『子どもは40000回質問する』イアン・レズリー 光文社

 これは一風変わった本だ。原題は”CURIOUS(好奇心)”といい副題には“あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力」とある。前半は発達心理学や子供の教育に関する話が続くが、後半になるとがらりと装いを変えてビジネス書になる。(ちなみに書店では教育の棚に置いてあった。)帯には「好奇心格差が経済格差を生む!」とあって結構そそられる。ひとことで内容を説明するならば、「セレンディピティ(思いがけない幸運な発見)」の元となり、また生きる喜びの源泉にもなる「好奇心」について、子供に対する教育からビジネスにおける効能まで、人生におけるあらゆる場面を想定して縦横無尽に語ったジャンル横断本 ――といった感じになるだろうか。
 後半部分はスティーブ・ジョブズのエピソードや「スペシャリストかジェネラリストか」にようにマーケティングやビジネス書でよくある話題が多くて、自分には比較的既知の内容が多かったため、子供の学習やなどにおける好奇心の効果を示す前半の方が面白かった。(しかし教育関係者の人にとっては、逆に後半の方が初めての内容が多くて面白いのかもしれない。)

 本書によれば、子どもは幼い頃から周囲の大人に対して直感的に、その人が「隠れた事実について情報を提供してくれる信頼できる存在」かどうかを判断しているのだそう。きちんと対応してあげればその好奇心は大きく伸びるが、いい加減な対応をしているとやがて質問をしなくなってしまうのだとか。
 こういった子供の好奇心の衰えは脳の発達過程に原因があるらしい。幼児の脳には爆発的な細胞の増加と新たな神経接合の形成によって、大人に比べると非常に多くの神経結合が存在する。しかしそれらのつながりは大人の脳のそれに比べて無秩序で非効率的であり、幼児の外界認識能力は無限の可能性があると同時に混沌としている。したがってきちんとしたケアをしなければ、早ければ四歳頃から好奇心は衰え始めるという説もあるようなのだ。こうした話を読むと、子どもの発達過程における大人の対応がいかに好奇心の発達に影響するかがわかって恐ろしい。自分が子どもの頃に、風呂に入るたび父親を質問攻めにしていたのを思い出した。面倒くさがらずきちんと答えてくれるのが嬉しかったが、まさにあれが大事だったのだなあ。好奇心旺盛な子供に育ったのは父親のおかげなのかもしれない。
 さらに興味深いのは、全く知らない事柄については興味を抱かず好奇心は湧かないという話だった。ただし知りすぎている事柄に対しても好奇心は抱かないようで(そりゃそうだ/笑)、好奇心には「手ごろな量の知識」が前提となるらしい。つまり好奇心旺盛な人というのはすなわち、幅広く色々な知識を持っている人ということになる。何事も知れば知るほど楽しくなり、そして知れば知るほど更に知りたくなるのはこういうわけだったのだねえ。
 子供は2歳から5歳の間に、「どうやって」「どうして」という質問をなんと4万回も行うという調査結果もあるらしく(*)、こういった話題に疎い自分にとっては、目からウロコが何枚も落ちるような内容だった。

   *…本書の邦題はここから取られたもののようだ。しかし確かに分かりやすく
      キャッチーな書名ではあるけれども、新書の薄いビジネス書を連想してしま
      ってちょっと残念だ。サイモン・バロン=コーエンの『共感する女脳、システ
      ム化する男脳』(NHK出版)の記事でも書いたのだけれど、個人的にはせっかく
      良い原題があるのにこういう邦題の付けかたをするのはどうかと思う。

 他にもけっこう頷いてしまう文章は多い。例えば“好奇心は「知識の感情」であると理解されてきたが、情報の空白は必ずしも理性的に認識されるわけではなく、例えば掻かずにいられない痒みのようなものだ。”なんて、思わず膝をうちたくなる。疑問が頭に浮かぶと判るまで落ち着かないんだよね。
 また「インターネットはかつてないほど多くの学びの機会を提供してくれる」「しかし、そこに好奇心が伴っていなければ(中略)インターネットは猫の写真を楽しんだり、見知らぬ他人と言い争いをしたりするのに使われるだけになる。」なんて言葉も。猫の写真を眺めて癒されるのは別に悪いこととは思わないが(笑)、SNSでつまらない諍いをしている人をみると正直いって「この人はなんと無駄な時間を使っているのだろうか」とも思えてしまうのもたしかだ。

