第6回名古屋SF読書会レポート

  ※遅くなってしまい申し訳ありませんが、さる7月30日(土)に開催された読書会について
    レポートをまとめました。バリントン・J・ベイリー『カエアンの聖衣』の内容に触れ
    ていますので、未読の方はご注意ください。

 名古屋SF読書会も早や第6回を数えるまでになった。今回の課題本はアニメ『キルラキル』の元ネタになったとして、アニメ放映時に話題になったバリントン・J・ベイリーの『カエアンの聖衣』。刊行当時は「ワイドスクリーン・バロック」と呼ばれる一群の小説の代表作として一部マニアの間で話題になったが、その後、絶版となって長らく入手困難となっていたものだ。このたび目出度く大森望氏の新訳で復刊が叶ったのを記念して、課題本に選ばれた。かなり癖のある作品だけに、SFを読み慣れていない人も多く参加するこの読書会でどのような意見が出るか、興味深くもちょっと怖くもある。(笑)
 ツイッターやフェイスブックで告知をしたところ、申し込みの出足は早かったが、ある程度のところでぴたっと止まってしまった。うーむ、やはり古典的な有名作と違ってファンの食いつきはいいが広く興味をそそるものではないのか?面白いのになあ......。(しかし最終的にはスタッフも入れて30名弱となり、丁度しゃべりやすいくらいの人数になったので、このような作品には却って良かったかも知れない。)

 読書会の前半はいつものように3つのテーブルに分かれ、ホワイトボードに書きながらのグループ協議。そして休憩を挟んだ後半は、ホワイトボードをずらりと前に並べて全員で各グループの意見の確認と質疑応答を行うという、いつものパターンで進めた。
 前半の部は自分の班は9名。まずは各自が順番に感想を述べ合い、その後、疑問点や意見を交わすのだが、旧版刊行当時に読んだというSFファンの人と、今回新訳で初めて読んだという人が入り混じるのでなかなか面白い。さらには翻訳家の中村融氏が加わっていただけたので、「ワードスクリーン・バロック(*)」が日本に紹介された時のエピソードや、ベイリーについてとても興味深い話が聞けたのは良かった。
 なにしろベイリーは奇想天外なアイデアがウリの作家。本書もまともな人物が出てこないアクの強い作品なので初読の人にどのように受け入れられるか不安だったのだが、その点は杞憂だった。自分の班では初読・再読関係なく概ね好評で、「まともな登場人物が出てこない(笑)」と言われつつ、みなさん結構愉しんでいただけたようだ。

   *…SF作家のブライアン・W・オールディスが著書『十億年の宴』で、ある種の
      SF作品に対して名付けた名称。彼はアルフレッド・ベスターの『虎よ、虎よ
      !』について「絢爛豪華な風景と、劇的場面と、可能性からの飛躍に満ち
      た、自由奔放な宇宙冒険物」(P284)と呼んだ。同じような傾向の作品を書く
      作家として、他にはA・E・ヴァン・ヴォークトや、チャールズ・L・ハーネス、
      クリス・ボイスなどがいる。

 グループの中で出た意見で印象的だったのは、人物の描き方が表面的だという指摘。これはベイリー作品の本質にも関わるところだと思う。突拍子もない奇想天外なアイデアを惜しげもなく大量に投入して読者を煙に巻く、あるいは異様な宇宙やいびつな社会を描いて気味悪くも蠱惑的な世界に読者を招待する、そんなところが魅力であるワイドスクリーン・バロックは、その反面、キャラクターが物語を進める上での道具でしかなく、いわゆる「文学的な深み」に欠けるという弱点を持つ。代表格であるベイリーはまさにそういった形容がぴったりくる作家ではないだろうか。(注:これはもちろんベイリーがSF作家として優れていないということではない。)
 ちなみに中村融氏からは「ベイリーは小説がへた」という身も蓋もないご意見を頂戴した。(笑)本書にはリアルド・マストを始めとする3人組のギャングが登場するのだが、この3人の書き分けが出来ておらず区別がつかないという話から、旧訳の翻訳を担当した冬川亘氏はひとりの人物を関西弁にするという荒業に出たというエピソードまでご紹介いただき、みな驚く。なるほど、旧作では主人公の服飾家ペデル・フォバースが自分のことを「あたし」と呼ぶなど優男(?)ぶりが目立っていたように思えたのだが、それも訳者の工夫だったわけか。
 皆がこぞって褒めていたのは、インフラサウンドを武器に戦う生物や蠅の惑星の異様な生物たち、ヤクーサ・ボンズとソヴィア人、カエアン人たちの異質な世界、そして何と言ってもフラショナルスーツに秘められたおそるべき力と隠された秘密など、次から次へと投入される豪華絢爛なアイデアの数々だ。すごいアイデアに圧倒されながら続きを読んでいくとそれっきり出てこなくて、「これで終わりかよ!」の繰り返しだったという方もいたが、本書では最終的には設定がきちんと辻褄を合せた形で収束しているのも、(ベイリーには珍しく/笑)小説としての完成度が高くて好印象だったようだ。
 最初に旧訳版に読んだときには蠅の惑星やヤクーサ・ボンズの印象が強烈に残っていたのだが、今回再読してみて、それらのパートの分量が記憶よりもはるかに少なかったことが意外だった。逆に言えばそれほど強く記憶に残ったということであり、初読の人はあれをどのように感じたのか訊いてみれば良かったのだが、つい聞きそびれてしまった。学生時代は仲間内でかなり話題になったのだが。(他に印象に残ったシーンとしては、惑星プロッシムに“フラショナルスーツの花”が咲くところを挙げておられる方が何人かいた。)
 なお、なぜ本書に日本人(の末裔)が出てくるのか?という疑問に対しては、ヤクーサ・ボンズが裸であることから当時イギリスで人気のあったスモウレスラーと歴史上の僧兵のイメージを重ねたのではないかという意見があったことを付け加えておきたい。これも中村氏の情報によれば、当時のイギリスでは日本ブームがあったということらしい。

 ひととおりの感想が出尽くしたところで、中村氏から参加者への特別サービスの話題提供があった。日本においてワイドスクリーン・バロックがどのように紹介されてきたかについて、1978年刊の「SF兵器カタログ」というムックまで遡って繙いていくというもので、知らなかったことが次々出てきてとても面白い。(**)

  **…中村融氏には他にも「ベイリーは自分がダメ人間なので作品にもダメ人間をよく
       登場させる。結果的にアンチヒーローを描くことになる」とか「ベイリーは蟹が
       好きだが、それは“硬いものの中に柔らかいものが詰まっている”というセルフ
       イメージから」といった、とても面白い話を聞かせていただけた。

