温泉読書会ツアー2015

 連休を利用して、本好き仲間による内輪の温泉読書会をしてきた。メンバーが住んでいるのが名古屋から東京までばらばらなので、皆の集まりやすさを考えて場所は伊豆に決定。熱海から少し南にくだったところにある、熱川温泉で行うことになった。(それに「伊豆の温泉」という響きにもちょっと憧れがあったしね。/笑)
目的の第一は何と言っても「美味しいものを食べてゆっくり温泉につかり本の話をする」ということなのだけれど、せっかくなので観光だってしてみたい―― などという欲張りも熱川温泉なら大丈夫、なんせここには、かの有名な観光スポット“熱川バナナワニ園”があるのだ。(笑)
 というわけで仕事のスケジュール調整や準備のドタバタを何とかクリアして、当日集まったメンバーはI氏/K氏/G氏/T氏に当ブログの管理人・小鬼という、いずれおとらぬ本好き仲間の計5人。正午の少し前にはJR熱海駅に集合してレトロな喫茶店でのランチからスタートし、お洒落なカフェでのおしゃべりを経て、伊豆急行のパノラマ特急で風光明媚な海岸線の景色を愛でつつオーシャンビューがきれいな温泉旅館へと移動。その後は途中の夕食を挟んで夜中まで延々と、心ゆくまで本の話に花を咲かせたのであった。(刺身の盛り合わせや金目鯛の煮つけなど伊豆の海の幸に舌鼓を打った夕食の話や、檜風呂の大浴場に猫がいた話、あるいは日本の旅館における正しい朝食の話や、バナナワニ園でレッサーパンダをみたり仔ワニの背中を撫でたりした話など、愉しいエピソードは沢山あるのだが、本の話とは関係ないのでここでは一切省略とさせていただく。/笑)
 宿にチェックインしたのが午後3時。そのまま夕方まで読書会の第一部を実施し、夕食後は風呂に入って8時半に再び集合し、読書会の第二部やお薦め本を紹介しあうという、本好きにとってはまさに夢のような一日を過ごすことができたのであった。(*)

   *…今回の読書会は時間がたっぷりあったので、昼の部と夜の部の二部構成にしてそれ
      ぞれ別の課題本を設定した。昼の部の課題本はクリストファー・プリーストの
      『双生児』として、夜の部ではレオ・ペルッツ『聖ペテロの雪』を取り上げる
      ことにした。

