2014年8月の読了本

※今月は盆休みで思う存分本が読めたので、久しぶりに良い憂さ晴らしができた。これくらい読めると気持ちがいいね。

『和菓子のアン』 坂木司 光文社文庫
  *デパ地下の和菓子屋で働く主人公が出会う、様々な日常の謎。読後感も優しい、
   甘くて美味しいおやつのような本。読むうちに無性に餡子のおやつが食べたくなっ
   て、葛饅頭を買ってきてしまった。(笑)
『和菓子のアンソロジー』 小川一水他 光文社文庫
  *『和菓子のアン』の著者・坂木司氏のリクエストによって、小川一水や北村薫、
   畠中恵といった当代を代表する人気作家たち10人が和菓子をテーマに短篇を
   書きおろしたアンソロジー。この企画のきっかけとなった『和菓子のアン』の後日譚
   (「空の春告鳥」)も収録されていて、ちょっと得した気分。作品ジャンルはミステリ
   からホラー、SFまでバラエティに富んでいるが、特に気に入ったのは木地雅映子
   「糖質な彼女」/小川一水「時じくの実の宮古へ」/恒川光太郎「古入道きたりて」
   といったあたり。(幻想風味やちょっと怖めの作品が好きなのは趣味なので仕方が
   ない。/笑)
『乱読のセレンディピティ』 外山滋比古 扶桑社
  *ちくま文庫の大ベストセラー『思考の整理学』で有名な著者の新作エッセイ。90歳を
   過ぎて新刊を書き下ろせるパワーは大したものだ。本や読書に関する10から20ペー
   ジ程度の短い文章が全部で16章収録されていて、前半部は読書について思う事の
   あれこれを、そして後半部は題名にもある「セレンディピティ/思いがけないことを
   発見する能力」について書かれている。(要は「色んな分野の本を手当たり次第に
   幅広く読む(=乱読する)と、思いがけない発想が浮かぶよ」ということで、それが
   本人の経験した実例をもって示されている。)若干説経臭いところも含めて、一読の
   印象では岡潔『春宵十話』によく似た感じを受けた。
   少し気になったのは、想定している読者が本を読まない人なのか、それとも本好き
   なのかがはっきりしない点。たとえば18ページでは「嫌な本は読みかけでも放り出
   せ」といったり、かと思えば40ページでは「最後まで読み通さなくてはならない」と書
   いたりと、視点がはっきりしないので少し戸惑う。(前後の文脈からすれば、これは
   おそらく語りかけている対象が違い、前者は読まない人に向けてであって後者は
   良く読む人向けなのかな?)全体としてはあまり本を読まない人に向けて書かれて
   いるような気がするのだが、「読書の害悪」を説くような皮肉っぽい箇所もあったり
   して、文章を読みなれていない人にはよく分からないのではないかという気も。
   ちなみに害悪の象徴として批判する「読書家」というのは、愉しみのためでなく「○
   ○のため」に本を読む功利主義の人や知識偏重の人を指しているようだ。「日本
   では国語教育が読み書き偏重であり会話教育がなされてこなかった」という指摘
   は面白い。「試験英語でなくもっと英会話教育を」なんて話をよく聞くが、それなら
   英会話の前にまず日本語の会話教育をきちんとすべきではないかとも思う。
『春昼・春昼後刻』 泉鏡花 岩波文庫
  *久々の再読を堪能。いつも思う事だが、鏡花は正体不明の怪異を書くのが巧い。
   人に対して悪意を持つわけでもなく、単にこちら側の論理が通用しない怪異という
   のはまさに"人外"と言える。「天守物語」や「夜叉ケ池」を人間の側から描くと、
   丁度こんな感じになるのではないかな。うとうとと眠る如くに。
『ガニメデ支配』 フィリップ・K・ディック&レイ・ネルスン 創元推理文庫
  *芋虫のような異星人に支配された地球で、黒人指導者や精神医やテレビ司会者
    たちが入り乱れ、人類の存亡をかけて幻覚発生最終兵器が使用される……。
    とまあ、まるで安手の特撮映画のような設定と「いかにも」な展開がデッィクらし
    くてすれっからしのファンには堪らない。食べ物に喩えるならブルーチーズか
    くさやの干物といったところだろうか。あまりディックを読みなれていない方には
    決してお勧めできない物語だ。(笑)
『プリニウスと怪物たち』 澁澤龍彦 河出文庫
  *同じようなテーマを扱った『わたしのプリニウス』は、河出文庫にある澁澤の著作
   の中でもとりわけ読んで愉しく好きな本の一冊なのだが、本書はその補遺にあた
   るような本で河出の編集部が独自に編んだもの(?)らしい。中には大きな一本足
   を頭の上に掲げて日よけとする「スキヤアポデス(一足人)」や「キュノケファロス
   (犬頭人)」といったものから、「サラマンドラ」や「一角獣」、「ミノタウロス」に
   「ゴルゴン」「フェニクス」「バジリスク」といった幻想の生き物たちが取り上げられ
   ている。プリニウスだけでなく、同じく中世の知識人であるパラケルススやアンブロ
   ワズ・パレなども取り上げられていて、かれらの『博物誌』や『怪物および異象に
   ついて』といった著作も紹介されているのも好い。
『ABC殺人事件』アガサ・クリスティ(ハヤカワ文庫)
  *『オリエント急行の殺人』や『アクロイド殺し』『そして誰もいなくなった』といった超
   のつく有名作とならび、著者の代表作とされる一冊。トリック自体は例によってどこ
   かで聞きかじっていたが、それでも最後まで愉しく読むことが出来たのは、物語と
   して細部までよく練り込まれているからだろう。しかし逆にこれだけ元が良く出来て
   いると、同類の仕掛けを使ってなおかつ本書の亜流とならないように書くのは思い
   のほか大変そうだ。『ホッグ連続殺人』と『ハサミ男』くらいしか思い浮かばないなあ。
『ペドロ・パラモ』 ファン・ルルフォ 岩波文庫
  *主人公のフアン・プレシアッドは母親であるドロリータスが死んだのち、生まれ故
   郷であるコマラの町へと帰ってきた。町の顔役であり彼の父親でもあるペドロ・パ
   ラモに会うために......。そして今は無人と化したコマラの地で、フアンは死者
   たちのこだまに耳を傾け、彼らの記憶に思いを馳せる。死者と生者が同じ次元で
   交感しあうその時こそ、コマラの大地は死者たち彷徨い歩き自らの罪を償い続け
   るための「煉獄」と化すのだ。彼の父親であるペドロ・パラモの死を中心に円環を
   描きながら。メキシコを代表するマジック・リアリズムの一作。まるでメキシコの民
   衆画家ホセ・グアダルーペ・ポサダの骸骨の版画や、「死者の日」のお祭りを連想
   するような物語だった。もともとのラテンアメリカの人々にとっては生者と死者の国
   は地続きであって、行き来が可能な世界だったのではなかろうか。キリスト教の世
   界では「神の国」とは”彼岸(≒行き着くのが困難な場所)”であり、そうでないとこ
   ろは”此岸”となる。ただしラテン世界が本来のキリスト教の教えとひとつだけ違っ
   ていたのは、現世と煉獄がどちらも“此岸”であるという点だったのではなかろうか。
   本書を読むうち、そんな事を夢想してしまった。
『快感回路』 デイヴィッド・J・リンデン 河出文庫
