『夢幻会社』 J・G・バラード サンリオSF文庫

 新しく出た『千年紀の民』を読もうと思い、その前にちょっと予行演習のつもりで読んだらすっかり嵌まってしまった。バラードの傑作、久々に読み返した。バラード作品の中でも『結晶世界』と並ぶ、大のお気に入り作品であって、多分3、4回目の再読になるが何度読んでも面白い。かのスーザン・ソンタグが絶賛したとかいう噂を聞いたことがあり、本当かどうかは知らない「さもありなん」という気も。
 ここでだらだらと粗筋を紹介して、これから『夢幻会社』を読んでみようという人の興を殺ぐような事をする気は無いが、もしも見かけたら一度手に取ってみて欲しい。たぶん損はしないと思うから。
 さて、今回はロラン・バルトをちょっと真似て、以下に自分なりのバラード作品の愉しみ方を“記号論ふう”にまとめてみたい。はたして上手くいくかどうか?自信はないが一度トライしてみよう。
自分がバラード作品を読むときの愉しみ方を整理すると、凡そ4つの「位相」に分けることができる。(*)

(1)“メッセージ”の位相
   作者により顕在化された「ストーリー」や「テーマ性」を普通に読みとる愉しみ方。
(2)“シンボル”の位相
   作中に散りばめられたシンボル(象徴)/メタファー(隠喩)/アレゴリー(寓意)
   などを推理・発見する愉しみ方。明らかに作者が意図して仕組んだものもあるが、
   こちらが勝手にそう解釈しているだけのもありそう。
(3)“演出”の位相
   作者が作品を書く上で用いたテクニックや、構築された物語世界の“景観”を観賞する
   愉しみ方。
(4)“位置づけ”の位相
   作者の著作におけるその作品の時系列的な位置づけや、作風およびテーマの変遷などを
   考える愉しみ方。(この位相は多くの作品を書いている作家の方がより一層愉しめる。)

   *…このような重層的な愉しみ方が出来る作家には、他にスタニスワフ・レムや
     A&B・ストルガツキー、フィリップ・K・ディックなどがいる。いずれも自分の
     お気に入り作家である。

 こうした位相に沿ってバラードの作品全体を眺めた場合、ある種の共通した特徴がみられる。
 上述の“メッセージ”の位相でいえば、(今風にいえば)“パーソナリティ障害”とでも言うべき人物によって主人公がひたすら翻弄され続けるストーリー展開とか、作者が一貫して追求してきた「外宇宙(現実世界)と内宇宙(精神)の関わりについて」といったテーマなんかがそれにあたる。
 “シンボル”の位相においてもしかり。「砂(=砂漠、干上がった海岸)」「飛行(=セスナ、飛行場)」、頻出する「静と死(熱死?)」のイメージなど、多くの作品で反復されるシンボルを見ると、いかにも「バラードらしさ」を感じてしまう。(1966年の作品『結晶世界』では、静止した時間の中で結晶化が進んで滅びゆく世界の描写があまりにも美しかった。)
 “演出”の位相に関しては、多くの作品が三人称で書かれている点や物語の“視点”などが挙げられるだろう。
 因みにバラードにおいて作者の“視点”は、特権的な「神」のごときである。作者により登場人物たちが自在に動かされる様子は、まるで緻密に描かれたタブローを上から眺めているかのよう。(**)作者も意図しなかったような恐怖が襲うディックと違い、バラード作品には“世界の外側”から不意に襲いかかる不安定な因子は存在しないようだ。

  **…ロシア民話の研究家V・プロップによれば、物語には「状況」と「行動」に関する
     大きな構造的網状組織があるらしい。そのような物語において、登場人物とは単に
     物語進行上の道具「個人X」に過ぎず、物語の本質的なものではないとのこと。
     この特徴はもしかしたら特にバラードの作品において顕著かも。バラード作品に
     おいて「個人」とは、何よりまず物語の網目の中における彼の位置により定義され
     ていて、性格などは幾らでも入れ替えが可能な気がする。

