『溺れた巨人』 J・G・バラード 創元SF文庫

 「中学や高校の頃に好きだった小説を大人になって再読してみたら今ひとつだった」という経験は、本好きなら誰にでも経験のある事だと思う。だから昔に読んだきりのお気に入り作品だったりすると、読み返すのには結構勇気が要ったりする。その点、自分にとってバラードという作家はいつも変わらない面白さを保証してくれるので、安心して読み返すことができる作家のひとりだ。先日、古い蔵書をひっくり返していたらたまたま本書が目に留まり、懐かしい表紙を見て久しぶりにまた読みたくなった。そんな時に必ず愉しめるという気持ちで読み返せるというのは有り難いもので、十数年ぶりに濃密なバラードの作品世界を堪能することができた。というわけで今回は新刊ではなく恐縮だがお付き合いいただけると幸い。

 まずは本書の位置づけについて。『溺れた巨人』はバラードの初期作品群の掉尾を飾る傑作長篇『結晶世界』と同じく、1966年に発表された短篇集。同時期の他の作品と同じくシュルレアリスムの影響がかなり強い。よく知られているようにバラードの作家活動はおおよそ初期/中期/後期の3つに分けられるわけだが、そんな彼の作品の中でも“破滅3部作(*)”に代表される初期のものは、たとえば「砂漠」「放棄されたリゾート地」「涸れたプールや川」「宇宙飛行士や人工衛星」といった世紀末的なイメージが横溢し、変な形容だが「文字で表現されたシュルレアリスム絵画」のような独特の雰囲気がある。

   *…温暖化により海面が上昇して世界中が熱帯雨林と化す『沈んだ世界』、海面に
      特殊ポリマーが生成されて水の蒸発が無くなり砂漠化する『燃える世界』、
      宇宙的な異変により時間が結晶化していく『結晶世界』の3長篇。いずれも
      「すでに破滅しかかっている世界」を舞台にした作品になっている。

 時期により印象が異なるバラード作品だが、実は彼が生涯を通じて追い求めたテーマは一貫しており、それは「現実世界(≒社会)と個人の精神が出会う場所としての内宇宙(inner space)」だというのが自分の考え。ただし表現のスタイルは時代によって大きく異なっていて、その中でも「世界の破滅」という極限状況における精神の変容を描いた初期作品は、SF小説として一番とっつきやすいのではないかと思う。
 ちなみに中期を代表するのは“テクノロジー3部作”とよばれる『クラッシュ』『コンクリート・アイランド』『ハイ-ライズ』の3長篇であり、ここでは「世界の破滅」という(ある意味)解りやすいシチュエーションではない。そこで追究されるのは、当時新しく登場しはじめた人工的な光景が人の心に与える影響といったもの。(『クラッシュ』では自動車やオートバイによる人身事故、『コンクリート…』では高速道路で隔離された空間、『ハイ-ライズ』は超高層住宅がそれぞれモチーフになっている。)
 後期は初期/中期に比べればテーマがはっきりしない感じはするが、『コカイン・ナイト』『スーパー・カンヌ』『千年紀の民』という3部作をみると「現代における社会性とそれが作り出す狂気」とでもいうようなテーマで、首尾一貫しているように思う。(中篇の『殺す』や環境保護活動を扱った『楽園への疾走』も、同じグループに括ってよいかも知れない。)
バラードはこれらの作品群を通して、手を変え品を変えては世界と人の関係をずっと追い続けてきたのだ。残念なことにコアなSFファンにはあまり人気が無いように思える後期の作品群だが(苦笑)、自分にとってはどれもが大好きな作品といえる。

 話がそれてしまったので本書の話題に戻そう。
 初期バラードの特徴としては「短篇集が多い」というのも挙げることができる。創元SF文庫からでている5冊の短篇集(『時の声』『時間都市』『永遠へのパスポート』『終着の浜辺』『溺れた巨人』)は、1962年から1966年の間に集中して出されていて、モチーフやテーマも破滅3部作と共通したものを持っている。また、頽廃的なリゾート地であるヴァーミリオン・サンズを舞台にした有名な連作シリーズ(**)も入っていたりして、これら5冊を読めばバラードの初期作品はおおよそ一望できるといって良い。

