2017年4月の読了本

『怠惰への讃歌』バートランド・ラッセル 平凡社ライブラリー
昔から論文とエッセイの中間みたいなかためのエッセイが割と好きだったりする。たとえば山形孝夫『砂漠の修道院』とか網野善彦『古文書返却の旅』とか。本書はそんな自分の好みにあった、分析哲学の大家が記したエッセイだ。テーマは時事や社会問題に関するもので書かれたのは1930年ごろ。第一次大戦の後、束の間の平和のときだ。全体主義の足音が聞こえはじめ大きく変化する国際社会への危機感が、辛辣で鋭い提言の中に見え隠れする。たとえばこんな感じ。
「政治的に未熟な国民は、将来の政治についての最上の案内者ではない」
「即ちファシズムの哲学はなく、これについては精神分析ができるだけだ」
(いずれも「前門の虎、後門の狼」の章より)
ラッセルが批判しているのはファシズムばかりではなく、それを許してしまう人々のこころだったりもする。彼によれば二十世紀前半の西洋の青年は、せっかくの高い知識を持っているのに、日々の糧を得るため冷笑とともに自らの良心を麻痺させることでそれを愚かな富豪のために用いたという。(しかし科学者は社会の全幅の賛意のもと自分達の最善の精神力をふるうことが出来たので、冷笑的にならずにすんだ稀に見る幸福者だとも。うーん、これはどうだろうか。)
また冒頭にある同題のエッセイでは、1日あたりの勤労時間を四時間に制限して、残りの時間で人生を豊かにする社会を作れと提言する。安吾の『堕落論』みたいに、刺激的なタイトルだが内容はしごく真っ当な社会論なのだ。これを「怠惰」と呼ぶのであれば怠惰大賛成である。
ほかにも教養と教育(「無用」の知識/青年の冷笑/克己心と健全な精神)、女性問題(建築と社会問題)、経済(現代版マイダス王/社会主義の問題)、全体主義や帝国主義(ファシズム由来)など、とりあげられるテーマは幅広い。(注:カッコ内にあるのは章の名前)
似たような感じのものでは『春宵十話』など岡潔氏の随筆もあるが、あちらはすこし説教くささが強くて自分には合わなかった。本書の方が視野が広く押し付けがましくなくて好きだ。ただ残念なのは訳が古くて文章自体も硬いこと。新訳したらもっと読みやすくなる気がする。

『僕僕先生 仙丹の契り』仁木英之 新潮文庫
こんどは吐蕃(チベット)の王位継承の騒動に巻き込まれる僕僕先生一行。相変わらず愉しいシリーズだ。このシリーズは呪術(仙術)による闘いや敵役が権謀術数の限りを尽くすところなんか酒見賢一氏の『陋巷に在り』にも似てるのだけれど、主人公に王弁をすえたのが大きく違うところ。彼のおかげで僕僕先生の仙人チートによって話が単調になるのを逃れている。また敵の姑息な策略が、王弁の正面突破で粉砕されるのがいつも気持ちいい。
あとがきによれば、どうやら仙人と弟子と仲間たちの長かった旅もいよいよ佳境。「終わりの始まり」に差し掛かったようだ。頼りなかった王弁がどんどん役に立つようになるのが寂しくもある(笑)。しかし単行本は既に二冊ほど出ているようなので、まだしばらくは愉しめるだろう。

『黄色い雨』フリオ・リャマサーレス 河出文庫
孤独と老いと哀切、そして崩壊の予兆に満ちた物語。黄色とは腐敗の色。打ち捨てられた村と一人残った老人の記憶を静かに覆い隠してゆく色だ。黄色い雨とは、はらはらと舞い散るポプラの枯葉であはるのだが、それと同時に苦しみや別離や苦い記憶そのものであったりもするのだろう。優しく雨ぞ降りしきる。全てが忘却の彼方に消え去るまで。滅びゆくことが避けられぬアイニェーリェ村はまるで『百年の孤独』のマコンドのようにも思えたりするのだが、実はマコンドなのは村ではなく語り手である「私」自身。全てが崩れ去り塵と化すことが不可避であるとき、そこに現れるのは息子が家を出るとき死に絶えた自分の心であり、そして出会うのは内宇宙なのだ。全篇を通じて暗く救いのない話なのだが、読んでいると様々なものが頭を駆け巡り飽きさせない。語り手である老人の迷妄が進むにつれて死者たちが甦ってくるあたりは、いわゆる典型的な魔術的リアリズムでもあるのだが、本書では死者をみて普通に怖がっているのがおもしろい。彼と最後まで運命を共にする雌犬も一緒になって怯えているので現実の出来事であるともとれる。(ところでストーリーとは関係ないのだが、老人が飼っている「雌犬」が、名前すら付けてもらえてないのに、性別は明確なのが面白い。スペイン語だからだろうか。)文庫版のボーナストラックとして本編のほかにグラビンスキの『動きの悪魔』を思わせる「遮断機のない踏切」と、「不滅の小説」という二つの掌編も収録されたお得な一冊だった。

