『女の子よ銃を取れ』 雨宮まみ 平凡社

 相変わらず雑食性の読書で、気になったものを手当たり次第に読んでいる。(苦笑)今回は平凡社のWEB連載で話題になっていたエッセイが一冊にまとまったので、さっそく探して買ってきた。(ネットで話題にしておいてから本にするという、出版社の思惑にすっかり乗せられている気もするがまあいいや。/笑)
 内容はというと、ファッションやメイクなど「外面を装うこと」を題材に、女性を巡る社会的な観念や人間関係といった“生きにくさ”を打破することについて語ったエッセイ。雨宮氏は紹介文によれば、女性であることに正直に向き合えなかった自身の半生を書いた『女子をこじらせて』の著者で、「こじらせ女子」という言葉は2013年流行語大賞にもノミネートされたとのこと。
 “生きにくさ”というのは例えば、社会からみて「女性はこうあるべき」といった押しつけや同性による同調圧力であったり、あるいは自分自身の中にある「こういうものは似合わない」といった思い込みであったりする。「こうあるべき」という意見が、異性からみたステレオタイプな女性観の押し付けであればジェンダー論にもつながる話となるし、思い込みの打破ということを普遍化して考えるならば、性別や年齢に関係なく「よりよく生きる」ことについての本とも読める。
 全体のトーンは「エールを送る」というよりも強い感じで、むしろアジテーションに近い。著者が本書を通じて訴えたいことは、“銃を取れ”という題名にもあるように「(外観による評価を通じて)女の欲望を急き立て、制限する壁のようななにかを、マシンガンで」ぶっ壊すことなのだ。でも帯には「美の圧力から逃れたい 生きづらい女子の心を撃ち抜く」ともあるから、撃たれるのはどっちか良くわからないが。(笑)まあそのあたりは何となく雰囲気で、ということなのだろう。
 文章中に出てくるファッション用語は正直いって半分も分からなかったのだが、色々な読み方が可能な本なので男(オヤジ)の自分が読んでもかなり面白かった。おそらく女性が読むとまったく違った印象を持つのだろう。中高生の年代の女の子がこれを読んだら、かなり人生観が変わるんじゃないかという気がする。それとも「何言ってんだか!」と反発するのだろうか。当事者ではないので良くわからないが、いずれにしても他の人の感想をぜひ聞いてみたい本ではある。

 ではさっそく中身について。
 まず冒頭からしていい感じだ。昔テレビでやっていた『ビューティー・コロシアム』という、メイクや整形やコーディネートを通じて“さえない女性”を変身させる番組を取り上げているのだが、口調はなかなか挑戦的。この番組が発信していた「美しくなって人生を変える」というコンセプトは、裏返せば「美しくない女は、苦労する」ということでもあり、さらに「ただの虚栄心で『綺麗になりたい』と思うのは感心できない」「心が素直じゃないと美しくなる資格はない」というダブルバインドを強く演出しているのだとか。
 人により受け取り方は色々なのだろうが、そのように感じる女性にとってはたしかに「綺麗になる」ということは一種の“呪い”にもなるだろうし、それがモノサシである社会で生きることはまさに「生きづらい」ものであるだろう。そんな気が強くする。
 著者は自らも含めたそんな「主役になれない女の子たち」に対して、知らず知らずのうちに周りを取り囲んでいる3つの壁(*)について気付かせ、心の澱をじょじょに解きほぐしていく。自らの失敗談を正直に披露したり、安易な解決策を提示しない点(著者自身が今でも答えを出せていないことを正直に吐露したり)など、以前ベストセラーになった勝間某の自己啓発本などとは違い、読者に寄り添う姿勢がまるでマッサージを受けている感じだ。

   *…ひとつ目はセルフイメージの思い込みによる「自分自身の壁」。ふたつ目は
      “かわいい”が基準となったり、ファッションがその人の価値観や社会的イ
      メージを規定する日本社会の「他人の視線の壁」。三つ目は具体的に服装や
      メイクが似合う/似合わないについて思い悩む「失敗や不安の壁」。
      いずれも外から押しつけられたり自ら規定してしまっている壁であり、今の
      自分に一番合ったものを自分で選ぶことが今の“生きづらさ”から逃れて
      “自由に生きること”へとつながるのだとか。

 ファッション系の話題ばかりなので、「憧れの誰かみたい」な服ではなく「自分にこそ似合う服」を探す(P144)といったアドバイスや、「化粧品のカウンターで嫌な思いをしたこと」をテーマに作文を募集したら面白い話がたくさん寄せられるだろう(P159)といったくすぐりは、正直良く解らない部分ではある。
 でも、「持って生まれた容姿がどのようなものであろうと、センスが良くなくても、お金がなくて服が買えなくても、誰になにを言われても、私は私の生を主観の美しさに従って生きたい。」(P171)という言葉は素直に心を打つし、「どのようなことを楽しむ自分でありたいか、そのことが自分のあり方を決めます。(中略)その意志こそが、まぎれもないその人自身の、もっとも美しい部分なのではないかと考えます。」(P210)という主張は、ファッションの域を超えて普遍性をもつと思う。多様な生き方を肯定することが、世の中をもっと面白く豊かなものにしていくのだろうし、よりよく生きることにつながるのだろうねえ。そう思うな。

 たまに「本が呼ぶ」ということがあるが、本書もそんな風にして買った本。そして今回も勘は外れなかった。とてもいい一冊。本屋のレジにもっていくのは少し勇気が要ったけどね。(笑)

<追記>
 本書で著者が生き方に憧れる人物として挙げているのは、たとえば次のような人たちだ。
  マドンナ/レディ・ガガ/ディタ・フォン・ティース/ケイト・モス/ナオミ・キャンベル etc.
 それぞれ音楽やモデルの世界で確固たる地位を築いているひとだが、彼女らが素晴らしいのは成功したかどうかではなく自分の価値観に従って生きているところなのだとか。なんとなくわかる気がする。日本で言えばアスリートの上野由岐子(ソフトボール)や澤穂希(サッカー)などがそうかも知れない。
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『翻訳ミステリー大賞シンジケート名古屋読書会/第11回』