 休憩が終わってからはホワイトボードを前にして、各グループからの報告と全員による質疑応答の時間。「少年JUMPの漫画みたい」とか「“服”は自然に反して人間が作り出した“価値”を体現するものであり、ひとつの文化を背負うものである」、あるいは「服を着るカエアン人と服に着られるザイオード人」などといったなかなか示唆に富んだ指摘が出たが、総じていうとやはり「ヘンテコで面白い話だなあ」という感じだったのではないだろうか。
 自分としては、大好きな作家の大好きな作品がdisられることなく好評を博したので正直ホッとした。(笑)『キルラキル』効果なのだろうか、どうやら本書の売れ行きが良かったのか11月には新しい短篇集『ゴッド・ガン』が出るらしいし、ベイリーファンとしては喜ばしい限りだ。

<追記>
 次回、第7回の名古屋SFシンポジウムも予定が決まった。期日は11月23日(水・祝)で、課題本はスタニスワフ・レムの名作『ソラリス』(ハヤカワ文庫)。ロシア語版からの重訳で一部が省略されている『ソラリスの陽のもとに』ではなく、ポーランド語版からの原典訳版なので、これまで読んだことのある人もまた違う印象を持つのではないかと、参加者の皆さんの感想をお聞きするのが今から楽しみで仕方ない。
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第5回名古屋SF読書会レポート

 ※R・A・ハインライン『宇宙の戦士』の内容に触れています。未読の方はご注意ください。

 さる黄金週間初日の4月29日に、第5回となる名古屋SF読書会が開かれた。第4回(G・イーガン『ゼンデギ』)は都合により欠席だったので、SF関係の読書会は昨年の温泉読書会からおよそ6か月ぶり。名古屋SF読書会に限って言えば昨年の7月26日以来なんと9か月ぶりだ。(*)
 今回の課題本は“御三家”のひとりロバート・A・ハインラインの問題作『宇宙の戦士』。内田昌之氏による新訳版が昨年出たこともあり、「新訳しばり」でやってみようということになったのだ。中高生のころに矢野徹訳による旧版は読んだことがあって、その後、色々と思うところがありハインラインは読まなくなっていた。なので、自分がこの著者の本を読むのはおそらく35年以上ぶりとなるはず。今読むと印象がどのように変わるのか興味は尽きない。

   *…その間に少人数でのディック『ヴァリス』読書会や翻訳ミステリー読書会
      (ギルバース『ゲルマニア』)などには参加しているので、読書会自体は
      そこそこ出席している。すっかり生活の一部になってしまったようだ。(笑)

 今回の場所はいつのもように名古屋駅前の貸会議室。スタッフもいれて30名弱のメンバーなので、3つの班に分ける。前半はそれぞれのテーブルでホワイトボードに記録を取りながら個別の協議を行い、休憩を挟んで後半は一列に並べたボードを前にして全員で意見交換を行う方式。(このやり方は翻訳ミステリー読書会で教えていただいたのだが、本当にスグレモノだと思う。大人数での読書会にぴったりだ。)
 ちなみに司会役の人の頭文字をとってW班/N班/H班と呼んでいる3つの班は、SFを結構読み込んでいる人や読書会自体の参加が初めての人など、様々なタイプの人にあわせてある程度色分けをしてある。しかし回を重ねることで常連さんも増えてきたことだし、そろそろ混ぜても良い頃合いかもしれない。今回はそれも考えてすこしシャッフルしてみたが、そう大きな問題は無かったように思う。というわけで、前置きはこれぐらいにして早速内容について。

 まず読書会の開始にあたっては、今回もご参加いただいた翻訳家の中村融さんから新訳版の翻訳をされた内田昌之氏のブログ記事(「内田昌之翻訳部屋」2015年10月28日付け)の御紹介を頂いたので、読書会世話人のW氏によりそのページの朗読がなされた。
 異星人との戦争のために軍隊に入隊した若者の姿を描くこの小説は1959年に本国アメリカ、1967年には日本で出版された当時から、「右寄り(に見える)主張」に対して議論が起きた。しかし内田氏によれば「同時期にあの『異星の客』が書かれていたことを考えれば、ハインライン自身がこの作品で単純に右とか左とかの主張を繰り広げているとは思えません」とのこと。むしろ「一般的なイメージとは裏腹に、作者のバランス感覚がよくつたわってくる作品」ともおっしゃっておられる。「もちろん、作品の解釈は人それぞれで、これが正解というのはありません」ともあり、まさに読書会向きの本といえることを再認識した次第だ。ただし念のために冒頭で「参加者の方の政治信条ではなく、あくまでも本書の小説としての出来に対して意見を述べていただきたい」という話をさせていただいた。こういう本を取り上げるとけっこう面倒くさいのだ。(笑)
 というわけでいよいよ各班での意見交換開始。自分のいるH班は全部で9名で、読書会はおろかSF小説自体を読むのが初めての方から、専門誌で書評を書いている人まで様々な人がいる。まずは順番に自己紹介と感想を述べていく。中学から高校の頃に読んだという人が4人、今回初めてという人が5人いたが、一生懸命みんな褒めるところを探している感じが面白い。後の意見交換のときに出た話もまとめると、「ズィム軍曹が再登場するシーンで初めに名前を言わないところとか、物語としての演出が上手い」「パワードスーツがとにかく格好いい」「若者の出世物語として面白い」といったあたりは評価されていたようだ。自分も『のらくろ』や『島耕作』のようなイメージを持っていたので納得だった。世間知らずの若者が様々な苦労の末に社会で認められるようになっていくというのは、小説としてひとつの王道ではあるのだろう。好き嫌いは別にして訓練の様子や戦闘シーンに臨場感があった(作者の実体験の賜物?)という点も、皆さん一致して評価されていたようだ。
 さて一方、欠点については皆さん手厳しい。(自分もだが。/笑)まず拒否反応があったのは、新兵の訓練キャンプの指導教官であるズィム軍曹や主人公ジュアン(ジョニー)・リコのハイスクール時代の恩師であるデュボア元中佐の言葉を借りて述べられる、著者(のものであると思われる)思想の数々だ。旧版でも巻末の訳者解説でその手の話がたくさん書かれていて、否応なしに自らの政治信条を試される気分になったのを思い出した。結局のところ本書で書かれているのは「(アメリカにおける)一人前の男」を最上とする世界観であって、それを判りやすく象徴しているのが機動歩兵という陸軍部隊であるという意見には納得がいった。
 次に意見として多かったのは戦闘シーンが殆どなくてやたらそれ以外のシーンが多いということ。ただしこの点については必ずしも悪い評価ばかりではなく、小説としてバランスがとれていて読みやすいという意見が(主に本書を初めて読んだ方から)出ていた。さきほどの『のらくろ』と同様、あとで全員での意見交換をしたときには映画『愛と青春の旅立ち』が出ていたのも同じ理由だろう。なおパワードスーツを用いた「未来の戦争」という点については、その後の『機動戦士ガンダム』をはじめとするアニメの影響もあって、さほど拒否反応なく受け止められていたようだ。
 先にも書いたように日本においては1967年に出版されたため、当時、次第に泥沼化の様相を呈していたベトナム戦争との関連で感想を述べる人が、自分も含めて多かったように思う。ただし(日本においてはそれで間違いではないと思うが)アメリカ本国では59年なので、ハインライン自身はベトナムではなく朝鮮戦争をイメージしていたというご指摘が中村融氏からあり、眼からウロコが落ちる感じがした。敵異星人の思考形態や社会システムに蟻(=共産主義国の揶揄、中村氏によればアジア人?)を用いている点からも、マッカーシズムや「強いアメリカ」を求める考え方が背景にあるというわけだろう。ここで描かれているのはある意味でディック『宇宙の眼』のような作者の夢(理想)の世界というわけだ。本来なら機械によって力が増強されるため性別には関係なく機動歩兵は務まるはずなのに、なぜ機動歩兵には女性がいないのか?という点や、実際の歴史とは違う架空の過去の歴史(**)が書かれているという指摘もあったが、それらもみな「夢の世界」ということで説明が付く。「権利を求めるだけでなく自らの義務を果たせ」という考えで貫かれた社会や、母親の影があまりに薄いことなども全て根っこは同じなのだろう。そして外部に敵を想定しないと成り立たない制度だという世界のいびつさも......。
 異星人の設定があまりにもおざなりなのが自分としてはかなり不満だったのだが、これも作者が書きたいのは理想社会や思想の部分であって敵はただ外側に存在すればいいだけと考えると、適当に手を抜いている感じが理解できた気がして腑に落ちた。うん、やはり読書会やってよかった。