 ではさっそく読書会の内容について触れていこう。
 昼の部の『双生児』読書会は一応、旅行幹事の自分が進行役を務めさせていただくことに。お茶うけの赤福餅やきのこの山などを摘まみつつ、車座になって順番に感想を述べる形で進めたところ、K氏による「本書といい『魔法』といい、なぜプリーストはこんなに男女の三角関係を描くのが好きなのか?」という発言でいきなり波乱の幕開け(笑)となった。うん、そうそう。確かにこの話は歴史改変ファンタジーとして魅力的な仕掛けがたくさんあるのに、そこで主題になっているのが三角関係というのが、自分も納得いかなかったのだ。作者自身が「(歴史改変の結果より)どっちがビルギットとベッドインするかという問題に答えを出すことのほうが重要」なんて言っているし。なんせ氏は本書『双生児』が苦手だったそうで、その理由をよくよく聞いてみると、最初に大森望氏の解説を読んでしまったので、ジャックとジョーとビルギットの三角関係にばかり目がいってしまったためと判明した。K氏は後の方でも「後半のジョーの物語の方が如何にも胡散臭い」「著者は平和主義のジョーに対してシニカルな面がある」「女性の描き方に少しミソジニー(女性嫌悪)の傾向がある」といった鋭い意見を述べていた。
 続くI氏は「プリーストは双子の話が好き」という話から、「本作では双子という以外にチャーチルやヘスも含めたドッペルゲンガーの要素が強い」という指摘になるほどと頷く。ところで今回は親しいメンバーによる少人数の読書会なので、初対面の人が参加するいつものミステリーやSFの読書会とは若干違って前置き無しでいきなり本題に入るので最初からトップギアで話が進むのが面白い。また各自の感想を順に述べる途中で、どんどん鋭い突っ込みが入るのも愉しい。例えば、ジョーとビルギットの夫婦関係は早くに破綻していて、後半で二人が仲よさそうに描かれているのはジョーの側からみた妄想であるという意見は、自分が気付いていなかった点だった。(その証拠として口論になってジョーに都合が悪くなると時間が戻る、というT氏の話には笑った。)
 その次はいよいよ今回大活躍だったT氏による感想の番だ。氏は本書がプリーストの最高傑作でという立場であり、今回再読してその意を強くしたと力強く宣言、こと細かくとったメモに基づいて我々が気付かなかった様々なポイントを指摘してくれたのであった。(ただ、それにより全ての謎が解けたとかいうことではなく、T氏も「極めてリーダビリティが高いにも関わらずあらゆることが破綻している稀有な作品」という立場なのがまた愉快だ。)
 本書の矛盾点については、グラットンとアンジェラの出生にまつわる部分が、まずは一番とっつきやすいといえるだろう。解説で大森氏が述べているような「歴史A(=ジャックの時間線)」と「歴史B(ジョーの時間線)」だけでなく、AダッシュやBダッシュ、あるいはAダッシュダッシュ......といった感じで、まるでミルフィーユのように複数の世界が複雑に入り組んでいるのではないかというのが皆の一致した意見だった。(無限に連なる複数の世界というイメージで、自分は『魔術師』のラストで描かれたショッキングなシーンを思い出した。)これはG氏が述べた「何度も同じシーンが回想されるが、そのたびに細かな部分が違っている」という指摘にも合うのではないだろうか。なおG氏は、「文庫化により上下巻に分かれたので“あの”印象的なシーンで上巻が終わることになったのは良かった」との意見だったがこれには皆が同意。あれは単行本よりもむしろ良くなった点ではないだろうか。
 こういった見方でもって、ジャックやジョーの手記として書かれている「事実」の整合性を検証していくと、かなり面白いことが見えてくるようだ。T氏によれば本書の歴史分岐点であるヘスの英国行きについても、記述の不整合が見られるそうだ。ジャックが目撃したのは「9時と3時」の方向のメッサーシュミットであり、撃ち落されたのが3時で生き残ったのが9時だった。ところがもうひとつの記述では「12時と3時」となっており、撃ち落されたのは12時の方で3時は生き残った。ここからのT氏の話(仮説)が面白かった。共通する3時の機に本物のルドルフ・ヘスが乗っていて、9時と12時の方が替え玉だったのではないか?そして本物と偽者のどちらが生き残ったかかによってその後の歴史が分岐したのではないか?という説だ。うーん、なるほど。これは鋭い。(他にも爆撃機の中の乗組員の様子などもいちいち違っている。)
 さて、最後は自分。色々と面白い意見を聞かせてもらえたので、自分は最初のK氏の指摘に戻り、「なぜにこれほど魅力的な設定と展開なのに、やっていることが村上春樹的な世界なのか?」という疑問を呈しておいた。これに対してはK氏から「同じ“仕掛け”の作家でもジーン・ウルフの方が女性の描き方が上手い」という、「プリースト=ミソジニー仮説」を補強するコメントを付け加えてくれた。
 ひととおり感想を述べたあとはフリーディスカッション。ここまでは小説としての仕掛けの部分に着目した感想が多かったので、つぎに歴史小説としての感想を訊いてみた。やはり現代史は(自分も含めて)苦手な方が多かったようで、あちこちに仕掛けられている(であろう)歴史的なエピソードのくすぐりが理解できないのがもどかしい。おそらく山田風太郎の明治物でふと桂小五郎が出てきたり、といった感じなのだろうか。しかし歴史ばかりでなく例えば23ページに出てくる住所の記述では、「マサダ」や「アンタナナリボ」がマダガスカルに関連していることに気付けば「なにか変だぞ?」と思えるはずなので、歴史にかぎらず知識さえあれば結構愉しめそうという結論になった。
 また、ミステリー読書会でよく聞くキャラクターを軸にした読み方については、今回参加したメンバーは誰もそのような読み方をしていなかった。これは感情移入できるキャラがいないというプリースト自身の特徴によるものもあると思うが、「SFファンはストーリーより設定そのものを愉しむ」という面も大きいのではないかという気もしている。
 さて最後は「次に読むなら?」を出し合って昼の部は終了に。広瀬正『エロス』やP・K・ディック『高い城の男』、N・スピンラッド『鉄の夢』にS・エリクソン『黒い時計の旅』、そしてJ・ユルスマン『エリイアンダー・Mの犯罪』といった歴史改変SFから、氷室冴子『なぎさボーイ』と『多恵子ガール』や海外のサスペンスドラマ「アフェア 情事の行方」といった作品まで、多彩な作品があがってお開きとなった。

