【第1回】名古屋SF読書会レポート/『闇の左手』

※小説の内容について詳しく触れています。未読の方はご注意ください。

 さる2014年11月22日(土)の午後に、第1回目となる「名古屋SF読書会」が開かれた。発起人(スタッフ)は自分も含め、不惑はおろか既に知命に達したオジサンばかりの3人組。数か月まえから仕事の傍らコツコツと準備を進め、なんとか総勢19名(スタッフ含)での開催にこぎつけた。色々と不手際は有ったと思うけれど、初めてにしてはまあ上手くいったほうではなかろうか。(←自画自賛/笑)
 というわけで、今回はその内容についてレポートをばしたためたい。なお、お名前を出していいかどうか分からないので、今回は全員略称もしくはニックネームで記載しますのであしからず。

 ではさっそく開催概要から。場所は名古屋駅前にある「名古屋会議室」という名の貸会議室。(本当は公共の会議室が使いたかったのだが、価格が安くて競争率が激しく、早くから予約でいっぱいで取れない。やむなく民営会議室での開催と相成った。しかしすごい名前の会議室だね、どうも。)
 受け付けは14:00にスタート。分かりにくい場所だったにも関わらず、皆さん遅れる事も無く開始時刻の14:30までには全員が集合して、無事に始めることが出来た。参加者は一般の本好きの方のほか、遠路はるばる東京から参加頂いた作家のIさんや、反対に関西から参戦の翻訳家Niさん、そして豊橋からお越しの翻訳家Naさんなど錚々たる顔ぶれ。正直ちょっとビビッていたところもあったが、当日はプロもアマもなくひとりの本好きとして皆さん参加して頂き、和気藹々としかし熱気にあふれた雰囲気で16:45までのつごう2時間15分を愉しく過ごすことが出来た。(他にも関東からお越しの“ていし”さん、焼津からお越しのTaさんなどなど、まさしく全国からお集まりいただき本当にありがとうございました。)
 会の最初はオジサン3人組のひとり“渡”氏(*)の司会で、車座になった全員による自己紹介からスタート。まずはそれぞれの読書傾向や、課題本であるアーシュラ・K・ル・グィン『闇の左手』についての簡単な感想を順に述べていく。ちなみに今回の読書会は女性の参加者が多いのが特徴で、スタッフのオジサン3人を入れても全19名のうちなんと半数以上の11名が女性という高比率。これが「フェミニズムSFの嚆矢」と言われた今回の課題本のせいなのか、それともおなじく名古屋で定期的に開催されている「翻訳ミステリー読書会」からの流れなのかはわからないが(10名近くがダブっている)、おかげでなにしろ活発な意見交換が出来た。

   *…彼は見開き4ページに亘る今回のレジュメも作ってくれた。感謝。
 
 参加者の傾向は概ね3つのグループに分かれる感じ。ひとつめは熱心なSFファンかル・グィンのファンで、何をおいても『闇の左手』について語りたいというグループ。二つめは昔SFを読んでいたけど今はそうでもなく、懐かしい書名だったので参加したというグループ。そして三つめはSFを殆ど読んだことが無く興味があるという人たちのグループだ。(注:最後の人たちもミステリーやその他の本を読んでいる本好きではある。)
 比率はそれぞれ2:1:1ぐらいだったので、割とバランスが取れていたのではないだろうか。SF好きの人たちも、あまり小難しい話ではなく他の方に分かりやすくル・グィンの魅力や感想を語っていただけた。
 ただ、殆どSFを読んだことが無い三つめのグループからは、なにしろ前半の進みが遅くてちょっとハードルが高いという感想も出ていたので、このあたりは次回以降の本を選ぶ際の課題かもしれない。(しかし一方では、一般的に評価が高い後半の雪原逃避行のシーンより、前半の宮廷政治を舞台にした喧々諤々の駆け引きが愉しかったという人も数名いらっしゃったので、好みは人ぞれぞれだなあと思った次第。)
 正直いってル・グィンが苦手という人は、独特の「説経臭さ」(というか学級委員のような行儀のよさ?)が合わないという事を述べていたのが印象的だ。もちろん会場には「大好き!」という人も同数かそれ以上にいたわけだが、モラリストとして自他どちらに対しても襟を正すことを要求するような作風が、熱心なファンとともに苦手な人を生んでいるというのは分かる気がする。テーマが重いからとっつき難い印象を与えてしまうのかもね。もちろんその逆で「エストラーベン萌え!(笑)」と仰る方や、ル・グィン全作を何度も読み返している剛の方もいらっしゃったし、細部までとてもよく考えられている作品だから何度よんでも面白いという意見があったのも事実。何度目かの再読という人も多かった。初めて読んだ人も2次会の席で「一度で終わるのはもったいないかも知れない」といっていたし。
 面白かったのは旧ハヤカワ文庫版の表紙のイラストの話。旧版には謎のコサック風のおっさん(笑)が描かれていて、昔その版で読んだ人は異口同音に「このおっさん誰なんだ?」という疑問をもっていたというのが可笑しい。“びりい”さんの説によれば、中身をちゃんと読まずに冒頭の描写だけでエストラーベン(注:主人公ゲンリー・アイの重要なパートナー)を描くとこうなるということだ。ゲセン人は両性具有でだれもが中性期と男女どちらかの性に無作為に変わる時期を過ごす(妊娠出産も全員が経験する)というのが特徴なのだが、自分が数十年前に初読した時にどうしてもエストラーベンに対して、おっさんのイメージしかなかったのはそのせいかと合点がいった。もちろんそれは、原著自体が三人称をheにしてしまっている点(これはのちにル・グィン自身が後悔しているらしい)や、それを踏まえて訳書も「彼」になってしまっているせいでもあるわけだが。