『ハリー・オーガスト15回目の人生』クレア・ノース 角川文庫
何度死んでも全ての記憶をもって生まれなおす主人公が辿る数奇な人生。運命はやがて彼に不倶戴天の敵を招き寄せる......。『リプレイ』のようなもっと個人的な物語かと思ったら、後半は人類を巻き込んだ壮大な物語になってびっくりした。リプレイものは主人公の全能感と思うようにいかない焦燥感が楽しい。SFとしては設定に若干の難があるように思えるが、エンタメ小説としては充分に面白く好感のもてる作品だった。誰かにミステリとしても読めると聞いていたのだが、見えない敵の探索がそれにあたる部分だったのかな。ミステリというのであれば、自分としてはむしろ主人公の一人語りという形式と、且つそれにも拘らず内面が描かれないところにハードボイルドと同じ空気を感じた。本書はかように物語としては充分面白いのだが、あえて無い物ねだりを言わせてもらえば、主人公が深まっていないところが残念。「永遠に同じ生を繰り返す」という設定は、ニーチェの永遠回帰やブランキ『天体による永遠』などを持ち出すまでもなく倫理問題として極めて魅力的、従って主人公と敵役の思想上の対決をぜひ見てみたかった。(ところで本書は題名をなかなか憶えられなくてこまった。『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』とか『シンドバッド7回目の航海』などとごっちゃになってしまう。読後感がどことなくラノベっぽいと思ったのだが、その一因にこの長い題名もあるのかも知れない。)

『ホフマンと乱歩 人形と光学器械のエロス』平野嘉彦 みすず書房
「砂男」「押絵と旅する男」という二作の幻想小説を、望遠鏡、双眼鏡などの光学器械や人形といった両者に共通する象徴的な小道具を基にして分析する論考。フロイトの「無気味なもの」も援用しつつ、登場人物たちの隠喩的連関に着目して作品を深く味わうための道筋を示す。もちろん作品の解釈は決して絶対的なものではないけれど、豊かな読み方を目にすると刺激を受けるし気持ちがいい。《理想の教室》叢書の一冊。

『ボアズ=ヤキンのライオン』ラッセル・ホーバン ハヤカワ文庫
カルト的な人気を誇る大人向けのファンタジーを数十年ぶりに読み返したが、記憶に違わず面白かった。父と息子、世代も価値観も違う二人の生き方を通じて、この世界に存在するということ、世界と対峙するということについて読者に問いかけてくる秀作。喪われしものを探し求める物語はいつも切実で哀しく、そしてあたたかいのだ。
「父親が死ねるためには、まず生きなければいけない」
「空ろな空間から未来が生まれる。空っぽな空間がなければ、どこから未来を生みだしたらいい?」
本書には様々なエピソードや隠喩が散りばめられているが、それらが語ろうとしているのは「一個の主体として生きる」ということ。「世界の中で生きる」ということについて男性は女性よりも(社会的に恵まれているがゆえに)圧倒的に無自覚だろうと思うのだが、この本はユダヤ/キリスト教的な寓意と詩的なイメージでもって、そのような者たちに対して考えることを強いてくる気がする。私にとってのライオンは何なのか、と。見えているのに見えていないということは往々にしてあるが、それが自らの命に関わることである場合、はたしてそのように他人事のようにしていられるものだろうか。本書におけるライオンとはそういうものである。

『生物はウイルスが進化させた』武村政春 講談社ブルーバックス
電子顕微鏡ではなく光学顕微鏡で見えるほど大きく、ゲノムサイズも一部の微生物より大きいという「巨大ウイルス」によって見えてくる生物進化と生命の起源を紹介し、最後にはとても刺激的な「ヴァイロセル仮説」によって生物の定義そのものにまで揺さぶりをかける本。著者の巨大ウイルスをテーマにした本はこれで3冊目だけど相変わらずとても面白い。現時点ではヴァイロセル仮説はあくまで仮説にすぎず真偽のほどは判らないのだが、ドーキンスの「利己的な遺伝子」と同じようにたいへん面白い思考実験だと思う。少なくともミミウイルスやパンドラウイルス、マルセイユウイルスといった巨大ウイルスの説明は読んでいてわくわくしてくるので、読んで損のない本だと思う。