  **…ハヤカワ文庫から『ヴァーミリオン・サンズ』という題で一冊にまとめられたもの
       が出ていたが、現在では絶版。バラードの中でも一二を争う人気作なのに勿体
       ない。

 実をいうと『時の声』あたりの最初期の短篇集は、収録作の中に(ごく普通のSFの)ワンアイデアストーリーもあったりして、いわゆる“バラードらしさ”期待して読むとけっこう当たり外れが大きかったりもする。しかし比較的後の方の作品が多い『溺れた巨人』の場合、どれを読んでも如何にも「バラードらしい」感じがして好きだ。中ではネビュラ賞を受賞した表題作はもちろんだが、ヴァーミリオン・サンズの一篇「スクリーン・ゲーム」や自転の停止した世界を描く「永遠の一日」、生体移植を巡る「ありえない人間」などが好み。解説に書かれているオールディスではないが、まともな社会生活は送れそうにない“ダメ人間”が多く出てきて非常に愉しい。(キャラクターの印象としては、つげ義春なんかの漫画に共通するところがあるかもしれない。/笑)
 ところで今回読み返してるうちに思ったのだが、初期作品において描かれている「異常な環境下の精神世界」というのは、アインシュタインの相対性理論に喩えるならば、ある特殊な条件下における解を求めた“特殊相対性理論”にあたるような気がする。アインシュタインはその後、特殊な条件を排してより現実世界に近い条件にも適用可能な“一般相対性理論”を発表したわけだが、一方で「破滅した世界という特殊解」を「ごく普通にみられる人工的な景観(テクノロジカルランドスケープ)という一般解」まで敷衍したのが、バラードにおける中期作品の位置づけと言えはしないだろうか。
 そしてまた中期の取り組みは、バラードにとってまだまだ不充分だったのかも知れない。たしかにハイウェイ事故や超高層住宅は現代ではありふれたものではあるが、人間にとってある意味「極限状態」には違いないわけだし。そこで次に取り組んだのが、ごく一般的な住宅街や環境活動といった「ありふれた世界」における意識の変容であり、それを描こうとしたのが後期作品群だったのではないだろうか。(先ほどと同様に相対性理論に喩えるなら、自然界の力をすべて統合する究極の理論を作り出そうとした“統一場理論”みたいなもの。)
 アインシュタインは結局統一場理論を完成できずにこの世を去ってしまったけれど、最後まで試行錯誤しながら内宇宙の普遍化を試みていたところなどは、バラードだって同じだったと言えるかもしれない。バラードの後期作品には拒絶反応を示す人もいると聞くし、もっと率直に「あれはSFではない」という声も聞いたことがある。しかしバラードにしてみればこれらは全て外宇宙と精神世界を繋ぐ問題として一貫しており、そして自分にとっては全てが大好きな内宇宙SFなのだ。
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『有性生殖論』 高木由臣 NHKブックス

 副題は“「性」と「死」はなぜ生まれたのか”という。著者はゾウリムシを使った発生学の研究者で、今はもう大学を退官されている人物。これまでの研究で得た知見を基にしてひとつの仮説をたてたそうで、それが本書で紹介された「有性生殖論」というもの。残念ながら現在では自ら実験によって仮説を検証する術はないが、生物進化の仕組みに関して独自の仮説を考えたので、いちどまとめておこうという趣旨で書かれている。いってみれば理論物理学みたいなものだ。

 読んだ印象をぶtっちゃけ書いてしまうなら、実を云うと自分としては著者の仮説には与しかねる。(その理由はおいおい書いていくことに。)ただしゾウリムシを使った発生学の本として本書を読む分には、充分に愉しめた。