 『双生児』読書会終了後は、近所の有名な居酒屋で美味しい海の幸とお酒の夕食をとり、露天風呂で汗を流したあとでいよいよ読書会・夜の部の開始だ。こちらは最近たてつづけに作品が出版されて話題となっている歴史幻想小説作家、レオ・ペルッツを取り上げることにした。課題本は最新刊の『聖ペテロの雪』だが、ゆるゆるとその周辺を語って秋の夜長を過ごそうという趣向だ。
 なお今回は歴史幻想ということでテーマが重なったので、神聖ローマ帝国やロシア革命をネタにした『聖ペテロの雪』の話でも自然と『双生児』に言及されて、複層的な読書会となった。(『聖ペテロの雪』の主人公の手記は、『双生児』のジョーに呼応しているのではないかというコメントには皆で納得。)ただし歴史を扱っている点や真相が判らないという点ではたしかに共通する部分も多い『聖ペテロの雪』ではあるが、『双生児』と大きく違っている点もある。それはエキセントリックで蠱惑的な魅力をもつ登場人物が多く出てくるという点。どのキャラがいちばん気に入ったか?という話では誇大妄想狂の男爵や『ドグラ・マグラ』のように精神を病んだ語り手の主人公、謎多きヒロインにそして「聖ペテロの雪」そのものが魅力的だといった(笑)とても愉しい意見が聞けた。(**)

  **…たしかに「聖ペテロの雪」のアイデアは秀逸。麦角菌がLSDを先取りしているという
      のは解説にも書いてあったが、ヒッピームーブメントなどその後の歴史を知ってい
      る我々からすると、ペルッツの先見性には脱帽するしかない。

 ペルッツでは他に『夜毎に石の橋の下で』が最高だとか、ピカレスクロマンの『スウェーデンの騎士』がラストの着地も美しいといった話、そして『第三の魔弾』では三発目の弾はどうなったのか?といった脱線もしつつ、やがて国書刊行会の「世界幻想文学大系」の『サラゴサ手帳』や『放浪者メルモス』がいかに面白いか、あるいは『ヘリオポリス』がいかに苦行だったか(?)といった幻想文学全般の話題へと移っていったのであった。
 ちなみに今回を含め2回ほど幻想文学の読書会を企画してみて判ってきたのは、「幻想文学読書会はあまり読書会には向いていないのではないか」ということだ。その理由は「あー、面白かった」で皆が満足してしまうから。神秘思想や文学史の膨大な知識を持っているなら他にも話すことがあるかも知れないが、どちらかというと「詰まらない」とか「わからない」といった意見が出やすい本の方が、議論が白熱して面白い読書会になるような気がする。幻想文学で読書会を開く場合は一冊の本を課題にして作品論を語るより、ひとりの作家を丸ごとテーマにして作家論を語った方が良いかも?というK氏の意見はなるほどという気がする。今回は話題があちこちに飛んで、自分としてはそれはそれで面白かったのだが、普通の読書会でそれをやってしまうと置いてきぼりになる人がでる恐れがあるので、少人数でかなり本が好きなメンバーだからこそ上手くいったわけだろう。

 以上、この日の読書会は夜10時頃をもって終了したのだが、その後は各自が持ち寄ったお薦め本をきっかけにして、白井喬二『富士に立つ影』の破天荒な面白さについて(なんせ全十巻なのに主人公が登場するのがやっと四巻になってからなのだ)や、山田風太郎の『魔界転生』がいかに格好いいかといった話、あるいはアンナ・カヴァンの『氷』や『アライサム・ピース』の話、そして私の知らない少女漫画の世界についての話など、夜が更けるまで本にまつわる四方山話は続いていった......。
 そして翌朝になっても、バナナワニ園の観光を終えてから昼食中に笙野頼子『水晶内制度』『金毘羅』の話をしたり、帰りの列車の中でも泉鏡花「眉かくしの霊」や幸田露伴「幻談」を話したりと、隙さえあれば本の話が始まる。かくしてふらふらになりながらも、まことに充実した二日間を過ごして帰宅の途についたのであった。実に罪深きは本好き仲間かな。来年もぜひ企画しよう。(笑)
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何もしない日