 ざっと自己紹介と簡単な感想が終わったところで、いよいよフリーディスカッションへ。今回はスタッフも読書会の運営が初めてだったので、ちょっと人数が多いとは思いつつも、ひとつのテーブルでディスカッションをやってしまった。そのせいげで各個人ひとりひとりが発言する機会が少なくなってしまい申し訳ない。このあたりも次回への反省点だろう。(そのためには司会進行と板書の係りを増やさなくてはいけないので、当日お手伝いいただける人を増やす必要がありそうだ。今回は司会を“渡”氏、板書を同じくスタッフの“長”氏、そして自分自身は書紀とレポートを担当することになり、すでに手が一杯の状態...。)

 脱線してしまった。話を戻そう。
 前半が面白かったという人は、先ほども書いたように最初の舞台となるカルハロイド王国の宮廷での権謀術数が気に入ったみたいで、むしろ後半の冒険は(迫力もあって面白いのだが)流れが単調という印象のようだ。これについては翻訳家のNa氏がル・グィンの自作に対するコメントを基に、裏話を色々と語ってくださった。
 それによるとル・グィンはまず雪原の逃避行のシーンが書きたくて仕方なかったらしい。ベースになったのはスコットやシャクルトンによる南極探検とのことで、道理で食料をカロリー計算して分けるなどやけにリアルだと思った。ちなみにル・グィン大好きなI氏からは、短篇集『コンパスローズ』収録の「スール」という短篇が、女性だけによる南極点到達の顛末を書いたものだという情報も提供された。(アムンゼンより早く成功したが、男のメンツをつぶすのが気の毒なので黙っていたという話らしい。/笑)
 対する後半の冒険シーンは、自分も含めて昔読んだ人ほど印象が鮮明...というかそこしか憶えていなかったくらい強烈で、今回も前半で苦労した人は後半にいくほど勢いに乗って読めた様子。カロリー計算がとてもリアルで、「前半で豪華料理のはずなのにどの料理もまずそうなのが許せないと思ったが、カロリー計算までするのなら不味くても仕方ない」というNi氏の意見が会場の笑いを誘う。他には「チャベ・ストーブ便利すぎる!」「家にひとつ欲しい!」という意見が続出した(笑)。なおチャベ・ストーブの燃料が何なのか最後まで判らなかったという声に対しては、「ぶちゃけ作者もそんなところまで考えてないのでは?」という結論に最終的に落ち着いた。
 話題は次いで本書の重要なテーマである「性」の問題へ。ここでは女性を中心に活発な意見が出て議論は白熱した。スタッフ“長”氏の「ゲセンは母系社会?」という話を皮切りに、「すごい“ウーマンリブ”の世界だと思う」とか、「女性性=反暴力として描かれていて、この世界には個別の暴力はあってもテロや戦争は無い」といった”硬派”な話から、そうでない話まで様々色々とあった。たとえば「妊娠中から授乳期まで1年半ほどは女性に固定されて過ごすはずで、社会にはたくさん女性状態のゲセン人がいるはずなのに描かれていないのは残念(**)」という意見や、ラストにアイが(性別の固定され)自分の仲間のクルーと再会して違和感を感じるシーンが好いという意見も。
 「エストラーベンとゲンリー・アイが大雪原を旅する間に何も関係が無かったのはおかしい!」という意見に対して、「あれはアイの手記の体裁を取っているので、都合の悪い話を書くわけがない。本当はやっているに決まっている」という“信頼できない書き手”の問題が指摘されたのはびっくりした。(笑)

  **…ル・グィンへのインタビューによれば、「寒いから子供を産んだ世界では家に
      引きこもっているに決まっている」というコメントがあったそうで、これはわざと
      のようだ。Na氏によれば当時のSF小説の99%を占める「主人公=白人男性」と
      いう図式への批判のため、わざと女性成分を排除して男だけにし、そのうえで
      (例えばゲンリー・アイを泣かせるなど)なよなよした姿を描いたとのことだ。
       うーん、奥が深い。

 さらに話題は物語の核心である「エストラーベンの死について」へと移る。これは当ブログの『闇の左手』の記事(2014.11.16)の追記にも書いたが、最愛の実の兄を自殺に追いやり故郷から追放された過去をもつエストラーベンが、アイとの“心話(テレパシー)”でそのことを思い出して後追いした(=自殺もしくは時間差心中)という個人的な理由がひとつ。そしてカルハロイド国王のアルガーベン十五世によってお尋ね者とされた自分がアイに同行すると、エクーメンに対して開国させるという、重要な責務が果たせない恐れがあるという大義がもうひとつ。このように公私をまたぐ複雑な思いがあったのではないかという話になった。
 この日は他にもNa氏から提供いただけた貴重な情報をはじめ、色々な話題が飛び交ったのだが、とても全部は紹介しきれそうにない。以下ににポイントだけをかいつまんで挙げておこう。

 ・随所に組み込まれた神話など文化人類学的なネタが面白い。
 ・ゲセンのカルハロイドとオルゴレインはそれぞれ清朝と中国共産党からヒントを得て
  いる。
 ・光と闇の混合は道教の「太極」がモデル。
 ・ル・グィンは初期の作品で「自分のテーマは“結婚”である」と言っている。
 ・彼女の父親は文化人類学者で北米インディアンをテーマにした『イシ』という学術書を
  書き、それを手塚治虫が漫画にしている。(『タイガーブックス』所載)
 ・萩尾望都や竹宮恵子、佐藤史生といった漫画家たちは皆ル・グィンから多大な影響を
  受けている。
 ・ル・グィンは後に性的な意味を排した代名詞を作ってみたことがある。日本語なら主語
  を使わず文が作れるので、「彼」を使わないで訳せたのではないか?(小尾芙佐氏に
  は今からでも新訳を出してもらえないか?)
 ・やっぱりシフグレソルはよく解らない。メンツみたいなものか?
 ・「ヌスス」というハンダラ教の生活信条は省エネでいい。
 ・ハンダラ教による“予言”は悟り(超常現象)なのかメタ論理による帰結なのか?