  **…例えば295ページにはフレデリックス少佐が名誉回復をされなかったとあるが、
      事実は本書が執筆される前の1952年に名誉回復されているらしい。

 ただ、この考えを仮に小説の設定としても受け入れることが出来るかはまた別の話であって、事実『夏への扉』やハインラインのジュブナイル作品に親しんだ人からは、読むのがとてもつらかったという意見があったことも付け加えておきたい。さらにここで述べられている考え方が19世紀プロイセン王国の軍人クラウゼヴィッツを始め、所詮あちこちからの借り物であってそう目新しいものではないということも含めて。

 さて、ひととおり各班の意見が出揃ったところで、つぎは休憩を挟んでの全員による意見交換へとうつる。他の班の話の中から面白い意見をかいつまんでご紹介しよう。
 まずW班で面白かったのは、SF読みが比較的多い班だったにもかかわらず初読の人が多かったということ。昔の論争をしっている人ほど、面倒くさい話を敬遠したのだろうか。「読書会がなかったら多分これからも一生読まなかった」というコメントもあり、本を読むきっかけとしての読書会の位置づけを改めて実感した次第。
 感想として出たのは小説として面白くリーダビリティが高いという点。しかし本書を褒める人が言及する「女性や有色人種も白人男性と同じように活躍する社会だから進歩的」という意見には懐疑的で、「とりあえず使っとけ」という程度の扱いなので肩すかしだったと手厳しい。さすがだ。また「主人公は成長など全くしておらず、ただ出世しているだけ(笑)」という指摘も鋭い。「父親が気持ち悪い」とか「リコは特に目立つ才能も無いのに上官や恩師になぜあんなに褒められるのか、それは洗脳しやすいからだ」といった意見には会場内爆笑だった。
 次は翻訳家の中村氏を有するN班。この班の人はさまざまな文献や豊富な知識に基づく説明が聞けたようで羨ましい。作家でハインライン研究家でもあったアレクセイ・パンシンが「『宇宙の戦士』以降のハインライン作品はお説教ばっかりで面白くない」といったとか、「最初に中篇版が書かれてそれを膨らませて長篇が出来たというのは誤り。最初に長篇を書いたが売り先が無かったのでやむなく一部を中篇として切り売りしたのが本当」とか、あるいは「ハイラインがこの作品を書いたのは再婚相手がバリバリの右派だったからでは?」など、興味深い話が色々と出たようだ。意外だったのは、この班では当初肯定的な意見が多かったということ。他の班が終始ほぼ批判大会であったことを思うとちょっとびっくり。(もっとも後になると結局N班でも批判になっていたようだが。/笑)肯定的な意見は先ほどと同様に「読みやすい」という点。この班からは「完全な肉体を持つ強い男性でないと一人前でない」といった先ほどと同様の意見のほか、「おじさんが若者に説教して導く小説(笑)」とか「徴兵制が無いのはハインラインが理想とする社会制度が分業制だから」といったユニークな意見も聞くことが出来た。たしかにこの世界には身体障害者の人は存在しないのだよなあ。(途中で出てきた傷痍軍人も結局はリクルートの為のニセモノだったし。)

 あれこれ話しているうちに会議室の終了時刻が近づいてくる。愉しい時間が過ぎるのはあっという間なのだ。慌てて「『宇宙の戦士』の後に読むおすすめ本」を確認してこの日の読書会はお開きとなった。以下にその時あがった作品リストをざっと並べておしまいにしよう。
 『卵をめぐる祖父の戦争』D・ベニオフ
 『エンダーのゲーム』O・S・カード
 『終わりなき戦い』J・ホールドマン
 『シビリアンの戦争』三浦瑠麗
 『戦争の条件』藤原帰一
 『宇宙兵ブルース』H・ハリスン
 『スローター・ハウス5』K・ヴォネガット
 『銀河英雄伝説』田中芳樹
 『老人と宇宙(そら)』J・スコルジー
 『アラン、海へ行く1』デューイ・ラムディン
 『風雲の出帆 トマス・キッド1』ジュリアン・ストックウィン
 《ストリート・キッズ・シリーズ》ドン・ウィンズロウ
 『銀河おさわがせ部隊』R・アスプリン
 『異星の客』『月は無慈悲な夜の女王』R・A・ハインライン
 『宇宙船ビーグル号』A・E・ヴァン・ヴォクト
 『フルメタルジャケット』(映画)
 『スターシップ・トゥルーパーズ』(映画)
 『フューリィ』(映画)

