『日本の鬼』 近藤喜博 講談社学術文庫

 題名からして鬼の文化史や博物誌みたいな本かとおもって読んだのだが、そうではなかった。もちろんそのような部分もあるが、著者は鬼の正体を自然現象の「雷」に由来する(だけの)ものとして、初めから結論付けた上で話を進めていくので、ちょっと面喰うところも多い。したがって本書の読みどころは学術的な考察よりも、古来より日本各地に伝わる説話中の様々な鬼に関するエピソード紹介にある。渡辺綱と羅城門の鬼や安達が原の黒塚など、有名な鬼のオンパレードで結構愉しめる。
 実は本書でもうひとつ大きく扱われている話題があって、それは鬼ではなく日本神話の神。こちらでも自然現象の「雷」が重要なカギになっていて、落雷の放電から稲の穂のような枝分かれを連想して、「稲光」という言葉の語源や農業との関連を考察したり、形の共通性から滝(=落水が枝別れする様子)や龍・蛇の形象との関連を考えたりもしている。しかしこちらのパートにおいても、スサノオが天斑駒の皮を剥いで屋根から投げ落としたエピソードに落雷を強引に結びつけたり、牽強付会が過ぎるのでは?という点も少々見受けられる。
 どうやら著者の頭の中では、「鬼の説話や日本神話のルーツ=雷」という図式が過不足なく成り立っているようだ。あとがきを読むと、「本書の題名を『日本の鬼』ではなく『日本の神』とすべきか迷った」とあるが、それよりも『雷と日本の説話』と言う方がピッタリ。でもその上で敢えて言わせてもらうとすれば、鬼や神はもっと色々な因子の集合体であるわけだし、もともと雑誌等に独立して発表された原稿を直してまで「雷」で無理に筋を通さなくても、そのままバラバラで良かったんじゃないの? 一冊の本として体裁を整えるための加筆を行ったことが、逆に裏目に出てしまっている気も…。

 著者自身もあとがきで述べているが、論旨の飛躍し過ぎや逆に細部までこだわり過ぎの点など、理解しにくい点があるのを自覚しているようだ。しかしそれは著者が言うように「力不足」ではなく、論理の「強引さ」が原因だろう。1975年という初版の出版時期を考えれば致し方ないのかもしれないが、民俗学系の古い著作を読むといつもモヤモヤした感じが残ってすこし残念だ。(全体的に出来は悪くないけど。)
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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