『コングレス未来学会議』とスタニスワフ・レムの話

 昨日、今池にある名古屋シネマテークへ行ってきた。観たのは『コングレス未来学会議』という、実写とアニメーションを組み合わせた摩訶不思議な映画だ。『戦場でワルツを』で有名なアリ・フォルマン監督が、ポーランドの作家スタニスワフ・レムの『泰平ヨンの未来学会議』という中篇SF小説を映画化したもの。ドイツ/フランス/イギリス/ポーランド/ベルギー/ルクセンブルグ/イスラエルの世界7か国による共同製作なのだそう。原作は宇宙探検家の泰平ヨンという人物が狂言回しで登場する連作の中のひとつで、“未来学会議”という趣旨のよくわからない学会に招待されたヨンが、はるばる出向いたコスタリカの超巨大ホテルで政府軍と革命軍の争いに巻き込まれるという話。前半では至福剤・超歓喜剤・慈悲剤・激昂薬といった数々のドラッグが、水道に混ぜられたり大気中にばらまかれたりした影響で、ヨンは現実とも幻覚とも区別がつかない悪夢の世界を体験する。そして後半では薬剤治療のため冷凍状態におかれたヨンが数十年後に解凍され、さらに発達した“点線状幻覚剤”の登場によって精神化学的ユートピア(?)が実現した未来社会を体験する。レムには珍しいスラップスティックな笑いの前半と黒いユーモアに満ちた後半が対照的な、諧謔と諷刺に満ち溢れる作品だ。
 多種多様な作品があるレムの作品のなかでもこの『泰平ヨン』シリーズというのは一風変わっている。代表作『ソラリス』(別名『ソラリスの陽のもとに』)や『宇宙飛行士ピルクス物語』のように、レムといえばすぐに深い科学知識に基づいたハードなSFを連想する事が多いが、この泰平ヨンのシリーズでは技術や工学的なアプローチよりむしろ、『宇宙創世記ロボットの旅』や『ロボット物語』と同じような、笑いの中に哲学的な探究が展開されるファンタジーといった方がいい。(もっとも著者自身の中ではいずれも「ファンタスチカ」というジャンルで一括りになっているのかもしれないが。)ちなみに『ソラリス』はこれまでに2度映画化されているが『泰平ヨン』の映画化はこれが初めてであり(*)、その意味でも大学時代からのレムファンとしては注目せざるを得ない。

   *…正確には長編映画化と日本公開が初めて。

 この映画、実は前評判がかなりよかった。「原作とは設定やストーリーを変えてあるがレムの思想を忠実に映像化している」とか、「悪夢のような世界をアニメーションで上手く表現している」とか、なかなか気になる情報がちらほらと事前に聞こえていたのだが、如何せん名古屋での公開は東京公開から約一か月遅れ。仕方ないのでせめて前売りを買って、公開初日の朝一番の上映へと駆け付けることにした。雨の降る中、家から1時間ほどかけて20分前に着いたのだが、入口には開場を待つ人の列がすでに10名ほどできている。さすが熱心な映画ファンが通う場所だけのことはある。(それとも今回は熱心なSFファンなのかな?)
 やがて開場時間になり、席について窓口で買ったパンフレットをパラパラと眺めているうち、予告編につづいて2時間余りの本編が始まった。うーむ、たしかにこれはすごい。途中で飽きさせない。レムの原作は作中作としてアニメーション部分で表現され、その外側には女優ロビン・ライトが実名で登場する実写のオリジナルストーリーが配置される。全体として確かに原作と別の物語になってはいるが、見事に換骨奪胎に成功していると思う。原作が持つ“毒”はそのまま生かしながらも、同時に家族の愛や巨大産業の狂気、そしてひとりの女優の生き様といったものが描かれていて、映画としても上手く出来ている。
 気に入っている小説ほど映画化されたときの失望が大きいので、初めて話を聞いたときはちょっと警戒したのだが、それは杞憂に終わった。大変に好かった。以前見た『ムード・インディゴ うたかたの日々』(**)と同じくらい気に入ったぞ。