<追記>
 大勢の方が参加された二次会も含めて今回も大変愉しい読書会だった。ご参加頂きました皆さんを始め、急な用事で参加できなくなったにも関わらず感想や次のお薦め本を紹介してくださったニケさん、ありがとうございました。そして本業が忙しいなか、準備や当日の運営に奔走してくださったスタッフの皆さん、お疲れさまでした。次回の「第6回名古屋SF読書会」の概要も早々に決定したことだし(開催日:7月30日/課題本:B・J・ベイリー『カエアンの聖衣』)、また愉しくやりましょう。(さらに今回は第7回の課題本まで決定した。スタニスワフ・レム『ソラリス』に決定した。『ソラリスの陽のもとに』ではなく原典訳の『ソラリス』の方だということもあわせ、レム好きとしては大変に嬉しい。よーし、やるぞー。/笑)

<追記2>
 読書会の常連のO-bakeさんがご自身のブログにアップされた読書会レポートです。O-bakeさんどうもありがとうございました。
 ■O-bakeと読書とひとりごと 『第5回名古屋SF読書会』


 SFコミュニケーション研究会のおもちΩさんも読書会レポートをアップしてくださいました。おもちΩさんどうもありがとうございました。
 ■SFコミュニケーション研究会活動記 「第5回名古屋SF読書会『宇宙の戦士』レポート」

「SFインターメディアフェスティバル2016」

 SFコミュニケーション研究会によって昨年の3月に第一回が開催されたイベントの第二回に行ってきた。日時は本日3月27日の14:00~16:30、場所は名古屋の中心部にほど近い、吹上と今池の中間あたりにあるライブシアターだ。今回のお題は「すべてがRealになる」ということで、ヴァーチャルリアリティ(VR)や拡張現実(AR)が巷にあふれる昨今、いまいちど「現実」とは何かについて考えてみようというもの。うーん、なかなか格調高いぞ。でも1ドリンク付きのチケットだったので、観る側はアルコールを一杯ひっかけながらという気楽なものだったのだけどね。(笑)
 せっかく街に出たのだからと本屋を覗いていたら例によって時間ぎりぎりになってしまい、慌てて地下鉄吹上駅を出て1番出口から会場へと急ぐ。ツイッターの写真案内に従って会場に着き、地下への階段をおりると薄暗い店内には舞台の前にずらりと椅子が並べてある。ざっとみたところ30脚ぐらいはありそうだ。半分ほどは事前予約者の札がついていたので残りは当日の来場者用ということだろう。奥のテーブルに先に来ていた友人を見つけて声をかけ、開会時刻まですこしおしゃべりしながら展示してあった登壇者の方の拡張現実(AR)アートの作品を愉しむことに。
 壁一面に貼られたボードには、不思議の国のアリスの挿絵(ジョン・テニエル?)や北斎の富嶽三十六景(神奈川沖波裏)、ゴッホのひまわりにモナリザといった有名作品が印刷されている。友人の話だとテーブルに置いてあるスマホのカメラを通してそれらのパネルを観ると、絵が動き出すらしい。さっそくやってみる。
 「おおー、これは面白い!」
 肉眼でパネルの方を見てももちろん変化はないのに、スマホの画面の方では大波やグネグネと動きチェシャ猫が消え、ひまわりの花びらがはらはらと散ってゆく。現実世界の上に別の現実が上乗せされるような感覚が面白い。今はスマホ画面の中に閉じ込められた世界でしかないが、メガネがスクリーンになれば将来は普通の生活シーンでも当たり前の風景になっていくかもしれない......。
 ―― なんてことを考えながら席に着き、受付でもらったチラシを読む。今回の登壇者は3名。まず一人目はメディア作家であり岐阜県大垣市の情報科学芸術大学院大学(IAMAS)の教授でもあるという赤松正行氏。氏はさきほどの展示作品の作者で、かつてi-Phone用として話題になった拡張現実アプリ「セカイカメラ」の製作者であるとのことだ。つづく二人目は心理学講師のかたわら演劇の舞台演出家をされているという加藤智宏氏。そして三人目は臨床心理士の後藤智希氏となっている。本日はまず3名のゲストにそれぞれ予めお願いしておいた演題に沿ってお話しいただき、休憩の後はゲスト同士でのパネルディスカッションや会場からの質問に答える時間となるらしい。この三人によって語られる「現実」とは、いったいどんな話になるのだろうか。わくわくしながら「イエーガージンジャー」なるカクテルをちびちびやっていると、やがてスタートの時間となった。

