『ミステリウム』 エリック・マコーマック 国書刊行会

 マコーマックは『隠し部屋を査察して』(創元推理文庫)などが邦訳されているので、既に読まれた方もいるかもしれない。サキやコリアもしくはスタージョンといった作家たち、すなわち所謂「奇妙な味」と呼ばれる人とはちょっと違うが、何とも変わった雰囲気を持つ作家のひとり。
 このように書くと、「えーっ、どれも“奇想作家”の仲間で似たようなもんだろ」という声が聞こえてくる気もするが、感じ方は人それぞれということでご容赦いただきたい。(自分の中ではスティーブン・ミルハウザーとかドナルド・バーセルミあたりと似た印象。そこらへんの作家は自分の中では「奇妙な味」グループとは別扱いになっているのヨ。)
 本書『ミステリウム』はマコーマックの最高傑作とされ、日本での刊行が長らく望まれていた長篇。敢えて小説のジャンルを当てるとすれば一応「ミステリ」になるのだろうが、なかなかどうして一筋縄ではいかない。(笑) 『ミステリウム』という題名からして「職業/秘儀/謎/ミステリ/細菌(バクテリウム)」など、色々な意味が込められているようだし、ところどころ既成のジャンルの枠からはみ出す部分があって、それがまた本書の魅力になっている。

 物語は、とある島国(スコットランド?)の北部に位置する寒村・キャリックが舞台。そこで発生した謎の奇病は住民を次々と死に至らしめる。軍によって封鎖された村で、ただひとり発症せず生き残った人物は手記をしたためるが、そこにはキャリックが密かに抱えるある秘密が仄めかされていた。―― とまあ、ざっとこんな感じの話。(ミステリの手法を用いた作品では、内容を詳しく語ること自体がネタばらしに成りかねないので、結構気を使う。)
 本書を読んでいる間に脳裏をよぎったのは、次のような作品だった。
   バラード   『殺す』(東京創元社)/『コカイン・ナイト』(新潮文庫)
   グランジェ  『クリムゾン・リバー』(創元推理文庫)
   池上永一   『ぼくのキャノン』(角川文庫)
   ストルガツキー『醜い白鳥』(群像社)
   キング    『呪われた町』(集英社文庫)
   レム     『捜査』(ハヤカワ文庫)/『枯草熱』(国書刊行会)
 うーん、書いては見たものの、分かる人が殆どいないとしたら申し訳ない。(苦笑) このblogではあちこちに顔をだすお馴染みの名前ではあるが、あまり一般的とは言えないかも。(SFやファンタジー系の小説が好きな人なら、自分が言いたいことは何となく理解してもらえると思うが…。)

 それではこんな喩えはどうだろうか?
 一般的なミステリでは、冒頭にどれほど不可能犯罪が起きたとしても、最後には唯一の合理的な解(=犯人/トリックなど)を示すべく物語が収束していく。これを仮に「初期値(知)を与えさえすれば唯一の解が導かれる」という意味で「古典力学的ミステリ」と呼ぼう。ミステリにはラストの決着をわざとぼかしたままにする「リドルストーリー」というタイプの作品もあるが、「AまたはB」という二者択一しかないという点では、これも基本的に「古典力学的」であると言っていいと思う。
 一方で「メタミステリ(*)」と呼ばれるタイプの作品が存在する。こちらも物理学に喩えるなら、さしずめ「量子力学的ミステリ」ということになるだろう。有名な“シュレーディンガーの猫”のように「AおよびB」という二つの状態(解)が重なり合っていて、確率的にしか表現できないような、解を出すことが目的ではないような、何とも不思議な作品群である。
 メタミステリにおいては「謎の提示」と「その合理的な解決」というミステリの文法(ルール)自体が、作者によって俎上に載せられることになる。唯一の合理的な解というものはなく、万華鏡のようにさまざまな解決が読者の前に晒されたり、もしくは解決自体が示されることなく物語が終わる。

   *…自分が「メタミステリ」と聞いてすぐに思うのは、レムの『捜査』や竹本健二の
     『ウロボロスの偽書』、夢野久作の『ドグラ・マグラ』といった小説。
     なおこれらはミステリの枠組みに対する挑戦/否定という意味で、「アンチミス
     テリ」と呼ばれることもある。

 『ミステリウム』は物語としてはとてもストレートであって読み易いが、油断していると最後に土俵際でうっちゃりをかけられ、見事にひっくり返される。そこで自分としては、本書を「とても分かりやすく面白いメタミステリ」と呼ぶことを提案したい。
 とまあ、以上がネタバレ無しの感想。ここからはネタバレになるので、本書をこれから読むつもりの人はご注意を。

       ―――――――――――――――――――――――――――

 先ほどは以下のような多くの書名を挙げた。
   バラード   『殺す』(東京創元社)/『コカイン・ナイト』(新潮文庫)
   グランジェ  『クリムゾン・リバー』(創元推理文庫)
   池上永一   『ぼくのキャノン』(角川文庫)
   ストルガツキー『醜い白鳥』(群像社)
   キング    『呪われた町』(集英社文庫)
   レム     『捜査』(ハヤカワ文庫)/『枯草熱』(国書刊行会)
 実はこれらを挙げた順番にも意味があって、読み進むにつれて感じた印象を時系列に並べているのだ。
まずひとつめのグループは、バラード『殺す』から池上永一『ぼくのキャノン』まで。次がストルガツキー『醜い白鳥』とキング『呪われた町』の2作品。そして最後のグループがレムの『捜査』と『枯草熱』になっている。

