本を食べる【その2】

 物心ついた時にはもう本を読んでいた。ムシャムシャと本を食べてスクスクと大きくなった。ロバート・フルガムじゃないけれど、「人生に必要な知恵はすべて図書館と本屋の棚で学んだ」ということになるのかなあ?
 仕事とかで心に“毒”が溜まってくると、会社の帰りにふらっと本屋に寄る。(出来れば古本屋の方がいい。) 「何か1冊、本を買うぞ。」―そんなつもりで棚を隅から隅まで真剣に眺めていると、だんだんと心の温度が下がってくるのがわかる。ふつふつと沸騰していたものが静かになり、濁っていたものが澄んでいく感じがする。
 もしも本を読むことが無かったら、人生の愉しみは今よりも2割くらい少なかったんじゃなかろうか?いやそれよりも人生の苦しみが2割増しだったのかも。

 この前、ざっと数えてみたら、今まで読んできた本は多分4500冊くらい。そしてこれから読むことが出来るのは、(多めに見積もって)およそ3500冊くらい。一生かけても1万冊にも満たないのだと思うと、良い本と出会いたいものだと切に思う。今まで幾つかの「運命の出会い」があり、読書の範囲もそのたびに大きく広がってきた。これからだって新しい「運命の出会い」は期待していいはず。まさに本との出会いは一期一会、字が読めなくなるまでどんな本に出会えるのやら…。

 それでは前回に続いて、中学校から先の3つの「運命の出会い」について述べていこう。

 中学校の図書室で何気なく手に取ったのが、知る人ぞ知る青少年向けSF入門書の名著『SF教室』(ポプラ社)だった。これが第3の出会い。この本の著者は(今では考えられない事だが)何と筒井康隆だった。それまでは子供向けの物語か図鑑、そうでなければノンフィクションくらいしか知らず、「ブックガイド」なるものは目にしたことすら無かったので、初めて読んだ時は正直言って戸惑いを覚えた。書いてあることをどう受け止めればいいのか判らなかったのだ。それでも気になって何度か借りているうち、紹介されている本の題名と著者名をメモしたリストを作ることを思いついたのは我ながら感心。その頃には、行き当たりばったりの読書による当たり外れも身に沁みていたので、リストのSF本を読めばきっとはずれが無いだろうと思いついたという訳。

 そして家の近所にあった行きつけの本屋にいって、書棚でたまたま見つけたハヤカワ文庫がフレドリック・ブラウンの『発狂した宇宙』という一冊。今にして思えばこれが第4の「運命の出会い」だった。(実はこの本をレジに持っていったのは、巻末の解説を『SF教室』の筒井康隆が書いていたからというだけ。)
 この本によって「大人向けのSFの本」の面白さに目覚めてしまった自分は、その後、市立図書館で「ハヤカワSFシリーズ」(通称“銀背”とよばれる伝説的なSF叢書)や、創元推理文庫の“SFマーク”といった定番コースを見つけて読みふけり、高校から大学にかけてどっぷりとSF/ファンタジー/幻想小説といったジャンルに浸る生活が始まる事になった。(*)ちなみに高校生になってからは時間の都合で市立図書館には通えなくなり、少ないこづかいをやりくりしながら本屋で文庫を買う習慣に変わっている。

   *…このころは本当にのめり込んだ。SF系のサークルにも入って好き勝手やらかした
     甘い記憶は、おそらくその余禄だけで一生を持ちこたえられそうなくらい密度が
     濃いものだった。(笑)
     ちなみに最初のうちのお気に入り作家はブラウンやクラークといったところだった。
     そのうちシマックやヴォネガットといった少しマニア受けするところに進み、
     やがてレム/ストルガツキー/ディック/バラードなどへと進んで病は順調に膏肓
     へと入り、今に至っている。…以上、ごく一部の人にしか判らない名前ばかりで、
     誠に申し訳ない。(笑)

 大学時代のサークルにおける、他の学部の先輩・後輩たちや他の大学の友人たちとの交流は、狭いジャンルに固執していた自分を本の広い世界に引っ張り出すきっかけを作ってくれることになった。例えばそのころブームになったのは「ネオアカデミズム」と呼ばれる人文科学系の学問分野。浅田彰の『構造と力』などがベストセラーになり、先輩との会話で情報を仕入れては格好つけて読んだりしていたのだが、それが知らず知らず次の“運命の出会い”を準備していたのだ。
 
 その頃、友人たちの間で話題になったのが、第5の「出会い」であった笠井潔『バイバイ、エンジェル』(角川文庫⇒創元推理文庫)。ミステリと現代思想の合体という離れ業に、完全にノックアウトされてしまったスノッブな学生(=自分の事)は、それに感化されて意味も判らず現代思想の本を読みふけるようになる。(**)

  **…当時のサークル内では一時期、現代思想が大ブームになっていた。
     吉本隆明の『共同幻想論』に嵌まった先輩や、メルロポンティに嵌まって自分の
     下宿を「現象学の館」と呼ぶ人などが続出。(もちろん冗談としてだが/笑)
     あせった自分は何か自分なりの“得意技“を持ちたいと思い、柄谷行人や中沢新一
     に手を出したりもしていたのが、これが後に山口昌男を経てレヴィ=ストロース等
     への道を開くことになろうとは当時は思ってもいなかった。

 大学を卒業して就職してからは学生時代のようなムチャ読みもできなくなり、好きなジャンルの本をつまみ食いするような生活がしばらく続いた。そんな中でふと出会ったのが竹田青嗣『現象学入門』(NHKブックス)。この本によって一度に竹田青嗣と現象学の両方の大ファンになってしまい、今につながる読書傾向が全て出揃うことになる。

 以上が自分の読書経験の大雑把な見取り図になる。こうしてみると「運命の出会い」というのは、本の質とともにタイミングがとても大事。その時は気付かなくても、後になって思うと自分の読書人生のなかで”太い枝の分かれ目”に当たっている本が必ずある。読書の趣味の方向性はそれらの本によってほぼ決まり、その後は読んだ本が次の本を呼ぶという状態が続いて、今では先も見通せないうっそうとした密林と化してしまっている。(笑) しかしその気になればこれからもまだ新しい太い枝を見つけられるはずだ、そう信じたい。

 今までの人生を通じて、かなり広い範囲の本を愉しみのため(だけ)に読んできたので、本を”愉しむ”ことにかけては結構自信がある。その代わりといっては何だが、いわゆる「何かの役に立てるための本」とか「文学に淫しているような小説」など、書き手が愉しんでいない本は苦手。わざとしかめ面して世の中を見ているようなのを読むくらいなら、エンタテイメントに徹しているのを読んですっきりしたい。本を読んでわざわざ悩みを増やすくらいなら思想/哲学書の一冊でも読んだ方がよほど気分良く頭を使うことができる。(これはもしかしたら新しい運命の出会いのチャンスを逃す行為なのかもしれないが。/笑)
 でも人生で読める数は限られているんだから、なるべく悔いは残らないようにすべきとも思う。「つまらないかも」と思って読んだ本がつまらなかったら、本当に後悔すると思うから。そして(勉強の為でなく)愉しみのために自分が選んだ本なら、どこかしら愉しいところを見つける才能「だけ」(!)は、それなりに磨いてきたつもりだからね。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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