  **…原作はボリス・ヴィアン『うたかたの日々』(あるいは『日々の泡』)

 というわけで、ここからは少し話が変わる。今回の『コングレス未来学会議』の公開がきっかけになって、集英社からハードカバーで出たきり幻となっていた原作『泰平ヨンの未来学会議』がハヤカワ文庫に収録されたのをはじめ、なぜか今年はレム作品の出版ラッシュになっている。
 ハヤカワ文庫では他にも通巻2000番記念出版として、国書刊行会『レム・コレクション』の第1回配本だった『ソラリス』が装いも新たに刊行されたり、本家の『レム・コレクション』の方でも、8年間滞っていた『短篇ベスト10』の刊行もついに実現し、全巻完結までああと『変身病棟・挑発』の一冊を残すのみとなった。さらにはずっと品切れ状態だった『天の声・枯草熱』も久しぶりに重版されるなど、一部を除いては殆ど手に入らない状態が続いていたレムの傑作が、以前よりも手に入れやすくなったのはファンとして嬉しい限りだ。これが再評価につながって『宇宙創世記ロボットの旅』『捜査』『星からの帰還』といった作品が再刊されると良いのだがなあ。

<追記>
 そういえばここ数年の間に今回のレムと同様に突然の出版ラッシュに驚いた作家が何人かいる。たとえばR・A・ラファティやジーン・ウルフ。あるいはアンナ・カヴァンやレオ・ペルッツといったところ。(いずれもマニアックな名前ですいません。)思えば、一部のファンに熱望されながらも長らく入手困難だった作品群が、突如、比較的短期間に集中して復刊あるいは新訳されるケースが増えている気がする。読みたくても古書価が高騰して手に入れられなかったものが多いので有り難いが、これは一体どういうことなのだろうか。
 昔、夢中になって読んでいた人たちが今度は読者ではなく送り手の立場になったから? それともハードカバーで小部数発行する仕組みに翻訳書ビジネスが変わったから? 色々な理由は考えられるが、どれも今ひとつピンとこない。まあこちらとしては出てくれるだけ嬉しいのだけれど。いずれにせよ、ただでさえ縮小気味と言われている出版業界の中の、更に限られた市場である翻訳小説のジャンルが無くなってしまわないよう、自分としては狂喜しながらも涙を呑んで買い続けるしかないわけだ。(笑)
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『国際文化フォーラム/女性作家・評論家によるパネル 2015』

 椙山女学園大学の星ヶ丘キャンパスで7月4日(土)に開催された、東海地区在住の女性作家・評論家によるパネルディスカッションへ行ってきた。主催は椙山大の国際コミュニケーション学部で、昨年開かれた第1回が好評だったためメンバーを更にパワーアップして開催されたものだ。昨年は小説家の水生大海氏と堀田あけみ氏(彼女は椙山大の国際コミュニケーション学部教授でもある)、それに書評家の大矢博子氏の3名だったが、今年は小説家の後藤みわこ氏と吉川トリコ氏も加わって全部で5名。さらに賑やかでバラエティに富んだ話を聞くことが出来た。
 ちなみに椙山大・国際コミュニケーション学部では、他にもSFやアニメなど多彩なテーマでフォーラムやシンポジウムを定期的に開催しており、しかもそれらは無料で一般に公開されている。今回のフォーラムでも司会をされていた長澤教授の尽力によるところが大きいとおもうが、このような取り組みは今後もぜひ続けて頂けるとありがたい。大変面白いので、スケジュールが合えば一度覗いてみることをお薦めしたい。(普段は絶対に部外者が入れない女子大キャンパスでの開催というのも面白いし。)
 当日はせっかくなので午前中から「土日エコキップ(*)」を買って、栄の愛知県美術館で開催中の「片岡球子展」にも行ってきた。(こちらも大変面白かったのだが長くなるので今回は省略。)その後、今池にちょっと寄り道して『コングレス未来学会議』の前売りチケットを購入したのち、キャンパスのある星ヶ丘へと向かう。会場へは開始時刻の14:00に少し余裕をもって15分ほど前に着いたのだが、すでに大教室は大勢の人でほぼ埋まっている状態。最終的には100名強の会場定員に対して70名くらいの人が参加したようで、回を重ねるごとに参加者も増えている様子。そのうちもっと早く来ないと入れなくなるかなあ。

   *…名古屋市の市バスと地下鉄が一日乗り放題になるチケット。土日と休日のみ使用可。

 既に会場に来ていた読書会関係の知人の方たちと合流して席に着き、入口で配られたアンケート用紙などを眺めているうちに時間となった。まずは長澤教授の挨拶とメンバー紹介からスタート。今回は前半を5名のフリーディスカッションで行い、著作の即売会&サイン会を兼ねた休憩を経て、後半は学生による質疑も予定されているとのことで、なかなか楽しみだ。ただちょっと気になったのが、チラシにも長澤氏による挨拶でも本パネルのテーマ紹介が無かったこと。そしてその理由はパネルが始まり堀田氏にマイクが渡ってから判明した。なんと大まかなテーマも決めてないし、どなたもレジュメの類いを一切準備していないというのだ。完全フリートークという荒業だが、この顔ぶれなら確かにそれでも何とかなるだろうと妙に納得してしまった。(笑)