 著者の考え方は一般の進化論とは違いちょっと独特。それは何かというと、有性生殖が進化した理由(というか目的)について、「遺伝的多様化」(≒遺伝子プールの多様化による絶滅防止)ではなく「世代交代(若返り)」にあるとしている点。単細胞生物が細胞分裂で数を増やしていくのは良く知られているが、そのように細胞分裂によるクローンをつくることで増殖と同時に「若返り」(すなわち細胞のリフレッシュ)を行うという目的がまずあって、その仕組みの中で生まれてきたのが性別なのだという。以下、少し専門的な話になってしまうがご容赦いただきたい。
 まず生物には遺伝子の仕組みによってバクテリアに代表される原生生物の「一倍体」(=遺伝子をひとつだけで保持しているもの)と、人間など「二倍体」(=同じ遺伝子を一対もっているもの)を持つものがあるそうだ。一倍体は遺伝子の控えが無いため放射線や化学物質その他の外的要因によって、簡単に書き換わり(エラー)が発生してしまう不安定な仕組みではあるが、同時に突然変異によって環境の変化に適用しやすくなるという利点もある。一方の二倍体の場合は遺伝子が一対(二つ)あるので、複製の際に片方でエラーが起こってももう片方でバックアップが可能となり、外的な影響を受けにくく安定しているという利点を持つ。しかしその一方で突然変異が起こりにくいために環境の変化への対応ができにくいという面も持つ。(*)

   *…自分が首肯しかねるのはまずこの点。古澤満著『不均衡進化論』の考え方から
      すれば、二倍体であっても安定であるべき時期と突然変異が必要な時期の切り
      替えは自由に行えるわけで、前提が少し古いのではないかと思う。

 著者の説明によれば、二倍体の遺伝子を持つ生物が細胞分裂(=無性生殖)で増える際、片側の遺伝子で発生したエラー/突然変異はもう片側の遺伝子によってフォローされてしまうため、殆どの場合は表面上に現れてこない「無効の変異」として遺伝プールに蓄積されていくだけになる。一方の一倍体では変異がそのまま個体の変化として発現するので、無性生殖すれば変化したものが増えていく事になる。すなわち環境変化などで従来のままでは不利な場合にも、つぎつぎ変化していけるわけだ。(病原体が変化して、それまで効いていた薬が利かなくなることを想像するとイメージしやすいかな?)
 そこで二倍体は考えた。二倍体がいったん一倍体になってから再びそれぞれの遺伝子が二倍体化する仕組みにすれば、変異した一倍体が二倍体化することになるため、突然変異が起こりやすくなるのではないかと。(**)

  **…ここが納得のいかない第2の点。上記の文ではわざと「二倍体」という遺伝子に
      意志があるかのような書き方をしたが、本書を読んでいるとこのように生物が意
      図して進化をしているようで、どうも気になって仕方がない。「キリンは高い樹の
      葉を食べようとして首が長く進化した」というのはラマルク進化論として有名な
      喩えだが、ラマルクにしても今西錦司にしても進化に何らかの意味(もしくは種と
      してのの意志)を持たせようとしていたきらいがある。本書を読んでいると著者の
      考え方にも同様の雰囲気がして、自分としては「何だかなあ」と感じてしまうの
      だ。

