近況報告

 なかなかブログの更新ができずに申し訳ありません。代わりにここらで近況の報告をいたします。

 現在、母親が認知症、父親が進行性核上性麻痺という病気でともに要介護状態となっており、今年に入ってから兄夫婦とともにその対応に追われています。やっと介護認定やケアマネージャーとの契約を経てデイサービスなどの処理も終わり、あとは精密検査とその結果に基づく将来の生活プランを考えるところまでこぎ着けました。
 しかしやっとひと山越えたと思った矢先、つい先日、母親が自宅の二階に洗濯物を干そうとして転んで右手を骨折してしまい、慌ててショートステイやら掃除洗濯のヘルパー手配やら、ばたばたとこなしているのが今の状況です。

 朝起きて食事を摂って会社に向かう。仕事を終えて帰宅して、風呂に入って夕食をとる。また、好きな本を読んで本について語り、そして次に読む本を買う。こんな当たり前のことが実はかけがえのないことだというのが、年老いた親を看ているとわかります。そして本を読むことが自分にとってどれだけ生きる力を与えてくれるものかということも。

 まだしばらくの間は、なかなかブログを更新する時間が取れないかも知れませんが、このブログはずっと続けていくつもりですので、今後とも末永くお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

 私は元気です。

                                     店主敬白
スポンサーサイト

2016年11月の読了本

『灰色の自動車 A.グリーン短編集』アレクサンドル・グリーン アルトアーツ
 知る人ぞ知るロシアの作家アレクサンドル・グリーンによる作品集。灰色の自動車と蝋人形への強迫観念に満ちた表題作のほか全部で五つの掌編を収録する。作品の幅は幻想味のあるものから小粋な物語まで広いが、個人的には当時の最新技術(?)を取り入れたと思しき「稀有な写真機」や「灰色の自動車」あたりが好み。機械文明への問題意識は中期のJ・G・バラードにも通じるものがあるような気もする。

『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか』阿古真里 NHK出版新書
 江戸から明治大正、昭和の高度成長期から現代へと150年を経てすっかり定着したパン食文化だが、本書はなかでもハード系のパンに焦点を当てつつ惣菜パンや菓子パンなど日本独特のメニューも視野に入れ、日本におけるパンの受容について考察した本だ。明治・大正の黎明期から昭和40年代のフランスパンブーム、そしてオーガニックの流行から天然酵母パンやドイツパンの人気まで、日本におけるパンの歴史を、有名店の紹介を通じて順におっていくので、読んでいるうちにパンが食べたくなってくる。
 「なぜ日本では柔らかくもちもちの食感のパンが好まれるのか」「なぜ西日本の方が東に比べパン食が盛んなのか」 それらの疑問の答がコメ食にあるのではないかという仮説はとても面白かった。白米の食感や、朝にご飯を炊くか昼に炊いて朝は前日の残りを食べるかといった習慣の違いが、食文化にまで影響を与えている可能性なんてこれまで考えたことなかったが、意外とそんなちょっとしたところから大きな変化は生まれるのかもしれない。(カオス理論のバタフライ効果みたいなもの?)自分は息子のように「白米原理主義者」ではないので、食事の際は絶対に白飯を食べたいというわけではない。昔からどちらかというとご飯よりはおかずを沢山食べる子どもだったのだが、本書を読んでそれがもしかしたら今のハード系のパン好きなのと関係しているのかも知れないと思った。そしてある銘柄のベストセラー食パンを好きでないのはおそらく耳が柔らかいからで、高級食パンをあまり美味しいと思わないのは、おそらく甘みが強いからだろうとか、さらにはある銘柄のベストセラー食パンを好きでないのはおそらく耳が柔らかいからで、高級食パンをあまり美味しいと思わないのは、おそらく甘みが強いからではないかとか、本書を読んで色々と納得できる点は多かった。
 とまあ、内容的には満足のいった本書ではあったが、実は一点だけ苦言を申し述べたいところがある。それはなにかというと書名についてだ。もしも書店で副題の「パンと日本人の150年」という文字が目にとまらなかったら、おそらく本書を手に取って中身を確認し、レジに持っていくことは無かったかもしれない。消費量など数字的な根拠もなく感覚だけで「世界一」と付けてしまうのは、今はやりの日本礼讃本みたいでなんとなく気持ちが悪い。もしかしいたら編集者が流行りを意識して著者の意向とは無関係につけた書名なのだろうか。新書の場合はそういうパターンもあると聞いたことがあるし。個人的にはいっそのこと副題をそのまま書名にした方が良かったような気がする。