  *内側前脳快感回路(側坐核や背側線条体など)の「報酬系」と呼ばれる部位の
   メカニズムと、それらが引き起こす様々な”快”および依存症に付いての研究成果
   を紹介するノンフィクション。薬物/高カロリーの食物/性/ギャンブル/ランナー
   ズハイなどがもたらす快感のメカニズムについて書かれているが、麻薬やギャン
   ブルが脳にもたらす快感と、連合系が関与するよな高次な快感が同じものだという
   のは興味深い。(善意の押し売りする人の目が座っているのもそのせいか。/
   笑)最後の章「快感の未来」で示されるビジョンは、そのままG・イーガンの短篇
   「しあわせの理由」の世界に他ならない。
『熱帯雨林の彼方へ』 カレン・テイ・ヤマシタ (新潮社)
  *主人公の眼前の宙に浮かぶ回転球や、アマゾンの密林の奥深くに発見された驚
   異の樹脂材料マタカンと、その工業化に野心をもやすアメリカ企業。あるいは鳥の
   羽のまじないによる民間治療やレース鳩の億万長者などが混然一体となって繰り
   広げられる。ラファティやガルシア=マルケスやヴォネガットを彷彿とさせるような
   物語が展開する傑作。こういう本を一気読みするのが本読みの醍醐味だろう。前
   半はまさにマジック・リアリズムそのものだが、中盤以降(マヌカンやレース鳩を使
   った事業の話が主体)になるにつれ、違った色合いがでてきてヴォネガットのような
   雰囲気もしてくる。あっけらかんとした笑いとすっとぼけた味わいは、毒を抜いたラ
   ファティのような感じもあったりして、一冊で色々な顔をみせてくれて愉しい。
『所有せざる人々』 アーシュラ・K・ル・グィン ハヤカワ文庫
  *二重星であるアナレスとウラスを舞台に、主人公シェヴェックの遍歴と新たな時代
   の幕開けまでを描く。色々な社会思想の博覧会のような雰囲気もあって、思弁に
   関する部分は同じ著者の短篇「オメラスから歩み去る人々」のように硬質で刺激的。
   色々考えるのが愉しい。
『ホラー小説大全』 風間賢二 双葉文庫
  *本邦初のホラー小説に関する入門書。長らく入手困難だったのだが、このたびめ
   でたく双葉文庫「日本推理作家協会受賞作全集」の一冊として再刊された。第一
   部は「西洋ホラー小説小史」、第二部はドラキュラ・フランケンシュタイン・狼男とい
   ったホラー界の人気者たちの解説、そして第三部は「ホラー小説100冊ガイド」と、
   至れり尽くせりで嬉しい。18世紀から1990年代までの通史はとても参考になる
   が、同時に読みたい本が増えるので困る(笑)。怪奇小説ファンにとってはまさに保
   存版といえる一冊だろう。ところでこの双葉文庫は、以前買い漏らした本が文庫で
   復刊されるので大変にありがたい。(ただしこの機を逃すと二度と手に入らないこと
   も多いので、でたら即刻購入する必要があるが。)
『ポールとヴィルジニー』ベルナルダン・ド・サン=ピエール 光文社古典新訳文庫
  *18世紀フランスで大ベストセラーになった、南の島を舞台とする純愛&悲恋の物
   語。リアリズムとは対極となる本書の背景にあるのは、割ととしっかりした自然礼
   賛と文明批判に関する作者の主張ともいえる。舞台となるフランス島(現在のモー
   リシャス島)は、フランスのノーベル賞作家ル・クレジオの父祖たちが住んだ彼の
   原風景とも言える島とのこと。異国趣味、自然礼賛、信仰といったあたりにもっと
   気をつけて読むと、これまで以上にフランス文学が愉しめるかも知れない。一度
   読んでおきたかったので、新訳文庫で出してくれてよかった。(ただし無垢な少年
   少女の楽園での日々とその喪失の悲劇を一言で「失楽園」と呼んでしまうと、某
   作家のせいで中年男女の不倫のイメージが浮かんでしまうのは、何とも困ったも
   のだ。/笑)
『有性生殖論』 高木由臣 NHKブックス
  *副題は『「性」と「死」はなぜ生まれたのか』となっている。ゾウリムシによる発生学
   研究を長年に亘って行ってきた著者が、生物進化に関する自らの仮説を述べた本
   であって、テーマを簡潔に述べるとすれば「なぜ有性生殖が生まれてきたのか」と
   いった感じだろうか。著者の仮説には自分としては与しないが、生物学の視点で
   みた「性」を考えるには良い機会だった。ちなみに本書で最も違和感を感じたのは、
   様々な進化の過程を「〇〇のため」という目的達成の手段として捉えている点。
   生物自身に進化に対する何らかの意思があるみたいに聞こえて、ラマルクや今西
   進化論に共通するものがある気がする。(あらゆる遺伝的な変異や進化には目的
   などなく、ただ適応があるだけなのだと思うのだが。)
『今日もごちそうさまでした』 角田光代 新潮文庫
  *子供の頃から極端な偏食だったが、突如30歳過ぎから劇的に好き嫌い無しとな
   った料理好き作家による、四季と思い出の食べ物エッセイ。食べられるようになっ
   た(=ある日突然、美味しいと感じた)瞬間の感激を描くのが巧くて、読んでいるう
   ちに無性に料理を食べたくなってくる。本書を読んでいるうちに、自分が「野菜の
   軸好き」ではないか?ということに思い当たった。椎茸の石づきはもちろん、ブロッ
   コリーの軸を茹でたり炒めたのも好きだし、青菜も葉よりは軸部分の歯応えを愛す。
   (まあそれは別にどうでもいいことだが。/笑)本書もちょうどそんな感じの本とい
   えばいいだろうか。
『月の部屋で会いましょう』レイ・ヴクサヴィッチ 創元SF叢書
  *文学と著者の趣味の悪さと、そして奇妙な味を感じさせるショートストーリー集。
   「最終果実」「母さんの小さな友だち」「キャッチ」「指」あたりは物語としては好み。
   (逆に「家庭療法」や「儀式」は“勘弁して欲しい作品リスト”の筆頭にくるほど。)
   奇妙なシチュエーションが面白いが、「すごく好き」までいかないのはそのあたり
   にあるかも知れない。一篇を長くして、雰囲気に浸れるようになれば、マコーマック
   やブッツァーティなどに近い「偏愛」の仲間に入るかも。惜しい。(あ、それから、
   モチーフがことごとく孤独や不幸や弱い者たちの虐待であるというのは、人によっ
   てはちょっと辛いかも知れない。)
『江戸しぐさの正体』 原田実 星海社新書
  *副題は「教育をむしばむ偽りの伝統」。1980年代に"芝三光"なる人物が当時の
   社会風潮への嫌悪と若い頃への郷愁でつくった現実逃避のための架空の"江戸"
   の道徳が、後継者に依ってオカルト史観や狭量な価値観とともに拡散・定着して
   いく状況を、解り易く解説し警鐘を鳴らす。まるで『フーコーの振り子』を読むよう
   で、背中のあたりがうすら寒くなってくる。が、広まりつつある小中学生の子供を
   持つ親は必読ではなかろうか?(ちなみに子供たちへの道徳教育を施したいな
   ら、江戸しぐさなんかより妖怪ウォッチの方がよほど有効な気がするがそれもどう
   だろう。)
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『書きたがる脳』 アリス・W・フラハティ ランダムハウス講談社