 話がそれたので戻そう。
 二倍体がいったん一倍体になって複製したのち、各々が再び二倍体に戻るだけなら単なる細胞分裂による無性生殖でも用は足りる。事実、原核細胞生物は無性生殖しかしないが、真核細胞生物が生まれてからもしばらくの間は無性生殖が続いたと推察されるらしい。それがある時点から有性生殖に切り替わったのは何故か?それを著者はずっと考え続けてきたというわけだ。(ちなみに有性生殖が生まれた理由は一般的には「ゲノム(=遺伝情報の総体)が大型化した結果、無性生殖で同一性を保ち続けるのが難しくなったから」とされている。)
 先ほども述べたように、著者の考える「答え」にはちょっと引っ掛かりがあるが、そこに至るまでの過程は滅法面白い。本書を読む愉しさはそのあたりにあるといって良いだろう。ちなみに著者がそのような説に思い至ったきっかけは、ゾウリムシのあまりにも自由な生殖方法にあるのだという。自分にとって本書の読みどころは、この説明のためにゾウリムシを始めとする繊毛虫類の生態が詳しく述べられるくだりにあるといっていい。
 本書を読んでまず驚いたのは、繊毛虫類では性別が2つとは限らないということ。たとえばミドリゾウリムシでは4つの接合型(≒性)をもつタイプと8つの接合型のタイプが知られているそうで、それどころかなんと数十もの接合型を持つものもいるらしい。(微生物を研究している人には常識なのかもしれないが、自分は本書で初めて知ったので驚いた。)SFなどでは「もしも性が2つでは無かったら」というアイデアが取り上げられることがあるが、まさかこんな身近にあるとは思わなかった。
 このあたりのくだりが面白いのでもう少し続けよう。ゾウリムシは周囲に充分に餌がある時は無性生殖で分裂を繰り返すが、エサがなくなると突如有性生殖に切り替わるそうだ。その時、例えばⅠ・Ⅱという2つの性をもつゾウリムシであっても、Ⅰ×Ⅱという接合のみをするわけではない。Ⅰ×ⅠもⅡ×Ⅱも同時におこり、全部で3種類の接合対があってなおかつどれも正常に交配が行われるというのだ(このように同じ性同士で結びつく交配のことを「自系接合/セルフィング」と呼ぶらしい)。人間でいえば男×女だけでなく男×男や女×女でも正常に交配が出来るということになる。
 おどろくことはまだある。細胞内の核の変化に眼を向けるともっとすごいことがおこっている。ゾウリムシはなんと自分だけで核分裂をおこして、細胞内で分かれた核が再び融合して新たな世代に変化すること(=「自家生殖/オートガミー」)すら出来てしまうらしいのだ。(分裂して融合すると、遺伝的には何ら変わりがないのみ関わらず、ゾウリムシの固体は次の世代に変化したことになり、寿命もリセットされて若返るとのこと。なんとまあ不思議。)
 ここまでいくと「生殖」と一括りで呼んでしまって良いのかすら分からないが(笑)、何しろゾウリムシの性は信じられないくらい自由ということのようだ。

 本書は寄り道が結構多くて話の流れを追うのがちょっと大変だが(しかしそれが面白かったりもする)、冒頭の「なぜ有性生殖が生まれたのか?」という疑問に関する結論の要点をまとめると、最終的に次のような内容になるだろう。

 ■二倍体となった生物は突然変異の可能性を活かすために「自家生殖/オートガミー」
  で一倍体から二倍体への変化という仕組みを作った。
 ■しかしのべつ幕なしにオートガミーを行うとエネルギーの浪費につながってしまう。
 ■そこで合理的に生殖をおこなうため、「なるべく近場で」「決まった時期に」「自分と異な
   る接合型をもつ同系の個体」との出会いをトリガーにして交配することにした。

 つまり性の起源は、著者によれば「交配に用いる自分の分身の手っ取り早い“代わり”」というわけだ。うーん、身も蓋もない(笑)。これはこれでぶっ飛んでいて面白い仮説ではあるね。(ただし著者が言うように実験室でほんとうに検証できるものなのかは、門外漢である自分にはよく解らないが。)

 最後になるが、本書の中に「有性生殖をする」ということはすなわち「生き物の寿命を決める」ことに他ならない、という話が出てくる。それはなぜかというと、遺伝的に同一の個体の継続には限界があるから。生殖の結果として産まれる新個体は、無性生殖の場合と違って前の個体のままではない、唯一無二の存在であるというわけだ。(***)
 なぜ古今東西の多くの研究者が、(自分の専門でもないのに)進化の仕組みについて自らの説を語りたがるのか以前から不思議だったのだが、本書をよんでなんとなく解った気がする。やはり「進化の仕組み」とは生物関係の研究に携わる人にとっては、尽きせぬ夢のテーマなのかも知れないねえ。

