2017年7月の読了本

『堆塵館』エドワード・ケアリー 東京創元社
ロンドンの郊外に広がるゴミの山、。そしてその彼方にそびえ建つのはアイアマンガー一族の巨大な屋敷「堆塵館」。あらゆるごみを統べるアイアマンガーの血に秘められた秘密は、赤毛の少女ルーシーが館を訪れた時に大きなうねりとなって動き出す……。久しぶりに「物語」の面白さを堪能できた気がする。登場人物たちがことごとくどこかおかしいところとか、物の声が聞こえる主人公クロッドだとか、なんだかもう堪らない。著者による挿し絵も味があって良い。少年向けに書かれた物語らしいが、こういうのを読みたい大人だって多いんじゃないか。というより物語を読むわくわくを忘れた大人にこそ読んでもらいたいと思う。ツイッターで先に読み終わった人たち感想を見ていると、皆さん口々に「えっ、ここで終わるの?!」とつぶやいていたのだが、その理由が自分にもやっと解った。映画館で『スターウォーズエピソードⅤ 帝国の逆襲』を初めて見たときを思い出してしまった(笑)。これはもう三部作をぜひとも全部出してもらって、最後を見届けないことには落ち着かない。途中でストップすることがないように是非皆さんも買っていただきたい。後悔はきっとしないから。

『穢れの町』エドワード・ケアリー 東京創元社
アイアマンガーの二作目。本作では舞台が堆塵館から「穢れの町」ことロンドンはフォーリッチンガム区へと移り、クロッドとルーシーの冒険は続く。アイアマンガー一族と町の人々に運命の時は迫る。クロッドよ急げ!続きはまだかあ!(帯によると12月には出るらしいので、どうやら物語の結着を見届けることはできるらしい。まずはひと安心だ。)

『龍宮』川上弘美 文春文庫
様々な人“あらざるもの達”との交流を描いた八つの幻想譚。ある時は彼ら自身により、またあるときは同じ屋根の下に住む者たちによって、茫洋とした日常の中に密かに息づく胡乱(うろん)なものたちの姿が語られていく。ひとつ付け加えるならば、たしかに幻想譚ではあるのだけれど、主眼はどちらかというとシチュエーションの不思議さではなく、奇妙な人物たちとのコミュニケーションにある感じだ。(漱石の『夢十夜』でいえば第四夜、おかしな爺さんが「蛇になる、きっとなる」という話に近いかもしれない。)ちょっと背徳的で、官能的な雰囲気もして面白い。イメージが美しい「轟(とどろ)」と「島崎」が特に気に入った。

『引き裂かれた自己』R.D.レイン ちくま学芸文庫
偽の自己を肉化して世界と対峙することで「真の自己」を護る“超越的な戦略”をとる統合失調気質の人々。彼らの特質を現象学的に分析し、その帰結としての統合失調症の理解へとつなげようとする試みの書。もちろん本書の分析は全ての症例に当てはまる訳ではなく、著者によれば破瓜型、緊張型の慢性統合失調症に当てはまるものであっても、妄想型をはじめとする他の慢性精神病を包括するものではないとのことだが、それでも内容については納得できる。今読んでも充分に面白く、本書が書かれた1960年にはきっと画期的な研究だったのではないかという気がする。現象学の精神分析の分野における実践としても、あるいは精神病治療への(当時の)新しい取り組みとしても、どちらの見方をしても興味深く読めた。
もしも本書にあるように自己同一の感覚を持つには他者による認識や世界との関わりが必須なのだとしたら、本当に人間らしいAIがもしも作られたとしたら、外部との充分な関わりを持てず統合失調症的になってしまうということはないのだろうか。

『鏡の前のチェス盤』ボンテンペッリ 光文社古典新訳文庫
1922年に出版されたイタリア発の幻想物語。鏡の中に入り込んだ少年が体験する奇妙な世界は確かにキャロルの〈アリス〉を連想させるが、自分としてはむしろアボットの『二次元の世界』をイメージさせられた。トーファノによる挿絵も愉しい。本篇は120ページほどしかないが、その後に訳者の橋本勝雄による著者ボンテンペッリと挿絵画家トーファノ、そして登場する様々なモチーフについての詳細な解説が付くのはありがたい。ちなみに馴染みのないボンテンペッリなる著者、他の作品としては『怪奇文学大山脈Ⅱ』に収録されているものがあるとのこと。昔読んだのにすっかり忘れていた。