 またバラード作品には執筆時期によって、幾つかのグループ分けが出来る特徴というのもある。“演出”の位相の例でいえば、“破滅3部作”に見られるように人間には左右する事の出来ない「超常的な自然環境変化」とか、“テクノロジー3部作”に見られるように人間が無意識に作り出した「人工的な環境」など。(なお「人工的な環境」が精神に与える影響については、前に『クラッシュ』のところで触れたので宜しければそちらも。)
 さていよいよここからは、本書『夢幻会社』について取り留めもなくあたまに浮かんだ印象や、気付いた点について綴ってみたい。(但しあくまでも個人的な感想なので、的外れな意見や無知からくる誤解などがあればご容赦を。なおそのような場合はご教授・ご指摘いただけると嬉しいです。)

 『夢幻会社』はバラード作品の中でも際立って特異な位置を占める、極めて重要な作品といえるだろう。乱暴な喩えをするならバラード作品における「特異点」と言っても良い。“位置づけ”の位相で考えた場合、バラードのフィクション系の著作は凡そ次のようなグループに分けることが可能。

 a)シュールリアリズム的な描写が際立つ主に初期の絵画的作品群。
   ―『沈んだ世界』『燃える世界』『結晶世界』および『ヴァーミリオン・サンズ』まで
    の短篇集。(但しすこし後の『奇跡の大河』も一応ここに含む。)
 b)超現実的な世界は登場せず、現実社会と精神の関わりを追求した中期の神話的作品群。
   ―『残虐行為展覧会』および『クラッシュ』『コンクリート・アイランド』
    『ハイ-ライズ』など。
 c)ミステリやサスペンスの手法を取り入れ、より現実的な色合いを強めた後期の作品群。
   ―『殺す』『楽園への失踪』『コカイン・ナイト』『スーパー・カンヌ』など。
 d)その他、自伝的要素が強かったり他との繋がりが比較的希薄なもので、時期はまちまち。
   ―『太陽の帝国』『女たちのやさしさ』など。

 上記の分類において『夢幻会社』はどうかといえば、年代的にはb)の後くらいに位置づけられるが、内容的には上記のどこにも属さない不思議な作品といえる。(敢えていうなら初期作品群に対する “陰画”のような関係かもしれない。)その根拠は以下の通り。
 まず“メッセージ”の位相では、『夢幻会社』は(少なくとも長篇においては)自分が知る限りで唯一「救世主」を主人公とし、「救済」というテーマに真正面から取り組んだ作品である。それは次の“シンボル”の例を見れば明らかだろう。
 ・主人公が乗ったセスナ機の川への沈没と、それによる死からの劇的な「復活」。
 ・主人公の「復活(=新たな生誕?)」にいち早く駆け付けた“東方の三博士”を思わせる
  3人の子供の存在。
 ・主人公の身体(唇/胸/こぶし)にできた聖痕としてのキズ。
 ・主人公に「復活」とともに備わった治癒力や空中浮遊の力。(まるでシャガールの絵画)
 また解説で訳者の増田まもる氏が指摘しているように、主人公の名がウィリアム・ブレイク(***)を連想させる「ブレイク」という名前である点も意味深。コンドルやオオジカおよびセミクジラという「風/土/水」の三界の王へと自在に変身する力を得た主人公は、やがて「ヒューブリス(ギリシャ語で「慢心の罪」のこと)」を犯して自らの私利私欲の為に人々を利用しようとする。その際、彼の姿に堕天使/悪魔の姿が重なっていくシーンや、それに破滅的な危機を乗り越えて皆を“神の国”ならぬ、生命力あふれる“翼の国(?)”へと導いた後に主人公に訪れる安息日。はては物語の期間が天地創造と同じ7日間であること等々、キリスト教的なメタファーには事欠かない。