 2月に引き続いて表題の読書会が昨日5月17日に名古屋駅前で開催された。今回の課題図書は先にも書いたがレイモンド・チャンドラーのハードボイルド『ロング・グッドバイ』(もしくは『長いお別れ』)だ。前者は村上春樹訳、後者は清水俊二訳でどちらもハヤカワ文庫から出ている。公式なレポートはやがてミステリー大賞シンジケートのホームページにアップされると思うので、ここではとりあえずの速報ということでご報告。「“読書会”ってどんなことをするの?」と思っている方の参考に、その場の雰囲気だけでも伝わればいいが……。
 ところで、2月の会は課題本がミステリーっぽいSF『夢幻諸島から』だったので、自分としては特に予習なども必要なく自然体で参加することが出来た。ところが今回はお題がハードボイルド。これまで殆ど読んだことがないジャンルということで、それなりに事前準備も怠りなく臨んだつもりだったが、やはり知らないことばかり。教えていただくことも多く、新しいジャンルに対して興味を持つことが出来た。名古屋読書会の参加者はレベルの高い方も多いのに(*)、初心者にも敷居が低いのが素晴らしい。皆さん臆せずに意見交換をできるのは、前回のレポートでも書いたようにスタッフの方々の運営が巧いからだろう。(そして常連参加者の方々による上手な雰囲気作りも。)

   *…豊崎由美さんの書評講座に参加されている方や、ミステリの読書歴が数十年の
      方、それにプロの作家や書評家の方などもちらほら。そこに今回はゲストとして、
      『ロング・グッドバイ〔東京篇〕』を書かれた司城志朗氏や、ミステリマガジン
      編集のK塚さんなど豪華メンバーが参加となった。

 話は少し変わるが、当日の午前中は、せっかくなので愛知県美術館で開催中の『シャガール展』へと足を延ばした。こちらはパリ・オペラ座の天井画やギリシャ神話を題材にしたバレエの衣裳デザイン、そして晩年に手掛けた旧約聖書をモチーフにした作品など、普段目にすることがない作品が数多く公開されていた。シャガールの幻想的で美しい色彩の作品を直接この目で観ることが出来て大満足。(本当はもっと色々書きたいのだが、今回は読書会レポートなのでこれくらいで。美術展についてはまたの機会にしよう。)
 午後からは寄り道しようと思っていたところが時間切れで行けなくなったので、中途半端な時間をジュンク堂で過ごすことに。うろうろしているうちに何故かいつの間にか手の中に一冊の本が(笑)。結局ギリギリの時間になって会場に滑り込むことになった。
 受付で会計を済ませると、レジュメとともにあるテーブルを振り分けられる。どうやら前回と同じく3つのテーブルに分けられているらしい。自分は3つのうち、ハードボイルドに造詣が深く手筒花火とマラソンの愛好家でもある(それは関係ないが/笑)、K藤さんが司会のテーブルと聞いてひと安心。しかもそのテーブルにはS山大で英米文学を教えておられるSF仲間のN澤さんの姿が。心細かった自分はいそいそとその横の席に座って開始を待つことにした。

 ちなみに読書会の進行方法は2月の時と同じ。90分を各テーブルでのフリーディスカッションとし、ホワイトボードにポイントを書いていく。最後には「次に読むならこんな本」を各自で推薦しあって前半は終了。5分ほどの会場セッティングを兼ねた休憩を経て、後半は全員が横一列に並べられた3つのホワイトボードを眺めながら、各自の疑問点や意見を出し合ってさらに理解を深める。最後には予め募集した推薦文のコンテスト。優秀作にはゲストの方からいただいた記念品の贈呈があって、次回読書会の予定紹介とともにお開きとなる。
 ただし用事のある方を除いては、殆どの参加者がそのまま二次会になだれ込むケースが多いようだ。まだまだ喋りたりないものねえ。ついでにいうと二次会が終わってもまだ話し足りない人たちは三次会へ行くことになる。(今回は読書会参加者の約半分の20名ほどが三次会まで参加となった。当然のごとく自分も参加。名古屋会のもつ一体感たるや恐るべし。/笑)

 閑話休題。話を読書会に戻そう。
 今回はハードボイルド自体に詳しくないので、さほど整理してディスカッションの様子が書けそうにない。そこで自分のテーブルおよび全員の意見交換の場で出たことの中から、書きとめられたことをざっとかいつまんで書くことにしよう。(詳しいレポートを期待されていたら申し訳ないが、速報ということで平にご容赦を。あとは公式レポートをお楽しみにしていただきたい。)
 私は詳しい経緯を知らないのだが、どうやら過去にコージーミステリの『ゴミと罰』の読書会をした時に、ハードボイルド好きのK藤さんが「ニンジンサラダの作り方とか、日常の家事の描写なんて要らない」といった発言でかなり物議をかもしたらしい。(笑)そこで今回は、名古屋読書会のコージー大好き軍団がその時の遺恨を晴らそうと、手ぐすね引いて待っていたようなのだ。(笑)そんな背景を詳しくは知らない自分は、主人公や物語の構成に対する(主に女性陣を中心とした)容赦ない意見と、それを必死に耐えるK藤さんの様子に、つい笑いを禁じ得ないのであった。(K藤さんすいません。)
 まあそれでもさすがは名古屋読書会、傾聴に値する話もかなり多かった。例えば、プロットが前半&ラストのテリーのパートと途中の捜査のパートでは完全に分離しているので読みづらいとか、出てくる女性がステレオタイプ過ぎて同性から見て全く魅力が感じられないなど。マーロウが金を受け取ることをかたくなに拒むという点で、本書はマーロウシリーズ6作の中でも結構異色な話という説明もあった。これなどは自分のような“にわか読者”では気付かない内容なので、聞いていてとても面白い。
 N澤さんのコメントは、さすがアメリカ文学を専攻されているだけあってひとつひとつが的確だった。曰く、当時のアメリカでは金持ちや権力を持つ者(警察含む)に対する不信があり、私立探偵はそれに盾つくヒーローとして描かれているだとか、あるいは本書における“ファムファタル(運命or魔性の女)”は実は女性ではなくテリーであるといった点だ。なかには、ハードボイルドは寡黙な探偵が特徴なのにマーロウがしゃべり過ぎであるとか、やたら女性のファッションチェックをしていてまるでピーコのようだ(笑)という手厳しい意見も。そのたびに司会のK藤さんは苦笑されていた。(**)
 おおむね本書に対する違和感は、マーロウとテリーの出会いと友情があまりに唐突すぎて不自然という意見と、マーロウが今の時代からみるとあまりに“面倒くさい性格”だというところに集約される感じだろうか。
 ただ本書が発表されたのは1953年であり、日本でいえばほぼ『三丁目の夕日』の時代のあたり。価値観が今の時代からみると違っているのは当たり前で、読んだ時の年齢や時代によってもマーロウに対する印象が変化してしかるべき、という意見があったことも付け加えておきたい。