 このところ、平日は朝5時前に起きて6時前に出勤、帰りはそれなりという生活を続けている。さらに加えて最近は出張する用事も無いので、休日にならないとなかなか本を読むことが出来ない。そのくせ休日は休日で何かと出歩くことが多いので、実は以前に比べて本を読む時間を捻出するのが結構大変だったりするのだ。
 それでも一月に一度ぐらいは、午前中に家の用事を全部済ませてしまって、特に何にもすることが無い日ができるときがある。そうなったらしめたもので、読みかけの本を一気読みしようが、前から読みたかった本に取り掛かろうが気分次第。夏なら早速ソファーにひっくり返って、冬ならコタツに座椅子で、もしくは春や秋の陽気が良い季節だったら、近所の公園のベンチで日がな一日本を読んで暮らすことになる。
 何を読むかもその時決める。こんな時のために日頃から手帳には読みたい順番をつけた本のメモが挟んであるのだが、わざとそれとは違った本を選んで読むのも愉しかったりする。(たとえば前日の夜に買ってきた新刊を、いきおいに任せて読み始めてみたり。)そしてこういう休日の読書はできれば翌日まで持ち越さず、その日のうちに読み終わりたい。だから途中で寝る時間になったりすると、残り50ページをちょっと無理して読んでしまって翌朝が眠たい――なんてことが、たまには無きにしもあらず。(笑)
 盆休みや正月休みなど大型連休の時は固め読みのチャンスだったりする。何もない日がまとまって確保できる時には、日頃読めない分厚いハードカバーに取り掛かかることにしている。読むのは小説だったりノンフィクションだったり、あるいは学術書だったりとさまざま。気持ちの良い音楽をかけながら読んでいるうちに眠くなってしまうこともあるが、そんな時はそのまま目をつぶって10分くらいウトウトしたりするのも悪くない。(ちなみにアルコールが入ると寝てしまうので、休日でも酒を飲むことはめったに無い。なによりも本が優先するのだ。/笑)
 そうこうしているうちに、いつの間にか一日が終わり日が暮れてゆく。そしたら夕食を食べて風呂に入って、そしてまた寝るまで本の続きを読む。気分が乗ればブログの原稿を書いたり、あるいはツイッターで気の置けない友人知人とおしゃべりを愉しんだりも。
 何もしない贅沢を愉しむ。そんな今日みたいな日が、自分にとっては最高の休日なのである。ああ愉しいなあ。