 自分が読書ブログをやっていることもあって、以前から「本を読むこと」や「文章を書くこと」には大変に興味がある。(以前、「本を読む」という行為が脳のどのようなメカニズムによって成立しているかを繙いた『プルーストとイカ』が話題になった時にも、さっそく買って読んでみた。)今回見つけたのは「文章を書くこと」の方で、本書の副題には「言語と創造性の科学」とある。中身をパラパラと見たところどうやら「書くことに関する脳のメカニズム」について書かれたものらしい。さっそく読んでみることにした。
 著者は神経科の女性医師であり、もともとが脳や神経についての専門家。そんな著者が出産のときに早産で双子の息子を喪い、その悲しみから神経症(「産後気分障害」)を患うことになってしまったとのこと。その時に「ハイパーグラフィア(=書かずにいられない病)」や「ライターズ・ブロック(=なぜか文章が全く書けなくなる状態。ライター/職業作家に多い)」といった状態を経験し、そのとき感じた「人は何故書きたがるのか?」「書くことで何を成し遂げようとしているのか?」「そして何故書けなくなるのか?」といった疑問について追究していったのが本書というわけだ。そう考えると本書の執筆動機は単なる研究成果をまとめるということではなく、もっと切実なものがある感じがする。ざっくりいえば内省が全体の1/4程を占めているような印象。そのためか論点が若干整理されていないきらいがあるが、ある程度は致し方ないところかも知れない。本書を科学解説書として見た場合には、ここまで著者自身のプライベートな出来事や逡巡まで書かなくても良かったのではないかという気もするが、一方でそれが本書をユニークなものにしているのもたしか。本書を読むときはそれらを丸ごとひっくるめて愉しむのが良いと思う。
 ちなみに原題は日本語版とは全く違い“The Midnight Disease(真夜中の病)”という。日本語版ではいかにも脳科学の一般向け解説書のような書名になっているが、このようなタイプの本を「ロマンチック・サイエンス」と銘打って売るのは正直いかがなものだろうか。以前、サイモン・バロン=コーエンの『共感する女脳、システム化する男脳』の感想でも書いたが、変な日本語の書名を付けるよりは原題の直訳の方が良いのではないだろうか。