 最初は理由も明確にされないまま封鎖された村があるところから話は始まる。そして主人公のジャーナリストが手記を読み進んでいくうち徐々に明かされていくのは、一見平和な村に数十年前に起こった(らしい)、「ある出来事」。そしてその出来事には村人のほぼ全員が関係しているらしいということ。更には彼らが懸命に葬りさろうとしている「出来事」の記憶を呼び覚ます者に対しては、“死”を与えることさえ辞さないということ…。
 少しずつ仄めかされる「ある出来事」の全貌が見えてくるに従って、自分の頭に浮かんだのはひとつめのグループの諸作品だったというわけだ。
 次いで思ったのが、ひとつの集落が丸ごと滅びていく様子。最近では小野不由美がキングに対するオマージュをささげた『屍鬼』の方が有名になってしまったが、自分が真っ先に思い浮かべたのは元本であるキング『呪われた町』の方。また消えていく世界という繋がりで、消えゆく古い世界を旧世代の側からの視点で描いた『醜い白鳥』も、哀愁が本書と被っている気がした。
 話が進んで本書のメタフィクションとしての特徴がはっきりしてくると、レムの『捜査』と似た印象が強くなってくる。『捜査』ではまるで遺体が蘇って勝手に動き出したとしか思えない現象と、それを解決しようとするスコットランドヤードの苦悩が描かれていて、最後まで何ら明確な説明がなされずに話が終わる。その“宙ぶらりん”な雰囲気が(『捜査』にかぎらず『ソラリス』などにおいても)レムのメタフィクションの真骨頂なわけだが、本書『ミレニウム』においても“宙ぶらりん”な感じがまさに同じといえよう。
 ただし先程も述べたように、物語は錯綜/発散することなく、きちんと一本調子でテンポよく進んでいくので読み難いことは全くない。徐々に村の秘密が明かされていくところのワクワク感も大変心地いい。本書がその「メタ」な正体を現すのは、解決が為されたはずの謎が再び蘇って、物語をきれいにひっくり返すところから。(そしてそのままラストへとなだれ込んでいく。)
 ラストのもって行きかたはP・K・ディックの『ユービック』を始めとする諸作品にも似ているのだが、あれほどグチャグチャな現実崩壊感が感じられないのは、たぶん主人公が事件の「当事者」ではないことにあるのだろう。いや正確に書くと、一応は「当事者」であることも仄めかされはするのだが、ディックほどの緊迫感はないということ。

 余談になるが、物語中で重要な役割をするブレア行政官というキャラがとても気に入ったので、最後にぜひ触れておきたい。本書が陰惨な内容であるにも関わらず全体の印象が暗くならないのは、この人物によるところもかなり大きいと思う。何故だか知らないが、ディヴィッド・リンチ監督の『ツインピークス』にでてくるクーパー特別捜査官とイメージがだぶって仕方なかった。
 途中で本筋とは全く関係なく、彼による犯罪理論の系譜に関する特別講義のエピソードが挿入されるのだが、それが現代思想のパロディになっていて爆笑モノ。
 たとえば“フレデリック・デ・ノシュール”なる人物が著した『一般犯罪学講義』が現代犯罪理論の始まりとされるのだが、これは勿論ソシュール『一般言語学講義』のパクリ。「シニフィアン」「シニフィエ」の代わりに「クリミニフィアン」「クリミフィエ」などの言葉がまことしやかに語られる。
 最初がそんな風なので、後の流れも推して知るべし。ジェンダー理論から見た犯罪学だとか、あとはもうムチャクチャな状態が延々と続いて行く。(笑)

 国書刊行会なのでちょっと値段は高かったが、翻訳者の増田まもる氏のお薦めの通り、とても愉しい活字タイムを過ごすことが出来た。

<追記>
 余談ついでに「古典力学的ミステリ」と「量子力学的ミステリ」を、それぞれジェットコースターに見立てるとどんな感じになるか書いてみよう。
 ドキドキハラハラのスリルを手軽に味わえるのがジェットコースターの楽しさ。どんなに怖くても(事故が無い限りは)生命に危険が及ぶことはなく、無事にスタート地点まで戻ってくる。いわば予定調和のハラハラ感といえる。
一般的なミステリ(エンタテイメント小説)をごく普通のジェットコースターとすれば、メタミステリでは折角乗ったコースターが途中で停まり乗客全員が降ろされてしまう。(笑)
 レールの行く先は霧で見えなくなっていて、身軽になったコースターは無人のまま再びガタゴトと動き出し、霧の彼方へと消えていく。そしてそれがどこに向かうのかは誰も知らない。(おそらく作者も?)
 なおコースターが途中で停まってしまうのも客が降ろされるのもアクシデントではなく、メタフィクションの場合は全て計算された「イベント」にあたる。気をつけなければいけないのは、メタフィクションだと思って読み始めると、コースターが停まることもなく猛スピードで乗客を振り落としてそのまま走り去るような小説もある点。そんな小説に乗ってしまって大ケガしないように、”この手”の小説を読むときには注意が必要。(もちろん乗客を乗せる間もなく動き出して、勝手に行ってしまうような小説が論外なのは当然である。/笑)

 本書『ミステリウム』の場合はそんな心配なく、礼儀正しくメタフィクションのイベントを愉しませてくれる。真相はまさに「霧の中」である。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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