『死者の花嫁』 佐藤弘夫 幻戯書房

 夏の納涼シーズンはとうに過ぎてしまったが、たまには趣向を変えてちょっと変わったものを取り上げてみたい。おどろおどろしい題名だが、内容はいたって真面目。古代から中世を経て近世へと至る日本人の死生観を探った民俗学についての本だ。副題は「葬送と追想の列島史」という。
 まず紹介されるのは、山形市がある村上盆地に伝わるという「ムサカリ絵馬」や、青森県津軽地方の「花嫁人形」といった風習。これらは若くして亡くなった人々を供養するため、家族がその人の婚礼の様子を模した絵馬や人形を祀るものだそう。中国の「冥婚」にも似た死霊婚の一種といえるだろう。他にも下北半島は恐山で毎年夏に開かれる大祭や、山形県の三森山で行われる「モリ供養」、伊勢の金剛證寺にある「卒塔婆の供養林」など、日本各地で今も行われている様々な死者の供養について述べられる。
 これらに共通しているのは概ね、「この世に残された者たちが死者を想い、毎年決まった時期になると墓に帰ってくる彼らとの再会を喜ぶ」といった風習、あるいは「死者は正しく祀られ供養されると“ご先祖さま”となって末永く子孫を守ってくれる」が、いっぽうで「この世に未練を残したり供養されないまま放置された死者は祟る」といった死生観ではないだろうか。そしてこれらは全て、日本民俗学の祖である柳田國男によって明らかにされたように、過去から綿々と引き継がれた日本人の死生観を色濃く残したもの……と、思っていたのだが、実は全く違っていた。
 まさに本書のねらいは、そういったステレオタイプな死生観をひっくり返すところにあるのだ。ページをめくるたびに驚かされ、これまで自分が習ってきた“常識”がことごとく覆されていくのは一種の快感でもある。
 そのため著者は、各地の古代遺跡を発掘することで見えてきた葬送儀礼を分析したり、あるいは「諸国百物語」「宿直草(とのいぐさ)」「曽呂利物語」といった近世の文芸作品と、それらが成立する前提となる社会意識を丹念に読み解いていく。そうして「ご先祖様」や「墓参り」といった風習が、わずか数百年の浅い歴史しか持ってはいないことを、明らかにしていくのだ。(まるで民俗学探偵のようだね。/笑)
 本書を読んでまず驚いたのは、中世では土葬の風習は一般的なものではなく、(野ざらしにする風葬でなければ)むしろ火葬が当たり前だったということだ。さらに中世の墓には、どれほど大きな墓であっても個人を特定する目印が無かったというのにも驚いた。(それどころか火葬にした骨を五輪塔という納骨容器に入れて、本堂にまとめて収めてしまう風習もあったらしい。)つまりもともと日本には個人を特定できる墓は存在せず、すなわち墓参りという風習も無かったのだ。
 それは何故か?本書によれば昔の日本人にとって死とは“この世”を去って“あの世(=彼岸)”へと生まれ変わることであったのだそうだ。そのような社会で生者が行うべきは、いつまでも個人を偲んで“この世”に留まらせることではなく、死者の遺骨を特定の霊場へ納め、阿弥陀如来の力を借りて西方浄土/理想世界へと生まれ変わらせることに他ならない。
 このように浄土信仰が盛んだった中世においては、日本各地にある霊場へと足を運ぶことで死後の浄土往生が約束され、死者もまた遺骨を霊場に納めることで西方浄土へと旅立っていけるという死生観が共有されていた。
そのような社会では死者は霊場の敷地に葬りさえすれば魂がこの世に残ることは無く、そうなれば死者の居ない墓にお参りする必要など無かったというわけだ。ふむ、とても面白い。

 ではいつ頃から墓には戒名が書かれ、彼岸に家族による供養が行われるようになったのだろうか。著者によればそれは十四世紀、中世後期と呼ばれる時代に起こり始めた死生観の変化に起因するらしい。簡単に言えば来世での救済よりも、現世での幸福や生活の充実を重んじるように社会意識が変化したからなのだそう。約束の地としての彼岸世界の観念が色あせてしまうと、死者が行くべき場所はこの世と隔絶した遠い浄土ではなく、死してなおこの世に留まりつづけることになったのだ。(*)かくして死者は子孫が折々に訪ねてくれるのを心待ちにしながら墓地で眠るというイメージが社会に定着していったということらしい。

   *…そうなると、この世に未練をのこして死んでいったものたちや、供養されることも
      なく放置されるものたちは、幽霊となって恨みを晴らそうとし始める。これが江戸
      時代の幽霊譚の特徴なのだとのこと。

 死者が彼岸ではなくこの世に残り続けるという観念は、全国各地の山中にあって中世いらい栄えてきた霊場のありかたにも大きな影響を与えた。それまでは彼岸に旅立つための狩りの中継地点に過ぎなかった霊場が、いつまでも死者の留まる特定地域と見做されるようになったのだ。そのため、霊場は死者を放置する場所ではなくなり、特定個人を示す目印をつけた墓を定期的に子孫が訪れる場所へと変貌を遂げた。かくして墓参りという風習が生まれることとなったというわけだ。うーむ、深い。目からウロコがぽろぽろと何枚も落ちる感じだ。常識だと思っていても、意外と知らないことは多いのだなあ。
 なお本書は最終章だけは若干それまでとは趣きが変わり、過去から現代へと話が移る。著者の住む宮城県を始め東北地域を襲った3.11の記憶とともに、伝統的な家制度の崩壊によって現代に現れつつある「自然葬」や「樹木葬」、あるいは遺骨をペンダントにして常に身に着けるといった、新たな死生観の萌芽が示されているのだ。希薄化する現代の「死者」の一方で、震災により否が応でも直面せざるを得なかった「死」というもの。本書が示すように「人は死ぬと墓に入り”ご先祖様”となって彼岸に帰ってくる」というのが、せいぜい江戸時代からの歴史しかない死生観だったとすれば、今後も旧態依然とした“家制度”の崩壊や社会変化に伴い、また新たな死生観が生まれてくるのだろう。しかしいずれにせよそこには、この世を去った人々に対する深い鎮魂の思いが込められているに違いないのだ。