 というわけで、ここからはその時のメモから当日の様子をなるだけ整理して書きだしてみたい。
 初参加の方もいらっしゃるということで、自己紹介も兼ねてパネラーの皆さんのデビューのきっかけになった新人賞の話題からスタートとなった。最初の滑り出しだけ決めておいてあとは即興で進めるというのが、なんとなくフリージャズみたいで面白い。
 堀田あけみ氏は16歳の時に書いた『1980 アイコ十六歳』で、「文藝賞」を史上最年少で受賞してデビューしたのだが、ご本人の談によれば「なぜ名古屋の女子高生がわざわざ東京の出版社に応募したのか、自分でも理由がよくわからない」とのこと。当時好きだった唐十郎の作品が載っていた「文藝」を買ったら、たまたま賞の応募要領が載っている号だったとか、生まれて初めて書いた長篇(=後のデビュー作)の出来があまりに不満足で自己嫌悪に陥り、庭で焼こうと思ったが自分で火をつけるのに忍びないので、出版社に送って落選したらそのまま処分してもらえるだろうと思ったとか(笑)、色んな話が出たが、結局のところ本人でも説明できない衝動や勢いということなのだろう。(どうやら「文藝賞」以外の賞があることを当時は知らなかったらしい。)
 続いては水生大海氏。氏は「ばらのまち福島ミステリー文学新人賞」(2008~)に応募した『少女たちの羅針盤』が優秀作に選ばれてデビューしたのだが、その前から複数の公募系新人賞に応募していたとのことだ。新たに創設されたこの賞は推理作家・島田荘司氏が一人で選考するのが特徴だったとのこと。下読みも一般公募だそうで、プロによる減点方式でないから光るものがあれば最終選考に残りやすいだろうとか、ある出版社の単独主催ではなく複数の出版社が関係しているのでデビューしやすいのではないかとか、色々とシビアな計算をしたうえで(笑)、応募に至ったようだ。ここで隣の吉川トリコ氏から質問がでて、そもそもなぜ小説を書こうと思ったのか?という話題になった。水生氏からは「はじめは漫画を描いていたが、絵の描き方についての入門書はあってもストーリーの作り方を説明した参考書がなく、やむなく小説の書き方の本を参考にしているうちにそちらが面白くなってしまった」といった説明があった。そしてどうせ書き続けるならプロになってみたいという気持ちが徐々に大きくなっていったとのこと。(後の方でも話題になったが、どうやら作家の方には概して書かずにはおれない、一種の“業/ごう”のようなものがあるようだ。)
 吉川トリコ氏の場合はまた違っている。彼女は大学で小説ゼミに入ったことがきっかけで、その理由は「卒論の代わりに小説を書けばいいから」という割と安直な(失礼!)ものだったようだ。(ちなみにその時書いた作品は「すばる文学賞」(=純文学の新人賞)に送ったが落選になったとのこと。)その後、大学を卒業して仕事をするようになってから暫くは創作と無縁の日々が続いたそうだが、転機が訪れたのはパソコンを買ってから。何となく小説書きを再開してホームページでアップし始め、「放っておいても書いちゃうので、どうせならお金にしよう(笑)」という理由で新潮社「女による女のためのR-18文学賞」に送ったら見事に対象を受賞してデビューに至ったのだそう。なお、なぜこの賞を選んだのかという質問に対しては意外な答えが返ってきた。なんでも、家に応募原稿を印刷するためのプリンターが無く、ネットで応募を受け付けている新人賞が当時これを含めて2つしかなかったためらしい。また応募条件が30~50枚程度の短篇だったので、これならさほど負担でもないというのも大きな理由だったと。まあ作家になる方はどんなきっかけでもなるものだなあと思った。(笑)
 次の後藤みわこ氏の場合はまたがらりと変わる。彼女はキャノワード等のワープロ専用機の時代から自分で小説を書いてはご自身でみつけた読者に送ったり、あるいは集英社コバルト文庫の新人賞に応募していたそうで、どちらかというと新井素子氏のように早熟型だったようだ。結婚して名古屋郊外にある現在のご自宅に住むようになってからは、交通の便が悪いこともあって懸賞や投書くらいしか(趣味の世界では)出来ることが無くなってしまい、バブルの頃に企業がよくやっていた童話の賞に小遣い稼ぎの目的で応募していたのだそう。結構表彰はされたようだ、所詮その手のものはPR誌に載っておしまいになるケースが殆どであり、そのうち一念発起して児童文学の新人賞に応募するようになり、その中のひとつがデビューのきっかけとなった「福島正美記念SF童話賞」だったのだそうだ。氏の話で面白かったのは「小説は100枚かかないと応募できないが、童話は5枚くらいなので同じ手間で20篇書けるので応募しやすい」というコメント。いや、20篇の話を考えるのはどう考えても短篇ひとつより大変でしょう......。
 また最初のうちはいくら書いても賞にかすりもしなかったが、あるとき自己分析して「“童話”を書いていると思うからダメで、子供向けに“小説”を書いているんだ」と気持ちを切り替えてからはどんどん通るようになったとのこと。うん、言いたいことは何となく解る。先ほどの水生氏もある時まではいくら出しても通らなかったのに、「ばらのまち福島......」で賞をいただいたときには他に応募したものも最終選考まで残っていたそうで、結局は個人のレベルがある水準を超えるまでいくら出してもダメということなのかも知れない。
 「ショートストーリーなごや」という賞の審査員をやっている堀田氏からも、同じく審査員である作家・清水義範氏からの「落ちたのと受かった作品にはたぶん差は無く、その年の“運”(≒審査の流れ)をつかんだ作品が出てくるだけ」というコメントの紹介があった。うむむー、何だか深い話だ。
 話を戻そう。パネリストの最後は書評家の大矢博子氏。氏は作家ではなく書評家なので他の方とは事情が違っている。氏の場合はネットの黎明期に自らホームページを立ち上げ、そこで本の紹介記事を書いていたのが出版社の目にとまったのがきっかけだそう。後の質疑で出た「数多い読書系の記事と何が違っていたと思うか?」との問いに対しては、おそらく(記事の)読者を対象にしていたかどうかがポイントだったのではないかという話だった。ブログなどでもそうだが、単なる自己満足の文章と読者を意識した文章ではレベルに差がついてくるそうだ。「褒めても貶してもいいが、その本を読んだことが無い人に読みたいと思わせる文章でなければ駄目」という言葉にはプロの書評家の重みがあった。
 話は変わって自分たちがとった新人賞のジャンルについて。賞に応募するにはその賞がもつ性格にあった作品を送らなくてはいけない。最近多いのが定年退職して時間のできたオヤジさんがあちこちに送るケースだそうで、中にはポプラ社の新人賞に郷土史の作品を送ってきた人もいるとか。作家として続けて行きたいなら、デビューだけでなく受賞後に出版社から依頼されるそのジャンルが自分にあっているかもよく考えないと、長続きはしないようだ。水生氏はミステリー畑の人なので、デビュー前に片っ端から書いて送っていた中にはホラーもあったがやはり駄目だったらしい。氏が本領を発揮するのは謎が最期には“理におちる”タイプのミステリーなのだが、今の日本で流行っているのは実話系など“理におちない”ホラーなので、そういうタイプの作品でないと通りにくいだろうとのこと。(もしくは「しゃばけ」のように時代物であるか。しかしこちらも今では需要と供給のバランスがとれてしまっているので、これから同じタイプの小説を書いても二番煎じは拭えず、売れない可能性は高い。なお宮部みゆき氏もミステリーとホラーの境界上の作品を書いているが、氏の頃には「ホラー・サスペンス大賞」のような両方にまたがる賞があったのでまだよかったが、今なら厳しかったかもしれないとも。)
 堀田氏が非常勤講師をしている講座では、女性は自分の好きなものをとりあえず一生懸命に書いてくるが、男性は「このジャンルが流行っているから」という理由でテーマを選ぶ傾向があるそうだ。もっと酷いのになると「自分はプロを目指すのだから、この講座の誰よりもすごい作品を書く」という思い込みが強くて、結局何も書けなくなるケースもあるそう。小説家を目指しているので就活もしないという学生もいるようだし、どうも男の方がこじらせるケースが多いように思える。