  **…実はこのあたりの話は、ハードボイルドの定義にも関わってくるものだと思う。
      本会ではハードボイルドの定義に言及しだすと収拾がつかなくなるので棚上
      げにする措置が取られていたようだが、気になったのであとで三次会の時に
      意見交換をさせて頂き自分なりの仮説を持った。それは、ハードボイルドの
      捉え方は「1.ハメット作品のようなノワール(犯罪)小説」「2.感情を一切
      排した客観的描写の文体」「3.チャンドラーが創始した“高潔な騎士”としての
      ヒーロー小説」の3つの側面が入り混じっており、各人のハードボイルド定義は
      これらの配分が異なるのではないかということ。尤も他の作品を読んでみなけ
      れば、これが正しいかどうかは分からないけれど。
 
 全体の意見交換では村上訳と清水訳の特徴の違いであるとか(村上訳が言葉を丁寧に盛って説明しようとしているとか)、中国語版は女性が訳していて、中国語の特長を生かして原作の雰囲気をうまく伝えているといった、ここでしか聞けない面白話もたくさんあった。
 最後には「次に読むならこんな本」を出し合ったのだが、時間がないのと自分が知らない本が多くて書き留められなかったのが残念。とりあえず書き留められたものは、次の作品だ。(自分が選んだものも含む)
 ヒギンズ『鷲は舞い降りた』/ライアル『最も危険なゲーム』/マクリーン『ナヴァロンの要塞』/グリーン『第三の男』/パレツキー『サマータイム・ブルース』/ウィンズロウ『ストリート・キッズ』シリーズ/ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』 etc
 これらはあとで公式レポートに挙げて頂けるそうなので、それを楽しみに待っていよう。

 前回は初めてということもあり、また課題本が自分の得意なジャンルということもあって大変愉しく過ごすことが出来たのだが、今回は完全に未知の世界。それでもこれだけ愉しい時間を過ごすことが出来たのだから、名古屋読書会の面白さは本物だと思う。以前、作家で翻訳家の西崎憲氏がおっしゃっていた言葉に、「面白くない本は無い。面白くない読み手がいるだけだ」というのがあったのを思い出した。要はこちらの気の持ちようで、読書は詰まらなくも愉しくもなるのだよねえ。せっかく時間を使って読むわけだから、どうせならせいいっぱい愉しみたいものだと思う。
 次回は7月に開催予定とのこと。お題はクリスティ『オリエント急行の殺人』。実はこの作品、有名すぎてこれまで読んだことがなかったのだよね。これを機会に読んでみるというのもいいなあ。どうやら読書会がやみつきになってしまったようだ。(笑)

<追記>
 実は今回、もうひとつ嬉しいことがあった。読書会メンバーによる推薦文コンテストに出した自分の案が、優秀作として選んで頂けたのだ。賞品はテレビドラマをノベライズした『ロング・グッドバイ〔東京篇〕』の文庫本とドラマのポスター。さっそく著者の司城氏にサインを頂いて、その晩は終始ゴキゲンで過ごすことが出来た。
 ちなみにこんな作品。
「つらくても哀しくても、やらなくてはいけない時がある。そんな疲れた人々への応援歌としても効き目があります。」
 お恥ずかしい!ハードボイルドは「かつて少年だったオヤジたちに向けたファンタジー」ということで、ご勘弁を。(苦笑)

『ロング・グッドバイ』 レイモンド・チャンドラー ハヤカワ文庫

 今回はハードボイルドの超有名作。白状すると、これまでハードボイルドは殆ど読んだことがなかった。ハメットもチャンドラーも名前を知ってはいるけど実は一冊も読んだことが無い。それでいてハードボイルドSFの『重力が衰えるとき』や、恐竜が主人公の怪作ミステリ『さらば、愛しき鉤爪』といった、本歌取りのような作品は読んでいるのだから自分でも趣味がよくわからない(笑)ブログでも前から書いているように、幻想怪奇やファンタジーやSFと同様にミステリも大好きなのだが、その割にこれまでハードボイルドに縁が無かったのは、本格推理もの(“パズラー”というらしい)ばかり読み漁っていたからだろう。

 そんな“ハードボイルド音痴”の自分がなぜ突然に本家本元のチャンドラー、しかも代表作の『ロング・グッドバイ』に手を伸ばしたのか。それは2月に参加した「翻訳ミステリー大賞シンジケート名古屋読書会」が、思いのほか愉しかったから。また参加したいと思ったところ、5月に開かれる次回の読書会の課題本がこの本だったというわけ。(新しい本との出会いはいつでも大歓迎なので、こういう機会があれば積極的に飛び込んでいきたい方なのだ。)
 しかしハードボイルドのマイルストーンとでもいうべき作品を漫然と読んでいても面白くない。せっかくなので、今回は自分なりのテーマを設けて読むことにした。どんなテーマかというと、「ハードボイルドとは何か?」を自分なりに理解すること。出来る事ならば、ハードボイルドの“読みどころ”をよく理解した上で読書会に臨みたいところだ。
 しかし意気込みは立派でも、なにせハードボイルド初心者であるが故の悲しさ。「トレンチコートを着て帽子を目深にかぶって夜の街に立つ」とか「卑しき街を行くストイックな孤高の騎士」とかいう、どこかで聞いたようなイメージしか思い浮かばない。もちろんフィリップ・マーロウが活躍する他の作品だって一冊も読んだことなど無い。 ――とすれば、いったい何を手掛かりに読み解けばいいのだろうか。畏れ多くも天下の名古屋読書会。感想がただ「面白かったです」ではあまりに情けない。(笑) かといって偉そうに哲学や社会思想なんぞを引っ張り出してきて、ひとりよがりの解釈で場を白けさせても申し訳ないし……。そこで(ハードボイルドかどうかは知らないが)、同じ「探偵もの」という括りで別の本も併せ読み、比較してみることにした。
 今回、比較の候補として挙げたのはP・J・ジェイムズ『女には向かない職業』とドン・ウィンズロウ『ストリート・キッズ』の2作品。『ロング・グッドバイ』の探偵マーロウを成人男性の代表としておいた場合、女性探偵のコーネリア(『女には…』)や青年探偵のニール・ケアリー(『ストリート…』)をマーロウと比べることで、何かが見えてこないかと思ったのだ。(*)
 というわけでここからは、それらを読んで自分なりに考えた「ハードボイルドとは何か?」についてまとめてみたい。(しかしなにぶん初心者ということもあり、しかもあくまで今回読んだ本だけからの考察。詳しい方からみたら言わずもがなの事や、逆に的外れなことを書いているかもしれない。もしそうでも、今回ばかりは大目に見て頂けるとありがたい。むしろご指摘・ご教示などをいただけると勉強になります。)