2015年10月の読了本

 読書の秋なのでもっと本を読みたい。最近、腰を落ち着けてじっくり本を読む時間が減ってしまったのが残念。こんなことでは一生のうちにあと2000冊も読めないのではないか?ちょっと心配である。そして読書の“栄養バランス”をとるため、ノンフィクションの比率をもっと増やしたいなあ。

『不思議な羅針盤』 梨木香歩 新潮文庫
 ふと手に取った連作集『家守奇譚』が思いのほか面白かったので、新刊で出たばかりの同じ著者によるエッセイを読んでみた。日常で体験した何気ない出来事や、あるいは身近な生き物たちへの想いを語ったエッセイで小説と同様に品がいい。少しタイプは違うが、鴻巣友季子氏の文章にも通じる雰囲気を感じた。品性のある文章で綴られたエッセイはそれだけで読み手にとっての御馳走である。そして細部への目配りこそが日々を心豊かにするのだ。

『般ニャ心経』 リベラル社
 薬師寺の執事長である加藤朝胤氏・監修による般若心経の解説本。見開きの左ページには様々な猫のスナップ写真を配す。知り合いの編集者の方が担当したと聞いてずっと探していたのだが、やっと入手することができた。ごくごく平易な言葉で、経の文章が意味するところを順に説明していく。ふうむ、般若心経とはこういう意味だったのか。初めて知った。今度から法事の時が少し退屈でなくなるかも知れないね。

『回想の人類学』 山口昌男 晶文社
 一昨年に惜しくも他界した文化人類学の泰斗の回想録。山口氏の信頼厚い編集者の川村伸秀氏による聞き書きで、幼少の頃から1980年までのエピソードが克明に記されている。直接本人から託された当時の日記を元にインタビューしているから本人すら忘れていたような細かなエピソードまで拾えていて、結果とても貴重な記録となっている。(2008年に山口氏が脳梗塞で倒れたため、それ以降80年から先についてのインタビューが出来なかったのがとても残念。)久しぶりに全盛期の山口節が読めて嬉しかった。歯に衣着せぬ毒舌ぶりは相変わらずで、アフリカやパリ、スペインでの生活や旅の様子も楽しい。(なかでも生後3ヶ月の長男を連れてのアフリカ赴任の様子が滅法面白かった。ジュクン族への聞き取り調査の様子や瓢箪の装飾研究のきっかけなど、本人しか知らない話が満載となっている。まさか現地でチュツオーラの『やし酒飲み』の演劇を観ていたとは思わなかった。)また、氏の交友範囲の広さには改めて驚かされた。自分が知っているだけでも、U・エーコ、M・エリアーデ、バルガス・リョサ、O・パス、J・R・R・トールキン、ロジェ・カイヨワ、メアリー・ダグラス、T・A・シービオク、大江健三郎、多木浩二、寺山修司、村満徹などなど、まさしく綺羅星のような名前が並ぶ。(知らない名前はもっとわんさか出てくる。)本書は山口氏の半生記ではあるのだが、それはまた同時に日本における神話や道化や記号論の研究の歴史でもあったのだ。
 本書を読んでいるうちに昔のことが次々思い出されてきた。自分がアフリカやトリックスターへの興味を持ったのは、『アフリカの神話的世界』が最初だったのだな。懐かしい。

『夜な夜な天使は舞い降りる』 パヴェル・ブリッチ 東宣出版
 本書の存在は実はまったく知らなかったのだが、9月に開催されたシンポジウムの席で翻訳家の大野典宏氏に紹介頂いて読んでみた。(というか、叢書まるごと買い込んでしまった。)子供向けの「はじめて出逢う世界のおはなし」というシリーズの一冊なのだが、大人が読んでも充分愉しい。プラハの教会に夜な夜な集まる守護天使たちがミサ用のワインを傾けながら語り合う不思議な十七の物語は、奇想天外なものからこころ温まるものまでさまざまだが、いずれにも共通するのは彼らが守護する人々への愛。読み終わってしみじみとする一冊だった。これも「ファンタスチカ」というものなのか。

『ゲルマニア』 ハラルト・ギルバース 集英社文庫
 ナチス占領下のベルリンを舞台にした猟奇殺人ミステリ。捜査を命じられるのが元殺人課刑事のユダヤ人というのが斬新。読書会の課題本でなければきっと手に取ることは無かったと思うが、読んでみてよかった。

『東欧怪談集』 沼野充義編 河出文庫
 「東欧的渾沌」に満ち溢れた、優れたファンタスチカ集。怪談といいつつ幻想色の強い作品も多く収録されていて、このあたりが如何にも“東欧風”と言えるかも。まさに集大成とでもいうべき内容で、取り上げられている作家もチャペックにエリアーデといった有名どころから全く聞いたことが無い作家までさまざま。収録作も、夢とも現実ともつかない奇妙な作品から、まさに怪奇と呼ぶに相応しい作品まで幅広く収録されている。どれも好かったのだが、特に気に入ったのは次に挙げるあたりだろうか。
 まずはポトツキの有名作「サラゴサ手稿 第五十三日」。(それにしても完全版はいったいいつ刊行されるのだろう。)そして『動きの悪魔』が出たばかりのグラビンスキによる「シャモタ氏の恋人」。ファム・ファタルか魔女か甦る死者か、なにかよく分からないけどそんな話だ。レシェク・コワコフスキ「こぶ」はとても変な話。変な話は好きだ。他にはフリジェシュ「ドーディ」、ミハエスク「夢」あたりも好い。いやこれはお買い得な一冊だった。

『第三の魔弾』 レオ・ペルッツ 白水uブックス
 長らく復刊が待ち望まれていた幻想歴史小説の幻の一冊。このたび目出度くも「永遠の本棚」のシリーズに収録された。スペイン人による新大陸侵略とカトリック対プロテスタントの対立の時代を背景にして、片目の男が辿る数奇な運命を語った著者の第一長篇で、現実の歴史と虚構を練り合わせる腕は流石。物語はその後の著作に比べれば直線的で、著者の他の作品に比べて構成の甘さが指摘されたりもしていたが、なかなかどうして。第一の魔弾が放たれるくだりなど、ぞくぞくするほど面白い。技巧的に凝っていない分だけ却って筋を追いやすいともいえるかも知れない。それにしても彼の小説は「運命」や「宿命」という言葉がよく似合うね。読んでいる間中、なぜか『幻燈辻馬車』や『どろろ』が思い出されてならなかった。

『死者の花嫁』 佐藤弘夫 幻戯書房
 古代から中世を経て近世へと至る、日本人の死生観を探った本。葬送儀礼や遺構、あるいは文芸作品の背景となる社会意識を読み解くことでで、柳田民俗学によって定説となっている日本人の死生観を覆す。大変に刺激的で面白い。また後半には、伝統的な家制度の崩壊によって現在に現れつつある新たな死生観の萌芽も示される。

『スティーヴンソン怪奇短篇集』 福武文庫
 『宝島』や『ジーキル博士とハイド氏』で有名なロバート・ルイス・スティーヴンソンの数多い作品の中から、幻想怪奇の味が強い作品ばかりをセレクトした短篇集。予想をはるかに上回る出来の作品ばかりで、予想以上に良かった。南洋の島々を舞台にした「びんの小鬼」や「声の島」は神話の薫りもして限りなく愉しい。また「ねじけジャネット」「トッド・ラブレイクの話」は呪われた人々の描写がかなり怖い。以前読んだ『新アラビア夜話』といい、この作家、なかなか侮れない。
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プロフィール

舞狂小鬼

Author:舞狂小鬼
サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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