   ***…インディアナ大のソネボーン氏により1954年に発表された論文で、初めて
         指摘された知見とのこと。色々と勉強になった。

「名古屋SFシンポジウム」簡単レポート

 2014年9月27日に椙山女学園大学の国際コミュニケーション学部にて、記念すべき名古屋SFシンポジウムの第1回が開催された。昨年の7月には「国際SFシンポジウム」の名古屋大会(=日本SF作家クラブの創立50周年記念のイベント)が同じく椙山女学園大学で開かれたが、今回は完全に名古屋独自のイベントである。これらは地元での文化事業を盛んにしようという多くの方々のご尽力により開催できたわけだが、今や椙山大学のある星ヶ丘は名古屋のSFイベントの聖地となりつつある気がするね(笑)。
 今回の名古屋SFシンポジウムの発起人は椙山女学園大学教授の長澤唯史氏と、県立高校の教諭をしながらSFの書評の世界でも広く活躍する渡辺英樹氏。当日はお二人の司会によって「SFと翻訳」ならびに「アニメ漫画の中のSF」という演題で、都合2時間半にわたるパネルディスカッションが繰り広げられた。参加無料で事前予約もないため当日の参加者はふたを開けてみないと分からず緊張したが、事前告知の甲斐もあってか60~70名ほどの方にお越し頂くことが出来た。ミステリー読書会でお世話になっている皆さんにも大勢駆けつけていただけたし、中には飛び入りで当日の朝に東京から新幹線に飛び乗って来て頂いた方もいらっしゃったりして、とても嬉しいサプライズだった。(伊東さん、ユイーさん、その節はありがとうございました。また、牧さんご夫婦や宮崎さんも岩田さんも、皆さん遠路はるばるお越しいただきありがとうございました。)
 さてさっそく当日のプログラムについてだが、第一部のパネル「SFと翻訳」に参加したのは、英米作品の翻訳やオリジナルアンンソロジーの編集で知られる中村融氏とロシアSFの翻訳や格闘技の研究でも知られる大野典宏氏、そして不肖・翻訳SF読者の代表として当ブログ管理人の3名。内容としては、翻訳家のお二人には「翻訳をするようになったきっかけ」や「翻訳を行う上での苦労や愉しさについて」など、ざっくばらんに司会の長澤氏が訊いていく形。「翻訳を巡る現状」では「翻訳だけでは生活が出来なくなっている現状について」など、ときおり暗い話を交えながらも全体的には和気藹々とした雰囲気で進められた。印象に残っている話題としては、中村氏による「日本語に置き換えるときに人称を変えることについて」や「許せる誤訳と許せない誤訳」について、それに大野氏による「共産国ではファン活動が非合法であった件」などが面白かったが、メモが取れないので細かな点を忘れてしまったのが残念。(どなたか詳しいレポートを書かれていないだろうか。)
 一方の自分に対しては「翻訳小説を読み始めたきっかけ」や「翻訳を読む喜びと難しさ」などについて話が振られたが、(ある程度の想定問答は事前にすり合わせして作ってあるにせよ)基本的にはぶっつけ本番。本当ならあれも喋ろうこれも喋ろうと考えていたネタ(*)も使えず、どぎまぎしているうちに終わってしまった。果たして愉しんで頂けたかどうか、今だに心配ではある。

   *…例えばスタニスワフ・レムの『ソラリス』はメルヴィル『白鯨』を意識して書かれた
      とおぼしき部分があって、そう考えるとソラリスの海は完全なる他者という意味
      でモビー・ディックになぞらえているのではないか?とか、J・G・バラード『千
      年紀の民』はネグリ&ハートの『<帝国>』を参考にしているのではないか?
      など、乱読により色々な本の相乗効果が生まれて読書がより愉しくなるといった
      話。(あんまり小難しい話は言わなかった方が正解だったかも。/苦笑)