 司会進行は昨年と同じくSFコミュニケーション研究会の“ぽちこ”氏。開会の挨拶に続いては、ツイッターで事前公募していた「拡張現実っぽいSF作品」の紹介に。ところがどうやら会場備え付けの機材にトラブルがあったらしく、本来プロジェクターに映し出されるはずの小説/映画/アニメといったジャンルの全46作品のリストが映らない。しかたなく“ぽちこ”氏が『ハーモニー』『スキャナー・ダークリー』『パプリカ』などの小説作品や「マトリックス」「キングスマン」といった映画、そしてアニメ「アクセル・ワールド」などを一生懸命口で説明していくが、けっこう大変そうだった。後日、研究会のホームページ(BLOG)にアップするそうなので、そちらを楽しみに待つことにしよう。
 そしていよいよ本日ひとり目のパネリスト赤松正行氏の登壇である。ご自身の経歴に沿ってVRやARの歴史についてざっくりと俯瞰され、エジソンのキネトスコープの懐かしい写真などがプロジェクターに映し出されていく。一番のネックはコンピューターの処理能力と物理的サイズだったという話が面白い。やはり2007年のi-Phone登場は衝撃的だったようだ。GPSや加速度センサーの作用でカメラがどちらを向いているかが判るため、その瞬間に画面に映っている(であろう)景色を推測できるというのもすごい。「セカイカメラ」というアプリはその時、風景に存在しているであろう情報を可視化して画面に表示するというものであったとのこと。しかし残念ながらカメラを構えたままあたりを見回す動作が盗撮に間違えられやすく、話題になった割に普及せず消えて行ったという。
 会場に展示してあったアート作品とそれを鑑賞するためのアプリ「ARART」開発のこぼれ話や、さらにコンセプトを先鋭化させた「Hype Cube」という作品の話から徐々に話題は本題の「リアル」へと移っていく。コペルニクスの天動説やダーウィン進化論などを例に色んな話題が出たのだが、氏の考えをまとめると「今見えている現実が唯一のものではなく、さらに大きな現実の一部であることが判明するときが来るかも知れない」と考えていた方が良いという感じだろうか。総じてVR/ARには肯定的な意見だった。
 かくして一人あたりの持ち時間20分があっという間に過ぎてしまい、続いては加藤智宏氏の番に。氏の専攻は環境心理学だそうで、その大元は認知心理学へとつながるらしい。氏に振られた演題は「舞台演出における現実の拡張法」というものだそうで、これがまた難しい(笑)。氏は新劇やアングラや伝統芸能(文楽など)をネタにしつつ、「舞台を演出する」とはどういう事なのかについて軽妙な語り口で述べていく。
 加藤氏によれば舞台における“世界”とは台本であり、台本を通じて観客に見せたい「テーマ」が骨格となるものなのだそう。したがってどんなに破天荒で荒唐無稽な“世界”であっても、その世界はその作品の中では紛ごうことなき「現実」なのだ。劇団・少年王者館による舞台「夢十夜」の映像を見せながら、プロジェクションマッピングなどを駆使した舞台演出と視覚イメージの変容についての話が滅法面白かった。氏の結論としては、「現実」とは感覚受容器が伝えた情報を脳内で「REALなもの」であると認知しているに過ぎないということのようだ。ユクスキュル『生物からみた世界』やあるいはカント、フッサールといった思想家たちの本の内容が頭に話が浮かんでくる。いやあ面白い。
 つづいて登壇者の三人目は後藤智希氏だ。臨床心理士である氏へのお題は「依存から見る現実世界」というもの。拡張現実からなんで「依存」の話になったのかはよく解らないが、ネット依存症などからの連想なのだろうか。ともかくも氏は「依存症(=ある物事に依存し、それがないと身体的精神的な平常を保てなくなる状態)」だとか万能感の裏返しである「自己不全感(=自己が不完全であり何も満足できないといった劣等感、自らを無価値であると考える自己嫌悪)」といった話や、それらがこじれることで過度な自己愛から生じる「自己愛型人格障害」まで、幅広い話題で飽きさせない。いつもはお酒を飲むとすぐに眠くなってしまうのだが、今回はまったく眠くならなかった。
 とりわけ興味深く且つ恐ろしかったのは、自己愛型のパーソナリティ障害は理想の自分と現実の(さえない)自分の間のギャップに苦しみ、やがて「自分を認めない世の中が悪い」という倒錯した観念に囚われていくことがあるという話や、過去5年ほどの間に自己愛で悩み人が増えたことこれらの症状とネットの関連性が取りざたされているという話。「ルサンチマン」とか「グノーシス主義」という単語がちらりと頭をよぎったが、それよりもぴったりなのはネトウヨやISなどの過激派組織だろう。不全感に悩む者たちが、こじれた自己愛と世界への憎悪を抱えつつ集まっていく構図は大変に怖ろしい。後藤氏の話の要点をまとめると、VR/ARによって「現実のリアル」と「心の中のリアル」の境界が曖昧になることでの危険には、充分に注意していかなくてはならない、といった感じになるだろうか。
 色々考えているうちに時間となり前半が終了。10分間のトイレ休憩を挟んでいよいよ三氏によるパネルディスカッションの開始である。休憩中、この三人の内容をどう結び付ければいいのだろうとずっと考えていたのだが、始まってしまえば結構活発な意見交換がなされていた。以下はその抜粋である。
 ・「現実(=リアル)」と「現実感(=リアリティ)」はきちんと区別して使って
  いかないといけない。【赤松氏】
 ・依存症や人格障害は身体的よりも社会性の問題であり、その人に合った社会なら
  幸せなのかもしれない。【加藤氏】
 ・時代が変わればパーソナリティに対する社会の受け取り方も変わるのかも。
  【赤松氏】
 ・国や文化や時代によって「リアル」の違いがある。【後藤氏】
 ・ウイリアム・ギブスンのSF小説『あいどる』にでてくる仮想アイドルはまさに初音ミク。
  初音ミクのコンサート映像では、最初に生身の人間が出てきたらブーイングで、
  その後初音ミクが出てくると大歓声で迎えられていた。ミク自体はさほどリアリティの
  あるキャラではないのにリアルに感じる。同様に「ARART」でも、使っている動画自体
  は高精細ではなく粗い映像を使っているのに、かなりリアルに絵画が動いているように
  感じられる。これらからすると、リアリティを与える根拠は物理的なものではないと言え
  るのではないか。【赤松氏】
 ・駅の柱のポスターが最近は動画に変わったが、自分としてはとても違和感がある。
  テクノロジーに置いてけぼりになる人間は一定数存在するが、その人たちは永久に
  新しいテクノロジーを拒み続けるのではないか。【加藤氏】
 ・最近では小さなお子さんが紙の雑誌を一生懸命スワイプしようとしたり、「(紙面が)
  動かないからつまらない」というらしい。若い人にとってはそちらの方が自然になる。
 ・人間は適応力が高いからVRやARによる様々な変化にもやがて適応していくと思う。
  ただし「頭で理解する」のと「心でわかる」のはまた別なので、急激な社会変化に対して
  は問題が出る人もいるかも知れない。【加藤氏/後藤氏】

 会場からの質疑応答にもこたえていただけたのはよかった。(当ブログの管理人も調子に乗って質問してしまった。)上のコメントの中にも質問に対する答えが混じっている。
 とても面白いと思ったのは、加藤氏に対してなされた「演劇は“ある役者がある役柄を演じている”とみている人と、“(舞台上の)有る人物”として見ている人がいるが、頭の中ではいったいどうなっているのか」という質問とそれに対するコメント。加藤氏自身は「ある役を演じている役者自身」という見方を前提にして演劇の演出をしているとのこと(つまり「二重に見え、かつ統合されている」という状態)だが、十人いれば十通りの見方があるのではないか?ともおっしゃっていた。

 以上、あっという間の2時間半が過ぎ、今年のSFインターメディアフェスティバルも無事に終了。来年の開催を約束してお開きとなったのであった。次回はどんなテーマになるのだろうか。スタッフの皆さんお疲れさまでした。

<追記>
 このイベントは他で行われている読書会やシンポジウム、セミナーといったSFイベントとは違って、現実にあるテクノロジーをメインに据えて、それらと小説や映画などフィクションの交差を狙っているところが大変に素晴らしい。まさに刺激的で面白いインターメディアなお祭りなのだ。今回は冒頭のフィクションの部分が弱くなってしまったので残念だったが、ぜひともこの路線で独自の面白さを追求していってもらうと良いのではないだろうか。

イタリアバロック音楽コンサート

 ひょんなことからバロック音楽のコンサートにお招きいただくことになった。毎朝通勤途中でラジオのバロック番組は聴いているが、生のバロック演奏を聴くのは初めてなのでとても愉しみ。コンサートの題名は「イタリアバロック名歌集 ~綴られた悲劇」といい、あいちトリエンナーレ2016パートナーシップ事業のひとつだそう。チラシをみると愛知県立芸術大学同窓会や名古屋音楽大学が後援していたりして何だかすごい。時は2月14日(日)、場所は伏見にある電気文化会館の地下2階コンサートホール。余裕をもって家を出たつもりだったのだが、あちこち寄り道していたら到着が14:00からの開演ぎりぎりになり、会場に駆け込んだのはちょうど出演者の挨拶が終わっていまにも演奏が始まろうとするところ。あぶない、あぶない。人の入りはざっと100名弱ほどだろうか。座席指定は無いので適当なところに席をとり、受付で手渡されたパンフレットに目を移したところでコンサートが始まった。

