『コングレス未来学会議』とスタニスワフ・レムの話

 昨日、今池にある名古屋シネマテークへ行ってきた。観たのは『コングレス未来学会議』という、実写とアニメーションを組み合わせた摩訶不思議な映画だ。『戦場でワルツを』で有名なアリ・フォルマン監督が、ポーランドの作家スタニスワフ・レムの『泰平ヨンの未来学会議』という中篇SF小説を映画化したもの。ドイツ/フランス/イギリス/ポーランド/ベルギー/ルクセンブルグ/イスラエルの世界7か国による共同製作なのだそう。原作は宇宙探検家の泰平ヨンという人物が狂言回しで登場する連作の中のひとつで、“未来学会議”という趣旨のよくわからない学会に招待されたヨンが、はるばる出向いたコスタリカの超巨大ホテルで政府軍と革命軍の争いに巻き込まれるという話。前半では至福剤・超歓喜剤・慈悲剤・激昂薬といった数々のドラッグが、水道に混ぜられたり大気中にばらまかれたりした影響で、ヨンは現実とも幻覚とも区別がつかない悪夢の世界を体験する。そして後半では薬剤治療のため冷凍状態におかれたヨンが数十年後に解凍され、さらに発達した“点線状幻覚剤”の登場によって精神化学的ユートピア(?)が実現した未来社会を体験する。レムには珍しいスラップスティックな笑いの前半と黒いユーモアに満ちた後半が対照的な、諧謔と諷刺に満ち溢れる作品だ。
 多種多様な作品があるレムの作品のなかでもこの『泰平ヨン』シリーズというのは一風変わっている。代表作『ソラリス』(別名『ソラリスの陽のもとに』)や『宇宙飛行士ピルクス物語』のように、レムといえばすぐに深い科学知識に基づいたハードなSFを連想する事が多いが、この泰平ヨンのシリーズでは技術や工学的なアプローチよりむしろ、『宇宙創世記ロボットの旅』や『ロボット物語』と同じような、笑いの中に哲学的な探究が展開されるファンタジーといった方がいい。(もっとも著者自身の中ではいずれも「ファンタスチカ」というジャンルで一括りになっているのかもしれないが。)ちなみに『ソラリス』はこれまでに2度映画化されているが『泰平ヨン』の映画化はこれが初めてであり(*)、その意味でも大学時代からのレムファンとしては注目せざるを得ない。

   *…正確には長編映画化と日本公開が初めて。

 この映画、実は前評判がかなりよかった。「原作とは設定やストーリーを変えてあるがレムの思想を忠実に映像化している」とか、「悪夢のような世界をアニメーションで上手く表現している」とか、なかなか気になる情報がちらほらと事前に聞こえていたのだが、如何せん名古屋での公開は東京公開から約一か月遅れ。仕方ないのでせめて前売りを買って、公開初日の朝一番の上映へと駆け付けることにした。雨の降る中、家から1時間ほどかけて20分前に着いたのだが、入口には開場を待つ人の列がすでに10名ほどできている。さすが熱心な映画ファンが通う場所だけのことはある。(それとも今回は熱心なSFファンなのかな?)
 やがて開場時間になり、席について窓口で買ったパンフレットをパラパラと眺めているうち、予告編につづいて2時間余りの本編が始まった。うーむ、たしかにこれはすごい。途中で飽きさせない。レムの原作は作中作としてアニメーション部分で表現され、その外側には女優ロビン・ライトが実名で登場する実写のオリジナルストーリーが配置される。全体として確かに原作と別の物語になってはいるが、見事に換骨奪胎に成功していると思う。原作が持つ“毒”はそのまま生かしながらも、同時に家族の愛や巨大産業の狂気、そしてひとりの女優の生き様といったものが描かれていて、映画としても上手く出来ている。
 気に入っている小説ほど映画化されたときの失望が大きいので、初めて話を聞いたときはちょっと警戒したのだが、それは杞憂に終わった。大変に好かった。以前見た『ムード・インディゴ うたかたの日々』(**)と同じくらい気に入ったぞ。

  **…原作はボリス・ヴィアン『うたかたの日々』(あるいは『日々の泡』)

 というわけで、ここからは少し話が変わる。今回の『コングレス未来学会議』の公開がきっかけになって、集英社からハードカバーで出たきり幻となっていた原作『泰平ヨンの未来学会議』がハヤカワ文庫に収録されたのをはじめ、なぜか今年はレム作品の出版ラッシュになっている。
 ハヤカワ文庫では他にも通巻2000番記念出版として、国書刊行会『レム・コレクション』の第1回配本だった『ソラリス』が装いも新たに刊行されたり、本家の『レム・コレクション』の方でも、8年間滞っていた『短篇ベスト10』の刊行もついに実現し、全巻完結までああと『変身病棟・挑発』の一冊を残すのみとなった。さらにはずっと品切れ状態だった『天の声・枯草熱』も久しぶりに重版されるなど、一部を除いては殆ど手に入らない状態が続いていたレムの傑作が、以前よりも手に入れやすくなったのはファンとして嬉しい限りだ。これが再評価につながって『宇宙創世記ロボットの旅』『捜査』『星からの帰還』といった作品が再刊されると良いのだがなあ。

<追記>
 そういえばここ数年の間に今回のレムと同様に突然の出版ラッシュに驚いた作家が何人かいる。たとえばR・A・ラファティやジーン・ウルフ。あるいはアンナ・カヴァンやレオ・ペルッツといったところ。(いずれもマニアックな名前ですいません。)思えば、一部のファンに熱望されながらも長らく入手困難だった作品群が、突如、比較的短期間に集中して復刊あるいは新訳されるケースが増えている気がする。読みたくても古書価が高騰して手に入れられなかったものが多いので有り難いが、これは一体どういうことなのだろうか。
 昔、夢中になって読んでいた人たちが今度は読者ではなく送り手の立場になったから? それともハードカバーで小部数発行する仕組みに翻訳書ビジネスが変わったから? 色々な理由は考えられるが、どれも今ひとつピンとこない。まあこちらとしては出てくれるだけ嬉しいのだけれど。いずれにせよ、ただでさえ縮小気味と言われている出版業界の中の、更に限られた市場である翻訳小説のジャンルが無くなってしまわないよう、自分としては狂喜しながらも涙を呑んで買い続けるしかないわけだ。(笑)
スポンサーサイト

『ムード・インディゴ うたかたの日々』 2013年(フランス映画)

※映画および原作についてのネタバレを含みますので、これから観ようという方はご注意を。

 大好きなボリス・ヴィアン原作の小説『うたかたの日々』を、『エターナル・サンシャイン』のミシェル・ゴンドリー監督が映画化。公開初日の10月12日にさっそく観に行ってきた。調べたところ愛知県では何と1館しか上映予定がないそうで(*)、つくづく名古屋市に住んでいて良かったと感じた次第。まあ多少遠くても観に行ったとは思うけどね。

   *…名古屋は栄のパルコ東館8階にあるセンチュリーシネマ。名古屋駅に昔あったゴール
     ド劇場のような、ちょっとマニアックな映画ばかりをかけるミニシアターだ。(今回
     初めて行った。)

 正直、原作付きの映画は期待外れに終わりがちなので観ないことが多いのだが、本作は違った。たまたまYOUTUBEで見かけた予告編がかなり良かったのだ。実際に見た結果も予想以上に良くて大満足。ストーリーも変なアレンジが無く原作にほぼ忠実だし、映像も自分が原作に対して持っていたイメージにかなり近い。あっという間の愉しい131分だった。
 ただ如何せん原作を読んだのはかれこれ数十年も前のこと。映画を視た感じでは当時の印象や記憶と大きなずれは無かったのだが、実際のところどうだったのか気になった。そこでさっそく本棚から原作(ボリス・ヴィアン全集3『うたかたの日々』/早川書房刊)をひっぱりだして再読してみた。前置きが長くなってしまったが、以下は原作本との比較を交えた『ムード・インディゴ うたかたの日々』の感想について。

 物語を知らない人のためにまずは簡単なストーリー紹介を。
 物語の舞台は1947年のパリ。ただしヴィアンの想像によって生み出された虚構のパリだ。主人公はコランという若者で、彼は定職にもつかず(おそらく遺産か何かで引き継いだ)莫大な財産を食いつぶしながら贅沢に暮らしている。コランはあるパーティで知り合った魅力的な娘クロエと一生一度の熱烈な恋におちる。やがて盛大な結婚式を挙げたふたりだが、しかし幸せは長く続かなかった。クロエは肺に睡蓮の花が咲く奇病に罹ることに。日に日に衰えていく彼女のため、高額な治療費を使って懸命な治療を続けるコランだが、その甲斐もなく彼女は帰らぬ人に。そして彼女も財産もすべてを失ったコランは...。 とまあ、こんな話。作家のレイモン・クノーが「現代の恋愛小説中もっとも悲痛な作品である」と評したという話もある、儚い愛を描いた作品だ。
 予告編で流れていたのは映画の前半部分にあたる部分が中心。2人が出会い恋におち、そして結婚式を挙げるまでの夢のような日々を、いかにもヴィアンらしいキッチュでシュールな雰囲気そのままにうまく映像化していた。後半は病に倒れ衰弱していくクロエと、莫大な治療費のせいで没落していくコランの心象がインディゴ・ブルーの画面で表現され、そして最後にはモノクロへと変わっていく様子が見事。パステルカラーが基調の前半と、良い対称になっていたと思う。

 気になっていた小説との違いについても、細かなところを除いては殆どない。あちこちに出てくる不思議な「小道具」(**)もかなり原作にそのまま登場していた。感心したのはそれらの小道具の映像表現の仕方。わざとぎこちないコマ撮りにして、原作が持つ“安ピカ”(by荒俣宏)で不気味な感じを見事に表していたと思う。ゴンドリー監督は物語には手を入れない代わりに、映像の部分で原作のイメージを大きくふくらませる(超える?)大胆な解釈を施すことにしたのだろう。そしてそれは見事に成功していると思う。

  **…演奏に合わせてカクテルを調合する「カクテルピアノ」や、テコの原理で心臓をくり
     抜いてしまう殺人兵器「心臓抜き」といった機械の他、水道管から出てくる鰻やパー
     ティで踊られる奇妙なダンスのように、物語とは直接関係のないシュールな描写が
     多いのが本書の特徴。(1947年当時に圧倒的な人気を誇った哲学者サルトルを模し
     たジャン・ソル・パルトルという人物も、重要な役だがヘンテコ顔で登場する。)
     これらは著者の『北京の秋』や『心臓抜き』といった幻想系の小説群に共通する一種
     独特の“味”を作り出していると言えるだろう。

 音楽にはヴィアンと交流があったJAZZプレイヤー、デューク・エリントンの名演奏の数々を使用。白黒のレトロな映像は、幻の1947年のムードを効果的に表している。(まあそういった演出上の理由とは関係なく、デュークの音楽自体が素晴らしいんだけどね。)
 次に原作と大きく違っていたところを、3つほど取り上げて書いてみよう。おそらくそこがゴンドリー監督による『うたかたの日々』解釈の意思表明であり、映画『ムード・インディゴ』のスタンスを象徴しているのではないかと思うから。
 まず最初はコランの家のキッチンに飼われているハツカネズミについて。原作では(ときおり妙に人間臭いところもあるにせよ)あくまでネズミという生き物の範疇を超えてはいなかった。しかし映画では驚くことに、芸人の爆笑問題がむかし着ぐるみで扮していた「爆チュー問題」そっくりの不気味なキャラに変身。これは「演出の延長」といえば言えなくもないけど、ひとつ間違えるとすべてをぶち壊しにしかねない、かなり踏み込んだ解釈でもあると思う。(このような方法をとった理由については、小説と映画におけるラストシーンの違いに現れているのではないかと思うが、詳しくは後で。)
 次は金に困ったコランがカクテルピアノを処分するため古道具屋に見積もらせているシーン。映画では古道具屋が演奏するピアノ曲(曲名は分からないが、原作通りならデューク・エリントンの〈放浪者のブルース〉)を聴きながらコランが流す涙が感動的。きっと幸せだった頃の二人と今の二人を重ね合わせたのだろう、とても美しいシーンだ。それに対して小説版のコランは愉しかった頃を思い出して「魂が浄化され」、ただ喜んでいるだけ。原作は徹底的にドライなのだ。
 最後の大きな違いは、クロエが死んでしまってコランが抜け殻のようになってしまってから。原作のラストでは絶望したハツカネズミが、猫に食べられる事で自殺しようとするシーンで終わるという徹底した救いの無さ。しかし映画ではここが決定的に違う。映画では、爆チュー問題風(笑)のハツカネズミは、(クロエが生前ずっと描き続けていた)幸せなふたりの様子を描いたパラパラ漫画の束を、崩れ去る邸宅跡から救いだす。そしてそれを抱えていずこへともなく去っていくのだ。これは普通のハツカネズミを使った撮影では無理だよなあ。
 アンチロマン小説を代表する作家ロブ=グリエと並び評される事もあるヴィアンだが、人間不在であくまでドライな世界観を持つ彼の原作に対し、ゴンドリーはもう少し人間的で救いのある作品にしたかったようだ。その結果、映画が終わったあとも幸せそうな二人の様子が目に残り、沈鬱なラストにも関わらず印象は決して悪くは無い。(『未来世紀ブラジル』も同様に救いの無い話だが、かなり自分の持つ印象は違っている。)
 以上、終わり方は小説とは違うが、これはこれで「あり」だなあと感じた次第。

<追記>
 今回、初日の朝一番の上映に行ったのだが、いくら小さな劇場とはいえ客が15名ほどしか来ていなかった。劇場の経営云々は別にして本作の上映だけに限っても、この調子では長く上映されるとは思えないなあ。好い映画だからもっと大勢の人に観てもらいたいもの。少なくとも愛知近郊の方で興味のある方は、なるべく早めに行った方が良いと思うよ。
 それから、原作はハヤカワepi文庫版(伊東守男訳)の他、光文社古典新訳文庫や新潮文庫からもでている。(新潮版の題名は『日々の泡』)もしも原作に興味を持った方がいれば蛇足ながらご参考まで。

<追記2>
 物語の本筋とは直接関係はないのだが、登場人物について書き忘れていたことがあった。コランの家に勤める料理人のニコラと、彼の姪のアリーズという人物が大事な役で登場するのだが、彼らが原作では白人なのに対して映画では黒人になっているのだ。(小説で白人なのは、何度も描写を読み返したからたぶん間違いないと思う。)これにどんな意味が込められているのかは分からないけれど、ヴィアンは問題作『墓に唾をかけろ』で人種差別からくる白人への呪詛によって犯罪を犯す黒人を描いてもいるし、なんだか意味深な気がする。

『ベン・ハー』 1959年(アメリカ映画)

 ここまで「午前十時の映画祭」で『パピヨン』『大脱走』『ゴッドファーザー』と順調に見てきて、いよいよ今回は『ベン・ハー』である。往年の名画を大スクリーンで見るという悦楽は、結構病みつきになっている。幸いにして好評だったので来年も続けられるらしく、是非とも『ブラザー・サン シスター・ムーン』や『ロビンとマリアン』『汚れなき悪戯』などの名画も取り上げてもらいたいものだ。

 ところで、この催しがなぜ気に入っているかと言うと、フィルムが公開当時のスタイルのままに上映されるという点。(ニュープリントだからもちろん画面は明るくて見やすいが。)今回の『ベン・ハー』ではその愉しさを特に強く味わうことができた。上映が始まるといきなり真っ黒な銀幕に「序曲」という二文字だけが映し出され、あの有名なフレーズの曲が延々6分間にわたってフル演奏される。下には1分ごとに「あと○○分で始まります」というテロップが時々でるが、それ以外はただひたすら黒いスクリーンを眺めて音楽鑑賞しているだけ。でもそれが逆に新鮮でいいんだなあ。(笑)
 本篇が全部で3時間32分にもなる超大作なのだが、『ゴッドファーザー』の時と同じで、観ていても座り疲れもまったく感じない面白さ。しかしトイレだけは行きたいなあと思っていたら、2時間ほど過ぎたところで何とスクリーンに「休憩」の文字が。その後は「間奏」という文字が映って再びテーマ曲が流れ、10分間のトイレ休憩になった。休憩時間までちゃんと映画本編に組み込まれているあたりは、公開当時の雰囲気まで何となく想像できて思わず顔が綻んだ。この体験は家では味わえない愉しさだ。(中学生のころにテレビのロードショーで見たのだが、実際の上映がこんな風とだとは思いもしなかった。どうやら冒頭と休憩と終わりの黒スクリーンに音楽が流れるのは、当時の映画では一般的だったらしい。)
 
 折角なので中身にもちょっと触れておこう。
 名匠ウィリアム・ワイラーが監督して1959年に制作された映画で、主演のチャールトン・ヘストンは本作で一躍大スターの仲間入りを果たした。アカデミー賞歴代最多の11部門受賞という記録はその後も破られてはいない。(『タイタニック』と『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』でもタイ記録)
 原作はアメリカの作家ルー・ウォーレスが1880年に発表したベストセラー小説であり、ローマ帝政時代のエルサレムの人々がみんな英語を喋っているというのも思えば変な光景だが、元が荒唐無稽なエンタメ小説なのでいちいち目くじらたてる必要はないだろう。
 物語はみなさん良くご存じの内容だろうが、エルサレムに住むユダヤ王族のジュダ=ベン・ハーが、(幼馴染みである)ローマ人司令官・メッサーラの陥穽によって家も名誉も奪われて奴隷にされた後、数奇な運命によって復活を遂げ復讐を果たすというもの。中学生の時に見た記憶では、イエス・キリストの奇跡によりベン・ハーたちが救われるというラストに対して、実はあまりにも唐突という印象をもっていた。
 今回大人になって初めて見返したわけだが、おかげで長年の疑問が氷解した。いやー、観てよかった。なぜなら、タイトルバックにいきなり現れる副題が「キリストの物語」なんだもの。あくまでもキリストの誕生から処刑までが映画の主題だったのだ。ベン・ハーの数奇な運命を巡る物語は、娯楽映画として成立させる上でのエンタテイメントの部分を担っているだけと言う訳。(多分こんなことは映画ファンには当たり前のことと思う。往年の名画に再入門している素人の感想と思ってご勘弁いただきたい。)

 そう思ってみていると冒頭から「ヒント」はごろごろ転がっていた。ローマ帝国によってエルサレムに強制帰還される民衆のなかにヨゼフとマリアの夫婦がいるシーンとか、馬小屋でイエスが生まれたときにベツレヘムの星が三博士を導くシーンとか、キリスト教文化圏の人ならだれでも常識として知っているシーンが目白押し。途中でも「山上の垂訓」だとか「大工の息子のラビ」だとか、ラストに向けての布石は随所に挟み込まれている。単に中学生の自分が無知なだけだったのだろう。(^_^;)
 はからずも先日読んだ『新訳聖書Ⅰ』がこの映画を見る上での予習になっており、細部まで聖書の記述通りの設定がなされていることなど、余さず理解することができたのはとても幸いだった。
 例えばイエスがゴルゴダの丘に連れて行かれるときのシーンでは、十字架を背負えないほど身体が弱った彼の代わりに、ローマ兵士がたまたまそこにいたキレネ人に十字架をもたせるシーンなど、何でもない描写まで全て聖書のエピソードの通りなのが判り、おかげでより愉しむことができた。

 改めて感心したのは演出のうまさ。本作にとってもっとも大切なキリスト登場のシーンも、あくまで主人公のベン・ハーの眼を通して語られるだけであり、遠景か後ろ姿でしか登場しない。露出をすごく抑えることで、逆にイエスの崇高性と神秘性を高めることに成功している。こんなにスマートな形でしかも面白い宗教映画をつくるなんて、アチラの映画人はセンスあるなあ。仏教で言えば(立場はまるっきり正反対になるが、)ダイバダッタを主人公にして映画をとったような感じか。宗教エンタメの出来としては、対抗できるのは手塚治虫の『ブッダ』くらいしかないかも?

 もちろん競技場での競馬レースなど、映画史に残るスペクタクルシーンも大変に素晴らしい。(ガレー船による海戦のシーンはさすがに模型っぽさが否めないが、船内の様子や甲板での戦闘シーンなどは迫力満点。)
 こんな映画は今では絶対に作れないだろうな。CGを駆使すればもっとリアルな映像は幾らでも撮れるだろうが、巨大なセットと多くのエキストラを動員した「ホンモノ」の迫力や、ここまで開けっ広げな愛と平和と人間賛歌は、今の時代では絶対にむり。良いところも悪いところも全てひっくるめて、古き良きハリウッド映画のお手本のような作品だな、これは。
 やっぱり古典と呼ばれるものは(大人になってからでもいいから)一度目を通しておくべき ―― そんなことを考えながら映画館から帰ってきたのだった。

<追記>
 この文章を書いてから、来年の「午前十時の映画祭」の上映リストが公開になった。『ブラザー・サン シスター・ムーン』や『ロビンとマリアン』はダメだったが、どうやら『汚れなき悪戯』は公開されるらしい! これは見に行かなくては。(他にも『ダーティハリー』や『フレンチ・コネクション』『荒野の七人』『M★A★S★H』など、大スクリーンでもう一度観たいものが沢山。少なくとも来年までは、今年と同様に愉しめそうだ。)

『パピヨン』 1973年 アメリカ映画

 TOHOシネマズ系の映画館で「午前十時の映画祭」という催しが行われている。往年の名画をニュープリントして週替わりで50本上映するというもので、しかもたったの1,000円。今ではテレビのロードショー番組でも全く放映されなくなってしまった作品たちを、映画館の大スクリーンで再び見られるというのは、かつての映画ファンにとっては垂涎・感涙モノの企画。ラインナップに興味のある方は是非ネットで調べてもらいたいが、参考に自分が見たいと思っている作品の名前を挙げておくので(*)、それを見ればどんなラインナップなのか雰囲気は分かってもらえると思う。DVDを借りてきて家で見るのもいいけど、広い椅子でポップコーンでも食べながら大スクリーン&大音量で見るのもまた格別。

   *…『大脱走』『ゴッドファーザー』『ベン・ハー』『アラビアのロレンス』など

 前置きが長くなってしまったが、今回見てきたのは『パピヨン』。スティーブ・マックィーン主演で共演のダスティン・ホフマンが良い味を出している。古い映画なので、知らない人の為に念のためにストーリーを紹介しておこう。マックィーンが扮するのは、殺人という無実の罪で投獄されたパピヨンという男。胸に蝶(=フランス語で“パピヨン”)の刺青をしているのでそう呼ばれている。身に覚えのない汚名を着せられたパピヨンは、生きて帰るものが殆ど居ないという仏領ギアナにある刑務所からの脱獄に執念を燃やす。独房へ収監されたり何度も生死の境目をさまよう体験をしたのち、遂に数十年後、「悪魔の島」とよばれた最後の流刑地からの脱獄を果たすという話。驚くべきは実話をもとにした映画だということ。仏領ギアナは南米大陸の北東部に位置しており、20世紀半ばまで政治犯を中心とした囚人が数多く送られたらしい。(このあたりはWikiからの受け売り/笑)

 昔はこういう映画をテレビの「○○ロードショー」や「□□洋画劇場」で毎週のようにやっていたのだから、考えてみるとすごい事だ。今は夏休みになると『となりのトトロ』が毎年放映されてるけど、それと同じようにして小学生が『パピヨン』なんぞを見ていた訳だから、ませたガキ(いや、恵まれた子供時代)だったんだなあ。(笑) 
 今回は改めて大人の目で見直した訳だが、記憶違いではなくてやっぱり面白かった。マックィーン主演だからもちろんアクションやハラハラするシーンもあるが、基本的にはカタルシスが得られる映画じゃない。(昔はたしか「不当な抑圧からの自由」とか「生きることへの執念」とか、体制批判の文脈で語られていたような気がする。)また、物語と関係なく突然にシュールな夢のシーンが挿入される演出は、今見るとさすがに時代を感じさせるが、懐かしい感じがかえって新鮮に映る。
 ちょっと得した気分になれたのは、子供の時には意味が分からなかったシーンが理解できたこと。例えばパピヨンが助けられたインディオの村がある日、彼ひとり残して突然無人になってしまうシーンがあるが、おそらく集落を定期的に移動させているからだろう。他にも修道院のシスターがパピヨンを当局に密告するシーンだとか、当時は分からなかった「大人の事情」が分かって納得。

 ひとつだけちょっと嫌だったのは、一緒にスクリーンを見ていたのが、いかにも映画好きの中年オジサン/オバサンばかりだったこと。(笑) 人数は30~40人くらい居たけど、きっと自分もあの人達に馴染んで見えたんだろうなあ。(笑)

『アバター』 監督:ジェイムズ・キャメロン

 **注意!!ネタバレしてます これから見る人はそのつもりで!!**

 良かれ悪しかれ典型的なハリウッド映画の筋運びと、それに馴染まない過剰な情報の盛り込みと、2つの面が複雑に絡み合って好悪入り混じっているので総合評価はパス。好いところだけ見ると、まずは色々な深読みができて楽しめるところか。
1)生物学的なネタ
 ひとつの惑星の生態系をそれなりにリアリティがある形に作りこんだこと。
 おそらく最初は単純に「ネット社会という人工的な仕組みが、もしも自然進化で発生していたら?」というあたりの発想だったと思うが、それをよく練りこんで、単なる「設定」に終わらせないでストーリーに有機的に絡めたのは感心。共通の祖先から発達した生物同士で、直接に生体ソケットをつないで電気信号により意思を伝達できるのがスゴイ。(種が異なるほどに違う生き物間でもいわゆる“OS”が共通!というところにリアリティを感じられるかどうかがひとつの境目だが...。それともラブロックの「ガイア仮説」をイメージしているんだろうか?)
2)人類学的なネタ
 そのような生態系で暮らす“人類(高等生物)”はどんな生命感・文化をもつようになるか?という観点で、アイデアを膨らませている。そこで持ってきたアイデアは、「一神教」「科学万能主義」「植民地主義」「パワーポリティクス」といった西洋的価値観に対して「多神教(というよりシャーマニズム的な自然宗教)」「自然共生(エコロジー)思想」「自覚的な原始社会(=レヴィ・ストロースのいう“冷たい社会”)」といった第三世界的な価値観をぶつけるというもの。他にも「異人/まれびと(by折口信人)としての英雄」「葬送儀礼」「成人儀礼」など、文化人類学や民俗学、神話学などから拝借してきたアイデアが満載。惑星の名前が“パンドラ”と名づけられているのも、ラスト主人公たちが満身創痍になって最後に残るのが“希望”という風にもとれるし、他にも色々と意味深な名前で面白い。
3)哲学的なネタ
 足が不自由な主人公が、アバターとコンタクトしている時には一般人よりもかえって格段に身体能力を高めることができ、通常に戻った時との対比によって「身体と意識」というまるでメルロ=ポンティみたいな問題意識を提示してくれる。
 などなど、まだよく考えると他にも出てきそう。
 もちろんハリウッド映画としての娯楽においては、惑星の「原住民」であるナビ達を排除しようとする人類とナビ達との戦いや、映画『エイリアン』(一作目)から一種のお約束になった感がある“巨大ロボットとの一騎打ち”など、盛りだくさんのアクションシーン満載で充分に楽しめる。
 逆に悪い(感心しない)点としては、例えば次のようなご都合主義的な部分が目につくところ。
1.異なる惑星生物と地球人類との間でDNAを混交できること。
2.好意や嫌悪感を示す際の表情や身振り、ボディーランゲージの類があまりに人類と同じであること。
  (この点では、まだ『E.T.』の方が極力無表情に徹した分、不自然さが感じられなかった。)
3.文明が悪で未開社会は無垢(善)というあまりに単純な善悪二元論。
4.あれだけ様々な問題提起をしながら、最後に「悪い人類を追い出しました、目出度し目出度し」で唐突に終わってしまう。
 ホームツリーや家族などかけがえのないものが多く失われた残されたもの達の心の再生や、その後の地球との政治的決着など問題はまだ山積みのはず。(アーシュラ・K・ル=グィンならここまでがプロローグで本当の物語はこれから始まるくらいかも?) あれで終わってしまうというのは、途中楽しめただけに如何なものか。部族の長や戦士など後でもめそうな人物が全て死んでいなくなってしまうのも、ご都合主義的でちょっと。
 でも逆に考えると、ハリウッドビジネスの制約の中で、娯楽大作として成功しながら更にこれだけの内容を入れ込んだというのは、やっぱりキャメロンはスゴイ監督なのだろうね。
最新記事
カテゴリ
プロフィール

舞狂小鬼

Author:舞狂小鬼
サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

最新トラックバック
FC2カウンター
最新コメント
リンク
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR