『虎よ、虎よ!』 アルフレッド・ベスター ハヤカワ文庫

 近々参加する予定の読書会のために再読したのだが、何度読んでも面白い。いや、繰り返し読むほどに面白くなるというべきか。自分が本格的にSF小説を読み始めたのは中学生の時だが、本書は当時からガイドブックの類いでは必ず取り上げられていた作品だった。おかげで一気に何十年も若返ったような気分。(笑)

 ひとくちにSFといってもサブジャンルとして色々な種類がある。(ミステリでいえば本格物やスパイ物、冒険小説にサイコホラーがあるようなものだ。)たとえばスターウォーズのような冒険活劇の元祖ともいうべきE・ハミルトン『キャプテン・フューチャー』やE・E・スミス『レンズマン』といった“スペースオペラ”。S・スタージョン『夢見る宝石』やF・ライバー『闇の聖母』といった幻想SF。もしくはR・L・フォワード『竜の卵』にH・クレメント『重力の使命』のようなハードSFなど、作風も目指すところもそれこそ千差万別。
 中にはブラッドベリやヴォネガットのように文学の世界と重なる作家もいるし、誰にも似ていない独自の世界を展開して、根強い人気を誇る作家もいる。後者の例を挙げるなら、例えば実存の不安とチープなSFアイデアを融合して悪夢の世界を作り出すP・K・ディック。あるいは“内宇宙”の探究を通じて現代社会の病理をえぐるJ・G・バラード。そして哲学的な思考を追究した孤高のポーランド作家S・レムもそう。いちいち挙げていくとキリがない。
 
 本書『虎よ、虎よ!』はそういったサブジャンルで考えた場合、“ワイドスクリーン・バロック”と呼ばれる小説になる。簡単に言えば「奇想」を売り物にした作品群とでも言えば良いだろうか。もともと“ワイドスクリーン・バロック”という用語は作家B・W・オールディスがSFの歴史について書いた『十億年の宴』という本で提唱されたもので、「時間と空間を手玉に取り、気の狂ったスズメバチのようにぶんぶん飛びまわる。機知に富み、深遠であると同時に軽薄」と評される一群の小説を指す。まさにバロックの語源とされる”歪んだ真珠”のような、奇想と悪趣味とSFならではの興奮をごっちゃにしたような作品のことだ。(そしてまた奇想というのは、幻想と並び自分がもっとも好む小説のタイプでもある。)
 その異様な魅力については、幾ら言葉を尽くして説明しても、実際に読んでみないとよく解らないと思う。これまで出版された作品ではB・J・ベイリーの一連の作品(『カエアンの聖衣』『禅銃(ゼンガン)』『時間帝国の崩壊』『シティ5からの脱出』など)や、C・L・ハーネス『ウルフヘッド』、C・ボイス『キャッチワールド』、A・E・ヴァン・ヴォークト『非Aの世界』などがあり、興味があれば一度手に取ってみられてはいかがだろう。
 話はいずれもスケールが大きく派手な展開が愉しい一方、ストーリーが錯綜したりときには破綻しているところもあって、正直好みが分かれるかも知れない。しかし癖はあるがいずれも異様な迫力を持った作品ばかりなので、一度その魅力に嵌るとやみつきになる。ちょっと斜に構えた印象は、歌舞伎にも共通する“外連味”と呼んでも良いかも知れない。(もしかして特に日本のファンにワイドスクリーン・バロックが高く評価されたのは、そのせいなのかも。ベイリーがその昔「マニアのアイドル」と呼ばれていたのも思い起こせば懐かしい。)
 本書の作者であるA・ベスターは、凡庸な短篇を幾つか発表したあと一時期SF界を離れたが、やがて長篇『分解された男』とともにカンバックしたところ熱狂的な人気を得て第1回のヒューゴー賞(*)を受賞している。『分解された男』の設定も「テレパシーにより全ての犯罪が取り締まられる未来社会で、完全犯罪(殺人)を目論む男とそれを暴こうとする警察の捜査の物語」というかなりぶっ飛んだものだったが、次に発表された『虎よ、虎よ!』はそれに輪をかけて破天荒なものとなっている。

   *…ファン投票によって、その年出た最も優れたSF小説に送られる賞。

 内容はデュマの『モンテ・クリスト伯』にヒントを得たという触れ込みの、主人公ガリヴァー・フォイルによる一種の復讐譚なのだが、まず主人公が酷い。無教養で偏執的で野蛮で無気力という、良いところがひとつも無い人物(笑)。さらにその上、彼を不幸が襲う。宇宙船に取り残されたのち漂着した宇宙の辺境では、原始社会を営む人々によって顔に虎の刺青を施されるという念の入れよう。そんな彼がいかにして犯罪者からのし上がり力をつけて成長し、人類の存亡の鍵を握る人物となるまでを描いた文字通りの悪漢小説にして教養小説となっている。まさにSFでしか描けない奇想に溢れた作品といえるだろう。
 デーモン・ナイトはこの小説を評して「普通の小説六冊分ものすばらしいアイデアを持ちこんだ。(中略)さらに六冊分の悪趣味と。矛盾と、誤謬を持ちこんだ」といったそうだが、さもありなん。参考までに本書に初めて描かれた有名なアイデアを幾つか挙げてみよう。(SFファンには言わずもがなの内容だが。)まずは奥歯に仕込んだスイッチを入れると加速装置が働き身体能力が強化され超高速移動が出来るというアイデア。これは『サイボーグ009』に流用されて有名になったものだ。また主人公の前に突如 “燃える男” が現れるというアイデアは後に『AKIRA』の中で使われた効果。(いずれのアイデアも、今では漫画の方が有名になってしまったかも知れない。)
 もちろんこれらSF的なアイデアやフォイルの復讐を巡る冒険もスリルがあって愉しいのだが、自分としてはむしろそれら安手のアイデアが錬金術のように坩堝の中で溶けて掻き回わされ、やがて“黄金”へと変わる展開が堪らないところだ。(『2001年宇宙の旅』ではないけれど)最後にはとうとうニーチェの超人の概念まで引っ張ってきて、大上段に人類の運命へとつないでいくデタラメさこそが、まさに本書の醍醐味といえるのではないだろうか。思念により爆発する金属“パイア”や、時空を超えたテレポーテーション能力“青ジョウント”といった突拍子もないアイデアが、単なるこけおどしではなく物語の根幹に関わるものと知れた瞬間、SFを読む快感に酔いしれることが出来る。
 思えばSFは子供のときからたくさん読んできたが、小学生の頃に喜んで読んでいた単純な勧善懲悪や冒険小説が物足りなく感じるようになったのは、いつの頃からだったろう。あれほど夢中だったスカイラーク号やキャプテン・フューチャーがいつの間にか面白く思えなくなり、レムやバラードこそが最上のSFと思うようになった......。しかし本書はそんな自分でも、子供の頃に戻ったように夢中で愉しむことが出来る。こういうものを読みたいからこそ、自分はSFを読み続けているのかも知れない。
 死と暴力と憎悪と贖罪。不具と無知と怒りと悔恨。時間と空間と共感覚。そして信仰と救済と覚醒―― どんな角度からでも深読みすることが出来そうな、それでいてするりとすり抜けていってしまいそうな、そんな悪趣味と興奮に満ちた怪作にして快作といえるだろう。

<追記>
 正直いうとガリヴァー・フォイルの偏執的で熱狂的な性格にはちょっとついていけないところがあって(特に前半)、それが主人公への素直な感情移入を妨げる。中学生のころに本書を読んで面白かったけれど少し戸惑ったのは、案外そんなところが理由になっているのではないかと思う。実はその点について、今回読み直すことで気がついたことがあった。何かというとシオドア・スタージョン(**)との類似についてだ。スタージョン作品における人物造形とベスターのそれは、かなり似通っているのではないかというのが今回の発見。
 フォイルが宇宙空間で自分を置き去りにした宇宙船の乗組員にではなく、宇宙船《ヴォーガ》そのものに復讐を誓うという思考方法は、まるでスタージョンの短篇「考え方」に出てくる“扇風機をぶつけられたら相手を持ち上げて扇風機にぶつける”人物のよう。他のベスター作品でもそうで、『コンピューター・コネクション』や『ゴーレム100』などでも、かなりエキセントリックな人物たちが数多く登場する。読者を置き去りにしたまま熱病に侵されたように一つの目的に向かって突き進む登場人物というのは、ベスター作品が共通して持つ一種のドライブ感覚を説明する鍵になるのかも知れない―― なんてことを思ったりした。既に言及されているのであれば、どなたかご教示頂けるとありがたい。
 ちなみに本書の元になったとされる『モンテ・クリスト伯』は今まで読んだことが無かったので、これを機会に読み始めてみた。(はたして読書会までに岩波文庫版・全7巻が読み終われるか定かではないが。/苦笑)
 現在、冒頭を少し読んだところではあるが、とりあえず主人公の造形は全く違うことが判った。(『モンテ...』の方は最初から有能で倫理観に優れた青年として描かれている。)やはり借りてきたのは「いわれのない酷い仕打ちを受け復讐を誓う主人公」という設定だけで、他のところはあまり似ていないようだ。年を取るにつれ、それなりに色んな愉しみ方が出来るようになるから、いくつになっても読書はやめられない。次回の読書会ではどんな話が聞けるだろうか?今からとても楽しみだ。

  **…奇妙で幻想的なSFやミステリを数多く発表し、一部に熱狂的なファンをもつ作家。
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SFインターメディアフェスティバル2015/私的レポート

 3月7日(土)に、これまで名古屋では無かったようなイベントが開かれたので行ってきた。タイトルは「SFインターメディアフェスティバル」という。サブタイトルに「ロボットの昼とプログレの夜(*)」とあるように、昼の部と夜の部の2部制の大掛かりなイベントだった。場所は地下鉄・矢場町駅の近くの“spazio rita(スパジオ リタ)”というイベントスペース&カフェの店。(名古屋の人には「ランの館の道路を挟んだ反対側、つるやゴルフの横」というと分かりやすいだろうか)
 主催はSFコミュニケーション研究会といい、2014年10月に発足したばかりの若い女性たちによるグループ。イベントのチラシには「単なる空想の粋を越えたSFと、もはやSFを実現させつつある現代社会をつなぐイベントを企画するために結成された」と設立趣旨が書いてあるが、要は小説だけではなく映画や音楽といった様々な創作ジャンルと、芸術や科学といった現実社会の出来事をミックスして面白がろうということだろう。
 今回のイベントも、昼の部ではロボットの実物展示やボーカロイドなどについてのディスカッション、そして夜の部ではミュージシャンによるライブとプログレッシブ・ロックについての対談が主体という、まさにジャンル横断型のものであった。

   *…もちろんこれは光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』からとったもの。

 実をいうとこのイベントには、開催前から少し絡ませていただいていた。昨年は「名古屋SFシンポジウム」というイベントに参加したのだが、その発起人である椙山女学園大学の長澤教授から「若い方がSF関係のイベントを開く」という話を伺ったので、少しばかりお手伝いをしたのだ。(といっても名前を考えたのと多少の宣伝に協力した程度だが。/苦笑)というわけで当日は昼夜通して参加したので、以下にざっくりと内容をまとめてみたい。なお当日のレポートは主催のSFコミュニケーション研究会や名古屋大学SF研究会のブログなどにもアップされているので詳しくはそちらもご覧いただけると幸いである。本レポートはあくまでも管理人による個人的な印象をまとめたので、不足している点などがあっても悪しからず。

<スケジュール>
【昼の部】(講演とパネルディスカッション)
 1.ロボット制作にまつわるお話
    …藤堂高行(芸術家/ヒト型ロボットGAZEROIDなど)
 2.ロボット映画にみるアイデンティティ
    …川本真弓(SFコミュニケーション研究会代表)
 3.ボーカロイドについて
    …長澤唯史(椙山女学園大学・教授)
 4.出演者による対談と質疑

【夜の部】(ライブとトークセッション)
 1.宮崎尚アコースティックライブ
    …宮崎尚(ボーカル)/中村克宏(ギター)
 2.トークライブ/プログレとSFを巡るあれこれ
    …菊池誠(大阪大学・教授)/渡辺英樹(SF研究家)
 3.andmo‘ライブ
    …児嶋佐織(テルミン他)/菊池誠(ギター他)

 当日は生憎の曇り空の下、開始の14:00より少し早めに現地に着いた。地下への階段を下りて左手の扉を開け、受付を通って奥へ進む。するとそこにはいきなりウエディングドレスを着た柏木由紀(AKB48)そっくりのロボットがいた。近くに寄ると顔を上げ、瞳を動かしてこちらに視線を合わせてくる。予想していたよりもはるかに人間っぽいので、ちょっとどぎまぎする。これが視線追従型ロボットGAZEROIDというものらしい。表情は固定されているのだが、眼球がぎょろりと動いてこちらを向く様子はまるで人間である。
 抹茶オレを注文して待つと次々に人が入ってくる。始まる頃には会場に50人ほどが溢れるほどで、立ち見も出るほどの盛況となった。
 そうこうするうち昼の部の開始時刻になり、SFコミュ研の“ぽちこ”氏による司会進行でロボット制作者である藤堂高行氏による講演がスタート。「現代芸術、インタラクションデザイン、ロボット工学などの分野をまたいで表現活動と研究を行う」という紹介から、難しそうな話を覚悟したところが全然違った。氏の“ゆきりん”への愛と、「不気味の谷(**)」を越える真剣な考察が、素晴らしくも爆笑を誘いあっという間に時間が過ぎる。

  **…ある程度人間に似ると不気味に見えるという心理的な現象のこと

 続いては今回のフェスを主催するSFコミュニケーション研究会の代表である川本氏が、映画『クレヨンしんちゃん/ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』を題材にして、ロボットと化したひろし(父)に対する、みさえ(妻)としんのすけ(息子)の反応の違いをスライドで見せながら、不気味の谷現象をまた違った角度から考察してみせた。(この作品、お気楽なタイトルではあるが文化庁メディア芸術祭アニメーション部門の優秀賞受賞だそうで、なかなか侮れないのだ。)結果、他者への感情移入が不気味の谷を越える鍵なのではないか?という話になった。そういえばダイオウグソクムシやオオグチボヤといった、少し不気味な外観の深海生物に対しても、「可愛らしい」という印象をもつ人がいるが、それも感情移入の有無で説明がつくのかも…などと考えているうちに二つめの講演も終わり、長澤教授による三つめの講演「ボーカロイドについて」がスタート。
 いきなり「ボーカロイドと初音ミクは別物である」という刺激的な提案がなされたので、ぐっと身を乗り出す。氏は流石に大学教授だけあって学術的なアプローチがすごい。ボーカロイドの歴史を俯瞰しながら、昨今のアイドルグループの人気とボーカロイドの人気は切り離せないものである、といった鋭い指摘がなされる。そして初音ミクにとってボーカロイドの機能は特性のひとつに過ぎず、キャラ(二次元アイドル?)という側面があることで、ボーカロイドの中でもとりわけ初音ミクの人気が高いのではないかという説明がなされていく。一方の特徴であるボーカロイド機能は、“P(=プロデューサー)”という肩書をもった人々により、「自分の代わりに歌ってくれる存在」として広く音楽の裾野へと伸びていくもののようだ。もしも先ほどの“ゆきりんロボット”がボーカロイド機能を内蔵して歌ったとしたら、果たして不気味さを増加させるのかどうか?などと、不謹慎なことを考えたりしていた。(笑)
 と、ここまで話が進んだところで、話題は突然J・ヴェルヌの『カルパチアの城』という小説へと移る。実はこの作品こそが、いわゆる“ボーカロイド”を題材にした小説の元祖であるらしい。ヴェルヌは『海底二万里』や『地底旅行』、それに『十五少年漂流記』くらいしか読んだことが無かったが、聞いた感じはなかなか面白そうな作品のようだ。作中にでてくるゴルツ男爵という人物が、今でいうところのオタクの原形であるという指摘には、爆笑するとともにとても納得できた。