 ではここで内容について簡単にご紹介。出演者の方は5名で、歌唱担当はソプラノ声楽家の加藤佳代子氏と本田美香氏。お二人をサポートするのがテオルボ(リュート)の坂本龍右(りゅうすけ)氏とバロックチェロの懸田貴嗣(かけたたかし)氏、そしてチェンバロの平井み帆氏という演奏家の皆さんだ。時間は途中15分の休憩を入れて計2時間、アンコールまで入れて全15曲というなかなか盛りだくさんなコンサートだった。構成としてはソプラノ二重唱や独唱による歌唱曲の他、それぞれの楽器の独奏や合奏を交えた器楽曲を加えたりして、バラエティに富んでいる。クラシックのコンサートといえばファミリーコンサートぐらいしか聴いた事がないのでこれが一般的な構成かどうかは知らないが、聴くものを飽きさせないように工夫されていて好かった。以下、当日プログラムから書きだしてみよう。

  1.遠いところに行けるだろうか/シジズモンド・ディンディア
  2.このうえなく甘いためいき/ジュリオ・カッチーニ
  3.東の門から/ジュリオ・カッチーニ
  4.ヴィオローネのためのトッカータ、ルッジェーロ 
          /ジョバンニ・バッティスタ・ヴィターリ
  5.おまえの自由を容赦なく奪う者/ジョバンニ・フェリーチ・サンチェス
  6.私はかわいい羊飼いの娘/クラウディオ・モンテヴェルディ
  7.第2旋法のトッカータ/タルクイニオ・メールラ
  8.フォーリア/ベルナルド・ストラーチェ
    <休憩>
  9.マリア・ストゥアルダの哀歌 “待ちなさい、私に話をさせなさい”
          /ジャコモ・カリッシミ
 10.トッカータ/アレッサンドロ・ピッチーニ
 11.死がわれらを別つまで/バルバラ・ストロッツィ
 12.タランテラ/ジューリオ・デ・ルーヴォ
 13.12のトッカータより/フランチェスコ・スプリアーニ
 14.哀れな美貌/ジョヴァンニ・フェリーチェ・サンチェス
 15.アンコール曲(曲名不明)/クラウディオ・モンテヴェルディ

 このうち冒頭の1と真ん中付近の6、そしてラストの14とアンコールの全4曲が、加藤氏と本田氏による二重唱となっている。2と3と9は本田氏による凛とした独唱、5と11は加藤氏の完全暗譜(歌の場合も楽譜を見ないのは”暗譜”で合っているのかな?)による力強い独唱で、その間に器楽曲が挟まる形。器楽曲でも4と12はバロックチェロ、7と8はチェンバロ、そして10はリュートによる独奏と分けられており、また残りの13は三つの楽器による合奏という贅沢なつくりになっている。普段聴きなれない楽器の音色なので、聴き比べができたのは嬉しかった。さらにそれぞれの演奏前には奏者による曲や楽器についての説明(*)もあったりして、自分のような初心者でも充分に愉しもことができた。

   *…例えばバロックチェロと普通のチェロの違いについて。バロックチェロには床で
      楽器を支えるためのピンが無く、両脚で胴体を抱えて弾くのが特徴。また羊の腸
      で作ったガット弦を使っている。(注:ガット弦は同じくリュートでも使用。)
      自然の素材を使っているため気候の影響で狂いやすく、頻繁に調律しなきゃいけ
      ないらしい。たしかにコンサート中も頻繁に音合わせをやっていたが、そういう事
      だったのか。

 パンフレットに訳詞が載っていたので、歌のパートはそれを読みながら聴いていく。前半の曲は「愛神の鋭い矢を感じないでいられるほど、遠いところに行けるだろうか」などといった能天気なラブソングばかりだ。6なんて全編「私はかわいい羊飼いの娘。バラ色とジャスミンの花のような頬、そしてこの額、この黄金の髪は......(後略)」といった感じで、読んでいる方が赤面してしまうほど。
 しかし休憩を挟んだ後半になると、(確かに愛も謳ってはいるが)徐々に老いや死の悲しみの歌が次第に増えてきて、コンサートの題名の意味が明らかになってくる。9は幽閉の果てに処刑されようとするマリア・ストゥアルダが歌う告発の歌になっていて、歌詞も「もし無慈悲な運命が罪人に当然の死を私に定めているとしても、私は無実で死ぬのです」といった感じ。14に至っては、最愛の人が老いさらばえた様子をみて「君はどのようにして、こんな風になってしまったんだい?」などという不届き千万な歌詞まででてきて驚く。(いまなら訴えられそう。/笑) 毎朝ラジオで聞いているのはミサ曲が中心なので、題名も「目覚めよと呼ぶ声あり」など神やイエスを讃える固めのものが割と多い気がする。したがって今回聴いたイタリアのバロック曲は、奔放さが逆に面白かった。中身は全然高尚ではないのだが(失礼!)、それでも舞台の上で繰り広げられる二人の熱唱や美しい古楽器の柔らかな響きを聴いていると、心が洗われていくような心持ちになっていくのが不思議。

 実をいうと、コンサートの間じゅう中世ヨーロッパを舞台とする様々な物語の1シーンがあたまに浮かんでは消えを繰り返していた。(16~17世紀を中心としたイタリア歌曲なので、厳密にいえば国や地域も時代も違ったりするのではあるが。)例えばヴァーノン・リーの『教皇ヒュアキントス』やエラスムス『痴愚神礼讃』、映画の『ブラザー・サン シスター・ムーン』にエーコ『薔薇の名前』など。さらには山尾悠子『ラピスラズリ』やディネセン『ピサへの道』、それにセルバンテス『ドン・キホーテ』など挙げていけば枚挙にいとまがない。考えてみればバロックはゴシックより前の時代にあたるので、自分が好きな幻想小説の源流にもあたる。道理で相性が良いわけだ。いやこれは愉しい。
 ラジオも決して悪くはないけれど、生で聴くことが出来るコンサートはまた格別なものといえる。毎年夏になると名駅前に薪能を観に行って夢幻の境地を味わうのが愉しみなのだが、バロック音楽のコンサートも、能とはまた違った意味で現実とは違う世界に連れて行ってくれることが判った。本との相性も良いし、これは病み付きになりそうな予感がする。ロマン派の音楽も悪くないけど、バロック音楽をこれから少し追いかけてみても良いかもしれない。あっという間の2時間だった。