 以上、幅広い知識と好奇心の重要性を説いているだけあって、取り上げるテーマの幅広さを自らも実践しているかのような本だった。ちょっと焦点がぼやけてしまっているきらいはあるけど、けっして悪い内容ではない。生涯に亘り読書や文章を書くことに親しんだ人は、そうでない人に比べ高齢による認知機能の低下が遅いといった話も書かれていて、本好きの自分にはちょっと嬉しかったりもする(笑)。好奇心旺盛な人はいちど読んでみると良いのではないだろうか。自分のその好奇心がどこからくるのかよく解るから。
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『記憶をあやつる』 井ノ口馨 角川選書

 分子脳科学の専門家が自ら書いた、「記憶」に関する脳研究の解説書。題名や帯の惹句は少し怪しそうな感じがしたのだが、店頭で中身をパラパラと確認して買うのを即決した。そもそも自分が脳科学に興味を持ったのは、本書でも触れられている立花隆著『脳を究める』を読んでからだった。当時は『サル学の現在』や『サイエンス・ナウ』など、様々な分野の研究者に立花氏が最前線の話を伺う本がたくさん出ていて、店頭に並ぶたびに買って読んでいた憶えがある。どれかの本の中で立花氏が「これからは脳研究から目が離せない」という趣旨のことを述べていて、それ以来、脳科学の本に気を留めるようにしているのだ。もちろん専門書まで手は出ないが、最近は一般読者向けの本も増えているので手軽に読めてありがたい。(*)

   *…『進化しすぎた脳』を始めとする池谷裕二氏の一連の本も、最新トピックスを
      わかりやすく噛み砕いて書いてくれるので気に入っている。

 本書も一般のひとに最新の脳研究をわかりやすく紹介しようという趣旨で書かれた本なので、内容は専門的だがとっつきやすい。前半にはこれまでの脳研究の歴史や脳の構造、「記憶」の基本的な仕組みといった基礎知識がまとめられているので、脳科学の本を初めて手に取った人でも解りやすいと思う。
 しかし何といっても本書の白眉は、記憶研究の最前線を解説する第4章からだろう。脳の中にシナプス結合を強化された特定の「セル・アセンブリ/細胞集合体」が生まれ、それにより記憶が保持される―― という仮説が検証されるまでのエピソードや、海馬に蓄えられた短期記憶が大脳皮質の長期記憶へと転送されていく様子など、これまであまり知らなかったことが詳しく述べられている。シナプスにつけられた分子的なタグを使うことで長期記憶を制御して、連動するシナプスのセルを作り出すメカニズムは、これまで全く知らないことだったので大変興味深かった。さらにはそれらの独立した記憶のセルが互いに関連付けられる事で、更に大きな繋がりを持つ連合体になるという一連の流れは、推測や独創的な想起がいかにして可能になるか、もしくは何でもないエピソードがなぜいつまでも強い記憶として残るかについても解き明かしてくれていて、ぞくぞくするほど面白い。
 さらには独立した記憶をあとから人工的につなぐことでマウスに偽の記憶を作り出すことに成功したという実験や、逆に意図しない記憶の連合を絶つことで事故や天災によるPTSDに苦しむ人の治療が出来ないかといったアイデアが語られ、ちょっと高かったが存分に愉しむことが出来た。これからの脳研究はますます目が離せないものになりそうだ。

<追記>
 新書や選書は人文科学や社会科学系の本が多いが、ときどきこういった自然科学系の面白本が混じっているので侮れない。自分のような興味本位の読者にとっては、高い専門書を読むよりももしろ良い本にあたる確率が高かったりすることも。ネットで注文も便利だけれど、こういう本にばったり出会えたりするからこそ本屋巡りはやめられないのだよねえ。

