」という文字をあてて音写したのが「仏陀」という言葉。すなわち「ブッダ」とは仏教における“理想的な存在”を表す普通名詞であって、仏教の開祖を指し示す固有名詞ではない。本人を指す時には、彼が属していた一族の姓をとって「ゴータマ・ブッダ」と呼ぶべきなのだ。まったく知らなかった。
 また世の中には「シャカ(釈迦)」という呼び方もあるが、これも彼を世に送り出した種族自身の名であり、本人の名前ではない。開祖を示す固有名詞としては、釈迦族出身の聖者という意味で「釈尊」と呼ぶのが適当であろうとのこと。ちなみに「シャカムニ(釈迦牟尼)」という呼び名は「釈迦一族のもっともすぐれた牛」という意味なのだそうだ。以上、まるで豆知識のオンパレード。(笑)
 本書を読むことで今まで知らないことを学ぶ快感はまだこれだけではない。釈尊の人生はまるで自分の知らないことだらけだった。ここからは開祖「釈尊」が生まれてから亡くなるまでの生涯を、本書に倣ってざっと羅列していこう。

 釈尊は古代インドの大国・コーサラ国に従属するルンビニー地方(インドとネパールの国境付近)の小さな国に生まれた。その国の首都(といっても大きな町程度?)はカピラヴァットゥといい、絶対王政ではなく共和制だったようだ。父親はその国の政治を司る王族(高官)のひとりだったので、釈尊の身分はクシャトリア。父の名はスッドーダナ(「浄い米飯」という意味なので通常は“浄飯王”と呼ぶ)で母はマーヤー(摩耶夫人)。生年は諸説あるがおおよそ紀元前500年前後だろうと言われており入滅はその80年後。つまり80歳というわけで、当時としては長生きだった訳だ。
 釈尊の誕生後、間もなく生母マーヤーは息を引き取り、彼女の妹が父親の後妻に入って彼を扶養した。(釈尊が長じるにつれて人の生死について考えることになった背景には、それなりに複雑な家庭事情があったのかも知れない ――と、これは著者の説。)彼はやがて自らの「老いに対する嫌悪感」と、「やがて自分も老いて行くことへの無常観」の狭間で、大いに悩み苦しむことになる。有名な「四門出遊」の話は明らかに後からの創作なわけだが、似たような体験はもしかしたら本当に有ったのかも知れない。
 成人になった彼は結婚して後継ぎ(ラーフラ)までもうけたが、29歳になった年に妻子を捨てて出家の道を選んだ。(ちなみに彼の生まれた国はその後、大国の侵略を受けて滅ぶことになる。このことにより、後代になって釈尊は自分の国の偉大な王になる道ではなく、人類の偉大な王になる道を選んだと言われるようになったとか。)
 出家したのち彼はまず当時の強国・マガダへと向かい、その地に住んでいたアーラーラ・カーラーマ仙人やウッダカ仙人という聖者を訪ねた。彼らは当時多くの弟子をもっているとても有名な聖者だったようだ。(古代インドの宗教を詳しく知っている訳ではないが、おそらくヨーガや苦行を繰り返す類のものか。)しかし彼らのもとで長年に渡り修行を行ってはみたが、いずれの修行も彼を苦しみから救いだすものでは無かった。どちらの聖者のもとでも、あっという間に彼らと同じレベルの洞察を得て「免許皆伝」をもらい、“師範代”のような立場になってしまったらしいから、さすが釈尊は優秀だったのだろう。しかしその程度の思索では納得がいかない彼はやがて「苦行に意味は無い」と感じてすべての修行を放棄して(きちんと健康的な生活を送りつつ/笑)ただ一人で孤独な瞑想を続けていく。そんな彼に悟りが訪れたのは、出家してから6~7年後の事だったという。(29歳で出家して6~7年といえば35~36歳だから意外と若い。)なお釈尊が悟りを開いたとされる菩提樹はインドでは古くから聖なる樹とされてきたものであり、その下で悟りを開いたというのはどうやら単なる民間伝承らしいとのこと。
 悟りを開いた釈尊は、昔の仲間であった5人の修行者に会うためにベナレス(**)という地方へと向かった。ちなみに当時のベナレスは宗教/思想のメッカのようなところであって、ここで自分の思想が認められれば「ホンモノ」というお墨付きをもらったようなもの。過去の5人の仲間というのは、彼が苦行を捨てた時に袂を分かった者たちであるわけだが、釈尊に再会した彼らはその教えに感服して即刻釈尊に帰依したという。これで自分の思想に自信を深めた釈尊は多くの人々を「生老病死」という苦しみから救おうと本格的な伝道を開始し、それからの45年あまりを過ごすことになる。