 休憩をはさんで第二部の「アニメ漫画の中のSF」では、iPS細胞の研究者でありSF評論活動もされている京大の山代嘉美氏をコーディネーターとして、評論家の山川賢一氏と名古屋大学SF研究会OBで書評なども手掛ける片桐翔造氏、そして名古屋SF研究会所属の現役学生である伊部智善氏によるセッションが行われた。
 内容は多くのアニメや漫画の中に登場する、SF小説にヒントを得たとおぼしき世界観やアイデアを紹介するというもの。トップバッターである山川氏は『魔法少女まどか☆マギカ』や『仮面ライダーBLACK』『新世紀エヴァンゲリオン』といったアニメ・特撮作品の構造が実は『2001年宇宙の旅』にかなり近いということを指摘した。つづく片桐氏は同じくアニメ『キルラキル』に出てくる「意志をもった服」という設定の元ネタがバリントン・J・ベイリー『カエアンの聖衣』からヒントを得たものであることを紹介し、伊部氏は『セントールの悩み』という漫画やラノベの中に、ファンタジーの住民である仮想生物たちが現実の世界に暮らすときの社会構造や生物学的な苦労という、R・L・フォワード『竜の卵』やB・オールディス『地球の長い午後』などの異世界SFにも似た面白さを熱く語った。そして最後には八代氏がiPS細胞の話題を使って、これら3つの(テーマも内容も全く異なる)プレゼンを見事にまとめあげたところで予定の時間が来て終了となった。
 こちらのパネルは会場の若い参加者からも笑い声がおこったりしていたので、きっと皆さん愉しまれたと思う。(自分の方は良くわかりません。/笑)

 以上、当日は当事者ということもあってメモを取っている精神的な余裕もヒマも無かったので、詳しいレポートが書けずに申し訳ないが、何となくの雰囲気は掴んで頂けたのではないかと思う。
 来年以降もぜひこのシンポジウムを続けて行きたいと関係者一同はりきっているので、今度はまた趣向を凝らしてさらに参加者の方が愉しめる企画になれば良いと思う。乞うご期待。

<追記>
 今回のシンポジウムのもうひとつ大きな特徴として、大学をお借りしたイベントには珍しく「ディーラーズルーム」が開催されたことが挙げられる。ディーラーズルームとは簡単に言えば即売会のこと。今回は名大SF研の会報(名大出身のミステリ作家・殊能将之氏の特集号など)や日本SF大会「なつこん」のためにプロの作家たちが書き下ろした短篇を集めたアンソロジー『夏色の想像力』といったファン出版の他、アトリエサードの方による新進気鋭のイラストレーターYOUCHAN氏の画集や怪奇幻想専門誌『ナイトランド』のバックナンバーの委託販売、そして中村融氏や大野典宏氏の手がけられた作品の展示即売が特別ブースを作って行われた。普段買えないものを山ほど買い込んだのでえらく散財してしまったが、このような場は地方のファンにとって貴重だと思うので、来年以降も続けられると良いと思う。

 ※今回はいつにも増してマニアックな話題で失礼しました。ミステリやSFといったジャンル小説や、海外文学の世界はなかなか商業的には難しい時代に来ていると思う。このように草の根的な活動を通じて少しでも翻訳小説の読者が増えてくれると嬉しいのだが......。