 閑話休題。中身の話に戻ろう。
 結論から言うと、本書には色々な説が紹介されてはいるが、先ほどの「何故書きたがるのか?」といった疑問に対してはっきりした結論は示されてはいない。しかしまあそれはそうだろう。脳研究においても、文章の創造などという高度な機能の研究に関してはまだ端緒についたばかりのはずだし。
 ただ「書くこと」およびその他の創造的芸術活動、そして「創造活動の抑圧」を司る脳の様々な機能については、本書刊行当時(2000年初頭)における最新の知見がたくさん紹介されていて、それが滅法面白い。
 例えば作家の創作意欲に関する脳の報酬系(≒快感を感じる回路)の影響については、「報酬が伴う仕事だと、作品の質が予め提示された報酬額に見合ったレベルで留まることが多い」といった認知科学から得られた知見が述べられている。また心理学の観点からは次のような3つの代表的な理論を紹介したりも。

 1.精神分析からみた創造性
   創造とは無意識により自分の不備な点を補ったり昇華するために
   行うものだという考え方。
2.認知心理学からみた創造性
   分散型思考(アイデア創出と新奇性)と集中的思考(分析と検証)という、
   ふたつのプロセスに分ける考え方。
3.精神病理の一種としてみた創造性
   芸術の創造性の根本には精神病とその補完があるとする考え方。

 最後の理論はちょっと極端かもしれないが、癲癇や躁鬱病といった主に側頭葉の機能的障害に起因する症例なんかを読んでいると、軽度の精神病の傾向をもつような一部の芸術家には当てはまるかもしれない、などという気もしてくる。
 他には右脳と左脳の連携による機能統合が創造性に不可欠だという神経学者の研究なども。「統合」と聞くとすぐに思い浮かぶ脳部位は前頭葉。ダマシオ著『デカルトの誤り』(ちくま学芸文庫)にあった、前頭葉損傷による異常行動の症例を思い出した。創造というのはやはり、脳の中でもかなり高次な機能にあたるのだろう。
 ちなみにライターズブロック(*)については、ジョセフ・コンラッド(『闇の奥』など)やフランツ・カフカ(『変身』『城』『審判』など)の例が取り上げられている。(自分は開高健がいつも「書けない」といっていたことを思い出した。)