『いちから聞きたい放射線のほんとう』菊池誠/小峰公子/おかざき真里 筑摩書房

 2011年3月11日に起こった東日本大震災。地震により発生した津波によって福島第一原子力発電所はメルトダウンを起こした。もちろん地震や津波による被害は甚大で悲惨なものだったし、今でも復興への営みは続けられているわけだけれど、もうひとつ忘れてならないのが放射能汚染にまつわる福島の人々や農作物に対する風評被害というやつだ。
 震災への対応と経済政策の失敗などによって民主党政権は倒れ、その後の極右的な自民党政権復帰への端緒を開くことになった。周辺国に対するヘイトスピーチや全国各地の原子力発電所を巡る問題などで日本中が今だに揺れているのも、もとは東日本大震災による景気回復への深刻なダメージがきっかけといえるだろう。
 ここで政治的な話題に触れるつもりはないが、以前聞いた言葉に「誰かを差別をするのは簡単、しかし理解しようとすれば学ぶことが必要になる」というのがあった。(うろ覚えなので細かな表現は違っていると思う。)これは社会生活を送る上でのあらゆることに対して当てはまる事ではないだろうか。
 核分裂や核融合のイロハについては数十年前に高校の物理で習ったが、最近の報道で良く出てくる「ベクレル」とか「シーベルト」という言葉の意味は正直よく分かっていない。専門用語が飛び交うニュースを、皆が全て理解できているとも思えない。間違った測定方法による値を鵜呑みにして過剰な反応をする市民団体の話などを聞いたりするたび心が痛む。かといって難しい専門書を繙く気力もない。それでもいつか、ちゃんと説明してくれる本が読みたいものだと思っていたのだが、そんな時、ひょんなことから知ったのがこの本というわけだ。

 前置きが長くなってしまった。本書は副題を「いま知っておきたい22の話」という。表題にひらがなが多く使われているのも、一般の人にひろく手に取ってもらいたいからだろう。
 著者は3人。まず一人目は大阪大学サイバーメディアセンター教授の物理学者・菊池誠氏。この人はとてもユニークな方。まずは長年に亘り活動をしている有名なSFファンという貌をもち、P・K・ディックの『ニックとグリマング』という子供向け長篇作品を翻訳して筑摩書房から出したりもしている。また電子楽器テルミンの奏者としても有名で、現在は音楽ユニットandmo‘の一員として全国でライブ演奏を行うなど、大学の枠にとらわれない様々な分野での活動をされている。
 二人目の著者は同じく音楽の分野からで、ZABADAKというユニットで音楽活動を続けるミュージシャンの小峰公子(こみね・こうこ)氏。彼女は福島県郡山市出身で、今回の原子力発電所の事故で実家が受けた被害や健康への不安、そして福島の人々が各地で受けた差別的な風評被害でつらい思いをされたのだが、その時にネットのチャットで菊池氏に放射線に関する様々なレクチャーを受けた。本書で”対談形式の物理解説書”という非常にユニークな形式が取られているのは、その時のやりとりが元になって出来た本だからだ。
 そんなわけで、三人目の著者であるおかざき真理氏によっておしゃれな漫画やイラストが加わり、放射能の仕組みと生体への影響などを(おそらく)世界一読みやすく解りやすく解説した、世界でも(たぶん)類を見ないユニークな本が生まれたというわけだ。
 この本、出たことはツイッターで知ってずっと探していたのだが、なかなか手に入れることが出来なかった。最終的には菊地氏ご本人のライブ会場で購入するという珍しい経緯で手に入れて読んだのだが、やはり期待通りのとても良い本だった。ベクレルやシーベルトなどの専門的な用語の正しい意味や、身体に対する影響の説明を自分のような素人にも解りやすく解説してくれている。数式も一切でてこない。(科学解説書にしてはかなり思い切ったことをしたものだ。)
 高校生くらいの一般知識があれば充分に分かる内容なので、原発や食品の安全について気になる人はぜひ一度目を通すと良いのではないだろうか。