『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ 河出書房新社
ナイジェリアで生まれ今もアフリカとアメリカを往復しながら活躍する作家によるスピーチの記録。肩ひじ張らず、おもねるでもなく、自然な態度で女も男も「みんな」が良くしていこうと語りかける。読んでいて感銘を受けたが、人として当たり前のことを当たり前に述べているだけなのだから、そのことで感銘を受けるということはおそらく社会の方が歪んでいるのだろう。
『子供たちをそだてるときに、もしもジェンダーよりもその子の「能力や才能」に焦点を合わせたらどうでしょう?ジェンダーよりもその子の「興味や関心」に焦点を合わせたらどうでしょう?』
ね、普通のこと、当たり前のことだ。著者による代表的な小説作品の『アメリカにいる、きみ』や『明日は遠すぎて』を読んでみたくなってきた。

『役に立たない読書』林望 インターナショナル新書
国文学者で作家でもあるリンボウ先生が書いた読書エッセイ。ここでいう「役に立つ」とはいわゆる資格試験や実用の知識を得るための読書のことで、そんなことに拘泥せず古典など自分の好きなものを読めば良いとの主張には素直に頷ける。面白かったのは、氏が“良し”とする本および読書の内容が自分からすると結構偏っていること。(もちろんそれが悪いわけでは無い。)ときに偏屈とも思える至極真っ当な「正論」に苦笑いしつつも、幅広い知識と読書愛あふれる文章をじっくりと愉しめた。
あちらこちらについ引用したくなるような文章があるのがさすがはリンボウ先生である。
「最近は私もアマゾンで本を購入する機会が増えましたが、あのレビューに関して言えばまったく信用するに足りないと考えています」 うん、素晴らしい。
「本の貸し借りはぜひやめたほうがいい、というのが私の持論です。(中略)貸した本は返ってきません。だから読みたい本は自分で買う、これが大原則です。」うんうん。(激しく首肯)
「場合によっては敢えて重複所蔵することも躊躇ってはなりません」うむ、そうなのだ。だから買ったことを忘れていても仕方ないのだ。積んであるうちに文庫化したら文庫も欲しくなるのだ。(いや、本書ではそんなことは言ってない/笑)
いやあ愉しい。

『辺境図書館』皆川博子 講談社
〈唯美〉かつ幻想的な作風で熱心なファンをもつ著者が自らの体験をもとに記した読書ガイド。本書で取り上げられ、氏の読書の記憶とともに紹介される書物の数々はどれももきらきら輝いてみえる。こういう風に本の感想をつぶやけたらいいのだが。
本書で紹介された本のうち読んだことのある本は『アサイラム・ピース』『氷』『黒い時計の旅』『神の聖なる天使たち』などごく僅かだが、それらの文章を読むと氏の紹介が勘どころを押さえた見事な紹介になっているのがよく判る。他の本についても信用できるに違いない。好きなことをうまく説明するのって、実はとても難しいことなのだ。喩え方も素晴らしい。(自分を含めて)幻想界隈の読者にとって、幻想小説とは「心の穴から虚空へと伸びる命綱」のようなものだと思っていたのが、本書でもっと良い喩えを見つけた。それは「救命ブイ」だ。孤独な夜の海に浮かぶ救命ブイ。沈むことなくいつまでも漂い続ける。
そんなに厚い本ではないのだが、メモしながらなので読むのに時間がかかり、そして読んだ後には紹介された本を買いたくなるという困った本といえる。いいぞ、もっとやれ。(笑)

『ヒトラーが描いた薔薇』ハーラン・エリスン ハヤカワ文庫
エリスン3冊目の短篇集。最初はちょと心配したが、尻上がりに好くなった。特に気に入ったのは「死人の眼から消えた銀貨」「バジリスク」「大理石の上に」「睡眠時の夢の効用」の四つ。怒りや哀しみを書かせると、エリスンはやはり巧い。

『ビリー・ザ・キッド全仕事』マイケル・オンダーチェ 白水uブックス
西部劇時代の伝説的な無法者の生涯を、彼や友人たちへのインタビュー、本人が書いた詩、写真や小説といった様々な架空の断片を組み合わせて描きだした本。(ドキュメント風になっているがすべてはフィクション。)歴史上の出来事をコラージュ的なエピソードの積み重ねで再現する手法は、あたかも同時代に自分が生きていたような臨場感を感じさせることに成功し、全方位で表現された死と隣合わせの生は、まるで神話的な様相すら示している。言葉を尽くすことでやっと辿り着ける領域に易々と到達しているように思えるのがとても新鮮だ。仏教における禅のような仕事とでもいうか。全篇を濃厚な死の気配がずっとし続けていて、やがて感覚が麻痺してくる。ここで示される空気感は、ある意味、開高健が『輝ける闇』でベトナム戦争に対して行おうとした事に近いのかも知れない。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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