   *…定義は「作家本人が望んでいるよりもはるかに少ない量しか書けない状態が
      長く続くこと」だそうだ。

 なお“書きたがる症状”であるハイパーグラフィアと同様に、“読みたがる症状”である「ハイパーレキシア(レクシア)/過読症」というのもあるそうで、これら「読む」という行為に関しては(ハイパーレキシアとは逆に全く読めなくなってしまう「ディスレキシア」という症状も含め、)第5章でまとめて取り上げられている。ここでは右脳と左脳の働きの違いや失読症の症例から脳の皮質の仕組みを考え、読む行為と書く行為についての比較分析がなされる。子供が読み書きの力を身に着ける仕組みについても書かれているので、子供の「読む能力」の発達について書かれているメアリアン・ウルフ著『プルーストとイカ』と併せて読むと良いかもしれない。ここを読んでいる間中、自分が左利きである事と幼い頃から読書に異常なほどの興味があったことには、何か関連があるのだろうかとしばし考えこんでしまった。
 つづく第6章は「なぜ書くのか」という章題で「書く行為に対する意欲や動機」に関する内容がまとめられている。著者によれば書くことで感じる喜びや解放感といった情感は、視床下部や側頭葉などの辺縁系の働きによるものだそう。創造的な文章を書きたいという気持ちを生物学的にみると、どうやら悲しみや怒りを感じて動物が叫ぶのと同じ衝動によるものらしい。書く(もしくは話す)ことで脳内麻薬の分泌が促されているのではないか?という話にはちょっと驚いた。たしかに文章を書いていると気持ちいいものなあ。(笑)
 最後の第7章は創造性(インスピレーション)そのものについての考察。“創造の内なる声(≒独創性)”を感じる瞬間には脳の中で何が起こっているのか?という話だが、どうやら宗教的な法悦と同じく側頭葉の働きらしい。(詳しくはまだ不明とのこと。これからの研究成果に期待したい。)
 暗喩(隠喩)や換喩(言い換え)についても語られていて、「創造性とは暗喩の形成そのもの」という説も述べられているが、これは詩に対してはそのまま当てはまるかも知れない。

 以上、とりとめない内容で恐縮だが、本書の内容についてざっとおさらいしてみた。結論らしいものは特にないが、現在の状況を俯瞰するには良い本ではないだろうか。
 科学解説書が好きな自分にとっては、最近は池谷裕二氏の『進化しすぎた脳』を始めとして気軽に読める脳科学の本が多く、嬉しい限りだ。自分の好きな科学ジャンルには例えば宇宙物理学や素粒子物理学の分野、深海生物学や生物進化の分野、それに本書のような脳科学の分野など色々あるが、いずれもこのところ発展著しくて(たとえば素粒子分野でいえばヒッグス粒子の発見など)気が抜けない。この調子で研究が進めば、いつの日か「自分はなぜこんなに本が好きなのか?」や「忙しくて読めないのにどんどん本を買って積んでしまうのはなぜか?」といった疑問についても答えが見つかるのだろうか。(いや、逆に知りたくなかったりして。/笑)

『所有せざる人々』 アーシュラ・K・ル・グィン ハヤカワ文庫

※ストーリーや設定について詳しく書いてあります。これから読まれる方はご注意ください。

 著者のアーシュラ・K・ル・グィンは一般的にはジブリ映画『ゲド戦記』の原作者として知られているのかもしれない。しかし彼女の作家としてのキャリアは長く、SFやファンタジーが好きな人の間では『ゲド戦記』以外に『闇の左手』『天のろくろ』といった長篇や、「世界の合言葉は森」「オメラスから歩み去る人々」といった短篇でむかしから有名だった。学生時代には幾つか読んでいたのだが、正直に書くと「とても良く考えられているし面白いけどちょっと地味だし、テーマが重たくて疲れるなあ」といった印象だった。それでも「いつかはきちんと向き合ってみたい」と思い、本が出るとなるべく買い続けてきたのは我ながらエライ(笑)と思う。もちろん「買うだけじゃなくて読めよ」ということではありますが。(笑)
 そんなわけで、本書は自分の中では長らく宿題になっていた本のひとつ。今年の秋に開かれる読書会で同じ作者の『闇の左手』が課題図書に決まったので、これを機会に未読だった著者の本を読もうと考えたというわけ。(『闇の左手』の方は既読なのだが、こちらも秋までには再読してみるつもり。)

 本書は本格的なSF小説なので、読みなれていない方には設定について少し説明が必要だろう。SFには「未来史もの」(*)と呼ばれるタイプの作品があるのだが、本書はル・グィンが考えた≪ハイニッシュ・サイクル≫という未来史のシリーズに属している。この世界では、遠い未来に宇宙に進出した人類は、さまざまな環境や生態系をもつ星系に入植、各々そこに適した独自の生活を営んでいる。著者がこのような設定を用いたのにはわけがあって、現実の我々が住む世界とは違う世界を描くことで、「もしも〇〇だったら?」といった一種の思考実験をしているのだ。(たとえば『闇の左手』では性別が定期的に入れ替わる知的生命体と、それに基づいた社会制度がでてくるし、本書では無政府主義に基づく社会が描かれる。)

   *…未来まで含めた人類の架空年表をつくり、それに基づいて複数の作品をひと
      つらなりにまとめてしまおうという作家の遊びの一種。有名なところでは、
      R・A・ハインラインやコードウェイナー・スミスの未来史などがある。