 少し本書の具体的な中身について触れておこう。
 まずベクレルという言葉。これはまず「そこにある放射性物質の原子が1秒間に何個毀れるかを表す単位」だと説明されている。そしてその後には小峰氏による一般的な視点からの質問と、それに対しての菊池氏による説明が続く。「放射線が出るのは原子核が壊れるときだから、(あるものに含まれる放射性原子の)個数で考えるよりも、壊れる数を表すこの単位の方が便利なんだ」といった具合。とっても解りやすい。
 ちなみに本書の説明によれば、シーベルトという言葉の用法には2種類の意味があるらしい。まずひとつは“等価線量”というもの。これは放射線(α線/β線/γ線の総称)から体が吸収したエネルギー(≒身体への被害をもたらすもの)を、影響度を考慮して等価に換算したものだそう。たとえばα線は他のβ線やγ線の20倍の(内部被ばくに対する)影響があると考えるらしい。(*)

   *…気を付けなければいけないのは、この等価線量は無からず「臓器1キログラム
      あたりに換算して計算する」という点。甲状腺は大人でも20グラムぐらいしか
      ないので、実際の影響度は肝臓など大きさの違う臓器とは違ってくる。

 そしてシーベルトのもうひとつの意味は、個々の臓器への影響の総和によって身体全体への影響を示す“実効線量”というもの。様々な臓器の等価線量を算出して、それぞれの被ばくが身体全体に与える影響度を平均化して見積もったものなのだそうだ。(うーん、端折って書くと分かりにくくなってしまうな。せっかく本書で解りやすく書いてあるのに。やはり詳しくは本書を直接当たってもらった方が良い。)

 昨今テレビは新聞で放射線に関するニュースも多い。しかし報道する側に専門知識が不足しているためか、ニュースの内容に結構間違いや不正確な表現が多かったりする。また馴染みがない言葉だけあって、聞く側もよく理解できず漠然と不安に感じるだけだったり、もしくは誤解することも多いように感じる。
 中には「自然由来の放射線は安全で人工の放射線は危ない」などというデタラメを平気で広める人もいるらしいし。(当然ながら放射線のリスクは自然だろうが人工だろうが関係ない。)今の時代は巷にあふれる玉石混交の情報の中から、正しい知識に基づいて必要な情報を選び出す「情報リテラシー」が求められているというが、まさに今の日本に住む人にとって「放射線のほんとう」についての知識は、各自が充分に理解しておくべき事項なのではないだろうか。

 小峰氏によると本書は「(溢れる情報からの)自立のヒントとなり、少しでもみなさんの生活のお役に立て」てもらうために書かれたものなのだそう。たしかにそうだ。食品や環境における放射線量の測定値とそれが人体に与える影響を正しく理解したうえで、個人個人が自らの基準でリスクを判断して暮らして行けばいい。多少放射線量が高くても人間らしい暮らしを選ぶ人がいて構わないし、それを咎めたり差別したりする権利は誰にもない。(放射線を気にしながら煙草をぷかぷか吸っている人を見ると、特にそう思ったりもする。/苦笑)。
 少し長くなるが、小峰氏の結びの文章を紹介して今回は終わりとしたい。

 「(略)選ぶ道は人それぞれということも改めて認識したいと思うのです。自分自身で学び、考え、選び、生きていくのは少し難しいかもしれない。少し覚悟は必要かもしれないけれど、自分らしい暮らし方を探していく。そして、それぞれが選んだ道をお互いに尊重しあえる、そんな社会になったらいいなと思うのです。」

 うーん、いい言葉だね。

『有性生殖論』 高木由臣 NHKブックス

 副題は“「性」と「死」はなぜ生まれたのか”という。著者はゾウリムシを使った発生学の研究者で、今はもう大学を退官されている人物。これまでの研究で得た知見を基にしてひとつの仮説をたてたそうで、それが本書で紹介された「有性生殖論」というもの。残念ながら現在では自ら実験によって仮説を検証する術はないが、生物進化の仕組みに関して独自の仮説を考えたので、いちどまとめておこうという趣旨で書かれている。いってみれば理論物理学みたいなものだ。

 読んだ印象をぶtっちゃけ書いてしまうなら、実を云うと自分としては著者の仮説には与しかねる。(その理由はおいおい書いていくことに。)ただしゾウリムシを使った発生学の本として本書を読む分には、充分に愉しめた。