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』フィリップ・K・ディック ハヤカワ文庫
逃亡アンドロイドを始末する"賞金稼ぎ"デッカードと"ピンボケ"のイジドアという二人の人物を軸に、ディック世界の要素を惜しげもなく放り込んだ代表作のひとつ。ストーリー的には逃亡アンドロイドを追うデッカードがいかに任務を果たすかが中心となるが、テーマとしてはイジドアの方もかなり重要。そしてマーサー教という新興宗教と電気動物という偽物の命、アンドロイドと人間たちの中で生の意味を問いかけてくる本作は、彼の処女作である非SF作品『市に虎声あらん』にも重なって見えてくる。読書会のために久しぶりに読み返したのだが、思いのほか面白かった。

『中世の窓から』阿部謹也 ちくま学芸文庫
ニュルンベルクに住む人々の暮らしをのぞき窓のようにして、中世キリスト教社会を活写するエッセイ。そこから見えてくるのは様々な庶民の生活や生業であり、貨幣経済の勃興と贈与の世界観のせめぎ合いからユダヤ人排斥や異端思想の歴史まで幅広い。激動の中世に興奮する。
まず冒頭のニュルンベルクとハンブルグの二都の対比が面白い。神聖ローマ帝国の帝都であり富める商人の街と、裸足の聖者・聖ゼバルドゥスの清貧というふたつの側面を持つニュルンベルク。対するはエルベ河畔に建ちハンザ同盟に所属した自由都市。氏の筆により中世ヨーロッパがいきいきと躍動する。ちょっと京の都(あるいは大坂)と堺を連想したりもした。また中世ヨーロッパで市(いち)がアジールだった理由として、当時の遍歴商人たちが森や街道では盗賊に早変わりしていたからではないかという指摘にはびっくり。なるほど、そういう考えもあるわけだな。
キリスト教は、それまでの欧州の習慣であった「物理的な対象物を介在させた贈与」では返済不可能な、「死後の救済」という贈与を与えることで絶対的な優位に立ったという指摘も面白い。そしてやがて貨幣経済の成立によって富を蓄積させた当時の教会に対し、それまでと異なる「貨幣を媒介とする人間関係」に戸惑い悩む人々が霊的な思いを純化させ、ヴァルド、カタリ派などの異端派が生まれたという推察もなかなか。
あと個人的には、オイレンシュピーゲルのいたずらがもつ社会的背景の数々が興味深かった。なぜあのいたずらが当時の人たちにとって痛快だったのか。(それは例えば親方に対するやっかみだとか、特権に対する恨みつらみだとか。)単なるいたずらではなかったわけだ。まあ、汚らしいことに違いはないが(笑)いやあ楽しい一冊だった。

『四角形の歴史』赤瀬川原平 毎日新聞社
〈こどもの哲学 大人の絵本シリーズ〉の一冊。「犬に風景は見えているのか?」という疑問に始まり、風景画の歴史から絵の誕生、そして自然界における直線や四角形の発見まで、著者が自らのユニークな哲学を開陳する。赤瀬川氏の本はいつも読み手を煙に巻くような曖昧さが好い。中国拳法に喩えるなら八卦掌みたいなものか。摺り足で泥の中を進むような技にいつの間にか転ばされている。

『路上探検隊 讃岐路をゆく』路上観察学会/編 宝島社
赤瀬川原平・藤森照信ら路上観察学会のメンバー(赤瀬川原平/藤森照信/南伸坊/林丈二/杉浦日向子/松田哲夫/井上迅の全7名)がはるばる香川へと赴き路上観察を行った記録。トマソン的な"変なもの"を収集する赤瀬川氏に対して建築史的な視点で面白物件を探し出す藤森氏など、見るポイントはそれぞれ違えど、共通するのは「面白がり」の視点だ。読んでいるうちにこちらも粋な遊びにいつのまにか首までつかっている。自分の写真趣味の原点は路上観察学会やトマソンにあるのが再確認できた。

『メッカ』野町和嘉 岩波新書カラー版
ラマダン期間中のメッカおよびメディナの様子をカメラに収めた写真集『メッカ巡礼』の撮影裏話とともに、ムスリムになった著者の信仰告白や、イスラム過激派など現代アラブ社会が持つ問題まで幅広く語る。異教徒立入禁止の場所の写真はなにしろすごい。まさかメッカやメディナの様子が見られるとは思わなかった。以前、『増補 モスクが語るイスラム史』(羽田正/ちくま文庫)を読んでいたので、本書で語られているモスクの内部構造が判ってよかった。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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