 様々な白熱した話が続き、はっと気が付くと時間はもう終了10分前。会議室を返さなくてはいけないので、慌てて「(『闇の左手』の)次に読むなら?」を紹介し合うことになった。
 まず本書と同様に異世界を作り込んだ作品としては、『デューン 砂の惑星』/『指輪物語』(旅に出るところも似ている)/『ガリヴァー旅行記』(元の世界に対する文明批評としても)/『竜の卵』/『氷と炎の歌シリーズ』/『2312』(主人公が両性具有でもある)/『旅のラゴス』/「見果てぬ風」(中井紀夫。『日本SF短篇50Ⅲ』所載)など。
 次に女性が主人公だったり文明批評だったり、あるいは従来の価値観をひっくり返す作品としては、『歌う船』(魅力的なサイボーグ船の女性が主人公)/『殺人出産』(10人産めば一人殺す権利が与えられる)/『沼地のある森を抜けて』/『オーランドー』/『老いたる霊長類の星への賛歌』/『フィメールマン』/『星へ行く船』/『バルーンタウンの殺人』/『BG、あるいは死せるカイニス』/『アマノン国往還記』/『ファイナルジェンダー』/『奇妙な関係』/『残像』『バービーはなぜ殺される』(いずれもジョン・ヴァーリィ)/鈴木いずみの諸作品といったところ。
 そして文明批評や思考実験ということでは『第6ポンプ』/『ソラリス』。漫画では『11人いる!』/『続11人いる! 東の地平西の永遠』/『A-A‘』/『大奥』。そして同じ作者の他の著作として『所有せざる人々』/『風の十二方位』/『ラウィーニア』/『ゲド戦記・初期3作』(神話をテーマにしたものとして)といったところが挙げられてお開きとなった。その後は希望者による2次会、3次会へと進み、濃密な時間は更けていったのであったが、それはまた別の機会で......。

 最後はバタバタしてしまったが、盛りだくさんの内容で第1回としてはまずまずの成功だったのではないかと思う。もちろん次回以降に改善が必要なところは直して、ぜひとも今後につなげていきたい。最後に今回やってみた感想としては、やっぱり読書会は面白かった。ひとつの本をテーマにああでもないこうでもないと大勢で語り合うことで、思いがけない視点からの感想を聞くことが出来たり、話し合いの中で誰も想像していなかった意見が出されたり。いい読書会は、まるで集合知の実践をしているような感じになることが分かった。なんだか病み付きになりそう。(笑)

<追記>
 ところで2次会の場で第二回の課題本も決まった。予め事務方で選んでおいた候補作の中から、出席者の多数決により選ばれたのはアルフレッド・ベスター『虎よ、虎よ!』(ハヤカワ文庫)。開催日は3月29日(日)の予定なので少し先だが、もう既に今からわくわくしている。今度はどんな話が聞けるかなー?
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『闇の左手』 アーシュラ・K・ル・グィン ハヤカワ文庫

※作品の詳しい内容に言及しているので、未読のかたはご注意ください。

 学生時代に読んだきりだったのを、もうすぐ開かれる読書会のために数十年ぶりで読み返した。昔読んだ本を今読むとたまにがっかりする事があるので少し心配していたのだが、本書に関しては全くの杞憂だった。数か月前に同じ作者の『所有せざる人々』を読んだのだが、作品の完成度としてはおそらくそちらの方が上だろうと思う(理由は後述する)。でも、どちらの方が好きかと訊かれたら、迷わず本書の方を選びたい。(もちろんどちらも甲乙つけがたい傑作なので、あくまで好みということだが。)

 話がいきなり飛んでしまったので、まずは本書の紹介から始めよう。
本書『闇の左手』は、アメリカを代表する作家アーシュラ・K・ル・グィンが1969年に発表した長篇SFで、同年のヒューゴ賞とネビュラ賞を独占受賞した彼女の代表作のひとつである。(SF作品では他に、同じくヒューゴ・ネビュラ両賞を受賞した1974年発表の長篇『所有せざる人々』や短篇「オメラスから歩み去る人々」などが有名。もっとも今ではジブリ映画の影響で『ゲド戦記』の作者といった方が、通りがいいかもしれない。/笑)
 ル・グィンのSFには『天のろくろ』といった単独作品以外に“ハイニッシュ・ユニヴァース”と呼ばれる一連の未来史シリーズ(*)があって、本書もその中の一冊にあたる。 “ハイニッシュ・ユニヴァース”では「ハイン人」と呼ばれる超文明がはるかな古代に、宇宙のあちこちに人間型生命体を移殖したというのが共通の設定になっている。(地球もその中の惑星のひとつ。)ハイン人たちの文明はその後衰退したがのち再興し、その間に独自の変化をとげた<失われた植民地>を“再発見”していきながら、「エクーメン」と呼ばれる連合をつくっていく―― というのがざっくりした背景。
 これらの設定は物語が進むにつれ徐々に明らかにされていくのだが、最初は出てくる説明なく言葉の意味がわからず戸惑うかもしれない。(本書以前に発表された『ロカノンの世界』『辺境の惑星』『幻影の都市』を読んでいれば言葉の意味は何となく解る。)ちなみに冒頭に述べた『所有せざる人々』の方が「完成度」が高いという話は、未来史の設定を知らなくてもすんなり世界に入り込めるという意味。
 “未来史物”はいちど世界に浸ってしまうととても愉しいのだが、逆にそういった初読の際のとっつきにくさが残念な点といえるかも知れない。(ただし全てのシリーズを読まなければ世界が理解できないようなことは決して無いので、さほど構える必要もない。すべての作品が傑作とも限らないわけだし。/笑)