 ここで話は少し変わる。実をいうとバラード作品は日本においてSFというレッテルを貼られてはいるが、超常的な出来事は殆どの場合発生しないといって良い。最も「SF的」といえる“破滅3部作”では確かに「人間の精神を取り巻く環境(=景観)」に未曽有の危機が訪れるが、それ以降の作品においては“テクノロジー3部作”を始めとして基本的に超常的な出来事が起こりはしない。しかしその唯一の例外が『夢幻会社』なのだ。主人公たちの心に起こる(精神的な)変容ではなく、「治癒」とか「飛行」といった客観的に見る事が出来る“超常能力”が物語の中で現実に起こるのは、バラードでは本書をおいて他には無い(はず)。

 ***…18~19世紀にかけ活躍したイギリスの幻想的な詩人・画家。『天国と地獄の結婚』
     や『虎』といった詩や、ミルトン『失楽園』ダンテ『神曲』などの挿絵で知られる。

 本書の特殊性を示す点はまだある。本書にはキリスト教的なもの以外にも数多くの“シンボル”が登場するが、どれもが他の作品とは対称的な特徴を示している。
 バラード作品には先述のように「静と死」のイメージが頻出するのだが、『夢幻会社』ではそれが「動と生」に置き換わっている。また他の作品に多い「砂」や「干上がったプール」「後退した海岸線」といった“乾燥”のイメージとは逆で、本書は「川や海」「熱帯のジャングル」「水や高い湿度」という“湿潤”なイメージで覆われている。これは彼の作品では非常に珍しいことではなかろうか。これらの“湿潤さ”や“母なる水”が持っている“生命の源”というイメージは、本書において「生」を強く感じさせるのに一役買っていると言えるだろう。
 また子供が非常に多く出てくる点も他とは違う。バラードの小説では(『殺す』という中篇で顕著だが、)単に「大人が頻出する」というよりも、むしろ「子供が欠如している」と言った方が正しいくらいであって、死や疲弊感が支配的な印象がある。しかし本書は子供たちの生き生きした描写によって、行間がまるで生命力で満ち溢れているようだ。
 またバラード作品には主人公を翻弄する”狂言回し”的な人物がよく登場するが、その”狂言回し”自身が主人公だというのも本書の特色。しかも本人による一人称(=おれ)だというのだから念がいっている。こんな話は他には知らない。なぜ作者がこの語り口を選んだのか理由は定かでないが、このことも本書に「動」を感じる要因のひとつになっているといえる。
 ところで「動と生」に関していうと、ここまでエロチックなイメージがあからさまに出てくる作品も珍しい。他の作品にも淫靡で頽廃的なエロスは良く出てくるが、そこではあくまでも隠蔽されたものであって、常に「死/タナトス」の影が色濃くつきまとう。しかし本書ではもっとあっけらかんとしていて、原初の生命力に満ちた本来の意味での「エロス」(=豊饒さと言い換えてもいい)が描かれている。

 これら様々な特徴により本書『夢幻会社』は、バラード作品における「特異点」と化していると思うのだ。そしてバラードの膨大な作品群は、本書を折り返し点として前後で大きな変化を遂げているように思えてならない。