 著者の考え方は一般の進化論とは違いちょっと独特。それは何かというと、有性生殖が進化した理由(というか目的)について、「遺伝的多様化」(≒遺伝子プールの多様化による絶滅防止)ではなく「世代交代(若返り)」にあるとしている点。単細胞生物が細胞分裂で数を増やしていくのは良く知られているが、そのように細胞分裂によるクローンをつくることで増殖と同時に「若返り」(すなわち細胞のリフレッシュ)を行うという目的がまずあって、その仕組みの中で生まれてきたのが性別なのだという。以下、少し専門的な話になってしまうがご容赦いただきたい。
 まず生物には遺伝子の仕組みによってバクテリアに代表される原生生物の「一倍体」(=遺伝子をひとつだけで保持しているもの)と、人間など「二倍体」(=同じ遺伝子を一対もっているもの)を持つものがあるそうだ。一倍体は遺伝子の控えが無いため放射線や化学物質その他の外的要因によって、簡単に書き換わり(エラー)が発生してしまう不安定な仕組みではあるが、同時に突然変異によって環境の変化に適用しやすくなるという利点もある。一方の二倍体の場合は遺伝子が一対(二つ)あるので、複製の際に片方でエラーが起こってももう片方でバックアップが可能となり、外的な影響を受けにくく安定しているという利点を持つ。しかしその一方で突然変異が起こりにくいために環境の変化への対応ができにくいという面も持つ。(*)

   *…自分が首肯しかねるのはまずこの点。古澤満著『不均衡進化論』の考え方から
      すれば、二倍体であっても安定であるべき時期と突然変異が必要な時期の切り
      替えは自由に行えるわけで、前提が少し古いのではないかと思う。

 著者の説明によれば、二倍体の遺伝子を持つ生物が細胞分裂(=無性生殖)で増える際、片側の遺伝子で発生したエラー/突然変異はもう片側の遺伝子によってフォローされてしまうため、殆どの場合は表面上に現れてこない「無効の変異」として遺伝プールに蓄積されていくだけになる。一方の一倍体では変異がそのまま個体の変化として発現するので、無性生殖すれば変化したものが増えていく事になる。すなわち環境変化などで従来のままでは不利な場合にも、つぎつぎ変化していけるわけだ。(病原体が変化して、それまで効いていた薬が利かなくなることを想像するとイメージしやすいかな?)
 そこで二倍体は考えた。二倍体がいったん一倍体になってから再びそれぞれの遺伝子が二倍体化する仕組みにすれば、変異した一倍体が二倍体化することになるため、突然変異が起こりやすくなるのではないかと。(**)

  **…ここが納得のいかない第2の点。上記の文ではわざと「二倍体」という遺伝子に
      意志があるかのような書き方をしたが、本書を読んでいるとこのように生物が意
      図して進化をしているようで、どうも気になって仕方がない。「キリンは高い樹の
      葉を食べようとして首が長く進化した」というのはラマルク進化論として有名な
      喩えだが、ラマルクにしても今西錦司にしても進化に何らかの意味(もしくは種と
      してのの意志)を持たせようとしていたきらいがある。本書を読んでいると著者の
      考え方にも同様の雰囲気がして、自分としては「何だかなあ」と感じてしまうの
      だ。