2014年9月の読了本

今月は小説が多かった。秋の夜長には、せっかくだからじっくり腰を据えて学術書の類いも読みたいものだねえ。

『ディカーニカ近郷夜話(前篇/後篇)』 ゴーゴリ 岩波文庫
  *ゴーゴリが故郷に伝わる説話をもとに書き下ろした幻想味のある物語集。滑稽な
   ものから怖いものまでスタイルは様々だが、多くの話に妖女(ウェーヂマ)や悪魔、
   魔法使い(コルドゥーン)などが登場し、市井の人々とやりとりを繰り広げる。前篇に
   は4つ、後篇には3つの計7篇が収められていて、いずれも舞台はディカーニカ近郷。
   民衆によって繰り広げられる夜話の形をとっていて狂言回し役はルードゥイ・パニコ
   ーという年老いた蜜蜂飼いだ。リクエスト復刊なので字が小さくて読みにくいのが珠
   に瑕だが、こういう本が復刊されるのはなにしろありがたい。最初は展開が遅いが、
   一度勢いがつくと一気呵成に物語が進むところが、普段読んでいる欧米系の物語と
   違っていて面白い。(それが東欧・ロシアの地域によるものなのか、はたまたゴーゴリ
   自身の特徴なのかまでは知らないが。)自分の好みでいうと、前篇では埋蔵の宝を
   手に入れるために罪を犯した男が破滅していく姿を描いた「イワン・クバーラの前夜」
   と、ある男が悪魔たちとのカードゲームに勝って彼らに奪われた国書を取り戻すエピ
   ソードの「紛失した國書」あたりが好み。そして後篇ではシェイクスピアの「夏の世の
   夢」を思わせる「降誕祭の前夜」や、ゴシックロマンスの趣きさえある「怖ろしき復讐」
   が面白かった。
『バナナ剥きには最適の日々』 円城塔 ハヤカワ文庫
  *芥川賞SF作家の短篇集。見えないものが見えるとしたとき、それと対になるものは
   無くてもあると仮定しなければならぬ(「パラダイス行き」)/何百年の深宇宙を飛び
   続ける探査機のAIによる独白(バナナ剥きには最適の日々))/事故で身体麻痺と
   なった祖父を使ったコマ撮り映画を撮り続ける兄弟(「祖母の記憶」)/誰も読むもの
   がいない自動生成の文章とは?(「AUTOMATICA」)/まるで円城塔版のラファティ
   「九百人のお祖母さん」もしくはコニイ『パラークシの記憶』のよう(「エデン逆行」)
   など9篇を収録。今ひとつピンとこないのもあるが、変な思考実験がツボにはまると
   滅法愉しい。
『建築探偵術入門』 東京建築探偵団 文春文庫
  *懐かしい本を店頭で見かけて思わず手に取った。1986年の出版から凡そ30年ぶり
   の復刊ということで、東京・横浜の近代建築の代表作230件を写真とともにつぶさ
   に紹介した内容は、時代を超え今でも充分に愉しめる。(ただし現在では取り壊され
   てしまっている物件も多いとのこと。)執筆陣は藤森照信氏を始めとして、自分にとっ
   てはなじみ深い建築探偵の面々。(他には宍戸実、河東義之、堀勇良、清水慶一、
   増田彰久ら)この本をもって当時の東京の町をうろうろしてみたかったな。そして気
   になる建物を見つけたら、本書をぱらりとめくって調べてみるのだ。想像するだけで
   愉しそう。
『もう年はとれない』 ダニエル・フリードマン 創元推理文庫
  *主人公は現役時代に“ダーティハリー”を地でいった87歳の元刑事で、身体にガタは
   きていても減らず口だけは今だに現役。そんな彼が、逃亡を続ける元ナチス将校と隠
   された金塊の謎と殺人事件の謎を追う。男女関係なく、やっぱり不屈の人の話は良い
   ねえ。孫のテキーラとラスト近くに交わす次の会話には思わずぞくりときた。
   「ぼくはヒーローになった気でいたんだ」
   「ああ、そうだな。それはよくある間違いだ」
   うーん、カッコいい。(笑)
『郵便局と蛇 A・E・コッパード短篇集』 ちくま文庫
  *比類なき短篇作家コッパードのオリジナル作品集。西崎憲氏の編訳で元版は国書
   刊行会「魔法の本棚」シリーズの一冊だが、現在では入手困難だったので今回の文庫
   化は大変に嬉しい。しかしそれにしても、なんという短篇だろうか。印象批評はあまり
   好きではないのだが、たまには「好きか嫌いか」だけで語る小説や作家があっても良い
   と思えてくるほどに、説明不能な物語が続く。(いや、ストーリーは紹介できるのだが、
   それではこれらの物語の魅力を伝えたことにはならないということ。)冒頭の「銀色の