 再びちょっと話が逸れるが、プログレッシブ・ロックという音楽をご存じだろうか。このジャンルで有名なバンドにキング・クリムゾンというのがある。自分はバラード作品の流れを考えるといつも、彼らの活動が頭に浮かんでくる。ロバート・フリップ御大を中心に何度もメンバーチェンジを繰り返した彼らは、その都度作風を大きく変化させてきた。
 例えばデビュー作『クリムゾン・キングの宮殿』を始め、第1期のアルバムでは演劇性や物語性が特徴的だった。その後の活動休止を経て復活を遂げた彼らは、ガラリと曲調を変えて半端じゃない緊張感をもつ傑作アルバム『太陽と戦慄』で華々しく第2期のスタートをきる。そして次の大きな変化は、再度の活動休止から復活した『ディシプリン』に始まる第3期。この頃の彼らの曲は(題名からも分かるように)極度に抑制・制御されたリズムが特徴的だった。(彼らはその後も何度か大きな変化を遂げて現在に至るがそれは省略。)
 今挙げたようなキング・クリムゾンの変化が、自分にとってはそのままバラードにダブってみえてしまうのだ。第1期の演劇的かつ物語性に溢れる作風は“破滅3部作”などのバラード初期作品群に、第2期の人工的かつ緊張感溢れる作風は“テクノロジー3部作”などの中期作品群に、そして自らに課したある種の“ルール”に従って新たに意欲的なテーマに取り組む第3期は、ミステリ的な手法をとりつつエコロジーなどの新たなテーマに取り組んだ『スーパー・カンヌ』など後期作品群と重なっていくというわけ。

 以上、とりとめのない話だったが『夢幻会社』を読んでみて、あたまに浮かんだ諸々をメモ代わりに書きとめてみた。この次に読むバラード作品はいよいよ(バラードの到達点とされる)『千年紀の民』となる予定だが、今まで述べてきたような作者の長い道のりが、最終的に『千年紀...』ではどのような形で昇華されているのだろうか。“景観“とならびバラード作品を貫く重要なキーワード”パラノイア“を、今回はどのような形で読みとる事が出来るのだろうか。(はたして出てくるのかな?) 今からとても愉しみだ。

<追記>
 本書の本筋とは関係ないのだが、読んでいて2点ほど分からないところがあった。ひとつめは物語の途中に突然何の説明もなく出てきた「パイド・パイパーコンプレックス」という言葉。「パイド・パイパー」とは『ハーメルンの笛吹き男』の事だと思うが、これのコンプレックスとはどういう意味だろう。主人公ブレイクによって子供を連れ去られる不安にかられた母親たちの心理ということなのかな?
 それともうひとつは、ブレイクが初めてウィンゲイト神父に出会った場面。たしか一度は「牧師」と呼んでいるのだが、その後は物語全体を通して全部「神父」に統一されている。「ファーザー・ウィンゲイト」という記載があるから「神父」には間違いないと思うが、でもイギリス国教会での呼び名は「牧師(a rector)」ではなかったか? 作者による深い意図でもあるんだろうか。こんな些細な事を気にしてるようじゃ、おちおち“お気らく”に本なんて読んでられないけど。(笑)
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No title

パイドパイパーコンプレックスという専門用語はどうやらバラードの造語のようです。要するに、異界へと人々を誘う力があるという妄想のことでしょう。
ウィンゲイト神父の呼称の件ですが、ぼくは代理の父親としてのファーザーであると同時に、キリスト教の信仰の象徴であると受けとめたので、カトリック、プロテスタント、国教会の区別にはあまりこだわりませんでした。父の意味を強調するために「神父」という訳語を選択したわけです。
なお、東京創元社版の『夢幻会社』のあとがきでは、この作品とニーチェの一節との相似性についても触れてあります。機会がありましたら、ぜひお読みください。

RE:『夢幻会社』

こんなつたない感想に対して、直々のコメントを有難うございます、まさかご本人からのご回答が頂けるとは思ってもいませんでしたので、感激です!
なるほど「パイド・パイパー」は「連れ去る/いざなう力」と考えるとよくわかりますね。すっきりしました。
「神父」の呼称の件、恐縮です。やっぱり原著を読めないのでダメですね。(苦笑) 変に勘ぐりすぎました。お恥ずかしい限りです。
ところで創元版の『夢幻会社』、まだ入手出来てませんが、絶対手に入れて読ませていただきます。また『千年期の民』を読んだら頑張って感想を書かせていただきますです。
それではこれからもお体に気をつけてお仕事頑張ってください。このように楽しい作品をどしどしご紹介いただけると嬉しいです。有難うございました。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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