 話はどんどん変わっていく。今度は創作を志す人とそうでない人の違いについて。大矢氏からは面白い本を読んだ時「こんな話をもっと読みたい」と思う人と、「自分もこんな話を書きたい」と思う人に分かれ前者は長じて書評家に、そして後者のうち実際に書き始めた人が作家になるのだという仮説が出された。それを受けて水生氏が小学生の頃に小説を書いてみたけれど最後まで書きとおせなかったという話や、吉川氏が100枚くらいのプロットは書くけど一枚も書きだせなかったなど子供の頃の思い出話をすれば、後藤氏は「最後の感動シーン」まで作ってあるが、そこまでプロットを作り上げる力が無くておかしな話になってしまったという告白が。そして堀田氏からは「小説を書く人は誰しも痛いことをずっとやってきた」という名言がとびだし、皆がはげしく頷く場面もあった。つい先達て太宰治が若いころサインの練習をしたノートが公開されたように、いやそれどころかシェイクスピアも今でいう「厨二病」っぽいところがあったように、創作者は誰もが黒歴史のひとつやふたつ持っているのが普通なのだから、別に恥ずかしいことではないのだそうだ。(かと言ってあまり堂々とされても困るそうだが。/笑)
 最後は大矢氏が「プロ作家はみな根っこに厨ニ病をもっている。技術や知識でそれを受け入れやすく表現することは出来ても、創作意欲は厨ニでなければ生まれない」と上手くまとめた。

 次は男性視点と女性視点の違いについて。堀田氏から、講座で課題を与える際に、それまで小説を書いたことが無い女性は「自分を反映した主人公にして、イケメンの幼馴染と先輩の間で揺れ動く心」みたいなものを書いてくるという話が振られる。それをうけた吉川氏から「夢を描きたいけれど現実の男には失望しかないので(男女関係での)ハッピーエンドは書けない。むしろ女同士の友情に夢を描きたい」という創作の秘密が明かされる。
 水生氏はミステリーなのでトリックが全ての基本となり、その中で編集から「もうちょっと希望をもたせる感じで」といった演出上の依頼があると、登場人物のセリフや行動に修正を加えることはあるのだという。一方後藤氏からは、児童文学の場合ハッピーエンドにする縛りはないが、代わりに主人公が物語を通じて成長することを望まれるとの意見。(ちなみにホームズ物は主人公が成長しないから児童文学的にはアウトだそうだ。むしろハードボイルドの方が、苦悩の末に何かをつかむ主人公が児童文学との親和性が高いという指摘は面白かった。)
 ここでジャンル小説ではない一般文芸では同様に縛りはないかという質問が出て、吉川氏から「媒体による」というコメントがあった。たとえばつい先日まで連載をしていた新聞の場合だと、犯罪や政治性をもった作品はNGと言われたそうだ。また、差別用語など「NGワード」というのは全体に存在しているようで、「村八分」という言葉を「仲間外れ」とされたケースや「つんぼさじき」「めくら縞(注:和服の柄)」なども使えないといった話もあった。しかし大矢氏が云うように江戸時代を舞台にした作品で「目の不自由なやつ」という表現は、たしかに行き過ぎだと思うな(苦笑)。業界が「ポリティカル・コレクトネス(≒政治的・社会的な公平性)」ばかりに気を遣って、行き過ぎた自粛を続けると、昔の作品とその時代が持つ特有の空気がわからなくなってしまうし、第一、過去の言葉が消えて行ってしまうという真面目な結論がでたところで気が付くと1時間10分経過していた。
 ここで前半は終了。冒頭にも書いたように即売会とサイン会を兼ねた45分間の休憩となった。(自分は大矢氏のエッセイを一冊ゲットしてサインをいただいた。)

 さて後半は少しスタイルが変わる。ここからは学生代表として片岡さんという方が壇上にあがって、パネリストの皆さんへ質問をしていくスタイルになった。(けっこう長くなってしまったので、ここからは箇条書きにしてかいつまんで書くことにしよう。)

Q1:これまで読んだ小説でお気に入りや印象に残ったものについて
■堀田あけみ氏:
 トラヴァース『とびらをあけるメアリー・ポピンズ』(シリーズ最終話)
 澁澤龍彦『高岳親王航海記』(言葉だけでどんな時代のどんな世界でもつむげる)
■水生大海氏:
 佐藤さとる『コロボックルシリーズ』(子供のころ)
 横溝正史『本陣殺人事件』『犬神家の一族』『八つ墓村』など
■吉川トリコ氏:
 クリスティ『春にして君を離れ』(この先なんども読み返すであろう本)
■後藤みわこ氏:
 福島正美『宇宙にかける橋』(子供のころ)
 クリスティ『オリエント急行の殺人』(高校のころ。『春にして…』もすごく好き。)
■大矢博子氏:
 『あしながおじさん』『若草物語』『ジェーン・エア』(『コロボックル』『春にして…』や
 栗本薫の諸作品も全てが好き。最近では加藤シゲアキ『傘をもたない蟻たちは』がお薦め。
 (NEWSのひとりが書いた文学作品だが本当にうまいらしい。ピース又吉みたいな感じか?)