 さて三人の発表が終わると、次は全員が登壇して互いの発表に関する対談。
 藤堂氏は今後のGAZEROIDの方向性として、眼球だけでなく目蓋との連動でより自然な表情を作るとともに、さらにその先は全身を使ったダンスを考えてみたいとのこと。ボディランゲージが加わるとさらに人間臭さと親近感が増すかも知れない。(この時、初めて「ミクミクダンス」という言葉を聞いたので、後日ネットで見てみたら、なるほど初音ミクが自然な動きで踊っていた。)
 また、不気味の谷は人によりその“幅や深さ”(≒程度)が違うとのこと。ゆきりんロボットの経験からすると、大人より子供の方が怖がるし、学会発表のような研究者の集まるイベントよりも、AKB48のようなアイドル系イベントに集まる人々の方が怖がるらしい。“慣れ”は不気味さを低減させる上で大きな影響を与えるものだろうし、おそらく知的理解も谷を越える道具となるということなのだろう。となると積極的な「不気味好き」というのは、果たしてその延長にあるのかそれとも全く違う次元の話なのかも気になった。
 また脳科学的なアプローチからの仮説、すなわちミラーニューロンや幻肢が不気味の谷の形成と大きく関わっているという話には驚いた。脳の共感機能を司るとされるミラーニューロンが混乱するためではないかという仮説があるそうだ。面白いなあ。共感機能が鍵なのだろうか?「自然に見える姿/動き/声」をいかに出すか……という意見には首肯できる気がする。
 他には「ボーカロイドの歌を歌う人間のグループ」(←ややこしい!)だとか、二次元キャラを模倣するコスプレの話題も。個性の無い抽象性がボーカロイドの人気を支えていて、中でも初音ミクは最も抽象性が高い(=個性がない)からこそ圧倒的人気を誇るのだろうというのが長澤氏による結論であった。

 最後には3名の講師を前にして、熱気あふれる質問タイム。全部で6人の人からの質問があり、時間を少しオーバーするほどの熱心さであった。(せっかくなので自分もちょっと質問してみた。/笑)講演自体ではあまり本の話題は出なかったのだが、会場にはSF文学のファンも大勢いらしていたようで『カルパチアの城』と『ヨハネスブルグの天使たち』についての質問が出たのがいかにもSFイベントらしい気がした。
 以上が昼の部の大まかな内容。今回のイベントは“不気味の谷”というキーワードで、ロボットやアニメに小説といった様々なジャンルが交叉して響きあう、まさにインターメディアなものになったと思う。大いに気に入った。自分は本はもちろん好きだが、こういった脳みそを刺激される話を聞くのもまた大好きなのだ。

 昼の部が大盛況のうちに終わり、夜の部を準備するために一旦会場が閉められることに。休憩中に夕食を取ろうと街へ繰り出したら、何時の間にか雨が降り出していた。鄙びた喫茶店でサンドイッチと珈琲の軽食をとって再びspazio rita へ。店内にいるのは25名くらいだろうか。昼間とはがらりと雰囲気が変わり、いい感じでオトナの雰囲気になっている。カウンターで頼んだアルコール飲料を片手に待っていると、やがて夜の部が始まった。
 まず最初は宮崎尚氏によるアコースティックライブ。ちなみに氏はLED ZEPPELINのトリビュートバンドとして名高いsinnamonの初代ボーカルを担当されていた方。今はソロ活動の他、椙山女学園大学で現代音楽を教えているそうだ。当然今回のライブもLED ZEPPELINの楽曲からで、セットリストは次の通りだ。(曲目の後ろにあるは、その曲が収録されているアルバムタイトル。)

 1.”That’s the Way” (LED ZEPPELIN 3)
 2.”Gallows Pole”  (LED ZEPPELIN 3)
 3.”The Rain Song” (聖なる館)
 4.” The Battle of Evermore/限りなき戦い”(LED ZEPPELIN 4)
 5.“Stairway to Heaven/天国への階段”(LED ZEPPELIN 4)

 マンドリンの音が心地良い“限りなき戦い”や、シメの名曲“天国への階段”は圧巻だった。生歌はやはり好いなあ。
 休憩を挟んでは、菊池誠氏と渡辺英樹氏によるトークライブ「プログレとSFを巡るあれこれ」がスタート。「ジミー・ペイジが住んでいたのは魔術師アレイスター・クロウリーの家だった」といった濃い話が冒頭から炸裂して仰け反っていたら、次は不思議なジャケット写真で強い印象を残すデザイン集団「ヒノプシス」が手掛けた数多くのジャケットの話になったり、LED ZEPPELINが実はプログレだったとか話が縦横無尽に飛び回って気が抜けない。(笑)
 そうこうするうち、やっと本来のテーマであるプログレッシブ・ロックの話に。最初は5大バンドを例にプログレの歴史を順に辿るとして、キング・クリムゾンのデビューアルバム”クリムゾン・キングの宮殿'からイエス”こわれもの”、ピンク・フロイド”原子心母”、ジェネシスの”眩惑のブロードウェイ”にEL&Pの”タルカス”までが取り上げられる。
 一通りのおさらいが終わったら、今度は色んな映像を片っ端から紹介してお二人がコメントを加えていくスタイルに。例えばピンク・フロイドのポンペイライブから“エコーズ”や、バグルスの“ラジオスターの悲劇”に垣間見えるプログレ成分など。イエスの”ロンリーハート”に付けられたヒプノシスによるPVが、まるで往年のSFドラマ「プリズナーNO.6」みたいで面白かった。(ここらへん、タイトル通りちゃんとSFになっていた。/笑)
 マグマという、地球上に存在しない架空の言語を作って歌うプログレバンドがあるのだが、そのマグマの影響を受けたとされる日本のバンド高円寺百景のライブ映像や、ジャズピアニスト上原ひろみの映像を見ながらでたトークの結論は「プログレとSFの共通点は誇大妄想にある」ということだった。そうか、過剰なまでの妄念というのは何となく解るぞ。バリントン・J・ベイリーやアルフレッド・ベスターなんてまさにそうだ。

 閑話休題。時刻は7時半を回り、本日のラストであるandmo'によるライブが開始された。andmo‘は世にも珍しい電子楽器テルミンを使ったサイケでプログレ風味のオリジナル曲を演奏するバンド。これが生で聴くと空間の広がりが実感できて大変に気持ちいいのだ。当日のセットリストは次の通り。

 1.UMA2
 2.B.Rex
 3.地下室の林檎
 4.Onza Forest(オンツァの森)
 5.ヨーロッパの曙
 6.夜のリレンザ

 草原を疾走する馬をイメージしたという“UMA2”に続いてはハードな曲調の“B.Rex”。楽しいMCを途中に挟みつつ、スペースサウンドと変転を繰り返す複雑な音調がどことなくディックの作品世界を思わせる“Onza Forest”や名曲”夜のリレンザ“まであっという間の一時間だった。(夜のリレンザはアルバム収録とは別のバージョン。)しかもこれで終わりと思いきや、サプライズとして宮崎尚氏とandmo'の共演によるLED ZEPPELINの”カシミール”の演奏が。これはすごいテルミンロックだった。いや素晴らしい!(いつか翻訳家の西崎憲さんと、氏が所属するロックバンドswisscameraを名古屋にお招きして、「幻想文学とソフトロックの夕べ」というイベントも企画してみたいものである。)
 盛り上がったところで長澤氏による挨拶で夜の部も終了。「来年も続けられると良いと思う」という長澤氏の言葉が、この日の参加者の気持ちを代弁していたのではないだろうか。14:00から21:00という長丁場で疲れたが、盛りだくさんのとても愉しいイベントだった。
 細かいことを言い出すと、例えば「もっと小説について取り上げて欲しかった」などの意見もあるだろう。例えば人型ロボットにおける不気味の谷についてはP・K・ディックが、そして機械知性についてはS・レムをはじめ数多くの小説作品がある。しかしそれらについて深く話し出すと、それだけで制限時間が来てしまう。書籍については我々が企画している名古屋SF読書会や名古屋SFシンポジウムでカバーできるだろうし、今回は名前のとおり「メディアの交差」という意味で、このくらいの按配で良かったのではないかと思う。第一、商業目的でないメディアミックスのイベントというのは、全国的にみても珍しいのではないだろうか。文化イベントが少ない名古屋で、もっとこういう取組みが増えると良いなあ。スタッフの皆さんも出演者の皆さんも、そして参加者の皆さんもお疲れさまでした!

<追記>
 当日は昼の部が終了したところで、翻訳家の中村融氏らと不気味の谷のメカニズムについて語り合った。時間の都合であまり深くは掘り下げられなかったが、このテーマはもっと検討すると面白いだろうということで意見が一致した。以下はそれを踏まえて何となく考えてみた仮説のようなものである。
 昆虫学者E・O・ウィルソンの著作に『バイオフィリア』というのがあり、生物は他の生物の存在にとても敏感だということが示されている。ユクスキュル『生物からみた世界』などもそうだが、要は生存競争の激しい自然界において、他者(たとえば捕食者)の存在にいち早く気付けるものだけが生き延びてこられたという考え方がある。その延長で、自らの仲間か否かを判断して群れを作るのが生存のために重要なポイントだとしたら、ミラーニューロンの発火により共感機能が発達することで愛着が生まれたという理屈は成り立たないだろうか。だとすれば、掃除機のルンバのちょっとしたしぐさに愛着を感じるというのも、ミラーニューロンの発火によるものなのかも知れない。
 一方で人は、精神的な距離が縮まるほどに共通点ではなく差異を見つけ始めるという特性も併せ持っている。そのため、中途半端に人に似てしまった人形やロボットは、「仲間のようで仲間でない(=偽者)」という感覚を生み出すことで、ミラーニューロンに混乱を引き起こすというわけだ。ボーカロイドの微妙にずれたイントネーションが、慣れないものにとっては何とも居心地の悪いものに聴こえるのも同じなのかもしれない―― とも思った。講演で出た「不気味の谷を越える鍵が“慣れ”と“共感”にある」という結論は、けだし名言であるかも知れない。
 ただそうなると、日本エレキテル連合のように無機質で異様なロボットを人間が模倣するというのはどのような意味を持つのだろうか?また初音ミクを始めとする2次元キャラを真似たコスプレが流行るという現象にも、何か深い意味が読み取れるのだろうか?ふうむ、どこまでも興味は尽きない。

中入り

謹啓

 当ブログの管理人・舞狂小鬼であります。
 このブログは2010年の2月28日にスタートしました。はっと気が付くと今日で丸5年を過ぎて、今日から6年目に突入です。個別で取り上げた本も300冊近くになりました。(とは言いつつ、なんとも脈絡のないセレクトで恐縮ではありますが。/笑)

 本にまつわる話をただグダグダと書きつらねているだけのブログではありますが、これからも気楽に続けていきますので、もし宜しければ末永くお付き合いいただけると幸いです。

                                      店主敬白 

2015年2月の読了本

※今月からフォーマットを少し変えてみました。

『妄想科学小説』 赤瀬川源平 河出書房新社
 70年代後半、芸術家・赤瀬川原平から小説家・尾辻克彦が誕生する時期に発表された、未発表作品の初単行本化。ショートショートと随筆からなるが、摩訶不思議な皮膚感覚と文学性は既に顕在化している。好きな人には堪らないだろう。ただし中に一つ痴漢被害をネタにした話があり、女性が読んだらとても不快になるのではないだろうか。発表が1970年代後半だから仕方ないとはいえ、このあたりに時代を感じてしまう。筒井康隆の「農協月へ行く」や「懲戒の部屋」などとセットで読むと、当時の雰囲気が判っていいかも知れない。

『ちょっとピンぼけ』 ロバート・キャパ 文春文庫
 世界的な報道写真家による第2次世界大戦への従軍の記録。歴史的なエピソードが、淡々とした口調で語られ、実際の戦争は殆どが移動と待機とそしてときどきの戦闘であることがよくわかる。(開高健『ベトナム戦記』と同じ。)戦争を始めるのは狂気だが、それを続けるのは理性なのだ。スタインベックやヘミングウェイが顔を出すのがおまけのようでちょっと嬉しい。

『グリーン・マイル 1~6』 スティーヴン・キング 新潮文庫
 モダン・ホラーの巨匠キングが、「毎月1冊、6か月連続で刊行」という変わった形式で発表して話題を呼んだ作品。小学館文庫から上下巻の形で先ごろ復刊されたが、せっかくなのでオリジナルの方で読んでみた。1930年代のアメリカを舞台に、死刑囚を収監した刑務所で起こった不思議な出来事を描いた物語で、看守が老年になって書いた回想記というスタイルも好い。副題は一巻から順に「ふたりの少女の氏」「死刑囚と鼠」「コーフィの手」「ドラクロアの悲惨な死」「夜の果てへの旅」「闇の彼方へ」。
 一時期は出る作品すべてを読んでいたキングだが、実は書き込み過ぎとも思える作風が若干鼻につくようになり、『ダークタワー』の途中で挫折してからはしばらく遠ざかっていた。しかしこれは良かった。個人的には『呪われた町』『IT』にも匹敵する面白さではないかと思う。