   *…さらには読書会でお知り合いになった、コージーミステリをこよなく愛する書評
      家の大矢博子氏が、ツイッターで「コージーミステリはハードボイルドが捨ててき
      たもので構成されている」とつぶやいていたのにピンときて、合わせてコージー
      ミステリの名作とされる『ゴミと罰』も読んでみることにした。

 ではまず、いつものように書誌的な内容から。本書『ロング・グッドバイ』は、レイモンド・チャンドラーが考え出した私立探偵フィリップ・マーロウが活躍するシリーズの6作目にあたる。既に同じハヤカワ文庫から清水俊二氏の訳で、『長いお別れ』という題名で出版されている作品と中身は同じ。本書『ロング・グッドバイ』のウリは、なんといっても訳者が“かの”村上春樹氏だという点にある。しかも本文のページ数を数えたところ60ページほど本書の方が長い。これはどういうことかと思っていたら、ハードボイルドに造詣が深い読書会スタッフの方が教えてくださった。(K藤さんありがとうございました。)どうやら清水訳の方は、作品のもつスピード感を重視するがためか(?)、文章が若干省略されているらしい。自分は貧乏性で読むなら少しでも長い方が嬉しいので(笑)、今回は村上訳の方で読むことにした。
 大まかなストーリーがどんなのかというと、私立探偵のマーロウが偶然に知り合い友人となったレノックスという男を巡り、“ハイソサエティ”な人々の空虚な人間関係が生み出した殺人事件に、マーロウが巻き込まれていくというものだ。ふむふむ、なるほどねえ。マーロウの男気には頑張れとつい声援を挙げたくなるし、あっと驚くどんでん返しもあったりして、なかなかに愉しめるじゃないの。すかっとしたカタルシスが読後に得られるタイプの話ではないが、苦い余韻も心地いい。いかにも大人の読書という感じがする。(もっともこれがハードボイルドの典型的な展開なのかはよく知らないのだが……。/苦笑)
 『ロング・グッドバイ』におけるハードボイルド要素は分かったので、続いては『女には向かない職業』と『ストリート・キッズ』、そして『ゴミと罰』を読んでいくことにした。
 まず『女には向かない職業』だが、こちらはある事件がもとで私立探偵の仕事を事務所ごと引き継ぐことになってしまった若い女性が主人公。初の依頼である、ひとりの青年の自殺に関する原因調査を進めるうち、一見単純と思われた出来事の陰に驚くべき真相がみえてくるというものだ。うーむ、ミステリとしての骨格もしっかりしていて、すごく面白い。ちなみに本書を本格推理物の範疇と見做すむきもあるようだが、自分のみる限りではこれも立派なハードボイルドのしつらえをしている。(主人公が捜査途中で危うく命の危険に巻き込まれそうになるなど、お約束の展開もばっちりだ。/笑)
 一方の『ストリート・キッズ』はまたまた雰囲気が違う。謳い文句によればどうやら新感覚の探偵物語ということらしい。麻薬中毒の母親の私生児として生まれた少年が、その後“朋友会”と呼ばれる組織(ある銀行が始めた上流階級の極秘の互助会のようなもの)で働く私立探偵と出会うことで、立派な青年に育っていくというビルドゥングスロマン(教養小説)にもなっている。でもこれも解説によれば立派なハードボイルドとのこと。うーん、だんだんわからなくなってきたぞ。
 そこでうって変わって、名古屋読書会ではハードボイルドとは宿敵関係にあるらしい(?)、コージーミステリの佳品『ゴミと罰』へとすすむことに。こちらはアメリカの一般的な住宅街に住む主婦が、二人の生意気な子供たちやご近所とのホームパーティの準備に翻弄されながらも、隣家で起こった殺人事件の謎を解くというものだ。こまごました日常生活の様子が丁寧に描写されているのが特徴。でも『ロング・グッドバイ』やその他の2作品でも、事細かな日常の作業に没頭する主人公たちの姿は丁寧に描写されていた気がする。印象の違いはいったいどこからくるのだろう。
 
 そこで、まずはハードボイルドの定義についてしらべてみることに。本当なら小鷹信光氏の『わたしのハードボイルド』などの研究書を読んで勉強すれば良いのだろうが、そこは生来のお気らく読者。適当にネットで調べてお茶を濁す。(笑)
 とりあえず翻訳ミステリー大賞シンジケートのホームページを見てみることに。おおー、ちゃんと詳しい記事があるではないの。これは助かる。それによればハードボイルドとは、「情緒表現を排した客観描写で非常な主人公の行動を描いた小説」もしくは「複雑かつ多様で見渡すことの難しい社会の全体を、個人の視点で可能な限り原形をとどめて切り取ろうとする小説」であるらしい。ハメットが『ガラスの鍵』や『マルタの鷹』『赤い収穫』といった作品で確立したスタイルで、感情表現を一切省いた三人称で描かれるその物語は、当初はノワール(犯罪)小説の一種として認知されていた。そしてそれを現在のようなイメージに変えたのが、本書の作者レイモンド・チャンドラーということのようだ。時代とともに定義も変わってきているのだね。自分がもっていた「探偵のひとり語り(独白)」や「高潔な騎士」というイメージも、チャンドラーによるところが大きそうだ。(ちなみにその後は群雄割拠。色んなハードボイルド作品が生まれ、そして現在に至っている…。)
 うーむ、ホームページのおかげでハードボイルドの歴史には詳しくなれた。しかし「ハードボイルドとは何か?」については相変わらず今ひとつピンとこない。そこでもう一度『ロング・グッドバイ』『女には向かない職業』『ストリート・キッズ』に戻り、それらを比較する中で共通している上澄みの部分について考えてみることにした。

 もったいぶらずに書いてしまおう。その結果思い当たったのは、ハードボイルドとは「やせ我慢の系図」なのではないかということだ。歌舞伎で言えば「助六」という演目にあたる感じ。(ただし『ロング・グッドバイ』には基本的にヒロインとなる「揚巻(あげまき)」も敵役となる「髭の意休(ひげのいきゅう)もいないのであるが。)
 九鬼周三の「粋(いき)」という概念にもつながるのだけれど、要はある種のこだわり(生活信条)を持って生きることを実践し、そのためにはストイックな生活も辞さないというような感じ。そしてそれを引き立たせるのが、多くは上流階級に属する依頼人たちの、(表面上の恵まれた様子とうらはらな)とても自堕落で腐りきった精神状態とのコントラストというわけだ。
 一方で主人公たちは、まるで原始キリスト教の修行僧を思わせるようなストイックな生活を淡々とおくる。おそらくハードボイルドにおける日常作業というのは、主人公たちを理想的な生き方へと導くために必要な修行なのだろう。そして依頼人たちに比べてマーロウたちの生き方のいかに高潔なことか。そこに共感を覚えたとき、読者はハードボイルドを感動とともに受け入れるのではないか。とまあ、そんな気がする。

 ちなみにコージーミステリの方はどうだろう。コージーも日常生活のこまごました作業を描くのには違いはないが、うける印象は正反対で180°違っている。その理由を自分なりに考えてみるに、おそらくコージーの場合は日常作業を描くこと自体が目的なのではないだろうか。先ほどのキリスト教を例にとるとすれば、ハードボイルドの生き方が理想を追い求めるカトリックで、こちらは日々の生の実践がそのまま信仰につながるプロテスタントのような感じかな。(分かりにくい譬えですいません。)コージーでは何気ない日々の生活こそが、実は価値のある事なのだといっても良い。
 修行による理想の生き方追求か、もしくは日常作業をそのまま生の実践と捉え肯定するか…。立場は違えど、どちらも同じように日常生活の様子を描くという点では、同じカードの裏表の関係にあるといえるのかも知れない。そんな事を思ったりした。そして日々の暮らしぶりをまるごとそのまま愉しめるかどうかが、コージーミステリを愉しめるかどうかの分かれ目になっているような気がする。(**)

  **…ちなみにそうなると『クリスマスのフロスト』に始まる一連のフロスト警部シリ
      ーズは、警察小説におけるコージーということになると思うのだが。
      また『やっとかめ探偵団』は日本におけるコージーともいえそう。どうだろう?

 最後にもういちどまとめてみよう。
 ハードボイルドについては他にも、主人公が(依頼を受けて動き出すので)常に受動的であることとか、一人称と三人称の問題(『ロング・グッドバイ』以外の2冊の探偵物語はいずれも三人称)だとか、まだまだ特徴比較に関して書き足りないところは色々ある。
 しかしハードボイルドを成り立たせているもっとも大きな特徴は、「日常描写の位置づけ(目的)」にあり、そしてハードボイルドのもっとも大きな魅力は、依頼人たちとの比較でより強調される「探偵の高潔な生き方」にあるというのが今回の自分の結論。そんな風に考えていたら、これまで食指が動かなかった他のハードボイルド作品に対しても興味が湧いてきた。読まず嫌いはやはりよろしくないね。こんどは『ロング・グッドバイ』を示準化石(失礼!)のように使いながら、様々なタイプのハードボイルドにも手を出してみようかな。

 以上、ハードボイルド初心者による読書会の予習レポート、のようなものでした。つたない考察で恐縮です。(笑)

2014年春・東京旅行

 今年のゴールデンウィークは思い切って5月3日から5日まで東京へ遊びに行ってきた。旧知の人や初めてお会いする方との食事会を始め、美術展巡りなど盛り沢山の予定をこなしてきたので、その中からブログで紹介できるものについて幾つか抜粋してみたい。(自分の備忘録も兼ねております。/笑)

■バルテュス展(5月3日)
 かのピカソをして「20世紀最後の巨匠」と言わしめたフランスの画家の回顧展。4月16日から6月22日まで東京都美術館で開催されているが、他の地方での開催は京都のみとのこと。この機会を逃すとまず観られないので、今回の旅行に向けて前売り券まで買っておいた。当日は朝5時に起きて7時15分に名古屋発の新幹線に乗り、上野駅についたのが9時15分。少し並んで9時30分開場と同時に入場し、空いた館内でゆっくりと鑑賞することが出来た。(こういう時、普段から早い便で東京に出張していると要領が分かっているので便利。/笑)
 知らない方のために少し紹介しておくと、バルテュスは1908年生まれのフランスの画家で、晩年にはスイスに移り住み2001年に亡くなった。若い頃に独学で古典絵画を学び、シュルレアリスムの影響も受けつつ、独特の特徴をもつ不思議な印象の絵画を数多く描いた。作品としては、異様に大きな頭部と纏足(てんそく)のように小さな足、あえて直線的に描かれた脚部と少女のもつ人工的なエロス、そして互いに決して目を合わそうとしない人物たちと、逆にキャンバスのこちら側を見通すように凝視している猫、といったあたりが大きな特徴だろうか。個人的な印象では、いびつな構図が観る者の不安感を引き起こすとともに、強く引き込まれるような気持ちをかき立てるあたりが魅力といえる。(うーむ、こうして改めて言葉にしてしまうと面白くないなあ。ともかくそれがバルテュスというもの。詳しくは写真などでいちどご覧になるといいかも。)自画像の「猫たちの王」や「夢見るテレーズ」「美しい日々」に「地中海の猫」「トランプ遊びをする人々」といった有名作品が一堂に会し、とても充実した美術展だった。帰りにはとくに気に入った「美しい日々」と「地中海の猫」の絵葉書を買って、ほくほく顔で(笑)次の目的地へと向かったのであった。

■豊崎由美&牧眞司/世界文学を語る(5月4日)
 もともとは5月4日から5日にかけて開かれる「SFセミナー」というイベントの企画のひとつ。SFセミナーとはこの時期に毎年東京で開催されているイベントで、SFやその周辺の話題についてゲストを招いてシンポジウム形式でお話を伺うというもの。今年も多くの愉しい企画が目白押しだったが、その中でも個人的に目玉はこの企画だった。(注:正式には「豊崎由美vs牧眞司 世界文学はSFの宝庫だ!」というタイトルで、SFファンにもっと世界文学に触れてもらおうという企画。) 豊崎氏は『百年の誤読』や『文学賞メッタ斬り!』などの著作で有名な方でご存じの方も多いと思う。一方の牧氏はSFやちょっと不思議な世界文学を中心に書評を行っている方で、こちらもSF関係者には超有名人。
 以上のおふたりが例えばガルシア=マルケス『百年の孤独』やボルヘス『伝奇集』、はたまたブローディガン『西瓜糖の日々』にソローキン『青い脂』、そしてジャリ『超男性』といった、魅力的な世界文学を語りつくそうというのが本企画の趣旨。スタイルはお互いがお薦めの世界文学を約20冊ずつ選び出し、それらを縦横無尽に紹介していくというもので、豊崎氏の軽妙なトークに場内は爆笑につぐ爆笑。それでいてトークを聞いているうちに無性に本が読みたくなってくるという、まさに本好きにとっては堪らない企画だった。一緒に聞いていた友人たちは、話が終わってからさっそくスマホを使ってアマゾンで本をポチッていたし、自分も次の日の朝、神田の古本街が開くと同時に店に入って『紙葉の家』という分厚い本を4000円でゲット。肩に食い込むカバンの重さも心地よく帰宅の途についたのであった。
 かつて学校時代に読書感想文を書くためいやいや読んだ文学ではなく、とんでもなく面白くて刺激的な創作物として文学を捉え直すふたりの取り組みには、実をいうと以前から共感していた。従って今回の企画はとても楽しみにしていたものであり、その期待以上の満足感を得ることが出来た。おふたりが仰っているように、『白鯨』や『ドン・キホーテ』とP.K.ディックやスタニスワフ・レム、あるいはミハイル・ブルガーコフの作品を同列に評価するということは、ほんとうの読書の愉しみにつながるものなのだと思う。虎ノ門にある発明会館を貸し切って開催されたSFセミナー昼の部と、本郷に場所を移して開かれた夜の部を合わせると、企画の時間はおよそ2時間余り。まさに至福の時間であった。(豊崎氏はその後も場所を変えて“プロの書評術”についてお話しいただいたので、この日は都合3時間半に亘ってじっくりとお話を伺うことが出来た計算になる。)

■ゴシック人形展・他(5月5日)
 今度の場所は浅草橋にあるパラボリカ・ビスという2階建ての小さなスタジオ。ここでは前々から気になっていたゴシック系の手作り人形の展覧会が開かれており、2日間に亘って開かれたSFセミナーが終了した5日、せっかくの機会なので少し足を延ばして行くことにした。その日やっていたのは「球体関節人形」と呼ばれるちょっと不気味なタイプの人形展(個展と合展)3つにファンタジー系のイラストの個展がひとつ。小さな会場ではあった、とても見ごたえのある作品展だった。
 ところで「球体関節人形」というのをご存じない方のために少し補足を。これは文字通り関節部分が球体で構成されている人形のことで、本物の人間そっくりな顔立ちでゴシックロリータ(略称:ゴスロリ)系の衣裳を身に着けたり裸体やわざと歪な形状にしたりもする。芸術作品としての価値も高いが、若干グロテスクだったり猟奇の薫り漂うものも多いので、その手の者が苦手な人は注意が必要。著名な人形作家としてはハンス・ベルメールや吉田良、清水真理や四谷シモンといった人たちがいる。
 今回開催していたのは、『リテラリーゴシック・イン・ジャパン』(ちくま文庫)の表紙カバー写真などで知られる人形作家・中川多理氏による個展「イヴの肋骨」に、同じく人形作家・山吉由利子氏とオブジェ作家・菊地拓史氏による共同展「遠い声」、そして6人の作家による合展「人形展 エーオース」というもの。いずれも力の入った展示だった。(特に迫力があったのは中川多理氏の個展。まさに「異形」と呼びたくなる、不気味かつエロチックな頽廃美が展開されていた。また菊地拓史氏の匣に入ったオブジェ作品もかなりの存在感で、とても気に入った。)
 一方で横田沙夜氏によるイラスト展「ロゼッタとこびとたち」は、(例えば『不思議の国のアリス』のような)可愛らしい少女と小人や動物による、可愛らしさとともにどことなく不穏な感じもする不思議イラストを数多く展示。こちらはこちらでまた独特の世界観漂うものとなっていて、なかなか好かった。普段目にすることのないこのようなタイプの人形やイラストを間近に見られる機会は名古屋ではなかなか無いので、今回の旅行はいい機会だったと思う。思い切って行って良かった。

■幻想芸術展-東京-(5月5日)
 球体関節人形の展覧会に引き続いて向かったのは有楽町にある東京交通会館。ここでもちょうどタイミングのいいことに、2階のギャラリーを使って若手芸術家たちによる幻想絵画等の展示即売会が開かれていた。数十点ある作品の中には自分の好きな作家・酉島伝法氏の作品も3点出展されていて嬉しかったが、なかには皆川博子氏の小説に使われた伊豫田晃一氏のイラストの原画(非売品)や、中島清八氏による能面風の仮面も展示してあったりして、かなり見応えのあるものだった。
 観終わったあとは1階の北海道どさんこプラザで名物の夕張メロンのソフトクリームを食べて疲れを癒し、続いて最後の目的地、東京駅のJP(日本郵便)ビルへと向かう。

■インターメディアテク(5月5日)
 正式名称はJPタワー学術文化総合ミュージアムという。ここは東京大学博物館がこれまで蒐集してきた貴重な学術標本や資料類を展示する目的で、2013年3月にオープンした公共施設。日本郵便株式会社と東京大学総合研究博物館が共同で運営を行っている。昨年から一度は足を踏み入れたかったのだがいい機会がなく、結局1年後となってしまった。中に一歩足を踏み入れると、そこには様々な骨格標本や図説、鉱物標本にエジプトのミイラ標本などが整然としつつも所狭しと並べられ、周りの現代的な雰囲気と隔絶された異空間が広がっている。
 かつて中世ヨーロッパでは王侯貴族たちが、自分の所蔵する珍奇な収集物を展示した「驚異の部屋(ヴンダー・カマー)」と呼ばれる施設を競い合って作っていたが、このインターメディアテクのコンセプトもまさにそれに近い。今回は京都大学版の「驚異の部屋」が企画展示されていたが、それを観ていると、「自然科学」と呼ばれる学問は珍奇なものへの好奇心を母として誕生したものだという事がとてもよく分かる。ここもまた球体関節人形とは別のかたちで、「知的ゴシック」とでも呼ぶべき空間となっていた。

 以上、ざっと紹介してきたが、東京ではこれ以外にも色々あって3日間で都合9つものイベントをこなし、自分としては近年まれにみる充実した休みを過ごすことが出来た。(東京の大学に通うため下宿している子供と会ったり、ツイッターの友人・知人の方との食事会、そして神田の古本屋散策など、朝から晩まで予定がびっしりの状態。)休みの日はどこも混むからといって家でだらだら過ごすのでなく、たまには思い切って外に出るのも良いものだね。

<追記>
 食事会の幹事をお引き受け頂きました“みいめ”様をはじめ、今回ご一緒いただけました沢山の皆様にこの場を借りてあつくお礼を申しあげます。おかげさまでとても愉しく有意義な時間を過ごすことができ、どうも有難うございました。

2014年4月の読了本

 今月は先月・先々月の反動で、物語を中心に19冊とたくさんの本が読めた。読書が滞っているときに勢いをつけるには、面白い物語をとにかくたくさん読むのがよい気がする。まだしばらくは物語中心の読書がつづくような気もするが、そのうちじっくりと時間を作って学術系の本を読みたい。

『女には向かない職業』 P・D・ジェイムズ ハヤカワ・ミステリ文庫
  *女性の私立探偵コーデリアを主人公としたミステリ。もともとは5月に開かれるハー
   ドボイルドをお題にした読書会の副読本として読み始めたのが、結論から言うとハ
   ードボイルドかどうかとは関係なくとても面白かった。「イギリスの女性作家による
   作品」ということが、どれだけハードボイルドを客観的にみる視点を提供してくれる
   か興味があったのだが、それについては正直よくわからない(笑)。でもコーデリア
   が活躍する次作『皮膚の下の頭蓋骨』はそのうち絶対に読みたい。
『空飛び猫』/『帰ってきた空飛び猫』 アーシュラ・K・ル=グウィン 講談社
  *SF・ファンタジー作家ル=グウィンによる絵本を2冊。どちらも村上春樹訳で刊行は
   かなり前の本なのだが、ついつい読む機会を逸してしまっていた。このところ仕事が
   忙しくて本を読む量が減っていたので、一種の“リハビリ”のつもりで手に取った。
   内容はホフマン『牡猫ムルの生活と意見』に倣っていえば「羽が生えた4匹の猫の生
   活と意見」といった趣のわりと他愛もない話ではある。しかし村上氏も言っているよ
   うに、こういった「子供だましの役にたたない」本こそが、世の中にはもっと必要
   なのだろうと思う。
『飛行船の上のシンセサイザー弾き』 難波弘之 ハヤカワ文庫
  *日本を代表する音楽家のひとりにして、古参のSFファンでもある著者が書いた短篇
   を集めた作品集。元本の出版が1982年と古いので、雰囲気もいかにも往年のSFとい
   った感じのものが多い。(自分もF・ブラウンやブラッドベリで育ったくちなので、
   そういうのは決して嫌いじゃない。)収録作はバラエティに富んでいるが、どこと
   なく坂口安吾「風博士」を思わせる表題作やニューウエーブの影響が強い「帰宅」
   あたりが好み。
『「悪」と戦う』 高橋源一郎 河出文庫
  *高橋氏の本は『さようなら、ギャングたち』や『ジョン・レノン対火星人』がとても
   好きだった。その後、何となく読まなくなってしまったのだが、それからかれこれ30
   年近くになる。久しぶりに読んだ高橋源一郎は、自分が好きだったころの高橋源一郎
   に戻っていた。昔はヴォネガットの流れでしか理解することが出来なかったけれど、
   今はむしろ筋が通って前向きなラファティという感じがしないでもない。物語は三歳
   児の「ランちゃん」が壊れてしまった世界を取り戻すため、友達の「ミアちゃん」に
   攫われてしまった自分の弟の「キイちゃん」を捜しに行くというもの。とても好いね。
   タイプは全然違うけど、いとうせいこう『ノーライフキング』を連想したりもした。
   ボーナストラックとして単行本未収録の「魔法学園のリリコ」も併録されお買い得。
『教育の力』 苫野一徳 講談社現代新書
  *著者の苫野(とまの)氏は、自分が好きな哲学者・竹田青嗣の愛弟子。ご本人も現象
   学の哲学徒であり、教育学を専門としている。本書はこれまで氏が追求してきた
   「よい公教育」とは何か?という考察を基に、より具体的かつ実践的な提案を行う教
   育論の本。新書なので簡潔にまとめてあり大変に読みやすい。社会的な問題の解決に
   は現象学はとても有効なのだなあ。
『カフカ短篇集』 池内紀/編訳 岩波文庫
  *あまり大上段に構えず素直に読めば、ちょっと不思議な話あり変な話ありの、ごく
   普通の面白短篇集といった感じ。カフカはあまり読んでないので偉そうなこと言え
   ないけど、経営層と現場の狭間で(全体像も実作業も理解出来ず)右往左往する事務
   方が、会社の中で日頃感じている不条理を写しとったような感じがした。特に根拠は
   ないけれど、彼の不条理感覚は不毛な事務作業に対する疲弊から生み出されたもの
   なのではなかろうか。
   「掟の門」は長篇『審判』の中でも言及されている魅力的な挿話だし、ある意味いか
   にも“カフカらしい”ともいえる「判決」や、猫と羊の奇妙な合いの子が出てくる
   「雑種」なども好い。奇妙な死刑装置のでてくる「流刑地にて」はかなり傑作だし、
   意味不明な「父の気がかり」やヨーゼフ・Kが主人公の「夢」、それに「万里の長城」
   や「狩人グラフス」「橋」なんかも魅力的だった。本書を読んでいる間、世に言われ
   る「カフカ的」なるものについて考えていた。いうなれば「原因があって結果がある
   べき処に因果が感じられない」ということなのだろうと思う。漢字で書けばすなわち
   「不条理」なわけだが。“不”は“非”と違って「○○ではない別の△△」を暗示は
   しない。ただ「○○でない」だけ。その断絶が不安と侵食と魅力の源ではないのだろ
   うか。従っていくら予想できない結果がもたらされても、別の因果律が感じ取れる
   ものは「カフカ的」ではない気がする。主人公の破滅が「カフカ的」なるものには付
   きものだったりするが、それによって得られる感覚は「無常感」ともまた違うもの。
   (無常感はむしろ健全。)「カフカ的」なるものは、不意に背後から襲ってくる。
『盤上の夜』 宮内悠介 創元SF文庫
  *2013年に出版され同年の直木賞の候補にあがり、日本SF大賞を受賞した話題作。囲碁
   や将棋、麻雀といったゲーム(勝負事)をテーマに、ジャーナリストである"わたし"
   の目を通して様々な生の意味を問う。実は次作である『ヨハネスブルクの天使たち』
   (こちらも直木賞候補)の方を先に読んだのだが、こちらも負けず劣らずの力作だっ
   た。収録作では麻雀が題材の「清められた卓」と将棋を取り上げた「千年の虚空」が
   特に好み。
『ルピナス探偵団の当惑』 津原泰水 創元推理文庫
  *『11 eleven』や『綺譚集』といった幻想小説でも知られる著者のミステリ連作集。
   全部で三つの短篇が収録されているが、いずれもルピナス学園に通う女子高生3人組が
   活躍する肩の凝らない話。ただしミステリとしての骨格はしっかりしている。解説で
   神保泉氏も書かれているように、都築道夫や泡坂妻夫につらなるパズラー系といって
   良いだろう。二転三転する真相が面白い。第三話「大女優の右手」が特に好かった。
『ゴミと罰』 ジル・チャーチル 創元推理文庫
  *家庭の日常生活を描くことが特徴のコージーミステリ(という説明で良いのかな?)
   の名作。ウィキペディアによればシリーズはこれまで16作発表され、そのうち13作が
   訳されているようだ。(コージーミステリは門外漢なので受け売り。/笑)アメリカ
   の一般家庭の主婦の、ご近所とのホーム・パーティーや子供たちの送り迎え、それ
   に掃除や食事の支度といった日常生活が克明に描かれ、ミステリそのものよりもそち
   らの方が主眼という感じもする(笑)。しかしその枝葉末節の描写こそが面白い。
   コージーもなかなか奥が深そうだ。
『三銃士(上下)』 デュマ 岩波文庫
  *19世紀フランスを代表する文豪アレクサンドル・デュマの言わずと知れた代表作。
   本書を読むまで知らなかったのだが、ダルタニャン物語三部作の第一作目なのだそ
   うだ。物語の時代はルイ十三世の治世である十七世紀。冒頭で『ドン・キホーテ』
   が触れられているように、執筆時から見ても「古き良き時代」として描かれているの
   がミソだ。乱暴な言い方をすれば、本邦における『南総里見八犬伝』みたいなものと
   言えるかもしれない。(ダルタニャンは仁の珠を持つスーパー少年・犬江親兵衛の
   ような位置づけ。凶悪な婦人ミレディはさしずめ悪女・舟虫といったところだろう
   か。)
   本作で描かれるのは主人公の青年ダルタニャンと、トレヴィル卿に仕える三銃士
   (元貴族で父親のようなアトス、豪胆だがおっちょこちょいのポルトス、聖職に憧れ
   思慮深いアラミス)の出会いと友情、そして恋に冒険。長い物語だが、スピード感溢
   れる展開で飽きさせないのはさすが。ひとつ気にくわないところがあるとすれば、ダ
   ルタニャンたちに舞い込む危機は全て王侯貴族たちの色恋沙汰が原因だったりする点
   だろうか。そりゃあフランス革命がおこるわけだよなあ(笑)。
『谷崎純一郎犯罪小説集』 集英社文庫
  *日本ミステリの黎明期に文豪が書いた秀作4篇を収録。「途上」と「白昼鬼語」は特
   に好いなー
『エレンディラ』 G・ガルシア=マルケス ちくま文庫
  *4月17日に訃報を聞いた。『百年の孤独』は自分の最愛の本の一冊でもある。そんな
   折、学生時代に読んだきりの本書をふと古本屋で見かけ、つい手に取ってしまった。
   改めて読んでみたところ、著者が脂の乗り切った時期に書かれた短篇集だけあって、
   七篇の収録作はどれも大変に面白い。冒頭の「大きな翼のある、ひどく年取った男」
   はディヴィッド・アーモンド『肩甲骨は翼のなごり』の元ネタであるかのような正体
   不明の老人が不気味。続く「失われた時の海」では、海から漂ってくるバラの香りや
   死者の国などが出てきて、これもまた魔術的リアリズムの見本のよう。しかし圧巻は
   何と言っても、巻末に収録された「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲
   惨の物語」だろう。ラテン・アメリカ文学が自分の中で再びブームになりつつあるよ
   うだ。
『ハルさん』 藤野恵美 創元推理文庫
  *人形作家の父親・ハルさんが亡き妻・瑠美子さんとともに見守る娘の成長と、心温ま
   る日常の謎の物語。中高生の本好きな子に読ませるとすごくいいんじゃないかな。
   のんびり過ごす休日の午後の読書にぴったりした一冊。
『古代の遺物』 ジョン・クロウリー 国書刊行会
  *クロウリーの新作は本当に久しぶり。『エンジン・サマー』の再刊から数えても5年
   半、その前だと『リトル・ビッグ(上下)』から17年、短篇集であれば『ナイチン
   ゲールは夜に歌う』から17年半ぶりとなる。中身は狭義のSFから幻想小説までバラエ
   ティに飛んだ作品集となっていて、巻末の普通小説「シェイクスピアのヒロインたち
   の少女時代」も圧巻。久々の巨匠の技を存分に堪能した。ふと思ったのだが、クロウ
   リーはジーン・ウルフと同様に、読者の「読み解く力」をとても信頼している気がす
   る。だからこそ、人間には理解出来ぬ世界をありのままに描くことが出来るのではな
   いだろうか。ウルフとはまた違った意味で誠実な書き手といえる。(ただし相応しい
   呼び名は“騙り手”ではなくオルフェかも知れない。)
『本棚探偵最後の挨拶』 喜国雅彦 双葉社
  *ミステリと古本をネタにしたエッセイの第四弾。東日本大震災に触れた「本の力」
   はほろりとくるし、毎年恒例の日下三蔵氏のご自宅訪問(目的は蔵書整理のボラン
   ティア)はいつ読んでも鉄板ネタ。今回は北原尚彦氏がとてもいい味を出している。
   本書で取り敢えず一区切りなのだそうだが、これからも何か別の形で構わないので、
   氏のエッセイが読めると嬉しいなあ。
『オマル』 ロラン・ジュヌフォール 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
  *現代フランスSF界を代表する著者の人気シリーズの第一作。基本的には正統派の冒険
   SFなのだけれど、味わいはかつて大好きだったフランスSFの数々を彷彿とさせる。
   とにかく広大な世界が広がる惑星オマルの生態系や異星人が混在する複雑な社会シス
   テムなど、雰囲気は英米の類似作品とは一線を画して、如何にもフランスといった感
   じ。(映画「ファンタスティック・プラネット」の一種独特で不気味さにも共通する
   雰囲気があるかも。)物語の骨格も『ハイペリオン』など先行する作品を踏まえたも
   のでしっかりしているし、往年のサンリオSF文庫のピエール・プロ『この狂乱するサ
   ーカス』にも似た大仕掛けもあってかなり愉しめた。
『カフカ寓話集』 池内紀/編訳 岩波文庫
  *『カフカ短篇集』と同じ編者による作品集の第二弾。ごく短い断章も数多くて、前作
   の補遺に当たる感じだろうか。こうしてまとめて読んでくると、カフカの小説は無理
   に文学的に深読みしなくても、素直に読んで面白ければそれでいいのではないか、と
   いう気もする。特に好いのは「皇帝の使者」「小さな寓話」「柩」「巣穴」「断食芸
   人」あたり。「歌姫ヨゼフィーネ、あるいは二十日鼠族」のとぼけた雰囲気も悪くな
   い。
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Author:舞狂小鬼
サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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