 本書の感想に向かう前に、設定についてもう少し触れておきたい。
 物語はアナレス/ウラスという二つの居住可能な星(連星)を舞台に展開する。アナレスは厳しい自然環境の中で、百年以上前に母国の迫害を逃れたアナーキスト/無政府主義者たちが暮らす星。そしてウラスは自然豊かな母星であって、現実の世界に良く似た色々な社会制度をもつ複数の国が存在している。たとえばア=イオはアメリカを彷彿とさせるような資本主義体制の国だし、スーは本書発表当時(1974年)のソビエト連邦に良く似た社会主義国。他にはベンビリという発展途上国なども登場する。アナレスの社会制度は貨幣の廃止や完全な男女分業の実施などがとても良く考えられていて、もしかして共産主義革命が成功したらこんな社会になったのだろうか、と思わず考えてしまうほど。またア=イオは強い男性主義と階層差別にもとづく強力な軍事国家で、現代の資本主義社会のカリカチュアとなっている。またアナレスとウラスの諸国は、相互不信のために一部の貿易を除いて交流が途絶した状態が続いている。
 物語は主人公である理論物理学者シェヴェックが故郷アナレスで過ごした半生を描く奇数章と、彼がウラス(ア=イオ)のイエウ・エウン大学からの招聘に応じ、過去百年余りで初めてアナレスからウラスへ亘ってからの1年間を描く偶数章が交互に展開する。
 アナレスは物質的には貧しい社会であるが、「オドー主義(**)」に基づくアナーキストたちにとっての一種の“理想郷”が実現されている。ウラスの地に降りたシェヴェックは当初生まれて初めての“豊かさ”に遭遇して驚嘆するが、多くの人々と意見を交わすなか、徐々に違和感は強くなっていき、自らが信じるものとのギャップに悩み苦しむことになる。こうしてみるとウラスの章は“高貴な野蛮人”であるシェヴェックが高度な文明社会ア=イオを訪れるという、『パパラギ』のような文明批判の書として読むこともできるかもしれない。

  **…ウラスに生まれ育った思想家オドーによって提唱されたアナーキズム思想
      およびそれに基づき設立された社会制度。彼女は現実社会でいえばガンジー
      のような無抵抗主義に基づくマルクスといった感じの人物。

 一方のアナレスの章では旱魃などの厳しい自然環境の中で懸命に生きる人々の暮しと、徹底した個人主義に基づく世界が描かれる。私物を所有する事や個人の秘密を持つことが道義上の罪であり、自発的な奉仕が基本とされる社会は、(先ほどはユートピアと書いたが)見方によってはディストピアと感じる人もいるだろう。その中で描かれるシェヴェックの半生は、家族の不在や人が支え合って生きることの意味について深く考えさせられた。
 大雑把にいうと、アナレスの章は主に個人のあり方について取り上げた文学的/ミクロ的な物語であって、対するウラスの章は社会のあり方について考察した思弁的/マクロ的な物語という印象が強い気がする。前者の中でもM・フーコーが追及した“権力構造(生-権力)の成立”や教条主義のはびこるさまが生々しく描かれたりもしているが、後者の方はまさに様々な社会問題に関する博覧会の様相を呈している。ざっと気が付いただけでもジェンダー/貧困/階級差別/男性主義/国家と暴力/資本主義/物質文明批判などなど。
 巧いなあと思うのは、アナレスにおける生-権力の生成の描写を通じて、ウラスの問題が単に社会の制度を変えれば良いというものではなく、成員ひとりひとりに染みついた生き方に根差すものであることを暗に示している点。だからこそオドー主義の「人は互いに助け合うことなどできない。ただ苦痛(≒苦悩)を共にすることしかできない」という信条に基づく“兄弟(≒同胞)愛”と、それを最後まで信じ貫こうとするシェヴェックの行動が胸を打つのだ。
 一方で、もしも本書がSF小説としては読みにくい/とっつきにくいという印象を与えているとすれば、このウラスの章(特に2/3あたりまで)のあまりに技巧的・実験的なつくりにこそ原因があるような気もする。なかにはチフォイリスク(=社会主義国家スーの科学者)とパエ(=資本主義国家ア=イオの科学者)の確執のくだりなど、あまりにリアル過ぎるが故に時代を感じさせるところもあったりして、いまならさしずめ民族問題や宗教問題がそれにとって代わるだろうという気がする。

 淡々を進んできた物語は400ページを過ぎたあたりでいきなり大きく動きだす。そして冒頭の「出発するだけでは充分ではない。それでは中途半端にすぎないのであって、彼は帰還しなければならないのだ」という言葉が大きな意味をもって甦ってくる。そのあとは休む間もなくラストまでの残り150ページを一気読みしてしまった。SFを読んでこんなに興奮したのは久しぶりかも知れない。
 個人的には同じ著者の短篇「オメラスから歩み去る人々」の問題提起をさらに大きくふくらませたような感じで、色々と考えさせてくれるのが大変に愉しかった。もちろんこれらの問いには答えなど無いし、百人いれば百様の答えがあるはずだと思う。彼女の作品は安易な結論出しを拒み、読む者に逃げることなく受け止めることを求める。読み終えてもカタルシスは無く決して楽な読書ではないが、その分、読み終えた後の満足感は非常に大きい。それは答えを出さないことが不親切ではなく、彼女からの誠実な贈り物だからなのだと思う。おそらく学生時代だったら、この物語が持つ面白さが今の半分も分からずに終わっていただろう。その意味では学生時代に背伸びして読むよりも、この齢になってから読んだほうが却って良かったかも知れない。
 「哲学者とは誰も答えられなかった問いに答えを出す人ではなく、誰も考えつかなかった問いを投げかける人のことだ」という話を昔読んだことがあるが、その意味で「人が社会の中でより誠実に生きること」を問いかけてくる本書は、まさしく小説であるとともに思想書と呼んでも良いのではないだろうか。
 ウクライナやガザで多くの人の血が流れ、人よりも国家の優先を高らかにうたう者が権勢をふるう今こそ、人々にしっかと受け止められるべき物語なのだと思う。憎悪の連鎖ではなく、また「何が正義か?」という話でもなく。今読めて良かった。

<追記>
 ところでこの著者の日本での表記は、出版社によって違うので調べ物をするときなどにとても困る。「アーシュラ・K」まではだいたい同じなのだが、その後が「ル・グィン」「ル=グウィン」「ル=グイン」などまちまち。自分は普段は「ル=グィン」と書いているのだが、本書では出版社(早川書房)の表記に合わせた。出版社の内規などがあるのだろうけど、できればお互いに相談し合って統一してもらいたいものだよなあ。

<追記2>
 そうそう。SFファン向けの感想をひとつ。主人公が天上にかかるアナレスからウラスへと降り立ち、上流社会での滞在を経て下層社会の“冥界巡り”で何物かを得て帰還する構図は、そのままコードウェイナー・スミスの長篇『ノーストリリア』に重なるのではないだろうか。そんなことを思ったりもした。

2014年7月の読了本

『オリエント急行の殺人』 アガサ・クリスティー ハヤカワ文庫
  *有名な本なのだが実は未読。ミステリー読書会のために初めて読んだ。色々な版
    元からこれまで幾度も出版されているが、今回買ったのは早川書房のクリスティ
    文庫。漫画家の谷口ジロー氏の表紙のヤツだ。(オジサンが買うにはちょっと恥ず
    かしい感じの表紙だった。/笑)そもそもクリスティー自体が初心者で、これまで読
    んだことがあるのは『アクロイド殺し』に『ヘラクレスの冒険』と名前も忘れた短篇集
    の3冊のみ。しかし本書のトリックだけは何故か知っているという状態で、なんとな
    く読んだ気になってしまっていたのだ。実際に読んでみると「○○が犯人」というの
    は単なる奇をてらったトリックではなく、動機とも深く結びついていて感心した。
    クリスティの人気というのは、ミステリとしての面白さというよりむしろこういった、
    小説としての面白さに支えられているのかもしれない―― なんて初心者なりに考
    えたりもしていた。おかげで読書会もとても面白かったです。(笑)
『塩の世界史(上・下)』 マーク・カーランスキー 中公文庫
  *古今東西のさまざまな国や地方における、“塩”の製造と利用についての文化と
    政治の歴史を辿った本。缶詰や冷凍技術が発達するまで食料の保存に塩は無く
    てはならないものだったせいで、その製造と流通が戦争や経済のカギを握ってい
    たというのは本書を読むまで気が付きもしなかった。“塩”は塩化ナトリウムばかり
    でなく塩化カリウムなど色々なものがあるし、その製造方法にも海水を煮詰めたり
    地下の塩泉を使う、もしくは岩塩を使うなど、場所によっていくつかのバリエーション
    がある。いやあ、深いねえ。本書は題材はとても興味深いのだが、構成に脈絡が
    無くちょっと読みにくいのが難点。しかし以前読んだ珈琲や紅茶やジャガイモとい
    った、食材をテーマにした「食べもの世界史」のひとつとして、一読の価値は充分に
    あったと思う。
『予期せぬ結末3 ハリウッドの恐怖』 ロバート・ブロック 扶桑社ミステリー
  *井上雅彦氏のオリジナル編集による作者別傑作集の第3弾。(ちなみに第1弾は
    ジョン・コリアで第2弾はチャールズ・ボーモント)早川書房・異色作家短篇集の現代
    版を目指しているだけあって、このシリーズはどれを読んでもハズレが無い。ところ
    でブロックといいR・マシスンといい、当時の作家は映画や奇術などのエンタテイメ
    ントに対する造詣が深くて関心してしまう。収録作の中では、いかにも昔の異色作家
    短篇らしいどんでん返しも素敵な「殺人演技理論」、映画チックな怪奇趣味に溢れた
    「マント」、抒情的で物悲しい「弔花」と「ムーヴィー・ピープル」などがとくに好み
    かな。同じく本書の所載の「奇術師」を読んだ、初代・引田天功がテレビのスペシャル
    番組で昔やっていた、大脱出マジックを思い出した。(笑)
『「下り坂」繁盛記』 嵐山光三郎 ちくま文庫
  *”不良中年”改め”暴走老人”となった著者による無手勝流のその日暮らしのすゝめ。
    この人のエッセイは『素人包丁記』からのファンなのだが、どれも腹が据わっていて
    面白い。『悪党芭蕉』や『文人悪食』もすごいと思ったが、年を取ってから更に凄みが
    増して、今や不良中年を通り過ぎて暴走老人と化した感がある。(これは褒め言葉、
    念のため。/笑)それにしても俳句の素養があるというのは、日々の暮しを愉しむ
    上で心強い味方になるのだということが良く解った。一句ひねり出すのがいかにも
    愉しそうだ。もっと齢を取って本を読むのが億劫になったら、俳句か川柳を趣味に
    するのも良いかもしれない。
『乳しぼり娘とゴミの丘のおとぎ噺』 ラティフェ・テキン 河出書房新社
  *トルコを代表する女性作家による魔術的リアリズムの長篇。「花の丘」と呼ばれるゴ
   ミ捨て場をねぐらにする人々の視点を通じて、トルコの近代化の歴史を辿る。
『可愛い黒い幽霊』 宮沢賢治 ちくま文庫
 *今やあちらこちらで大活躍のアンソロジスト東雅夫氏の編纂による、作家別・怪異小品
   集(泉鏡花の『おばけずき』、内田百閒の『百鬼園百物語』につづく第3弾)今回取り上
   げられた宮沢賢治は単なる心美しき詩人・童話作家などではない。彼がもつ昏い幽冥
   の世界は無機質でちょっとした凄み(もしくは狂気じみた怖さ)があって、足穂の粋(す
   い)とも通じるところがある気がして好きなのだ。本書にある「花椰菜(はなやさい)」
   「あけがた」だけを読んでも、普段知っている賢治のイメージを打ち壊すのに十分すぎる
   ほどのパワーがあるが、イメージの極北「インドラの網」も好い。解説によれば賢治はも
   ともと霊感が強いタイプだったようで、心霊に関する興味もあった様子。実はひろく知ら
   れている童話や詩の中にも、良く読めば色々と不可思議な記述がみつかる。本書には
   それらを「幽霊」「幻視」「鬼言」「物怪」「魔岨」という五つに分けて収録。「幽霊」
   の章は死者や霊との遭遇や異界を、「幻視」は視覚で「鬼言」は聴覚によるもの、
   「物怪」には“山男”や“ざしき童子(ぼっこ)”といった、東北地方に伝わる怪異を題材
   にした怪奇色の強い童話を、そして最後の「魔処」には北上山地南西部にある“種が
   原高原”における、作者と精霊の交歓を描いた作品が収録されている。幽冥の世界
   に遊ぶ賢治作品がこれだけ一堂に会すると、一種壮観だね。
『古今探偵十夜』 岡本綺堂(中公文庫)
  *『青蛙堂鬼談』に始まる中公文庫版の綺堂読物集5冊目。前作『探偵夜話』の補遺と
    なってはいるが、事件に解決がつかない“怪奇物”もある。個人的には中でも「馬
    妖記」「麻畑の一夜」「雪女」などが好みかな。今回のおまけとしては「その女」
    「三国の大八」の二篇(いずれも単行本未収録)。
『ムーミンパパ海へいく』 ヤンソン 講談社文庫
  *これで講談社文庫版のムーミンは全部読んだことになる。本作はムーミン一家が谷
    を離れて絶海の孤島で暮らし始めるという話。明るく楽しいばかりでないムーミンシ
    リーズだが、本書はなかでもムーミンパパやムーミンママの暗い面を見せて不思議
    な感じがした。
『旧約聖書 出エジプト記』 岩波文庫
  *エジプトで奴隷生活を送っていたユダヤの民を預言者モーセが砂漠へと連れ出して、
    約束の地へと導くまでの姿を描く。前半はモーセがユダヤ人を連れ出すのを邪魔す
    るエジプト人に対し、ヤハウェが与える災厄の数々が描かれかなり面白い。有名な
    海が割れるシーンや十戒を渡されるシーンもあって、かなり愉しめた。(びっくりした
    のは内容がヨハネ黙示録とかなりかぶるという点。数字の「7」がキーワードになって
    いるのも同じ。新約聖書で黙示録を初めて読んだ時はそのイメージに圧倒されたの
    だけれど、結局は黙示録も過去のモチーフを利用しているということなのだねえ。)
    一方で後半になると、ヤハウェを讃えるための祭儀施設について詳細な記述が延々
    と続き、正直いってかなりしんどいところも。前に『ヨブ記』を読んだ時にも思ったの
    だが、旧約聖書におけるヤハウェ神は決して慈愛に満ちた普遍的な存在ではなく、
    信徒に説得され意見を変えたりもする。妬み/怒り/命ずる神に過ぎない。(そして
    そんなところが面白かったり。)
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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