『新宿駅最後の小さなお店ベルク』 井野朋也 ちくま文庫
 生命を維持するのに最低限の衣食住が確保できたら、残りの金銭的・時間的な余力は「より良い生活」を送るために使うことが出来る。その対象は音楽や本だったり、あるいはスポーツやコンサートへ行くことだったりと千差万別。喫茶店で一杯の珈琲を飲む時間もまたそうであるに違いない。
 本書はJR新宿駅東口で小さな喫茶店を営む店主が、現在までの歴史とそのユニークなビジネススタイルを綴った本だ。当初はビジネス書として発行されたらしいが、個人事業主だけあってこだわりも強く、全ての意見に諸手を挙げて賛成できるというわけではない。しかしそれが良い。“ベルクの店主が書いた本”として普遍化せずに読めばとても面白くて、思わず膝を打つような記述も多い。店と同じで本も非常にユニークなのだ。
 「創造することよりも維持することの方が道は険しく、何かしら荘厳の気が漂っている」というエリック・ホッファーの言葉が引用されているが、大企業のチェーン店ではない個人経営の飲食店が生き残ることの難しさがよく解る。(元本が刊行された2008年には、ベルクが入居しているルミネビルによってテナント追い出しの圧力がかかり、反対運動がおこっている最中だった。)文庫版あとがきではその顛末も報告されていて、ビルオーナーであるJRもとうとう諦めたらしい。いやめでたい。また東京に泊まる機会があれば、是非ともモーニングを食べに行きたい。それとも夕方に行ってドイツビールでも飲もうかな。

『超ディープな深海生物学』 長沼毅/倉持卓司 祥伝社新書
 深海生物学の研究者ふたりによる、様々な深海生物の生態についての紹介。図版は少なめだが、書名にもあるようにその分“ディープ”な知識が多くて愉しい。ラブカ(深海鮫の一種)が実は生きた化石ではなくて、比較的新しい時代に進化したものであるとか、オオグチボヤが海中では上ではなく下を向いているなんてこれまで全く知らなかった。他にも美しく海中を泳ぐユメナマコや、世界最大の単細胞生物であるクセノフィオフィラア(有孔虫の一種)など珍しい生き物たちがたくさん。もちろん熱水噴出孔にすむチューブワームなどのメジャーどころも取り上げられているが、個人的には深海底だけでなく中層域などの海中の生物にも目が行き届いているのが嬉しい。深海マニアにはお薦めの本。あ、でもスケーリーフットには触れられていなかったので、その点はちょっと残念だったな。(深海マニアにはさっぱり分からない話ばかりで恐縮です。/笑)

『妖怪 YOKAI』 小松和彦/監修 角川ソフィア文庫
 ジャパノロジー・コレクションというシリーズの一冊。北斎/国芳/芳年/暁斎などの有名な絵師たちによる作品をはじめ、河童や鬼や土蜘蛛に付喪神といった様々な妖怪画を手軽な文庫で紹介。オールカラーなので見やすい。月岡芳年は無惨絵の印象が強くてあまり得意でなかったのだが、この本で取り上げられている「新形三十六怪撰」はどれも素晴らしく、ちょっと見直した。(ところで書名にある妖怪のローマ字綴りは、正しくは”YOKAI”ではなく”YOKWAI”ではないのだろうか。まあどうでもいいことだが。)

『巨大ウイルスと第4のドメイン』 武村政春 講談社ブルーバックス
 新たに発見されたミミウイルスやパンドラウイルスは、“無生物”であるにも関わらず“生物”であるバクテリアよりも大きなDNAをもつという。本書では「巨大DNAウイルス」と名付けられたそれらのウイルスを基軸に、「生物」の誕生過程について分子生物学の大胆な仮説が繰り広げられる。巨大DNAウイルスはとてもユニークな特徴をもっているため、これまでの「バクテリア(細菌)/アーキア(古細菌)/真核生物」という生物の3つのドメインに対して、「第4のドメイン」という概念が生まれつつあるそうだ。そして細胞を基準とするこれまでの「生物(=生きているもの)」の定義自体が、DNAを基準にしたものに見直される可能性すらあるかもしれないのだとか。
 それが意味する事はとても衝撃的だ。新たな真核生物またはアーキア、バクテリアといった「生物」のドメインにおける新種ではなく、無生物(ウイルス)と生物の間の垣根が取り払われる可能性があるわけだから。まだ不完全にせよ、ウイルスと生物の共進化の道筋を描ける材料が出てきたのは素晴らしいと思う。今も地球上のどこかで、新たな生物が生まれているかも?なんて考えると、最高にわくわくしてくるねえ。
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舞狂小鬼

Author:舞狂小鬼
サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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