『異端者たちの中世ヨーロッパ』 小田内隆 NHKブックス

 今回は歴史の「お勉強」。キリスト教の宗教史において避けては通れない「異端思想」について知るのに手ごろな本がでた。
 
 思想家のヴィトゲンシュタインではないけれど、人間の脳の仕組みからしても意識の外側には常に認知できない領域が存在する。とすれば、それに対する畏怖や恐怖から「至高の存在」を仮定して、その結果「宗教」が生まれてきたのは当然と言えるだろう。最初のうちは個人レベルの信仰心だったのだろうが、やがて社会の中にカリスマ性をもった人物が出現すると、ある程度共通した考えをもつ信仰集団は、彼を核にして一気に凝縮を始める。これが「教団」の始まりであって、集団をまとめる“核”になった人物はやがて「教祖」と呼ばれるようになる。
 年月が過ぎ、やがて教祖が死ぬと教団は一旦は存亡の危機に立たされるだろうが、運よく後継者に恵まれた集団は存続を続けるだろう。こうして何代かを経て教祖の直接の教えを知るものが世の中にいなくなると、残された経典類の解釈や教祖の教えに対する正統性を巡って教団内に対立が起こることになる。(もともと「正しい」教えなんて存在しないのだから、経典の解釈には後世の人による判断が常に付きまとう。人によって解釈が違ってくれば、それを巡って対立が起こるのは当然のこと。)
 対立はやがてそれぞれの集団の存続をかけた抗争へと発展し、その中で優位にたった集団が自らの正統性を主張して他の集団(および彼らが信じる解釈)を「異端」と名付けて歴史から抹殺していく。 ――とまあ、こんなのが世の中の宗教において繰り返される、おおよその筋書きなんじゃないだろうか。

 キリスト教において「正統」とはもちろんカトリック教会のことであり、教会は過去からさまざまな集団に対して「異端」というレッテルを貼ってきたわけだが、これは勿論キリスト教に限ったことではなく、イスラム教や仏教などあらゆる宗教において繰り返し起こってきたことではある。
 また同様の事象は宗教だけではない。例えば民主化運動の弾圧など、現代でも多くの国において「正しさ」を主張する体制側(多数派)によって、反対派(少数派)への弾圧は続いている。すなわち「異端」とは、時の権力者が自分らに対立する集団に貼りつけた、“差別化”の為のレッテルと考えてほぼ間違いは無い。

 以上、冒頭からいきなり小難しい話で恐縮だが、本書で取り上げられる「中世ヨーロッパにおけるキリスト教の異端」を考える上で背景となる考え方について、ざっとまとめてみた。
 本書はキリスト教の歴史において「異端」とされてきた集団に関する歴史研究の最新成果を紹介した本で、著者によれば「異端」の発生は(先程も触れたように)常に「教団の危機」とセットなのだそうだ。第1幕はキリスト教が成立してまだ間もない2~3世紀ごろ、イエスが死んだ後にまだ様々なバージョンの福音書やそれらの解釈が乱立していた時代。ここでカトリック教会は教団としての生き残りを賭けて、グノーシス主義などと熾烈な戦いを繰り広げ、その過程でカトリック教会による「異端宣告」が始まったのだという。
 そして第2幕はカトリック教会の威信も確立された11世紀。封建社会において絶大な力をふるう教団内において、権力の腐敗とイエスの教えからの逸脱がすすみ、その揺り戻し運動に対して新たな「異端」が乱発された。この時代には教会の権威はその頂点に達しており、「異端」に対する弾圧も過酷を極めることになった。
 著者は本書において、「異端」がクローズアップされたこれらふたつの時期について考察を行っている。