<追記>
 今回のコンサートは、元を辿れば声楽家の加藤氏と喫茶リチルでお会いしたことがきっかけだった。その後、幻想文学を語るイベントにもご参加いただいたりして、今度はご本業であるバロック音楽を聴く機会を作って頂くことに。本を通じて思い掛けない方々との出会いが広がっていくのがありがたく、そしてまた愉しい。
 加藤さん、このたびはどうも有難うございました。またリチルで珈琲でも飲みながらおしゃべり致しましょう。マスター、その節は宜しくお願いします。

温泉読書会ツアー2015

 連休を利用して、本好き仲間による内輪の温泉読書会をしてきた。メンバーが住んでいるのが名古屋から東京までばらばらなので、皆の集まりやすさを考えて場所は伊豆に決定。熱海から少し南にくだったところにある、熱川温泉で行うことになった。(それに「伊豆の温泉」という響きにもちょっと憧れがあったしね。/笑)
目的の第一は何と言っても「美味しいものを食べてゆっくり温泉につかり本の話をする」ということなのだけれど、せっかくなので観光だってしてみたい―― などという欲張りも熱川温泉なら大丈夫、なんせここには、かの有名な観光スポット“熱川バナナワニ園”があるのだ。(笑)
 というわけで仕事のスケジュール調整や準備のドタバタを何とかクリアして、当日集まったメンバーはI氏/K氏/G氏/T氏に当ブログの管理人・小鬼という、いずれおとらぬ本好き仲間の計5人。正午の少し前にはJR熱海駅に集合してレトロな喫茶店でのランチからスタートし、お洒落なカフェでのおしゃべりを経て、伊豆急行のパノラマ特急で風光明媚な海岸線の景色を愛でつつオーシャンビューがきれいな温泉旅館へと移動。その後は途中の夕食を挟んで夜中まで延々と、心ゆくまで本の話に花を咲かせたのであった。(刺身の盛り合わせや金目鯛の煮つけなど伊豆の海の幸に舌鼓を打った夕食の話や、檜風呂の大浴場に猫がいた話、あるいは日本の旅館における正しい朝食の話や、バナナワニ園でレッサーパンダをみたり仔ワニの背中を撫でたりした話など、愉しいエピソードは沢山あるのだが、本の話とは関係ないのでここでは一切省略とさせていただく。/笑)
 宿にチェックインしたのが午後3時。そのまま夕方まで読書会の第一部を実施し、夕食後は風呂に入って8時半に再び集合し、読書会の第二部やお薦め本を紹介しあうという、本好きにとってはまさに夢のような一日を過ごすことができたのであった。(*)

   *…今回の読書会は時間がたっぷりあったので、昼の部と夜の部の二部構成にしてそれ
      ぞれ別の課題本を設定した。昼の部の課題本はクリストファー・プリーストの
      『双生児』として、夜の部ではレオ・ペルッツ『聖ペテロの雪』を取り上げる
      ことにした。

 ではさっそく読書会の内容について触れていこう。
 昼の部の『双生児』読書会は一応、旅行幹事の自分が進行役を務めさせていただくことに。お茶うけの赤福餅やきのこの山などを摘まみつつ、車座になって順番に感想を述べる形で進めたところ、K氏による「本書といい『魔法』といい、なぜプリーストはこんなに男女の三角関係を描くのが好きなのか?」という発言でいきなり波乱の幕開け(笑)となった。うん、そうそう。確かにこの話は歴史改変ファンタジーとして魅力的な仕掛けがたくさんあるのに、そこで主題になっているのが三角関係というのが、自分も納得いかなかったのだ。作者自身が「(歴史改変の結果より)どっちがビルギットとベッドインするかという問題に答えを出すことのほうが重要」なんて言っているし。なんせ氏は本書『双生児』が苦手だったそうで、その理由をよくよく聞いてみると、最初に大森望氏の解説を読んでしまったので、ジャックとジョーとビルギットの三角関係にばかり目がいってしまったためと判明した。K氏は後の方でも「後半のジョーの物語の方が如何にも胡散臭い」「著者は平和主義のジョーに対してシニカルな面がある」「女性の描き方に少しミソジニー(女性嫌悪)の傾向がある」といった鋭い意見を述べていた。
 続くI氏は「プリーストは双子の話が好き」という話から、「本作では双子という以外にチャーチルやヘスも含めたドッペルゲンガーの要素が強い」という指摘になるほどと頷く。ところで今回は親しいメンバーによる少人数の読書会なので、初対面の人が参加するいつものミステリーやSFの読書会とは若干違って前置き無しでいきなり本題に入るので最初からトップギアで話が進むのが面白い。また各自の感想を順に述べる途中で、どんどん鋭い突っ込みが入るのも愉しい。例えば、ジョーとビルギットの夫婦関係は早くに破綻していて、後半で二人が仲よさそうに描かれているのはジョーの側からみた妄想であるという意見は、自分が気付いていなかった点だった。(その証拠として口論になってジョーに都合が悪くなると時間が戻る、というT氏の話には笑った。)
 その次はいよいよ今回大活躍だったT氏による感想の番だ。氏は本書がプリーストの最高傑作でという立場であり、今回再読してその意を強くしたと力強く宣言、こと細かくとったメモに基づいて我々が気付かなかった様々なポイントを指摘してくれたのであった。(ただ、それにより全ての謎が解けたとかいうことではなく、T氏も「極めてリーダビリティが高いにも関わらずあらゆることが破綻している稀有な作品」という立場なのがまた愉快だ。)
 本書の矛盾点については、グラットンとアンジェラの出生にまつわる部分が、まずは一番とっつきやすいといえるだろう。解説で大森氏が述べているような「歴史A(=ジャックの時間線)」と「歴史B(ジョーの時間線)」だけでなく、AダッシュやBダッシュ、あるいはAダッシュダッシュ......といった感じで、まるでミルフィーユのように複数の世界が複雑に入り組んでいるのではないかというのが皆の一致した意見だった。(無限に連なる複数の世界というイメージで、自分は『魔術師』のラストで描かれたショッキングなシーンを思い出した。)これはG氏が述べた「何度も同じシーンが回想されるが、そのたびに細かな部分が違っている」という指摘にも合うのではないだろうか。なおG氏は、「文庫化により上下巻に分かれたので“あの”印象的なシーンで上巻が終わることになったのは良かった」との意見だったがこれには皆が同意。あれは単行本よりもむしろ良くなった点ではないだろうか。
 こういった見方でもって、ジャックやジョーの手記として書かれている「事実」の整合性を検証していくと、かなり面白いことが見えてくるようだ。T氏によれば本書の歴史分岐点であるヘスの英国行きについても、記述の不整合が見られるそうだ。ジャックが目撃したのは「9時と3時」の方向のメッサーシュミットであり、撃ち落されたのが3時で生き残ったのが9時だった。ところがもうひとつの記述では「12時と3時」となっており、撃ち落されたのは12時の方で3時は生き残った。ここからのT氏の話(仮説)が面白かった。共通する3時の機に本物のルドルフ・ヘスが乗っていて、9時と12時の方が替え玉だったのではないか?そして本物と偽者のどちらが生き残ったかかによってその後の歴史が分岐したのではないか?という説だ。うーん、なるほど。これは鋭い。(他にも爆撃機の中の乗組員の様子などもいちいち違っている。)
 さて、最後は自分。色々と面白い意見を聞かせてもらえたので、自分は最初のK氏の指摘に戻り、「なぜにこれほど魅力的な設定と展開なのに、やっていることが村上春樹的な世界なのか?」という疑問を呈しておいた。これに対してはK氏から「同じ“仕掛け”の作家でもジーン・ウルフの方が女性の描き方が上手い」という、「プリースト=ミソジニー仮説」を補強するコメントを付け加えてくれた。
 ひととおり感想を述べたあとはフリーディスカッション。ここまでは小説としての仕掛けの部分に着目した感想が多かったので、つぎに歴史小説としての感想を訊いてみた。やはり現代史は(自分も含めて)苦手な方が多かったようで、あちこちに仕掛けられている(であろう)歴史的なエピソードのくすぐりが理解できないのがもどかしい。おそらく山田風太郎の明治物でふと桂小五郎が出てきたり、といった感じなのだろうか。しかし歴史ばかりでなく例えば23ページに出てくる住所の記述では、「マサダ」や「アンタナナリボ」がマダガスカルに関連していることに気付けば「なにか変だぞ?」と思えるはずなので、歴史にかぎらず知識さえあれば結構愉しめそうという結論になった。
 また、ミステリー読書会でよく聞くキャラクターを軸にした読み方については、今回参加したメンバーは誰もそのような読み方をしていなかった。これは感情移入できるキャラがいないというプリースト自身の特徴によるものもあると思うが、「SFファンはストーリーより設定そのものを愉しむ」という面も大きいのではないかという気もしている。
 さて最後は「次に読むなら?」を出し合って昼の部は終了に。広瀬正『エロス』やP・K・ディック『高い城の男』、N・スピンラッド『鉄の夢』にS・エリクソン『黒い時計の旅』、そしてJ・ユルスマン『エリイアンダー・Mの犯罪』といった歴史改変SFから、氷室冴子『なぎさボーイ』と『多恵子ガール』や海外のサスペンスドラマ「アフェア 情事の行方」といった作品まで、多彩な作品があがってお開きとなった。

 『双生児』読書会終了後は、近所の有名な居酒屋で美味しい海の幸とお酒の夕食をとり、露天風呂で汗を流したあとでいよいよ読書会・夜の部の開始だ。こちらは最近たてつづけに作品が出版されて話題となっている歴史幻想小説作家、レオ・ペルッツを取り上げることにした。課題本は最新刊の『聖ペテロの雪』だが、ゆるゆるとその周辺を語って秋の夜長を過ごそうという趣向だ。
 なお今回は歴史幻想ということでテーマが重なったので、神聖ローマ帝国やロシア革命をネタにした『聖ペテロの雪』の話でも自然と『双生児』に言及されて、複層的な読書会となった。(『聖ペテロの雪』の主人公の手記は、『双生児』のジョーに呼応しているのではないかというコメントには皆で納得。)ただし歴史を扱っている点や真相が判らないという点ではたしかに共通する部分も多い『聖ペテロの雪』ではあるが、『双生児』と大きく違っている点もある。それはエキセントリックで蠱惑的な魅力をもつ登場人物が多く出てくるという点。どのキャラがいちばん気に入ったか?という話では誇大妄想狂の男爵や『ドグラ・マグラ』のように精神を病んだ語り手の主人公、謎多きヒロインにそして「聖ペテロの雪」そのものが魅力的だといった(笑)とても愉しい意見が聞けた。(**)

  **…たしかに「聖ペテロの雪」のアイデアは秀逸。麦角菌がLSDを先取りしているという
      のは解説にも書いてあったが、ヒッピームーブメントなどその後の歴史を知ってい
      る我々からすると、ペルッツの先見性には脱帽するしかない。

 ペルッツでは他に『夜毎に石の橋の下で』が最高だとか、ピカレスクロマンの『スウェーデンの騎士』がラストの着地も美しいといった話、そして『第三の魔弾』では三発目の弾はどうなったのか?といった脱線もしつつ、やがて国書刊行会の「世界幻想文学大系」の『サラゴサ手帳』や『放浪者メルモス』がいかに面白いか、あるいは『ヘリオポリス』がいかに苦行だったか(?)といった幻想文学全般の話題へと移っていったのであった。
 ちなみに今回を含め2回ほど幻想文学の読書会を企画してみて判ってきたのは、「幻想文学読書会はあまり読書会には向いていないのではないか」ということだ。その理由は「あー、面白かった」で皆が満足してしまうから。神秘思想や文学史の膨大な知識を持っているなら他にも話すことがあるかも知れないが、どちらかというと「詰まらない」とか「わからない」といった意見が出やすい本の方が、議論が白熱して面白い読書会になるような気がする。幻想文学で読書会を開く場合は一冊の本を課題にして作品論を語るより、ひとりの作家を丸ごとテーマにして作家論を語った方が良いかも?というK氏の意見はなるほどという気がする。今回は話題があちこちに飛んで、自分としてはそれはそれで面白かったのだが、普通の読書会でそれをやってしまうと置いてきぼりになる人がでる恐れがあるので、少人数でかなり本が好きなメンバーだからこそ上手くいったわけだろう。

 以上、この日の読書会は夜10時頃をもって終了したのだが、その後は各自が持ち寄ったお薦め本をきっかけにして、白井喬二『富士に立つ影』の破天荒な面白さについて(なんせ全十巻なのに主人公が登場するのがやっと四巻になってからなのだ)や、山田風太郎の『魔界転生』がいかに格好いいかといった話、あるいはアンナ・カヴァンの『氷』や『アライサム・ピース』の話、そして私の知らない少女漫画の世界についての話など、夜が更けるまで本にまつわる四方山話は続いていった......。
 そして翌朝になっても、バナナワニ園の観光を終えてから昼食中に笙野頼子『水晶内制度』『金毘羅』の話をしたり、帰りの列車の中でも泉鏡花「眉かくしの霊」や幸田露伴「幻談」を話したりと、隙さえあれば本の話が始まる。かくしてふらふらになりながらも、まことに充実した二日間を過ごして帰宅の途についたのであった。実に罪深きは本好き仲間かな。来年もぜひ企画しよう。(笑)
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Author:舞狂小鬼
サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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