Q2:原稿はどのように書いているか?
■堀田あけみ氏:
 論文以外の原稿は全て手書きで紙に書き、消しゴムで消して修正している。電子データで請求されたら完成原稿を改めてワープロに起こし直す。
■水生大海氏:
 最初にプロットを起こすのはアイデアノートのメモ。それを文章にして編集のOKを貰うとおもむろにPCで原稿を書き始める。プリントアウトしては朱を入れて打ち直す作業を、数回繰り返して完成。
■吉川トリコ氏:
 プロットをかけない人間なので、アイデアメモの段階からいきなりPCで打ち込み始める。
■後藤みわこ氏:
 手では一切書かない。テキストエディタ等を使ってアイデアから全てPC上で作業。章ごとのメモにまとめている。
■大矢博子氏:
 手書きは一切しない。5枚程度の書評であれば本を読みながら構成を考え、電子書籍で気になったところにアンダーラインを入れてあとでまとめる。

Q3:特定ジャンルに対する苦手はあるか?
■堀田あけみ氏:
 ミステリーは絶対に自分には書けない。
■水生大海氏:
 恋愛ものは苦手。ミステリーの演出としてなら書くことは出来る。
■吉川トリコ氏:
 BLものは(読むのは好きだが)絶対に書けない。
■後藤みわこ氏:
 ジャンルではないが、女の子の一人称小説は書けない。男は夢をもって書いているから
 得意だが、女は距離が近すぎて書けない。
■大矢博子氏:
 一読者としては幻想小説やハードボイルドは苦手。っしかし評論を依頼されれば、どんな
 ジャンルでも読者がどこに魅かれるかを知識として得た上で文章を書くことはできる。

 ここで突如、「男の描く女」と「女の描く男」の話になった。物語を読むとき、男は自分を主人公に投影して“点”つまり対象物に萌えるが、女は“点”ではなく“線”つまり関係性をちょっと離れた位置から眺めるのが好きという話に。たとえば女性の場合、アイドルを好きになっても別に自分と付き合ってもらいたいとは思わないのと同じなのだそう。(芸能人が結婚して絶望するのは結婚の可能性がゼロになったからではなく、結婚という卑近なことをしたがために興醒めするからなのだそうだ。)

 以上で準備した質問は終了。ここからは会場の質疑応答へとうつる。

Q4:映画のブログを4年続けているが、どうしたら面白くできるか?
■大矢博子氏:
 単に自分の感想を書きたいだけならそのままで。しかしもっと他人が読んでも面白くしたいのなら、読者の存在を常に意識して文章を書くこと。それだけでは物足りなければ、映画雑誌などに投稿することも考えると良い。

Q5:アイデアの発想源は?
■堀田あけみ氏:
 常に妄想している。妄想のうち作品になるのは1%ぐらいしかない。一人で歩いている時や座っているときなどに怖い顔やにやにや笑いをしながら妄想している。
■水生大海氏:
 日常生活の中で常にネタにならないかを考えながら暮らす。昔、派遣社員だったころのエピソードを今でも憶えておいて使ったりも。
■吉川トリコ氏:
 本や映画からインスピレーションをもらう場合と、日常生活で感じるちょっとした違和感やひっかかりをとことん突き詰める場合がある。
■後藤みわこ氏:
 童話のお題をもらって、それをどう膨らませるか考える。他には日常生活でどこから降ってくるか分からない。

Q6:自作のキャラクターへの入れ込み具合は?
■堀田あけみ氏:
 主人公よりむしろ脇役キャラに感情移入していることが多く、親バカのように勝手にスピンオフ的な話の展開を妄想している。1作目のサブキャラを2作目のメインキャラにして連作を書いたこともある。
■水生大海氏:
 ミステリーの場合キャラよりもまず大枠の方が先。「ある男が女と出合って殺す」とか(笑)。その後ストーリーを考え、細かなキャラを作っていく。続篇の場合は先にキャラ設定を優先して物語を考えることもある。tdし愛着がないキャラはいない。悪役であっても愛着はある。
■吉川トリコ氏:
 キャラクターは物語に要請されてストーリーと同時に出てくる。作家の阿多あの中にはそんなに多くのキャラクターがいるわけではないと思う。自分の場合は10人ぐらいの小劇団がいて、彼らが役割を変えてとっかえひっかえ出てくる感じがある。だからたまに物語によって“客演”があると嬉しい。(笑)
■後藤みわこ氏:
 どちらかというとキャラクター先行型。無口だったりストイックな人に憧れているので人物造形は重要。自分で自分の作品を使って二次創作を書いたりもしている。(もちろん発表はしない。/笑)