 まずは「異端」の定義から。
 「異端」を意味する“heresy”という単語の語源であるギリシャ語の“hairesis”は、本来「(特定の言説や学派の)選択」を意味する。では何を「選択」するのかというと、原始キリスト教において乱立していたイエスの教えに対する「異なる解釈」のこと。つまりカトリック教会からすれば「教義的な誤謬」にあたる考え、つまり「信仰における逸脱」の意味を持って使われたのが始まり。大事なのは、まだ聖書テクストの解釈が固定化されていなかった時代における、解釈(=選択)を巡る対立だったということ。あくまでもキリスト教内部に属する問題だったということである。(すなわち身内のもめごとだったというわけ。)
 『カトリック新教会法典』によれば、キリスト教の信仰そのものを捨てることは「背教(=教えに背く)」、カトリック信仰の真理は信じるけれどローマ教会への服従や教会の成員との交わりを拒否することは「離教」と呼ばれ、いずれも「異端」とは厳格に区別されている。それでは「異端」とはどのような定義なのか? 同じく『カトリック新教会法典』によれば「受洗(*)後に神的かつカトリック信仰をもって信ずべきある真理を執拗に否定するか、又はその真理について執拗な疑いを抱くこと」とある。
 この「執拗」というところがミソであって、実はカトリック教会が示した「真理(=聖書解釈)」に対して心の中で否定や疑義を抱くだけでは「異端」にはならない。否定や疑問を言葉でもって執拗に表明し、それが教会の権威によって「公式な非難に値する」と認定された場合にのみ異端宣告の発令となる。つまりカトリック教団が「くどい!」「しつこい!!」と認定したものだけが「異端」とされるということ。(笑)
 これってまさにフーコーが述べたのと同じ、権威による権力行使の見本のよう。

   *…キリスト教徒としての洗礼を受ける事

 ここで注意しなければいけないのは、先に「正統的な信仰」があってそれとの差異を問題にされているのではないということだ。まずユダヤ教や他の宗教との競合や、キリスト教自身の中でのテクスト解釈の違いがあり、それらによって逆照射された信仰がすなわち「正統的なキリスト教」となるわけ。
 判りやすく言えば、カトリック教会が様々な解釈について「これは聖書の教えと違うだろう」と判断することで、乱立する教義を絞り込んでいき、そこから外れなかったものが「正しい教え」だということ。こうして浮かび上がってくるものが、カトリック教会によって「唯一普遍の真理」として規定された。つまり正統と異端という構図そのものが、ひとつの鏡のオモテ/ウラに他ならない。極端な話が「聖書解釈として正しいかどうか」ではなく、「カトリック教会の見解に従うかどうか」だけが重要ということだ。詳しくは後で述べるが、事実11世紀の異端思想とは、腐敗した教会権力に対して聖書の教えに戻るよう主張した人々が、「教会への不服従」を理由に異端宣告をうけたものである。

 それでは第1幕、2~3世紀における代表的な異端思想「グノーシス主義」について。
 「グノーシス」とは「認識・知識」と言う意味がある。この世は狂った神によって創世されたのであり、人間は肉体という牢獄につなぎとめられて魂の救済から遠く隔てられている…という基本的な認識をもつのが特徴。(ディックの『ヴァリス』の項でも書いたように、生きるのがつらい人の“逃げ道”としては、こういう考え方が生まれるのも理解はできる。)グノーシス主義において人間の救済はこの認識(≒叡智といってもいいのかな?)に目覚めることでのみ実現する。キリスト/救世主とは神が人間に姿を変えて顕現したものであって、彼が身代わりとなって贖罪することで世界の救済が実現する。
 グノーシス主義と現在のカトリック教義を比較すると、仏教における小乗と大乗の違いにも似たところがあるような気がする。(グノーシスの方が小乗ね。) 歴史に「IF(もしも)」はないというが、仮に4世紀のローマ帝国で皇帝のテオドシウスによって国教化されたのが、カトリックではなくグノーシスの方だったとしたら、「真正なもの」はグノーシスであって、逆にカトリックの方が「異端」とされていた可能性もあるのだ。

 次は第2幕、11世紀の代表的な異端思想である3つの流れ、「カタリ派」「ワルド派」「聖霊派とベガン」について。これらはそれぞれスタンスは違っているが、いずれも封建社会における社会秩序(=聖職者/領主/一般信徒という位置づけ)に対する挑戦となり、そのためにカトリック教会から異端のレッテルを貼られて、過酷な弾圧を受けることになったという点で共通している。
 これらの思想が生まれた背景としては、皇帝という世俗的な権力と教皇の結びつきが強くなり、教会および中央の聖職者たちが「富と権力」による支配を強めようとしたことが挙げられる。これらの権力腐敗に対する一般信徒や地方の聖職者たちによる反発が「聖書の教え」への回帰を強める結果となり、やがて「キリストの貧者」を名乗る者たちが現れ始めたというのだ。(キリスト教の原理主義者みたいなもの。)
 彼らの活動が広がるにつれ、教会は自らの権力への脅威とみなして教会への服従を強制するようになった。「富と権力」か「キリストの貧者」か? そんな二者択一を迫られた結果、「人はふたつのものに仕えることは出来ない」として教会に背を向けた人々が、「(不服従の)異端」という宣告を受けたというわけ。しかし彼らには「間違っているのは教会側だ」という意識があるから強い。公式な活動が出来なくなってからも地下に潜伏して活動を続けたため次第に取り締まりも激しさを増して、12世紀後半から16世紀初頭には「魔女狩り」という形で活動のピークを迎えることになる。(そのころの様子が「異端」に対する我々の印象を形作っているようだ。)
 それでは異端を宣告された3つの思想の具体的な中身とは何なのか、順に述べていこう。

<カタリ派>
 身体は悪魔の創造物であるとした点はグノーシス主義にも共通。肉体を魂の牢獄として、精霊(精神)の優位を説いた。したがって「富と権力」にまみれた当時のカトリック教会は当然彼らの弾劾の対象となる。カトリック教会の遺骸崇拝に関するエピソード(=聖人の遺骸がいつまでたっても腐敗せず芳香すら放っていたというもの)は、カタリ派にとっては悪魔の所業としか思えない。すなわち彼らにしてみればカトリック教会こそが「サタンの教会」なのだ。
 ついでに言うと、「パンとブドウ酒がキリストの血と肉(聖体)である」とか、「カトリック司祭が聖体の秘蹟を執り行う時、司祭がキリストと同一視される」とかいうキリスト教の独特な論理は、この時に異端対策として無理やりひねり出されたものだったらしい。どうりで理解しがたいわけだ。

<ワルド派>
 一介の商人であったワルド(ヴァルデス)は、あるとき劇的な回心を経験したのちに、福音書に書かれたイエスの言葉に(文字通りに)従って清貧の信仰生活を始めた。また自らが街角に立ち、当時はカトリック教会の司祭にしか認められていなかった、他の一般信徒への説教も行うようになった。当初は革新派の教皇によって黙認されていたワルドの活動であったが、教皇が亡くなったあとに教会は手のひらを返したようにワルドたちに説教をすることを禁止する。これを「人間ではなく神に従う」として拒否したワルドたちは「不服従の異端」とされた。その後も長い間潜伏を続け、最終的にはルターの宗教改革を経てプロテスタント教会のひとつの会派になったという。

<聖霊派とベガン>
 「聖霊派」の正確な名称は「フランチェスコ会・聖霊派」という。カタリ派による腐敗追及を脅威と感じたカトリック教会の中で、13世紀に誕生した自浄運動に托鉢修道会というのがあって、代表的なのフランチェスコ会や後世に異端審問で有名になるドミニク会など。かれらは当時のカトリック教会にとって異端思想からの強力な防壁になったのだが、「富と権力」を巡る13~14世紀の葛藤を通じて、自らが新たな異端思想を生み出すことになった。
 創始者のフランチェスコ亡き後、カトリック教会の懐柔策にさらされたフランチェスコ会の後継者たち(コンヴェントゥアル派)は、「キリストの清貧」という自らの本分を忘れてしまった。「生きるために必要な最低限のものを除き過度の財産を持たない」というのがこの修道会のモットーであったはずだが、呆れたことにその読み替えを画策しはじめたのだそうだ。壮麗な教会でミサをしたり、豪奢な服と食事を享受しているにも関わらず、それらは全てカトリック教会から修道会に「貸与」された教会の財産であって、“使用”はしているが“所有”はしていないという建前を振りかざした。
 それに反対して修道会の会則を字義どおりに実践し「裸のキリストには裸で従う」という修道会の創始者フランチェスコと同じ生活を実践した急進的な一派が登場し、自らを「聖霊派」と名乗った。
 コンヴェントゥアル派と聖霊派の対立はやがてカトリック教会の介入を招くことになる。清貧を主張すると教会の権威を否定することにつながるため、聖霊派の司祭たちは厚顔無恥な教会によってなんと異端の烙印を押されてしまう。しかし納得できない彼らは地下に潜伏して、一般信徒の集まりである「ベガン」と一緒にその後も自らの信ずる信仰生活を続けた。ベガンの急先鋒たちはかつてのカタリ派のようにカトリック教会をアンチキリストが支配する「肉的教会」とみなし、自分達を「霊的教会」として対置した。
以上が中世ヨーロッパの代表的な異端思想の概要である。