   サーカス」から「郵便局と蛇」「うすのろサイモン」「若く美しい柳」と続く流れがまず
   堪らない。XTCの"ENGLISH SETTLEMENT"を聴いているような感じで気持ちが良い。
   「アラベスクー鼠」「王女と太鼓」「シオンへの行進」も好みだし、悲しさも残酷さ
   も含めて極上の作品集といえるだろう。西崎氏ご本人の著作『飛行士と東京の雨の
   森』にも通じるものがあるような気がする。(例えば「理想的な月の写真」「淋しい場
   所」といったあたりの印象と。)自分にとってコッパードはツボに嵌まるというか、読ん
   でいて気持ちが良いというか……。やはり相性の良い作家というのはあるんだなあ。
『歪み真珠』 山尾悠子 国書刊行会
  *15篇の掌篇を集めた作品集。どれもが題名のごとく、バロックの語源となった“バロッ
   コ(歪んだ真珠)”のように歪(いびつ)で魅惑的な輝きに満ちている。たとえば「ゴル
   ゴンゾーラ大王あるいは草の冠」「美神の通過」「娼婦たち、人魚でいっぱいの海」と
   いった物語のなんと蠱惑的なことか。また「水源地まで」「向日性について」「紫禁城
   の後宮で、ひとりの女が」の不思議な味わいはどう表現したら良いものか。傑作短
   篇「遠近法」の補遺である「火の発見」や、連作集『ラピスラズリ』の外伝とでもいうべ
   き「ドロテアの首と銀の皿」なども収録。今回はコッパードに続けて本書を読むという、
   至福の休日を過ごすことができた。
『本棚探偵の冒険』 喜国雅彦 双葉文庫
  *ミステリーと古本をテーマにした人気エッセイの第3弾。単行本では別冊になってい
   た文章もひとつに収録されて厚めの一冊になっている。「文庫本のためのあとがき」
   までじっくりと、単行本とはまた違う趣きで愉しめた。シリーズの第4弾『本棚探偵最後
   の挨拶』が単行本で発刊されるタイミングで前作の文庫化がされるかと思っていたが、
   今回は文庫の方がちょっと遅かったようだ。
『安倍官邸と新聞』 徳山喜雄 集英社新書
  *副題は“「二極化する報道」の危機”となっている。2012年12月から2014年5月までの
   在京6紙の記事・社説を読み解き、安倍が行ってきた事とその際の報道のされ方を浮
   き彫りにして、安倍現首相のブレーンたちによる周到なメディア戦略と、それに踊らさ
   れる新聞各社の様子が良くわかって資料的な価値も高い。(安倍政策の報道に関し
   ては)もはや公正なメディアとは言えない読売・産経・日経の3紙と、それらに対抗する
   構図をなす朝日・毎日・東京の3紙という構図が明らかにされる。(そして社内の組織
   運営と一部人材に致命的な問題を抱える朝日の様子も。)読んでいて非常に不愉快
   な本だったが、ある意味これは止むを得ないだろう。今の社会状況を忘れてはいけ
   ないと思う。
『ストーカー』 アルカジイ&ボリス・ストルガツキー ハヤカワ文庫
  *管理人が敬愛するロシアの代表的なSF作家・ストルガツキー兄弟の代表作。長らく
   入手困難になっていたが、このたびのハヤカワ文庫フェアに合わせてトールサイズで
   めでたく復刊された。久しぶりに読み返したがやはり傑作だった。"ゾーン"と名付けら
   れた区域で発生する奇怪な現象と、そこに残された現代科学では説明できない遺物
   の数々。文字通り命を賭けてそれらを盗み取る密猟者の姿を通じて、読むものの心に
   様々な思いを掻き立てる。今回の復刊では『路傍のピクニック』という原題がきちんと
   載せられたのも嬉しいが、文字が大きくなったのが大変にありがたい(笑)。訳者の深
   見弾氏が鬼籍に入られて久しいので、大野典宏氏により訳の見直しもなされており、
   作業の背景や本国でのストルガツキー評価など、最新状況に触れた大野氏による解
   説も貴重な一冊。できればこの勢いで『蟻塚の中のかぶと虫』も復刊されて欲しいも
   のだ。
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プロフィール

舞狂小鬼

Author:舞狂小鬼
サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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