『新約聖書Ⅰ』 文春新書

 前々から一度は新約聖書というものを読んでみたいと思っていた。でもちゃんとしたものを買うと高価だし分厚いので(キリスト教徒でもないのにそこまでの投資はちょっと…と、)気おくれしてしまっていた。ところが先日、(なんと!)新書で出ているのを本屋で見かけてびっくり。速攻で購入したのは言うまでもない。
解説は(あの)佐藤優が書いているのだが、彼の前書きによれば本書発行の意図も、まさにキリスト教徒でない普通の人が気軽に聖書の世界に触れられるようにとのこと。それが西洋文明の根幹にあたるものだから、最低限の知識は知っておくべきという彼の主張には全く同感だ。
 宗教は死生観に深く関わるものだけに、死というものが今より身近だった過去の時代においては、宗教が個人の価値観や社会文化に与える影響はずっと大きかった。(日本以外の世界の国に目を転じれば、今でも非常に大きいといえる。)したがってキリスト教に限らず仏教やイスラム教などにおいても、ある国の社会通念を深く理解するためには、宗教の理解は必要不可欠といえる。
 もうすこし書誌的なことがらについても触れておく。本書「新書版/新約聖書」は、プロテスタント神学者とカトリック神学者が共同で作成した日本聖書協会の「新共同訳」に依っている。全2巻で構成され、本書(第1巻)にはマタイ/マルコ/ルカ/ヨハネの四福音書を、そして第2巻にはイエス以降の使徒たちの言行録などを収録。なお新約聖書が「新書」という形で世に出たのは今回が初めてとのこと。「手軽に買える」というのがコンセプトであり、その意味では、まんまと出版社の策略に嵌まってしまったわけだ。(笑)
 
 さて中身についてだが、一読して大変驚いた。(やっぱり有名な本には一度は目を通して見るものだ。)
 先程述べたように、四福音書にはイエスの生前のようすや周辺の人々のエピソードが記されているのだが、それらの殆ど全てが何らかの形で今まで聞いたことのあるものばかりなのだ。このことは、いかにキリスト教が西洋文明の礎になっているかとともに、西洋文化が我々日本人の生活にいかに影響を与えているか良く示している。だって釈迦や弟子たちの行状について詳しく言える日本人なんて、僧侶を除いたら殆どいないもの。
 宗教家としてのイエスがうまいのは、さまざまな喩えを駆使して布教を行っていること。ユダヤ教のように律法によって理屈もへったくれもなく一方的に縛るのではなく、かといって仏教のように自らの教義を理論だてて説明するのでもなく、「喩え」という極めて“文学的”な表現を多用することで、判りやすく教え諭す手法をとったのは、天才的な手腕だといえる。結果、後世の人が彼の思想を時代に合わせて自由に解釈する余地を残すという余禄までついた。(*)
 全てを明らかに説明してしまうのでなく、敢えて寓意や象徴的な暗示に留めること。そして「つべこべ言わず無条件に受け入れるか否か」という決断を迫るようすは、信仰の原点がまさに「命懸けの飛躍」にあることをよく示している。まさに「信じる者は救われる」というわけだ。
 なお四福音書はキリストを巡るエピソードのまとめなので、基本的に同じストーリーの繰り返しである。(これも読んでみて初めて知った。4つのよく似たバージョンがあるという点では、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』みたいな印象。)後世の研究によれば、成立時期はマルコ福音書が最も古いものらしい。どうりで書きかたも簡易的であって、出来事が列記されているだけでそっけないわけだ。可もなく不可もなく標準的なのはマタイ福音書であり、ルカ福音書は表現が高尚で文学的に優れている。でも福音書を「物語」として読んだ場合、演出が上手でいちばん劇的なのはヨハネ福音書。(ぶっ飛んでる感じがして個人的にはいちばん好み。)
いや、細かいことを云わなけりゃどれもそれなりに愉しめたが。

   *…作品は作者の手を離れた瞬間から作者の意図とは無関係になるというのが、
     今どきの文学における考え方。読み手は作品を自由に解釈してよく、それに
     よって新たな作品の価値が生まれるということは、『聖書』という“媒体”に
     書かれていることが教義そのものであるキリスト教にとっては、(異端の発生
     というリスクはあったにせよ)後の世においても新たな価値が生まれ続ける
     という意味で幸いであったといえるだろう。
     なおキリスト教と文学の親和性が他の宗教に比べて極めて高いのは、まさに
     これが理由なのかもしれない。

 「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
 キリストのこの言葉は、まるで浄土真宗の開祖・親鸞による「悪人正機」のよう。ただひたすら念仏を唱えて、阿弥陀仏に帰依することで成仏するという、日本仏教界に類を見ない過激さといい、意外と浄土真宗はキリスト教と通じるところが多いのかも。(と書いたら、やっぱり解説に同じような事が書かれていた。)
 全部で150枚という力のこもった解説を佐藤優が書いているが、惜しむらくは現在進行形の時事問題を取り上げている事。今後20年、30年と長く読み継がれる価値がある本なのに、このせいでおそらく本書の賞味期限は本来の10分の一以下になってしまったのではないだろうか? 柄谷行人の『世界史の構造』を引き合いに出し、「資本-ネーション-国家」の“三位一体”という資本主義の本質と宗教との関係を論じたくだり(**)など、自らの信仰告白の部分と合わせてとても優れた解説なので余計に残念。普遍的な価値観を求める宗教と今日の政局を巡る問題を同列に論じる文章は、読んでいてまるで木に竹を接ぐような違和感を覚えた。(功利主義者を自認し、「役に立たない読書は基本的にしない」と公言してはばからない佐藤にしてみれば、特に違和感は無いのかもしれないが。「愉しくない読書はしない」という自分の読書のポリシーとは全くの正反対。)
 というわけで、本書を読むのであれば1日でも早い方が良いだろう。おそらく1年もたてば解説の内容は限りなく古くなってしまうだろうから。それとも、今の政局が記憶の彼方になるくらい後になるまで待つかどちらかしかない。(本棚で20年くらい寝かせておく必要があるかも?)

  **…中沢新一が『緑の資本論』(ちくま学芸文庫)で別の角度から指摘しているが、
     同じテーマである。

<追記>
 余談だが、佐藤優は相変わらずの悪人面で損をしているなあ。外務省時代は“怪僧ラスプーチン”と呼ばれていたようだが、さしずめ“異端審問官”といったところか。“悪代官”と呼ばれる小沢一郎と好対照だ。(笑)
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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