   *…SFには例えばロバート・A・ハインラインの“未来史“やコードウェイナー・スミス
      の”人類補完紀行“のように、架空の時間軸(=未来年表)に沿ったエピソード
      で構成される一連の物語がある。個々の作品においては、登場人物はもちろん
      のこと時代背景も舞台となる世界も異なっているのだが、(物語設定上の)過去
      にあたるエピソードや単語がさりげなく後の作品に出てくるなど、ファンの心理を
      くすぐる仕掛けがされている。007シリーズのように単に主人公が同じというシリ
      ーズ物とは違っている。

 前振りはこのくらいにして、そろそろ本題に移ろう。
 物語の舞台は惑星ゲセン。主人公が属するエクーメンと呼ばれる組織(=汎宇宙連合)の中では、<冬>と呼ばれている極寒の世界だ。住民は人間とよく似た代謝機構を持つが両性具有であり、月に一度訪れる「ケメル」という発情期を除き、通常は“性”を持たない状態であるというのが大きな特徴。ケメル期がくるとその時々で男女のどちらかに肉体が変化し、結果ほとんど全てのゲセン人が生涯に数人の子供を産むことになる。このように「生物学的な性別が固定されない世界では、どのような社会構造がとられるのか?」といったある種の思考実験が本書の読みどころの一つとなっていて、それが「フェミニズムSF」として語られる所以でもある。
 ちなみに本書の題名は288ページの「光は闇の左手(ゆんで)、暗闇は光の右手(めて)......」という歌に由来している。この歌から推測するに、ル・グィンの目的は、ゲセン人の生物的&社会的なモデルを通じて「男と女」や「光と闇」といった単純な二元論を昇華し、もうひとつ上位の概念を示すことにあったのかもしれない。(同時期に書かれた『ゲド戦記/影との戦い』のように、ユング心理学の影響がちょっと見え隠れしている感じもする。)
 ただし注意が必要なのは、本書においてフェミニズムとはあくまでも主題のひとつに過ぎないのであって、物語の本筋はむしろ別のところにあるという点。惑星ゲセンの“開国”とでも云うべきものが本書の主題のふたつめとなる。ゲセンには(現在の地球のように)おのおの異なる政治形態をもつ複数の国家が乱立している。エクーメンから派遣された、たったひとり(!)の使節であるゲンリー・アイは、如何にして惑星ゲセンをエクーメン加入に導くことが出来るのか? それが本書を貫くもうひとつの主題なのだ。そしてこのふたつが奏でる主旋律の上で、エクーメンという組織の(ある種の理想的な)政治形態や、世界で「誠実に生きること」の倫理的な意味、そして「帰属する場所の喪失と回復」といった様々な社会科学的・人文科学的なテーマが語られていくことになる。
 本書に限らず様々な(そして極端な)社会制度をもつ世界を描いて思考実験をすることは、ル・グィンの十八番(おはこ)といえる。たとえば『所有せざる人々』では双子惑星アナレスとウラスを舞台に<大国主義>と<無政府主義>の相克を描いているし、「オメラスから歩み去る人々」という短篇では、「個人の犠牲の下に成り立つ社会幸福とは何か?」という重いテーマを真正面から取り上げている。いずれも優等生的な(悪く言えば表面的な)考察ではなく、徹底的に掘り下げた彼女なりの答えを示していて、自分としては非常に好感が持てる。(もちろん作中に最終的な「正解」が示されているわけではなく、読者ひとりひとりに自らの答えを求めさせるのが作者のスタイル。従ってル・グィン作品を読んだ後は、カタルシスよりも深い余韻に浸ることが多い。)
 『所有せざる人々』では“アナーキスト達が作り上げた地上の楽園”がどういうものになるかが詳細に描かれ、とても面白かったのだが、本書において興味深かったのは、ゲセンの政治制度よりもむしろエクーメンの仕組みの方だった。最初にアイが滞在したカルハロイドという国は古いタイプの封建国家だし、次に訪れたオルゴレンは秘密主義的な共産国家なので、正直いってさほど新鮮味はない。しかし一方でおよそ80にものぼる惑星や国から構成される連合体であるエクーメンは、その全貌がみえてこないだけ余計に魅力的に感じた。
 エクーメンという連合体の成立を支える最も大きな点は、何といっても「アンシブル」と呼ばれる超高速通信の技術だろう。これはル・グィンのデビュー作『ロカノンの世界』から既に登場しているアイデアで、宇宙のどこにいても同時通信が可能になるというものだ。
 ハイニッシュ・ユニヴァースの世界にはもちろん「超高速星間航法」も存在はするが、乗組員は冷凍睡眠によって長い時間を過ごさねばならず、その間に故郷の世界では何十年もが経過してしまう。そのため数百光年もの広い範囲にまたがるエクーメンにとって、交易とは人の行き来や荷物の移送という物質的なやりとりではなく、アンシブルを使った情報のやりとりが中心となる。つまり惑星間の軍事的圧力や脅迫といった直接的な手段ではなく、あくまでも独立した世界がそれぞれ説得と理解で繋がっているのがエクーメンという組織なのだ。
 こういう話を読むとワクワクするとともに、つい現実の世界に立ち返って色んな事を考えてしまうね。自分が好きなロシア作家・ストルガツキー兄弟も作中で複数の存在の接触を描くことが多いけれど、彼らの作品ではかならず力関係のアンバランスによる分断や強要が発生する。またそれらもル・グィンほどあからさまな描き方ではなく、あくまでもアレゴリー(寓意)として示される。思想的なバックボーンを持つ作品の出来は、個人の資質とともにその作家が置かれた環境によっても大きく左右されるわけで、その意味では「アメリカを代表する作家」という表現は正しいのかもしれない。つくづくル・グィンがアメリカに生まれてくれて良かったと思う。
 例えば262ページでエストラーベンが云うセリフは感動モノだ。
 「どうして人は国家を憎んだり愛したりするのですか?」「わたしはその国の人間を知っている。その国の町や農場や丘や川や岩を知っている、(中略)そうしたものに境をつけ、名前をつけ、名前をつけないところは愛さないというのはいったいどういうことだろうか?」
 その後ふたりが互いを「アイ」「セレム・ハルス」と呼び合うシーンとともに、とても印象に残るものとなっている。