『神様2011』川上弘美 講談社
 隣に引っ越してきた熊との不思議な交歓を描く著者のデビュー作を、2011年3月11日の「あのこと」があった世界として語り直す試み。前半には元作品の「神様」も収録されていて、語り直された表題作と表裏一体となってくるくると螺旋を描き、有り得たかも知れない二つの世界が深い余韻を残す。

『本を読むデモクラシー』宮下志朗 刀水書房
 読書が一部の人々に許された特殊な能力から、いかにして一般庶民の娯楽へと変わっていったかについて書かれた歴史の本。19世紀のパリにおいて新聞小説などにより読み書きが民衆の間に広まっていく様子が活写されるほか、人気作家の収入が出版社による原稿の一括買取から印税方式へと変わっていった事情や、当時の女性が家庭で行う読書が当時もっていた意味、そして日本の貸本事情など、とても幅広い題材が取り上げられている。副題に「”読者大衆”の出現」とあるように、文字を読むスキルを身につけ小説を楽しむ事ができる一般庶民の出現は、社会が知識を独占する特権階級により支配される時代から、徐々に市民社会へと変化していくのを象徴しているようにも見える。活版印刷(フランス)や版木(江戸時代の日本)によって大量生産された書物が大勢の大衆読者層を生み出し、やがてくる大きな社会変化の契機になったというのは面白い。読書史はなかなか奥が深いのだ。

『ソラリス』スタニスワフ・レム ハヤカワ文庫
 SF小説でオールタイム・ベストの投票を行うと必ずベスト3に入るほどの人気をほこる、ポーランドの国民作家スタニスワフ・レムの代表作。これまで何度読んだかわからないが、SF仲間内で主催する読書会のために再び読み返したがやはり傑作だった。“異質”なものとの遭遇というテーマを軸にして、著者お得意のコミュニケーションや実存哲学やパラダイム理論といった学術的な問いかけのほか、ホラーやミステリやロマンスやそしてもちろんハードSFの要素まで様々な小説の醍醐味がアマルガムのように混然一体となったまさに奇跡のような一冊ではなかろうか。また、わけのわからないものをわけのわからないまま、何かに喩えることもせず的確にイメージを伝えられるレムの描写力が半端ではない。異星に広がる「ソラリスの海」の描写は何度読んでも興奮する。色んな見方で語れるのが面白いとは思っていたが、読書会でもやはり様々な角度からの読みが披露されて楽しかった。参加者の方から出た「キラキラと乱反射する」という表現がまさにぴったりくる物語といえるだろう。
 個人的な趣味からすると、後半のケルヴィンとスナウトによる神学的なやり取りについては、“不完全な赤ん坊の神”という視点からグノーシス主義との関連を考えても面白いし、そしてグノーシスということではフィリップ・K・ディックの怪作『ヴァリス』にもつながる。また、現前する”神”との対峙という流れでは『出エジプト記』なんかも頭に浮かぶし、ソラリス学をめぐるメタフィクショナルな展開はメルヴィル『白鯨』をも連想させる。なにしろ射程の広い作品なのだ。レムは本書『ソラリス』のほか、『砂漠の惑星』や『天の声』『捜査』なんかもかなり好きなのだが、いずれも深い洞察に満ちた刺激的な本ばかりだ。多くの作品が入手困難になってしまっているが、ぜひとも復刊してもらいたいものである。

『ウェンディゴ』アルジャーノン・ブラックウッド アトリエサード
 幻想怪奇小説のファンにはおなじみの著者による、超自然を題材にした「ウェンディゴ」「砂」「アーニィ卿の再生」という3つの中篇を収録した作品集。どの作品もさほど怖さが強いわけではなくて、描かれるのは“恐れ”というよりは大いなる存在に対する“畏れ”が主体。
 ところで表題作「ウェンディゴ」はこれまで読んだ欧米の怪奇幻想小説よりも妙に親しみ深い印象があった。なぜだろうと理由を考えていたのだが、もしかしたら日本の民話に物語の構造が似ているからではないだろうか。神隠しに遭った女性が天狗や山男の嫁になるという、柳田國男あたりでよく読んだ話が思い浮かぶ。小松和彦氏やV.プロップのような分析をぜひ読んでみたいところだ。次の「砂」もラストの召喚のシーンが圧倒的な迫力でよかったし、最後の「アーニィ卿の再生」は生命エネルギーがほとばしる古の儀式の描写がぞくぞくするほど素晴らしい。(同じ作者による『人間和声』を思い出した。)大満足の一冊だった。
最新記事
カテゴリ
プロフィール

舞狂小鬼

Author:舞狂小鬼
サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

最新トラックバック
FC2カウンター
最新コメント
リンク
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR