『バガヴァッド・ギーター』 岩波文庫

 インドの古典文学の中で最も有名な一冊。もとは一大叙事詩『マハーバーラタ』の中の一篇だがヒンドゥー教哲学の真髄が説かれていて、インドでは昔から宗派を超えて愛唱されてきたとの由。実のところ読む前は、古臭くて小難しくて退屈な話かとも覚悟していたのだが、いやいやどうしてとても面白い。終始ニヤニヤしながら最後まで堪能した。
 何について書かれた叙事詩かというと、古代インドのクル族という王族を巡る物語。親族同士のちょっとした行き違いが積み重なって一族が2派に分かれて抗争を始め、やがて血で血を洗う全面戦争へと発展する。そんな中、パーンダヴァ軍の戦士であるアルジュナ王子は、(今は敵となった)カウラヴァ軍の親族たちを前にして戦いの空しさを感じ、武器を捨てその場に座り込んでしまう。それを見たパーンダヴァ軍のクリシュナ(=バガヴァッド)は、「ヨーガの秘説」を説いてアルジュナを鼓舞することに見事成功する。その説得の顛末を描いたのが本書『バガヴァッド・ギーター(=神の歌)』である。
 「ヨーガ(=実践)」を説くということは、即ち古代インド哲学の真髄に触れる事に他ならず、優れた思想書である点こそが、長大な叙事詩『マハーバーラタ』の中でも本篇がとりわけ重要視されてきた理由だろう。以下にその哲学のエッセンスを簡単にまとめてみる。

<クリシュナの教え>
 この世に実在する「身体(肉体)」は有限であるが、しかしその本質である「主体(個我)」は不滅である。身体は滅びようとも、主体はあたかも古い衣服を捨てて新しい衣服を着るかのように、新しい身体に移るだけ。このように万物には始まりも終わりもないのに、今の身体が滅びようとも何の嘆きがあるものか。
 従って行うべきはヨーガ(実践)であり、それが生きるもの義務でもある。もしも戦いを避け、義務と名誉を放棄するならば、その者は永遠の不名誉を得ることになるだろう。このように思い悩むのは「サーンキヤ(理論)」における「ブッディ(知性)」にだけ頼って判断をしているから。それも大事だがそれだけでは不足で、「ヨーガ(実践)」における「ブッディ(知性)」を聞くことが必要。
 行為の結果(*)を動機(=自らの行動の理由)としてはならず、無為に執着してはならない。そうすれば唯一つある「真実の知性」に到達できる。それこそが「ブラフマン(梵)」の境地であり、不死(甘露)を得ることが出来るのだ。

   *…アルジュナの例でいえば、自分が武器を持つと親族が死んでしまうということ。

 要するに、「つべこべ言わずにやるべき事をやれ! そうすれば何をやっても行為自体に罪は無い。」ということなのだが、親族と殺し合いするのが嫌で思い悩んでいる人にこんな言い草は無いと思うよ。言ってる事もあきらかに詭弁だし。(笑)
 しかもそこからが更に凄い。なんであなたはそんな事を自信を持って言えるのだ?と問いかけるアルジュナに対し、クリシュナは「実は」と言って自らの正体を明かす。彼は今までパーンダヴァ軍の親族のひとりとしてアルジュナに接してきたが、実は幾度となく転生を繰り返した今までの記憶を全て持つ神なのだと。――まさに怒涛の展開。(笑)しかもアルジュナはそれを素直に信じてしまうのだ。
 「自分は神なんだから信じろよっ」ていうクリシュナもクリシュナだが、それをそのまま受け入れてしまうアルジュナもアルジュナだと思うよ。このあたりまるで、よしもと芸人のモンスターエンジンが得意とする“神コント”みたいで、普通の人がいきなり「私は神だ」と正体を明かすシーンを彷彿とさせる。(笑)

 さて、神である正体を明かしたクリシュナが次にどうしたかというと、なんと神でありアルジュナを導く導師でもある自分に対して、絶対的な帰依を求めるのだ。「何も考えずに全てを委ねることで涅槃に至れる」と説くクリシュナの教えは、親鸞の浄土真宗における「阿弥陀如来への絶対的な帰依」と重なってくる。その後のストーリーは涅槃(究極の幸福)にいたる道筋が詳細に説明されていてかなりややこしいが、大雑把にいえば次のような感じ。

<クリシュナの教えの続き>
 涅槃に至る道筋には「理論による知性」に沿った「行為の放擲(≒敢えてやらないこと)」と、「実践による知性」に沿った「行為のヨーガ(実践)」の2つがあるが、前者よりも後者の方が優れた方法である。心が揺らいで不動の境地になれずにヨーガが難しい人は、ただひたすらバガヴァッド(神/クリシュナのこと)に帰依することで手っ取り早く涅槃に至ることができる。涅槃に達すれば「自己(アートマン)」は無垢となり、万物の始原でありバガヴァッドの“住みか“でもある「梵(ブラフマン)」に同一化する。そしてひとたびその境地に至ったものは二度と再び転生することはなく、輪廻のサイクルから解脱して永遠にそこに留まることとなる。

 以上、延々とインド哲学の真髄が開陳されたのち、最後にはクリシュナに鼓舞されたアルジュナが、喜び勇んで殺戮に赴くところで物語は終わる…。
 衆生を転生の輪から解脱させる力すらもつ神自身が、なぜか幾度となく生まれ変わっている点など突っ込みどころは沢山あるが、とりあえず固いことは言いっこなし。古代のインドの人達はこんなことを考えていたのか―という程度で読んだので、あまり深く読み込んでもいないし。まあ、今の感覚とのズレをこれだけ愉しめたんだから、それだけでも元は取れたと思う。
 いやはや、油断して読んだらとんでもないオモシロ本だった。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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