 本書で興味深かった点はまだあって、それは何かというと随所(2/4/9/12/17章)に散りばめられた文化人類学的な挿話の数々。説話・民話・神話・伝説など呼び方は何でも構わないが、民族や社会のベースとなる考え方は文化人類学においても、このような説話を通じて象徴的に示されるケースが多い。本書ではこれらのエピソードを通じて両性具有の社会の成り立ちが重層的に説明されていて、本編で描ききれない部分をうまく補完しているように思う。(ハンダラ教徒の信仰や予知のエピソードなどは最高にスリリングだ。)
 SFとしてはどちらかと云えば自然科学的なアイデアより、社会科学やファンタジー的な色合いが強いル・グィン作品ではあるが、レヴィ=ストロースが好きな自分としては寧ろこのように神話的・象徴的な話題の方が、いかにもSFらしさ満載の疑似科学ネタより愉しかったりする。(笑)
 一方で、もしもあえて本書に対して不満を挙げるとすれば、エストラーベンに関する掘り下げのところだろうか。エクーメンからの使節であるゲンリー・アイが単身で異星人の世界を訪れてから早や2年。その間、真に理解しあえ信じ合える相手を持つことが無かったアイが、やがて(かつてはカルハイドの“王の耳/首相”であり今は追放の身となった)エストラーベンとともに逆境の中で深く理解し合い、ともに惑星ゲセンの人々のために力を尽くすことになる。――本書の筋を普通に要約すればざっとこんな感じになるだろう。そして物語としては二人による大雪原の横断(まるでエクソダスを思わせる)と、それを通じて二人が互いを理解し合うくだりが一番のヤマ場になるはずだ。
 しかし実をいうと、どうしてもそこで乗り切れない点がひとつだけある。それは何かというと、ゲセン人にとって最も重要とされる「シフグレソル」という概念が良く解っていないということなのだ。自分の理解力が足りないのだろうか。何度か読み返したのだが、今ひとつ理解できなかった。(実をいうと仮説が無くはない。ル・グィンはゲセン人を、日本人をモデルにして書いたのではないかと思える節(**)もあるので、もしかしたらシフグレソルというのは日本でいう「恥」に近い概念ではないかという気もしている。しかし本当のところはどうだかわからない。)
 これこそがアイとハルス(エストラーベン)の誤解のもとになり、また和解のきっかけにもなった大切な概念のはずなので、自分のようにぼんやりとしかわからないのはツライ。他にも警備員への突進の意味といい、エストラーベンの行動にはまだまだ謎が残る。文学として本書を評価するとすれば多分このあたりが肝になるのだろうが、自分にはちょっと荷が重いかな。是非ともどなたかの解説を読んでみたいものである。

  **…カルハイド人はLの発音が出来ずゲンリー・アイのGENLYという名をGENRYと発
      音する点。報償にもとづいた、独特な緩めの王政を敷いている点。そして頑なに
      外に対して閉鎖的な態度をみせる点など、幕末の日本を思わせるところが多い
      気がする。過去にだれかが既に指摘していそうな気もするが。

 今度の読書会はどんな話になるのだろうか。参加者の皆さんにまた違った読み方を披露して頂けると、きっと愉しいだろうな。色んな読み方ができる本というのは、それだけで傑作なのだと思うよ。いやほんと。

<追記>
 最後にオマケの話。本書では中に出てくる「ヌスス」という概念も面白かった。ハンダラ教にもとづく生活信条のようなもので、意味は「われ関せず」といったところ。自分自身が傷つくのを防ぐとともに、相手に対して赦しを施す意味合いも持つ。何となくカート・ヴォネガットjrの『猫のゆりかご』に出てくるボコノン教を連想してしまった。こちらの方は少し禅みたいな雰囲気もするけど。