 話がそれたので戻そう。
 二倍体がいったん一倍体になって複製したのち、各々が再び二倍体に戻るだけなら単なる細胞分裂による無性生殖でも用は足りる。事実、原核細胞生物は無性生殖しかしないが、真核細胞生物が生まれてからもしばらくの間は無性生殖が続いたと推察されるらしい。それがある時点から有性生殖に切り替わったのは何故か?それを著者はずっと考え続けてきたというわけだ。(ちなみに有性生殖が生まれた理由は一般的には「ゲノム(=遺伝情報の総体)が大型化した結果、無性生殖で同一性を保ち続けるのが難しくなったから」とされている。)
 先ほども述べたように、著者の考える「答え」にはちょっと引っ掛かりがあるが、そこに至るまでの過程は滅法面白い。本書を読む愉しさはそのあたりにあるといって良いだろう。ちなみに著者がそのような説に思い至ったきっかけは、ゾウリムシのあまりにも自由な生殖方法にあるのだという。自分にとって本書の読みどころは、この説明のためにゾウリムシを始めとする繊毛虫類の生態が詳しく述べられるくだりにあるといっていい。
 本書を読んでまず驚いたのは、繊毛虫類では性別が2つとは限らないということ。たとえばミドリゾウリムシでは4つの接合型(≒性)をもつタイプと8つの接合型のタイプが知られているそうで、それどころかなんと数十もの接合型を持つものもいるらしい。(微生物を研究している人には常識なのかもしれないが、自分は本書で初めて知ったので驚いた。)SFなどでは「もしも性が2つでは無かったら」というアイデアが取り上げられることがあるが、まさかこんな身近にあるとは思わなかった。
 このあたりのくだりが面白いのでもう少し続けよう。ゾウリムシは周囲に充分に餌がある時は無性生殖で分裂を繰り返すが、エサがなくなると突如有性生殖に切り替わるそうだ。その時、例えばⅠ・Ⅱという2つの性をもつゾウリムシであっても、Ⅰ×Ⅱという接合のみをするわけではない。Ⅰ×ⅠもⅡ×Ⅱも同時におこり、全部で3種類の接合対があってなおかつどれも正常に交配が行われるというのだ(このように同じ性同士で結びつく交配のことを「自系接合/セルフィング」と呼ぶらしい)。人間でいえば男×女だけでなく男×男や女×女でも正常に交配が出来るということになる。
 おどろくことはまだある。細胞内の核の変化に眼を向けるともっとすごいことがおこっている。ゾウリムシはなんと自分だけで核分裂をおこして、細胞内で分かれた核が再び融合して新たな世代に変化すること(=「自家生殖/オートガミー」)すら出来てしまうらしいのだ。(分裂して融合すると、遺伝的には何ら変わりがないのみ関わらず、ゾウリムシの固体は次の世代に変化したことになり、寿命もリセットされて若返るとのこと。なんとまあ不思議。)
 ここまでいくと「生殖」と一括りで呼んでしまって良いのかすら分からないが(笑)、何しろゾウリムシの性は信じられないくらい自由ということのようだ。

 本書は寄り道が結構多くて話の流れを追うのがちょっと大変だが(しかしそれが面白かったりもする)、冒頭の「なぜ有性生殖が生まれたのか?」という疑問に関する結論の要点をまとめると、最終的に次のような内容になるだろう。

 ■二倍体となった生物は突然変異の可能性を活かすために「自家生殖/オートガミー」
  で一倍体から二倍体への変化という仕組みを作った。
 ■しかしのべつ幕なしにオートガミーを行うとエネルギーの浪費につながってしまう。
 ■そこで合理的に生殖をおこなうため、「なるべく近場で」「決まった時期に」「自分と異な
   る接合型をもつ同系の個体」との出会いをトリガーにして交配することにした。

 つまり性の起源は、著者によれば「交配に用いる自分の分身の手っ取り早い“代わり”」というわけだ。うーん、身も蓋もない(笑)。これはこれでぶっ飛んでいて面白い仮説ではあるね。(ただし著者が言うように実験室でほんとうに検証できるものなのかは、門外漢である自分にはよく解らないが。)

 最後になるが、本書の中に「有性生殖をする」ということはすなわち「生き物の寿命を決める」ことに他ならない、という話が出てくる。それはなぜかというと、遺伝的に同一の個体の継続には限界があるから。生殖の結果として産まれる新個体は、無性生殖の場合と違って前の個体のままではない、唯一無二の存在であるというわけだ。(***)
 なぜ古今東西の多くの研究者が、(自分の専門でもないのに)進化の仕組みについて自らの説を語りたがるのか以前から不思議だったのだが、本書をよんでなんとなく解った気がする。やはり「進化の仕組み」とは生物関係の研究に携わる人にとっては、尽きせぬ夢のテーマなのかも知れないねえ。

   ***…インディアナ大のソネボーン氏により1954年に発表された論文で、初めて
         指摘された知見とのこと。色々と勉強になった。

『快感回路』 デイヴィッド・J・リンデン 河出文庫

 表題にある快感回路とは、脳科学の本では一般的に“報酬系”と呼ばれているもの。生命の危険に関わる状況になったときに苦痛や不快を感じるのと同様、甘いものを食べたり遊んだりしているときに感じる心地よさを生み出す部分のことだ。言うなれば生物が生まれながらにもっている“飴と鞭”のシステムのうち、飴にあたるものといえる。
 本書は原題を「快のコンパス」という。内側前脳快感回路(側坐核や背側線条体など)にある“報酬系”と呼ばれる部位が快感を感じるメカニズムと、そしてそれらが生み出す「依存症」という負の側面に関して最新の研究成果を紹介したノンフィクションだ。
 取り上げられている快の種類は、薬物/高カロリーの食物/性/ギャンブル/ランナーズハイなど様々。麻薬やギャンブルが脳にもたらす快感と、(人に親切にした時に感じる満足感のように)連合系が関与する高次な快感が、快感の質としては同じものだという話は興味深い。(もしかして善意の押し売りをする人の目が座っているのもそのせいなのかな。/笑)
 本書によれば、快を感じる仕組みは基本的に脳内ホルモンの一種であるドーパミンの受け渡しによるものだそうで、それだけならさほど難しい話じゃない。普段はドーパミン自体の放出を増やす回路とドーパミンの受容を抑制する回路の二つがバランスをとり、様々な刺激に対して報酬(快感)を制御しているのだという。
 自分が特に面白かったのは、快感が実は「感覚的・識別的」な要素と「快感・情動的」なものに分かれるという点。脳への感覚的なインプットと快感の発生は、一対一で直接対応はしていないのだ。だからこそランナーズハイのように苦しさと同時に多幸感を味わったり、あるいはある種の性的嗜好のように痛みが快感に変わったりもする。(*)この仕組みによって、複雑で多様な趣味嗜好が生まれるというわけなのだろう。瞑想や慈善活動と快感(報酬)の関係の考察もあって面白い。

   *…中でもすごいと思ったのは、言葉による抽象的な概念の受け渡しであっても実際
      の体験と同じように快感を呼び起こすことが出来るということ。読書の愉しみなど
      はこのあたりに起因するものなのだろうか。

 ところで冒頭でも触れたように、快感を感じるということは必ずしも良いことばかりとは言えない。報酬系には負の側面である「依存症」というものが存在するわけで、本書でもかなりのページが割かれている。
 依存症の仕組みを簡単にいうと、記憶とほぼ同じメカニズムのようだ。ちょっと難しく云うと「神経系の信号受け渡しの“長期増強”」により「快感回路の増強と固定が行われる」ため―― ということになる。たとえて言えば「人(=信号)が多くとおる道(=神経回路)は踏み固められてより歩きやすくなるし、滅多に人が通らない道はさびれていく」という感じに近いだろうか。したがって一度快感を覚えてしまうと、何度もその快感に浸っているうちに神経回路の増強が行われて脳が変化してしまい、おいそれと止められなくなってしまうわけだ。これは怖ろしい。ちなみにこの仕組みは薬物依存の場合もストレスの場合も同じで、フラッシュバックなんていう現象も、整備された道路に久しぶりに人が通ったら歩きやすかった……みたいなことなのだろう。
 最後の章「快感の未来」で示されるのは、快感を自由に制御して依存症の治療はもちろん、日々の生活にも役立てようというビジョン。これなどはオーストラリアの作家G・イーガンが「しあわせの理由」という短篇に描いた世界に他ならない。悪用されると悪夢の世界になる両刃の剣ではあるが、タバコやギャンブルが止められるのなら喜ぶ人も多いんじゃないだろうか。個人的にはテロや特定集団に対するヘイト・差別の原因になる脳研究もしてもらえると嬉しいなあ。
 秋の夜長にこういったノンフィクションを読むのも悪くないね。面白そうなノンフィクションは他にも幾つか買い溜めてあるから、ぼちぼちと読んでいこう。
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舞狂小鬼

Author:舞狂小鬼
サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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