Q7:キャラが勝手に動き出すことは?
■堀田あけみ氏:
 ある。自分でもあるし、学生の課題を読んでいてもキャラへの愛着が強すぎて暴走していることがある。
■水生大海氏:
 キャラクターの細かなところまで考えて書き始めないので、書いてるうちにふと「降りてくる」感じがすることはある。
■後藤みわこ氏:
 ある。自分が(そのキャラを)書いている感じがしない時はたしかにある。

 その他、創作を目指す女子学生に対してのアドバイスとして、後藤氏からは若いうちにヤングアダルトや児童文学など競争相手の少ないジャンルに挑戦するといいとの意見があった。(若い人は皆ラノベに走ってしまい競争率が上がっているのに比べ、児童文学はおじさんおばさんばかりなのだそうだ)また大矢氏からは、定年になって余裕が出来てからなんていってないで、若いうちに、小説の形になっていなくてもいいから、どんどん新人賞に応募してもらいたいという意見もあった。下手でも光るものがあれば編集は注目するが、出さなければエントリーすらされないと。

 ふう。ざっと駆け足でご紹介するつもりが、結局長くなってしまった。(ここまでお付き合いいただきありがとうございました。)
 14:00から17:00まで途中休憩を入れて3時間ものイベントもあっという間に時間となり、最後に長澤教授による挨拶でお開きとなった。このパネルは来年以降も続けられる限りは続けたいとのことで、また次回以降は何かのお題を決めて行うという話も。楽しいことはこれからもまだまだ続いてくれるようだ。

2015年6月の読了本

『ソラリス』 スタニスワフ・レム ハヤカワ文庫
 ポーランドの国民的作家スタニスワフ・レムの代表作を、ポーランド語の原典から沼野充義氏が改めて訳し直した決定版。元は国書刊行会からレム・コレクションの一冊として刊行されたものだが、このたびハヤカワ文庫SFの2000番達成記念として装いも新たにお目見えした。同文庫には飯田規和氏の訳による『ソラリスの陽のもとに』という題名で既にあるが、こちらはロシア語からの重訳でいくらか省略された箇所もあり印象も若干違う。両者を読み比べるのもまた面白い。

『明日のプランニング』 佐藤尚之 講談社現代新書
 著者は“さとなお”のハンドルネームで早くからネットに自分のホームページを開設し、そこに公開された食べ物エッセイが書籍化されたりもしている人物。こちらは本業のマーケティングや広告プランニングに関するビジネス書だ。語り口は軽めで親しみやすいが、内容は結構斬新で面白い。従来のようなマスコミを通じた広告宣伝が通用しなくなってきた今を分析し、ネットと口コミを通じた新しいマーケティングの方向性を探っている。

『シャイニング(上/下)』 スティーヴン・キング 文春文庫
 モダン・ホラーの巨匠の初期を代表する長篇作品。一般的にはスタンリー・キューブリックの手による映画の印象が強いが(なんせ主演のジャック・ニコルソンの顔が怖い/笑)、原作は正統的なお化け屋敷ものであり、雪に閉ざされたシーズンオフのリゾートホテルを舞台に、“シャイニング/かがやき”を持つ5歳の少年とホテルに巣食う悪霊たちが対決する。現代社会がもつ病理、そして家族を巡る苦悩とその克服も描かれ、単に怖いだけでなく深い奥行きを持った作品に仕上がっている。つい最近、数十年ぶりに続篇となる『ドクター・スリープ』が刊行された。