<追記2>
 昨日の読書会で翻訳家の中村融氏をはじめ大勢の方の意見を聞いて大変参考になった。上で書いた疑問の幾つかは解消できたと思う。以下に追加記載しておこう。
 まず本書のモデルが日本なのかどうかという点については、ル・グィン自身が書いた文章があるそうだ。それによるとどうやら清朝時代の中国をモデルにしているらしい。カルハロイドが清でオルゴレンが中国共産党の支配地域を示しているとのこと。そういわれてみればオルゴレンには収容所があったりして、それらしい雰囲気もたしかに感じられなくはない。
 さらに言えば、ゲンリー・アイが黒人でカルハロイドがアジア系の住民を意識しているような感じからみて、ベトナム戦争か朝鮮戦争を重ね合わせているかもしれないとのことだ。(以上、中村氏からの情報)
 次にエストラーベンが銃の前にわざと飛び出した理由について。こちらは色んな方の意見を総合的にまとめると、①アイとの「心話」で兄の記憶が生々しく甦り、兄を自殺させてしまった自分が許せなくて自殺した/②今でも兄を愛しており、長い期間をおいての後追い心中/③”叛逆者”の自分がいるとアイが開国のために王と交渉する際、不利となるため(名誉ある死を選んだ)という3つの理由がない交ぜになっているのではないか?という結論になった。
 そして最後に光と闇の二元論についてだが、これは中国をモデルにしていることと、彼女自身が文化人類学者の親の影響で道教の本を幼いころから読んできたことからすると、結局のところモデルは「太極」なのではないか?という結論に落ち着いた。「光は闇の左手(ゆんで)、暗闇は光の右手(めて)......」という描写からもわかるように、光と影が入り混じり切り離せない状態は「二つ巴」や韓国の「大極旗」の中央にあるマーク(=太極)で示される概念に近い。とすると、「闇の左手」というとても魅力的な題名も実は西洋的な考え方ではなく、アジア地域に古くから伝わる考えを元にして著者がオリジナルで作った可能性が高くなるだろう。(これも中村氏からの情報)
 以上、補足でした。

『いちから聞きたい放射線のほんとう』菊池誠/小峰公子/おかざき真里 筑摩書房

 2011年3月11日に起こった東日本大震災。地震により発生した津波によって福島第一原子力発電所はメルトダウンを起こした。もちろん地震や津波による被害は甚大で悲惨なものだったし、今でも復興への営みは続けられているわけだけれど、もうひとつ忘れてならないのが放射能汚染にまつわる福島の人々や農作物に対する風評被害というやつだ。
 震災への対応と経済政策の失敗などによって民主党政権は倒れ、その後の極右的な自民党政権復帰への端緒を開くことになった。周辺国に対するヘイトスピーチや全国各地の原子力発電所を巡る問題などで日本中が今だに揺れているのも、もとは東日本大震災による景気回復への深刻なダメージがきっかけといえるだろう。
 ここで政治的な話題に触れるつもりはないが、以前聞いた言葉に「誰かを差別をするのは簡単、しかし理解しようとすれば学ぶことが必要になる」というのがあった。(うろ覚えなので細かな表現は違っていると思う。)これは社会生活を送る上でのあらゆることに対して当てはまる事ではないだろうか。
 核分裂や核融合のイロハについては数十年前に高校の物理で習ったが、最近の報道で良く出てくる「ベクレル」とか「シーベルト」という言葉の意味は正直よく分かっていない。専門用語が飛び交うニュースを、皆が全て理解できているとも思えない。間違った測定方法による値を鵜呑みにして過剰な反応をする市民団体の話などを聞いたりするたび心が痛む。かといって難しい専門書を繙く気力もない。それでもいつか、ちゃんと説明してくれる本が読みたいものだと思っていたのだが、そんな時、ひょんなことから知ったのがこの本というわけだ。

 前置きが長くなってしまった。本書は副題を「いま知っておきたい22の話」という。表題にひらがなが多く使われているのも、一般の人にひろく手に取ってもらいたいからだろう。
 著者は3人。まず一人目は大阪大学サイバーメディアセンター教授の物理学者・菊池誠氏。この人はとてもユニークな方。まずは長年に亘り活動をしている有名なSFファンという貌をもち、P・K・ディックの『ニックとグリマング』という子供向け長篇作品を翻訳して筑摩書房から出したりもしている。また電子楽器テルミンの奏者としても有名で、現在は音楽ユニットandmo‘の一員として全国でライブ演奏を行うなど、大学の枠にとらわれない様々な分野での活動をされている。
 二人目の著者は同じく音楽の分野からで、ZABADAKというユニットで音楽活動を続けるミュージシャンの小峰公子(こみね・こうこ)氏。彼女は福島県郡山市出身で、今回の原子力発電所の事故で実家が受けた被害や健康への不安、そして福島の人々が各地で受けた差別的な風評被害でつらい思いをされたのだが、その時にネットのチャットで菊池氏に放射線に関する様々なレクチャーを受けた。本書で”対談形式の物理解説書”という非常にユニークな形式が取られているのは、その時のやりとりが元になって出来た本だからだ。
 そんなわけで、三人目の著者であるおかざき真理氏によっておしゃれな漫画やイラストが加わり、放射能の仕組みと生体への影響などを(おそらく)世界一読みやすく解りやすく解説した、世界でも(たぶん)類を見ないユニークな本が生まれたというわけだ。
 この本、出たことはツイッターで知ってずっと探していたのだが、なかなか手に入れることが出来なかった。最終的には菊地氏ご本人のライブ会場で購入するという珍しい経緯で手に入れて読んだのだが、やはり期待通りのとても良い本だった。ベクレルやシーベルトなどの専門的な用語の正しい意味や、身体に対する影響の説明を自分のような素人にも解りやすく解説してくれている。数式も一切でてこない。(科学解説書にしてはかなり思い切ったことをしたものだ。)
 高校生くらいの一般知識があれば充分に分かる内容なので、原発や食品の安全について気になる人はぜひ一度目を通すと良いのではないだろうか。

 少し本書の具体的な中身について触れておこう。
 まずベクレルという言葉。これはまず「そこにある放射性物質の原子が1秒間に何個毀れるかを表す単位」だと説明されている。そしてその後には小峰氏による一般的な視点からの質問と、それに対しての菊池氏による説明が続く。「放射線が出るのは原子核が壊れるときだから、(あるものに含まれる放射性原子の)個数で考えるよりも、壊れる数を表すこの単位の方が便利なんだ」といった具合。とっても解りやすい。
 ちなみに本書の説明によれば、シーベルトという言葉の用法には2種類の意味があるらしい。まずひとつは“等価線量”というもの。これは放射線(α線/β線/γ線の総称)から体が吸収したエネルギー(≒身体への被害をもたらすもの)を、影響度を考慮して等価に換算したものだそう。たとえばα線は他のβ線やγ線の20倍の(内部被ばくに対する)影響があると考えるらしい。(*)

   *…気を付けなければいけないのは、この等価線量は無からず「臓器1キログラム
      あたりに換算して計算する」という点。甲状腺は大人でも20グラムぐらいしか
      ないので、実際の影響度は肝臓など大きさの違う臓器とは違ってくる。

 そしてシーベルトのもうひとつの意味は、個々の臓器への影響の総和によって身体全体への影響を示す“実効線量”というもの。様々な臓器の等価線量を算出して、それぞれの被ばくが身体全体に与える影響度を平均化して見積もったものなのだそうだ。(うーん、端折って書くと分かりにくくなってしまうな。せっかく本書で解りやすく書いてあるのに。やはり詳しくは本書を直接当たってもらった方が良い。)

 昨今テレビは新聞で放射線に関するニュースも多い。しかし報道する側に専門知識が不足しているためか、ニュースの内容に結構間違いや不正確な表現が多かったりする。また馴染みがない言葉だけあって、聞く側もよく理解できず漠然と不安に感じるだけだったり、もしくは誤解することも多いように感じる。
 中には「自然由来の放射線は安全で人工の放射線は危ない」などというデタラメを平気で広める人もいるらしいし。(当然ながら放射線のリスクは自然だろうが人工だろうが関係ない。)今の時代は巷にあふれる玉石混交の情報の中から、正しい知識に基づいて必要な情報を選び出す「情報リテラシー」が求められているというが、まさに今の日本に住む人にとって「放射線のほんとう」についての知識は、各自が充分に理解しておくべき事項なのではないだろうか。

 小峰氏によると本書は「(溢れる情報からの)自立のヒントとなり、少しでもみなさんの生活のお役に立て」てもらうために書かれたものなのだそう。たしかにそうだ。食品や環境における放射線量の測定値とそれが人体に与える影響を正しく理解したうえで、個人個人が自らの基準でリスクを判断して暮らして行けばいい。多少放射線量が高くても人間らしい暮らしを選ぶ人がいて構わないし、それを咎めたり差別したりする権利は誰にもない。(放射線を気にしながら煙草をぷかぷか吸っている人を見ると、特にそう思ったりもする。/苦笑)。
 少し長くなるが、小峰氏の結びの文章を紹介して今回は終わりとしたい。

 「(略)選ぶ道は人それぞれということも改めて認識したいと思うのです。自分自身で学び、考え、選び、生きていくのは少し難しいかもしれない。少し覚悟は必要かもしれないけれど、自分らしい暮らし方を探していく。そして、それぞれが選んだ道をお互いに尊重しあえる、そんな社会になったらいいなと思うのです。」

 うーん、いい言葉だね。

2014年10月の読了本

※今月もわずか8冊。最低限のノルマとしていた10冊に満たなかった。正月休みまでは公私ともども忙しいし、ゆっくり本を読めるのはまだしばらく先になるかなあ。

『奇術師の密室』 リチャード・マシスン 扶桑社ミステリー
  *今は植物人間となって車椅子の生活を余儀なくされている一人の男。かつて大魔術
   師と呼ばれた彼の目の前で進むのは後を継いだ息子による殺人劇。息つく間もない
   どんでん返しで、意表を突く展開はまるで舞台の奇術を見ているよう。朝から読み始
   めて一日で一気読みしてしまった。マシスンは何を読んでも愉しめるので良いなあ。
『宇宙の眼』 フィリップ・K・ディック ハヤカワ文庫
  *ディック初期の長篇。版権の関係で長らくハヤカワ文庫に収録されていなかったの
   だが、やっと(!)登場。ハヤカワSFシリーズ以来、数十年ぶりに読みかえした印象
   では、初期作品としてはかなり傑作の部類だと思う。(筒井康隆著『SF教室』の粗筋
   紹介で妄想を膨らませて読んだらイメージが違っていて、当時は拍子抜けしたのだ
   った。)解説で牧氏が書かれているように、「多元宇宙」というよりは「主観世界(宇
   宙)」と呼ぶ方がしっくりくる感じ。ディックは悪夢の世界を描かせたら天下一品だと
   改めて実感した。
『本屋さんのアンソロジー』 “大崎梢リクエスト!”(光文社文庫)
  *書店ミステリを得意とする作家の大崎梢氏によるリクエストに基づき、ミステリや文
   藝など色々なジャンルから参加した作家たちが作品を寄せたオリジナルアンソロジ
   ー。参加している作家は飛鳥井千砂/有栖川有栖/大崎梢/乾ルカ/門井慶喜/
   坂木司/似鳥鶏/誉田哲也/宮下奈都/吉野万理子(以上、敬称略)の計10名。
   どれも軽く読めて面白いけれど、特に好みなのは「ロバのサイン会」「7冊で海を越え
   られる」「なつかしい人」あたりかな。本書は“書店しばり”だが、光文社文庫には同シ
   リーズで他にも“和菓子しばり”と“ペットしばり”の2冊がある。前者は既に読んで
   面白かったし本書も好かったので、後者もそのうち読もう。
『ツクヨミ 秘された神』 戸矢学 河出文庫
  *古事記では天照大神(アマテラスオオミカミ)や素戔嗚尊(スサノオノミコト)と並ぶ
   主神の一柱であるにも関わらず、文献に殆ど出てこない謎の神「月読(ツクヨミ)」。
   歴史から抹殺されたその理由を、天武天皇から桓武天皇へとつづく皇室の確執に
   読み解く。かなり乱暴とも思える推論も多く、感覚的には梅原猛氏の古代史シリーズ
   の味わいに近いだろうか。ふらふらと彷徨い歩く論考を嘘か真か調べるすべは、
   もはや現代には残されていないけれどファンタジーとして読む分には充分に面白い。
『溺れた巨人』 J・G・バラード 創元SF文庫
  *「破滅3部作」で知られる、バラードの初期短篇群の掉尾を飾る作品集。表題作や
   「永遠の一日」は如何にもバラードらしくてとても好きだ。
『怪奇文学大山脈Ⅱ』 荒俣宏/編纂 東京創元社
  *全3巻で構成される西洋近代名作選のうちの第2巻。本書は19世紀をテーマにし
   た第1巻(「19世紀再興篇」)に続くもので、「20世紀革新篇」という名のとおり収
   録作は20世紀初頭のものが中心。好きな作家や、知らなかった(でも一読して好きに
   なった)作家がたくさん載っていて、本邦初訳も多い。本書の醍醐味は選び抜かれた
   作品群のラインナップだけでなく、やはり編者の荒俣宏氏による大長篇の解説や作
   品解題にあるといえるだろう。「まえがき/20世紀怪奇スクール」に続いてヒチェンズ
   「未亡人と物乞い」クロフォード「甲板の男」と読み進み、次のホワイト「鼻面」で頭を
   殴られたような衝撃を受ける。“怖ろしい”とは思わないが、奇怪であり蠱惑的であり
   不気味。G・ウルフやC・プリーストにも通じるものがある気がする。書かれていること
   は明白なのに「それが何の意味を持つのかさっぱり解らない」のが堪らなく自分好み
   だ。ラストの一行が効いているベリズフォード「ストリックランドの息子の生涯」のよう
   に、後味の悪さも怪奇小説の愉しみのひとつだし、コッパード「シルヴァ・サーカス」や
   ハートリー「島」も好い。『心地よく秘密めいたところ』のようにジワリと心に残る大御
   所ウォルター・デ・ラ・メアの「遅参の客」や、泉鏡花「海異記」のように刹那の怖さが
   光るヒュー・ウォルポール「海辺の恐怖-一瞬の経験」、そしてブラックユーモアが
   愉しい「不死鳥」も好いのだが、後半では何と言ってもウエイクフィールド「釣りの話」
   が気に入った。(これなんぞは幸田露伴「幻談」をこよなく愛す編者らしいセレクトで
   はないかな。)途中からはページを繰る手が止まらなくなり、ラストのサーフによる実
   録怪談風の「近頃集めたゴースト・ストーリー」まで一気読みだった。西崎憲氏が編訳
   された『短編小説日和』『怪奇小説日和』や本書のようなアンソロジーが世に出続ける
   ことで、異色短篇や怪奇幻想の命脈が保たれていくに違いない。どれも傑作揃いなの
   だが、あえてマイベスト3を選ぶとすれば他は「シルヴァ・サアカス」「釣りの話」。
   ベスト5なら更に「遅参の客」と「海辺の恐怖」あたりだろうか。
『いちから聞きたい放射線のほんとう』 菊池誠/小峰公子/おかざき真里 筑摩書房
  *大阪大学サイバーメディアセンター教授にして音楽ユニットandmo‘の一員としてライ
   ブ活動を続けるユニークな物理学者のキクマコ先生こと菊池誠氏と、福島県郡山市
   出身でZABADAKというユニットで音楽活動を続けるミュージシャン小峰公子(こみね
   ・こうこ)氏がネットでやりとりした記録をもとに作られた、放射能の仕組みと生体への
   影響などを(おそらく)日本でいちばん簡単に書いた本。読みやすいし解りやすいし
   知りたいことが過不足なく書いてあるしで、これは非常に良い本。ベクレルやシーベル
   トといった専門用語の正しい意味や身体に対する影響の説明とか、なにしろ素晴らし
   い。原発や食品の安全について気になる人は一度目を通すと良いと思う。おかざき
   真理氏による冒頭の漫画やきれいなイラストもgood。
『繁栄の昭和』 筒井康隆 文藝春秋社
  *筒井御大による久々の新しい作品集。(「作品集」といっても全てが創作ではなく、
   巻末には昔の映画女優・高清子に関するエッセイ「高清子とその時代」も収録されて
   いる。)それにしても断筆撤回後に書かていた作品はあまりにも自在すぎる(笑)。
   メタ小説として秀逸な表題作や「メタノワール」は昔ながらの自分が一番好きな筒井
   節が満喫できるし、「大盗庶幾」や「リア王」は物語として秀逸。血糊にまみれた「遠い
   座敷」のような「一族散らし語り」も好いが、しかし「科学探偵帆村」や「横領」あたり
   までいくと、ちょっと不安になってくる。はたして自分はこの作品が本当に愉しめている
   のだろうか?と。まるで上田秋成『春雨物語』を読んだ時のように、すこし途方に暮れ
   ている自分がそこにはある。飄々と我が道をゆく御大の姿をただ茫然と眺めている感
   じもあって、薄いけど手強い本だと思う。
『世界ぶらり安うま紀行』 西川治 ちくま文庫
  *世界中を旅する写真家の著者が、あちこちで出会った現地の安くて旨い食べ物を
   綴る写真紀行。新聞や雑記に掲載のコラムより選出した文庫オリジナルで、いわゆる
   「B級グルメ」ではなく現地の人が日々食べているものを、彼らの懐に入り込んで食べ
   るのがウリ。読んでいるうちに腹が減ってくる。実に旨そうだ。(笑)
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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