  **…今でいうインドとネパールの国境付近。

 とまあ、細かなところは省いたが以上が大まかな釈尊の生涯。
 何となく聞いたことがあるエピソードもあるにはあるのだが、イエスの生涯ほどには記憶に残っていない。日本人なら絶対どこかで聞いたことがありそうなものだが何故だろう?としばし考えた。そして思い当ったのは、仏教が中国経由で日本へと伝えられたため、馴染みのある名前は全て「漢字で表現されたもの」だからということだった。インドの名前そのままをカタカナで書かれてもピンとこなくて、中国訛りの漢訳でないとしっくりこないのだ。
 例を挙げよう。釈尊が最初に赴いた場所はベナレスにある「鹿の園」と呼ばれる場所。これすなわち「鹿野苑」のことだ。また“釈尊の十大弟子”など初期に弟子になった有名な人物たちについてもそう。ヤサ(***)やサーリプッタ、モッガラーナなどと書かれてもさっぱりピンとこないが、「舎利弗」(=サーリプッタ)や「大目連」(=モッガラーナ)と書かれれば確かに目にした事がある。
 日本人にはなじみが深い「祇園精舎」だってそうだ。スダッタ(須達多)という人物が釈尊に寄進したという園林の名は、元の地主の名をとって「ジュータ(の園林)」と呼ばれたそうだが、これを漢訳(音訳)すると「祇陀(の園)」になる。これすなわち「祇園(ぎおん!)」のことだ。更にはそこに建っていたとされる精舎(僧院)こそが、『平家物語』の冒頭であまりにも有名な「祇園精舎」と呼ばれるもの。ただし当時は僧院という施設は歴史的にまだ出現していなかったそうなので、これは明らかに後世の創作らしい。(苦笑)
 もしも仏教を釈尊の時代まで辿り根源を突き詰めようとするならば、馴染み深い「漢字」の世界を離れて遠くて馴染みの薄い古代インドへと潜っていかなくてはならない。マハーバーラタやラーマーヤナに出てくるような不思議な言葉を覚えなくてはならない。仏教に対する自分の知識がキリスト教に対するそれより遥かに浅いのは、これが理由なのだという気がする。

 ***…余談だが彼が釈尊の弟子になったきっかけが笑える。大金持ちであった彼は多くの
     愛人をもっていたが、ある日夜中にふと目を覚ました折、添い寝していた愛人たちの
     寝姿を思わず見てしまった。その時の彼女らの姿があまりに“浅ましかった”ために
     無常を感じ、「ああ厄なるかな、ああ厄なるかな」と出家してしまったという。
     なんとまあ失礼な!(笑) しかしいったい全体どんな寝相をしていたというのだ
     ろうか?

 最後になるが釈尊の思想についても少し触れておきたい。
 本書は「生涯」を描くのが主たる目的なので、彼の思想については多くは語られていない。詳しくは同じ著者の『原始仏教』などを読めば良いのだろうが、もちろん読んでないので(^_^;)、一応ここに書かれていることから推測する。釈尊が説いたのは特定の宗教思想ではなく、どんな思想家や宗教家であっても規範とすべき「真実の道」というものであったようだ。それは何かというと「自分の考えこそが正しくて、相手は間違っている(もしくは考えが足りない)」と主張する立場のものは、その中身がどんなものであっても基本的に駄目だということ。彼の思想は後代の経典作者たちによって「仏教」という宗教にされてしまったが、あくまでも本人が目指したのはそうでは無かった。誤解を恐れずに言えば、あらゆる物事に意義を認める、いわゆる「山川草木悉皆成仏」という事だったのではないだろうか。本書においても釈尊が自ら「教団の指導者」であることを否定するエピソードや、彼と同じ境地(悟り)に至ったものを等しく「仏」と呼んだというエピソードが語られていて、何だか釈尊に親近感が湧いた。
 ここは大事な点なのでくどい様だがもういちど繰り返しておきたい。釈尊は人々との対話を通じて自らの境地を広く伝えようとしたのであり、一方的に自分の考えを押し付けようとしたのではなかった。これはすなわち「世界の多様性」を認めることであり、言葉こそ違うが竹田青嗣が『人間的自由の条件』で述べた「自由の相互承認」というものに他ならないと思う。まさにいつの世であっても「真実の道」はひとつ、ということか。

<追記>
 色んな本を読めば読むほど、思わぬところで結びつきが生まれて新たな発見がある。このようなネットワークにワクワクする醍醐味があるからこそ、自分は本を読むことを止められないのだろう。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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