 我々が「魔女狩り」とか「異端狩り」と聞いたときに、真っ先に頭の中に浮かぶのはS・コネリー主演の映画『薔薇の名前』みたいな光景だろう。しかしこれは「ワルド派」や「聖霊派/ベガン」によって「サタンの教会」「肉的教会」と呼ばれたカトリック教会側が、執拗に教会の権威を否定してかかる彼らの理由として「悪魔との取引き」を連想したのがきっかけ。恐怖に駆られて異端審問がエスカレートしていった14世紀から16世紀のことらしい。先程も述べたように、初期に「異端」の宣告を受けていたのはカトリック教会と違う教義の解釈をしていた者だけ。また「異端宣告=即処刑」ではなく、説得によって教会の教義への帰順を示した者は条件付きで許されてもいた。しかしのちには「キリストの清貧」を目指す者たちとの非難合戦を経て、高利貸しやユダヤ人、同性愛者やハンセン病患者など、カトリック教会の権威を揺るがすと判断されたものは軒並み「異端」であり差別や処罰の対象にされるという、理不尽がまかり通るようになったとのこと。もちろん「悪魔との取引き」について物的証拠なんてあるはずもなく、異端者たちに罪を認めさせるには拷問によって告白を引き出すしかない。その先に待っているのは火刑である。
 すなわち我々のイメージは教会と「異端者」たちがお互いに相手を“悪魔”とするアジテーションの結果によって作られたものであったのだ。

 本書を読んではっきりと見えてきたのは、「異端」というレッテルは時の教会権力者によって脅威とみなされた者たちに付けられるスティグマ(聖痕)に過ぎないということ。判断はそのときどきで変わる恣意的なものでしかない。ここにも多様な物の見方を認めようとしない偏狭な価値観が生んだ悲劇があった訳だ。
 時代を遡って2~3世紀の、グノーシス主義とカトリック教会の「正統性」を巡る戦いにしても、「喰うか喰われるか」の弱肉強食の世界を連想してしまう。不謹慎とお叱りを受けてしまいそうだが、まるでマフィアの抗争でも見ているような感じさえ受ける。どの宗派が教祖の教えにいちばん忠実か?なんて言い出して、正しいモノと正しくないモノを決めたがるのが宗教/教団のもつ性(さが)だとしたら、やっぱり宗教にどっぷり浸かる気にはなれないなあ。生きるのが辛くなくなるならどんな教えでもいいんじゃないの?と思ってしまう。「いちばん」を決めたり「いちばん以外は認めない」なんて世界には興味ないな、つまらないから。(今のカトリック教会はもちろんそんな風でないとは思うけど…。でも現法王であるベネディクト十六世の言動を見てると、ちょっと心配になってしまうのは自分だけ?)

 最後は話が重たくなってしまったが、これで『薔薇の名前』を映画だけでなくて原作でも愉しむ事が出来るかも?と思うと、ちょっと嬉しいかも。なんせ歯が立たないんじゃないかと思って、今まで手を出しかねていたもので。(笑)
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