『短篇ベスト10』 スタニスワフ・レム 国書刊行会
 このところSF界隈がレムづいている。本書は長らくストップしていたレム・コレクション叢書(全6巻)の第5弾で、前作『大失敗』から8年を経てようやく刊行された。内容は題名の通りの短篇集で、本国で読者投票と著者自身によって選ばれた10作品が、(『ソラリス』と同様に)ポーランド語からの原典から訳されたもの。バラエティに富んだ物語集になっていて、長篇より更に濃縮されたアイデアの塊を時間をかけて咀嚼すると、色とりどりの豊穣な世界に圧倒される。哲学的なアイデアをユーモアの衣で味付けしたり幻想的だったりと、レムのまた違った一面が見られて面白い。今では入手困難な『宇宙創世記ロボットの旅』や『ロボット物語』といった連作集から取られた作品や、雑誌に一度掲載されただけの作品もあるのでファンなら買って損はないだろう。個人的には読者の想像力の限界を試すような珍妙かつ哲学的な「航星日記・第二十一回の旅」「洗濯機の悲劇」や、宇宙を舞台にした暗いトーンの「テルミヌス」あたりが特に好かった。

『迷う門には福来る』 ひさだかおり 本の雑誌社
  「方向音痴エッセイ」あるいは「迷子エッセイ」という新しいジャンルを確立した爆笑本で、“WEB本の雑誌”連作したものに加筆修正と描き下ろしを加えたもの。著者は名古屋在住の書店員さん。わが家の近所にある行きつけの書店に大量に積まれていたのが目に留まり読み始めたのだが、実はご本人が働いているのがその店だったことがあとから判明した。ツイッターで早速お知り合いになったりと、一冊で何度も愉しい本だった。縁というのはあるものだなあ。

『吾輩は猫画家である ルイス・ウェイン伝』 南條竹則 集英社新書ビジュアル版
 20世紀初頭にイギリスで活躍したイラストレーターの伝記。この人のことは知らなかったのだが、本を書いたのが怪奇文学の翻訳も手がけるお気に入りの作家さんということで、面白くない訳がないと即買いした。ウェインは猫を擬人化したユーモアあふれる絵で一世を風靡したとのことで、本書にも当時の本の挿絵や絵葉書がたくさん載っていて愉しい。ちなみに夏目漱石の『吾輩は猫である』の文中でもそれらしき絵が言及されていて、本書では絵葉書収集家の林丈二氏が苦労のうえ特定した(!)元の絵も紹介されている。私生活はあまり恵まれなかったようで、晩年には精神病を患い入院したが、その時彼が描いた「万華鏡猫」と呼ばれる作品群は統合失調症の患者の絵として有名だ。(これは自分も見たことがあった。)自分はどちらかといえば犬派なのだが本書はイラストともども愉しく読めた。猫好きな人にはかなりお薦めかもしれない。

『本屋になりたい』 宇田智子 ちくまプリマー新書
 著者はかつて大手新刊書店に勤め、沖縄店への転勤を機に現地で古本屋へと転職した人物。「那覇市の公設市場近くの小さな古本屋」として人々に本を届ける仕事を通じ、「本を読む」という行為についても色々と考えさせられる。古本屋としての生業の部分は割と入門的な記述が多いのだけど、「沖縄に関する書籍に特化した店」とした関係で、例えば県産本が多いことなど沖縄独特の市況が垣間見られて興味深い。イラストを漫画家の高野文子氏が描いているのも評価が高いぞ。(笑)

『僕僕先生 鋼の魂』 仁木英之 新潮文庫
 中国を舞台にしたファンタジー小説『僕僕先生シリーズ」の第6弾。仙人の僕僕先生にその愛弟子の王弁、さらには薄妃、劉欣といったお馴染みの一行はもちろんだが、今回はそれに加えて秘密結社「胡蝶」の“捜宝人”であるニヒルな宋格之とそのパートナー紫蘭がゲストとして参加している。のほほんとした王弁と先生との掛け合いと、厳しい境遇を生き抜く人々のドラマの対比が相変わらず巧い。続けて読んでいるシリーズは今では殆どないのだが、本書は書店で見かけるたびについつい買ってしまう数少ない作品だ。

『猫町 他十七篇』 萩原朔太郎 岩波文庫
 散文詩または小文からなる短篇集。著者の他の作品は読んだことが無いのだが、本書の収録作に限って言えば割とおとなしめで小ぶりな印象。でもその中で表題作だけは幻想味が際立っていて大変気に入っている。「磁石の方角を直覚する感官機能に、何らかの著るしい欠陥をもった人間である」ところの作者が、いつもの道から一歩外れただけで見当識を失った結果、見慣れた町が一瞬で見知らぬ風景へと変貌をとげる様子がいい。(ただし先に読んだ本の印象があまりに強かったせいで、読んでいる間中“これは萩原朔太郎版の『迷う門には福来る』ではないか?”という声が脳裏に浮かんでいた。/笑)他には「ウォーソン夫人の黒猫」「貸家札」あたりが個人的には好み。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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